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    ちゃん

    @3chanchanchan3

    七五置場
    ハピエンしか書けません
    性癖が際どいやつはフォロ限だと見られない方がいるようなので
    一時的にログイン限定のパス制にしてみました

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    ちゃん

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    初書き七五
    支部からの再掲です

    #七五
    seventy-five

    Stay Gold 良いところに当たったのだろう。肉と骨の断たれる音がしたかと思うと、呪霊は断末魔の叫びをあげて事切れた。
     緩慢とした動作で拍手を送ると、振り返ったヒーローの眉間には深い皺が刻まれていた。
    「さっすが七海。僕が加勢するまでもないね」
    「何しに来たんですか。五条さん」
    「後輩の仕事ぶりを見守りに来たんだよ。なんせこの前までサラリーマンしてたんだから、腕が鈍ってんじゃないかな〜?と思って。先輩の優しさ」
    「何年前の話をしてるんですか」
    五条に一瞥もくれず、七海はスマホを操作すると、外で待機している補助監督に跋除が完了したことを伝えた。
     高専を去り、一般人として就職した後輩が、呪術界に出戻って数年が経過している。その数年の間に、一級術師にまでのぼりつめたことを、当然のことながら五条は承知している。
     七海が今さら並みの呪霊相手に遅れを取ることはない。むしろ圧倒するだろう。それでは、なぜ五条が七海を気にかけるかといえば、ひとえに七海が揶揄い甲斐のある後輩だからである。
     同期の家入をはじめ、五条の薄情なまでの気ままさを承知している人間は、いくら五条がちょっかいをかけても適当に流し、いなしてしまう。しかし七海は、周囲と同様につっけんどんな言動が目立つが、その実、五条をいなしきれていない。五条の言動に逐一真面目に反応し、律儀にこめかみをひくつかせる。
     その真面目で優しすぎる根っこが、僕を払いきれない要因なんだよなぁ。五条は極々気まぐれに七海に同情するが、わざわざ指摘してやる義理もないため、今日まで七海を玩具に遊び続けている。
     通話を終えた七海は、補助監督と合流するために廃墟の出口へ向かった。相手のパーソナルスペースをあえて侵しつつ、五条は七海の後をついて行った。
    「…もう少し離れて下さい」
    七海の声に苛立ちが滲んでいる。五条はしめしめとほくそ笑んだ。
    「えー?なんで?七海の足を踏むようなヘマはしないよ」
    「歩きづらいんですよ。分かりませんか」
    「そう?僕はそんなことないけど」
    言いながら七海の両肩に手を添えて、五条は七海の肩を揉んだ。岩のように固かった。
    「うっわ!何コレ、ガチガチじゃん。ちゃんと休めてんの?」
    「あなたがいなければ休まりますね」
    「なんだよ、その言い草。人をストレスの権化みたいに」
    「自覚があるならその存在を改めるように努力して下さい」
     ピシャリと言い放つ七海にムッと唇を尖らせ、五条は仕返しとばかりに七海の背に抱きついた。七海が立ち止まった。
    「……何のつもりですか」
    「ハグにはストレス軽減効果があるんだよ。七海のストレスを緩和してやってんの」
    存在を改めて癒しの化身になろうと思って。そう悪戯っぽく返すと、腕の中の後輩が小刻みに震えはじめた。うなじは淡く紅潮している。
     さすがにやりすぎたか。拘束を緩めると、七海は五条と向き合った。七海の顔はいつものように無表情に凪いでいて、なんだぶちギレられるのは杞憂だったかと、五条が拍子抜けした刹那、
    「五条さん。あなたが好きです」
     五条は硬直した。日頃から多量摂取して身体中に蓄えている糖分をフル活用し、思考を巡らせた。
     七海が僕を好き。七海は後輩。七海は同僚。七海は揶揄うと面白い。七海は僕を無下に扱うけれども真面目に向き合ってくれる。なぜ。僕を好きだから。なんて罪なやつ。僕。
     …………いや、まだ恋愛という意味でと決まったわけじゃない。人として、という可能性も充分にある。むしろその方が圧倒的に高い。
    「あなたとであれば、同性ですが、性的な接触も厭いません。」
    「恋愛の意味じゃん」
    思わず心の声を漏らし、五条はハッと口元を手で覆った。七海はそれを無表情に見届けると、さっさと歩き出してしまった。
     当然、五条は七海を呼び止めようとした。しかし七海は止まらなかった。仕方がないので、五条は七海の背を追った。
    「ちょっと待てよ!なんでここで告白すんの!?ていうか僕を好きってマジなの?」
    「マジです。しかし、これは告白ではありません。報告です」
    「はあ!?」
     五条が足を止めると、七海も足を止めて振り返った。相変わらず無表情である。それでも、常ならばそれなりに感情が分かるものなのに、今日に限って真意が読めない。
    「…どう考えても告白でしょ」
    五条の呟きに、七海は溜め息をついた。
    「私は返事を求めていないので」
    「返事が必要なら『告白』、いらないなら『報告』ってこと?だからって、答えないわけにはいかないでしょ。面と向かって言われて」
    「必要ありません。私があなたに報告したのは、あなたにその軽率な接触を自重してほしいからなので。私の精神衛生によろしくない」
     だからって自らの好意をそんな雑に明かして良いものなのか。さすがの五条でも、七海のこの選択はイカれてやがると評さざるを得なかった。
     呆然とする五条を尻目に「報告をしたら、少し気持ちが軽くなったような気がします。あなたでもストレス緩和に役立つことがあるんですね」と、わずかに口元を緩め、七海は軽く頭を下げて廃墟を後にした。どこか晴れやかな動作だった。五条は、はじめて七海を可愛くないと思った。



     七海に愛の報告をされてからの数日間、五条は、どこかで七海とばったり遭遇してしまうのではないかと気が気ではなかった。しかし、お互いに多忙の身であるため、高専内で遠くから相手を視認することはあっても、交わることはなかった。
     五条の懸念は次第に風化していった。それどころか、七海が自分を好きであるということは、いくらウザったく絡んだとて、彼は自分を無視することができないのだから、より愉快な反応が得られるのではないかと閃いてしまった。七海の報告が五条からのスキンシップを抑制するものだろうが、何だろうが、五条には一切関係ない。我は我の道を行くのみである。
     五条の芯を通る極太の自己肯定感は、七海の心情を顧みず、むしろ邪気に塗れた好奇心を育んでしまった。五条は七海に会うのが楽しみで仕方なくなった。
     七海を見かけると、五条はわざわざ七海の傍に寄っていった。パーソナルスペースを侵しに侵し、ボディタッチも忘れない。任務の打ち合わせをしていようが、同僚と他愛のない話をしている最中だろうが、任務の真っ最中だろうが、五条は七海に悪戯を押し付け続けた。
     七海の恋心を認知した上で彼の反応を観察してみると、頑なに迷惑そうな態度は崩さないが、触れた箇所がほのかに熱を持っている気がした。耳の先もわずかに赤くなる。
     七海はやはり自分を好いている。そう思うと、五条の心は愉快に震え、表しようのない多幸感に包まれた。
    「お、お二人とも、最近仲がよろしいのですね」
    「仲がよろしい人に対する表情に見えますか?」
    打ち合わせ中に五条に肩を組まれてからというもの、七海の眉間がどんどん険しくなっていく。冷えた空気を気にも止めない五条に、七海は苛立ちを募らせている。そんな現状を打破しようと、伊地知が決死の思いで放った言葉は、七海の静かな声で打ち落とされた。適切な言葉が選択できないほどに、伊地知は現場の空気に動揺していた。
    「そーね。仲が良いっていうより、僕が七海が可愛くて仕方ないってとこかな。これは僕の片思い。だから、鬱陶しいからって八つ当たりなんかして、あまり伊地知をいじめるなよ。なーなみ」
     五条がニコリと口角を上げると、七海は秘めたる恋情が偽りなのではないかと思うほどに、心底からの軽蔑を瞳に込めて五条を睨み、忌々しげに舌打ちを返した。

     五条にとって、七海の反応は愉快そのものだった。性格が悪い自覚はある。しかし、感情的な素顔に理性の皮で蓋をして五条への苛立ちを抑えている様は、五条の童心を大いに満足させた。それが気持ち良くて堪らないため、五条は七海を放っていられないでいる。
    「小学生かよ」
    「硝子から聞いておいてその言い方はなくない?」
     束の間の暇を持て余してダベるために立ち寄った医務室にて、五条は家入から煙たがられながらも、ゴネて立ち退きを拒否し続けた。根負けした家入が同期を捨て置いて書類作業に取り掛かる様子を、五条がぼんやり見ているはずはなく、
    「暇だなー。なんか甘いものとかないの?僕シュークリームが食べたい気分。齧ったらカスタードが溢れて服について、悲しい気持ちになるくらいクリームがパツパツに詰まってるやつ。そういや七海の髪って、空からカスタードに降られても問題なさそうな色してるよね。今度ぶつけてみようかな。やっぱり勿体ない?炎上しちゃう?」
    などと言って、家入には全く共感できない話を延々と垂れ続けた。鍛え抜かれた五条への耐性から、中身のない話はことごとく家入の耳を素通りしていた。しかし、五条の無駄話にやたらと七海が絡んでくるな、という点に気付いてからというもの、その発見が目障りなほどに家入の業務を邪魔しはじめた。
     とうとう耐え切れなくなった家入は、「オマエ、七海に気でもあるのか?やたら七海に構ってるみたいだし」と五条に尋ねた。そうして返ってきた答えが、近頃頻発している七海への接触についての五条のお気持ちである。家入は「小学生かよ」と思うに留めたつもりだったが、しょうもなさすぎてうっかり心の声がまろび出てしまった。
     デリカシーの大半を母の胎内に忘れてきた五条であるが、七海の恋心を周囲に言いふらすことはしていない。しかし、数日前に伊地知にも「最近仲がよろしいですね」と指摘されたばかりである。周囲の人々は、自分が想定しているよりも自分たちの距離感を訝しく思っているのかもしれない。
     少し七海への接触を控えようかと、五条が思案していると
    「まさか五条が人並みに恋愛感情なんて持ち合わせていたとはね。オマエに好かれてしまった七海が不憫で仕方ないよ」
    家入は気怠げに目を眇めて、この場にいない後輩を憐れんだ。
     五条はキョトンとした。
    「レンアイカンジョー?僕が七海を好き?なんで?」
    「……無自覚かよ。タチが悪い」
    面倒なことに首を突っ込んでしまった。完全にしくじった。家入が口内でぶつぶつと呟く悪態に、五条は尚も疑問符を浮かべている。
     家入は盛大に溜め息をつき「すまん。私の気のせいだ。誤診だった。忘れてくれ」と小蝿を払うように手を振ったが、五条は食い下がった。一体、自分の言動のどこに七海を好いている要素があったのか。よく絡んでいる自覚はあるし、好意からと言えば好意からであるが、それは可愛らしい犬猫を愛でるようなものと同じである。断じて恋愛感情ではない。
     五条の意見を一通り聞き終えると、家入は心底面倒臭そうに顔を顰めた。
    「そんな矢継ぎ早に反論して、私にはむしろ好意がだだ漏れてるようにしか聞こえないんだが。要するに、小学生が好きな子の気を引きたくて嫌がらせしちゃうのと同じことだろ。何を話してても着地点は七海だし。ホントにガキだな、オマエは」
     五条は目から鱗が落ちる思いだった。まさか、自分が七海に恋をしていたとは。いつからなのか、全く身に覚えがない。彼に愛の報告をされたときからか。しかし、あのときの自分には、七海の思いに応えるつもりは毛頭なかった。なぜなら唐突過ぎたから。心の準備ができていなかった。最強の頭脳をもってすれば、少しの時間さえあれば前向きな答えを導き出したはずである。
     ………前向きな答え?それは、七海の思いに応えるということか?ということは、自分はあのときから既に、彼を好いていたというのか。そんなバカな。好意を抱いているのは七海のほうである。そういえば、七海に好きだと言われたとき、自分は何を思った?たしか、あのとき自分は……………、
    「なに顔を赤くしてんだよ。変なもの見せるな」
    「…目隠ししてんだから、赤いのなんて見えるわけがないでしょ」
    「よく言うよ。耳まで真っ赤なくせに」
     五条は何も言い返すことができなかった。耳の奥で血の巡る音がドクドクと響いていた。そのせいで、家入の「さっさと出ていってくれる?仕事の邪魔だから」という声が、やけに遠くで籠っているように聞こえた。



     なるほど、家入の所感の通り、五条は七海に恋愛感情を抱いているらしかった。なにせ好意を自覚してからというもの、服の上からだというのに、七海の体に触れるだけで指先が甘く痺れるような感覚を知覚した。心拍数は上がり、いくら糖分を摂取しても頭がぼんやりしてしまう。これでは七海のリアクションを楽しむどころではない。
     おかげで五条は軽々に七海と接触できなくなってしまった。そのくせ、七海が彼を慕う後輩と親しげに談笑している場面に遭遇すると、僕にはそんな顔しないくせにと拗ねた気持ちになったり、うっかり自分にも微笑んでくれないだろうかと期待して会話の中にお邪魔して、途端に能面になってしまった七海を笑いながらも寂しい思いを味わったりと、五条は自らの恋心に翻弄された。七海が誰かと話していようが気にせず絡みに行っていたのは、無意識の嫉妬心からなのかもしれない。その事実に気付いたとき、五条は家入からの『ガキ』呼ばわりを受け入れざるを得ないのだと知った。
     仕事に影響を及ぼすようなヘマはしないが、呪霊を祓っている間も、脳内では七海の顔がチラついている。五条の脳内の七海はいつも眉間に皺を寄せているか、取ってつけたような能面である。
     いい加減険しい以外の顔を想起したいと思った頃、五条は七海に、報告ではなく正式に告白させることを決意した。自分から告白してやっても良かったが、面と向かっているくせに真っ当な告白もできず、それどころか「報告であるから返事は必要ない」などと言って逃げ道を用意していることが気に食わなかった。この五条悟を好いたのであれば、添い遂げたいと本気で思っているのであれば、逃げの一手など許されるはずがない。何より、好きだと言われたから好きになった単純な奴だと思われるのは癪であった。
     七海に告白させるため、まず五条がとった作戦は、「押してダメなら引いてみよ」という、古来から伝わる駆け引きの技法である。今までさんざっぱら七海に絡み続けたのである。効果は絶大なはずだ。そうして五条は、七海を見かけようが、他の誰かと話していようが、無駄な接触を排除して必要最低限の関わりに留めるよう努めた。七海に触れられないのは存外堪えたが、七海の五条への思いを膨らませるためである。痛みなくして成果は得られない。五条は耐え忍んだ。
     作戦決行から一週間と少しが経った頃、七海が伊地知と話している場面に遭遇した。
    「そういえば、最近五条さんとは一緒ではないんですね」
    伊地知の言葉に、五条は咄嗟に気配を潜めた。作戦の効能が知れる機会である。七海の言葉を聞き逃すまいと耳をそば立てると、
    「そうですね。やたらと付きまとってくることはなくなりました。憑き物がとれたみたいで、スッキリとした気分です」
     心持ち爽やかに聞こえる声音に、お前ホントに僕のこと好きなの?と五条は思わず声を荒らげてしまいそうになったが、すんでのところで堪えてその場を静かに離れた。痛むばかりで成果のない作戦など、やるだけ無駄である。五条は作戦を変更することにした。

     七海が任務内容の詳細を確認するために高専を訪れると、五条に声を掛けられた。任務の確認のために訪れたことを伝えると
    「伊地知が言ってたやつでしょ?それなら僕が教えてあげる」
    「は?」
    「伊地知に任されたんだよ。なんか急な対応が入って七海のとこに行けないからって」
    ならば他の補助監督に引き継ぐだろう。いくら気弱な伊地知でも、五条に自らの仕事を頼むはずがない。大方、五条に強引に仕事を奪われたのだろう。気の毒極まりない。
     七海が一瞥をくれると、五条の口元は弧を描いていた。サングラス越しでも明らかに何かしらを企んでいることが見て取れる。さっきから後ろ手に隠している包みに、何かあるに違いない。
    「丁度お昼時だし、食べながら話そう」
    返答を待たずに先を行く五条に、七海は渋々ついて行くしかなかった。
     五条が案内したのは、打ち合わせに使っているいつもの何の変哲もない和室だった。腰を落ち着けた直後、五条はいそいそと包みを解いた。包みの中には弁当箱が二つあった。
    「昨日久しぶりに自炊したんだけど、加減が分からなくてさ。作り過ぎちゃったから七海にお裾分けしようと思って」
    そう言って、五条は七海に若草色の弁当箱を差し出した。
     よりによって、なぜわざわざ自分に分けるのだ。この男のことである。絶対に何か仕掛けがあるに違いない。蓋を開けたら何かが飛び出すびっくり箱仕様であるとか、中に入っているのは陰茎や大便の描かれたしょうもない落書きであるとか。想像するのは容易い。
     弁当箱を睨んで微動だにしない七海に、五条は
    「何も仕掛けてないって。疑り深い奴だな。それとも、好きな人の手料理でも食べたくない潔癖症だって言うの?」
    「……分かりましたよ。食べれば良いんでしょう。食べれば」
    不承不承ながら緩慢に蓋を取る七海が、「手料理」というワードにわずかながら反応を示したことを、五条は見逃さなかった。
     五条は長期的な作戦を決行していた。古より、意中の相手を落としたければ、まずは胃袋から攻めるものと相場は決まっている。胃袋の重要性は、結婚式でのスピーチの定番ネタ「三つの袋」の話にも取り上げられたりなかったりするほどである。七海が胃袋を掴まれた程度で五条に告白するなどとは微塵も期待していないが、少なからず五条から離れ難い気持ちは芽生えるはずである。その気持ちを愛する生徒たちを育てるようにじわじわと育み、最終的には辛抱堪らなくなって告白するのではないか。いや、したくなるように愛情込めて作ったんだから、してくれないと困る。
     五条の思惑など知る由もない七海は、蓋を開けて現れたのが彩り豊かな弁当然とした弁当であったため、未知との遭遇を果たしたかのように五条と弁当を二度見した。
    「信じられない。まともな弁当だなんて…」
    「お前って常識人ぶってるけど割と失礼だよね」
     五条が差し出した箸を受け取り、七海は恐る恐る一つのおかずを摘んだ。ピーマンの肉詰めである。赤茶色のソースの煌めきが不気味であったが、七海は意を決して咀嚼した。
     常温であるのに肉汁は甘く、口内でソースと溶けるとまろやかに舌を包んだ。肉はこの上なく柔らかで、噛めば噛むほど旨味が溢れる。ピーマンとの食感の違いも快い。
    「あ、レンジで温めてから渡せば良かった」
    「いえ!美味しいです、とても」
    五条の呟きに七海が返事を寄越したのは、ほとんど反射的なものだった。五条はサングラスの下で瞬きをした。しかし七海には五条が無表情に見えた。照れ隠しから七海が目を逸らすのと、五条が分かりやすくニンマリと笑ったのは、全く同時の出来事だった。
     気まずさを誤魔化すために、七海はいそいそと弁当をかき込んだ。五条ならこの機を逃さず、ここぞとばかりに煽ってくるものだと思っていたが、意外にも頬杖をついて静かに七海の食事を見守っているだけだった。口元には微笑を湛えている。
    「…そんなに見られると食べづらいのですが」
    七海の言葉に五条は「ん」と短く返してから、
    「いやー、他人に美味しそうにご飯を食べてもらえるって、案外嬉しいものなんだなぁと思って」
    僕も食べよっと。七海の返事を待たずに、五条も自作の弁当に手をつけた。中身は七海のものと同じである。
     五条の言葉に他意はなかった。グルメの七海に「美味しい」と言われたことが素直に嬉しくて、感じたことをそのまま伝えたに過ぎなかった。
     七海の脳内では五条の微笑が大半を占めていた。もはや手料理を味わう余裕はなかった。勿体ないなと思いながら、せめてもの気持ちでゆっくりと箸を進めた。



     窓から覗く校内は夕焼けで橙色に染められていた。生徒たちは自室で過ごしたり、任務に赴いたりと、それぞれの時間を過ごしている。教室には五条の姿しかなかった。
     適当な椅子に腰掛けて、上体を机に預けている。自分には小さくて窮屈だと思いながらも、それをどうにかしたいとは思わなかった。
     五条は疲れていた。原因はもちろん七海にある。
     弁当を与えた数日後、七海は五条にマドレーヌを寄越してきた。弁当の借りを返すためだとか言うそのマドレーヌは、七海の手作りらしく、それを食した五条は「好きだ!」と告白してしまいそうになった。五条の味覚にどんぴしゃりとハマり、嚥下したあとも余韻に浸ってしまうほどだった。こんな腕前を持った奴の胃袋を掴むなど、何年掛かるか分かったものではない。ミイラ取りがミイラになってしまう前に、五条は作戦を切り上げた。
     その後、五条はあの手この手で七海を籠絡しようと試みたが、七海は一向に五条に屈しなかった。それどころか、五条のほうがより夢中になっている節があった。甘く見積もっても、既に肩までは沼にハマってしまっているに違いない。
     五条は我慢が好きではない。したいことは、したいときに、したいようにする。思ったことは、言いたいときに、思ったままに言葉にする。欲しいものは、欲しいときに、さっさと手に入れてしまうほうが気持ちが良い。だから一刻も早く七海と気持ちを通わせたい。もうこちらから打ち明けてしまいたい。しかし、つまらないプライドがそれを阻んでいる。我ながら実に無様である。
     目隠しをずらした。橙の景色が目に痛い。不貞寝するように目を閉じた。学生の頃にも、柄にもなくセンチメンタルな気持ちになって、こんなことをしていた気がする。焼き付いてしまった景色は、瞼の裏から簡単に立ち去ってくれない。
     しばらくそのままでいると、こちらに向かう他人の気配がした。よく知っているその呪力は、焦がれてやまない七海のものである。
    「五条さん、伊地知君が探していましたよ。…五条さん?」
    七海が肩を叩いても、五条は寝たふりをやめなかった。七海が自分に触れていると思うだけで、頬が熱くなっていくのを感じる。夕暮れ時で良かった。きっと、この赤がバレることはない。
     七海に触れられる高揚感は、すぐに去ってしまった。五条は眠っていると思い込んでいるらしい。小さく呆れたような溜め息が聞こえた。七海自身も、そのうちこの場を去るに違いない。五条の胸中に物寂しさが芽生えた。しかし、すぐに萎れて枯れた。
     五条の隣で、静かに椅子の引かれる音がした。七海は五条を起こすことも、その場を去ることもせず、隣で五条の寝顔を見ているらしかった。
     静寂の中には、二人分の呼吸と微かな衣擦れの音しかなかった。七海は、ただ静かに五条を見ていた。退屈ではないのだろうか。五条には七海の心情が計りかねたが、自分が七海の立場であっても、同じことをしただろうとも思った。
     七海が無防備に眠っている五条に触れることはない。その紳士な振る舞いが、今はとても不愉快だった。独り言でも「好きだ」と漏らすなり髪を撫でるなりしてくれれば、今すぐにでも目を覚まして口付けを返すのに。
     彼は今どんな顔をしているだろう。眉間に皺がなければ良いけれど。盗み見るつもりで薄く目を開けると、七海と目が合ってしまった。
    「やはり起きてましたか」
    「…バレてた?」
    「途中から呼吸が不規則になっていたので」
    「じゃあ何で無理やり起こさなかったの?伊地知が探してたんでしょ?」
    七海から返答はなかった。五条は窓の外に目をやった。最も強い橙色が校内を包んでいる。
    「いつから僕を好きなの?」
     半ば無意識に発した言葉だった。七海は「その質問には答えかねます」と言った。
    「報告内容が不十分だから再提出を求めます」
    暗に告白を求めているわけではないのだと伝えると、渋々と言った様子で七海は口を開いた。
    「あなたへの印象は、初めて会ったときからずっと変わりません。強くて、軽薄で、デリカシーがなくて、自分勝手。尊敬できるところが見当たらない、苦手な部類の人種です。同じ人間だとは思えない」
    「言い過ぎじゃない?」
    「ですが、その考えの一部を改める機会がありました」
     指先でサングラスを押し上げ、七海は訥々と思い出を語った。
    「学生の頃、丁度この教室だったと思うのですが、あなたが今みたいに机で居眠りをしていたんです。その日、夏油さんも家入さんも任務で出張していて、あなたは一日中一人で、退屈なのか、朝から私や灰原に無駄なちょっかいを頻繁にかけてきていました。夕方になって姿を見かけなくなって、ようやく静かになったと思ったら、あなたは教室で静かに眠っていました。私には夕焼けの色が、その寝顔を少し寂しげに見せているように感じられて、そのときふと、この人も同じ人間なんだなと思ったんです」
    七海は遠くを見るように目を細めた。その目に映っているのは、目の前の五条なのか、かつての夕景なのか、判然としなかった。
    「その頃から好きになったの?」
    「さあ、どうでしょうね。少なくとも、この世界に戻ると決めて最初に浮かんだ顔があなたですから、意識せずとも常に心のどこかで気にかけていたとは思います」
     七海の顔は少し赤らんでいた。それは想い人のために染まっているものなのか、夕陽に染められてしまったものなのか、やはり五条には判然としなかった。七海の赤の真相が知りたいのに、夕陽がそれを妨害する。五条は夕暮れが少し憎らしくなった。
     報告内容はこれで満足ですか。七海の言葉に、五条は首を横に振った。七海の眉間にわずかな皺が寄る。
    「まだ何か?」
    「そんな昔から僕のことが好きなら、さっさと告白しちゃえば良いじゃん」
    「それは報告と関係ない内容です」
    「じゃあ雑談で良いから!なんで告白しないの?」
    飄々とした常とは異なる五条の様子に、七海は怪訝な顔をした。
    「どうしたんですか、五条さん。らしくないですよ」
    「らしくないのはどっちだよ。いつもずけずけと遠慮なく失礼なことばかり言ってくるくせに、これに限ってはだんまりを決めるなんてさ。僕を他人の気持ちを考えない身勝手な奴だと思ってるんなら、七海だって大概だから。僕がずっとどんな気持ちでいると思って………」
     言ってしまってから、五条はハッと口をつぐんだ。しかし、七海は五条の失態を逃してくれなかった。
    「…どんな気持ちでいたんですか?」
    五条は机に突っ伏して回答を拒んだ。全身が燃えるように熱かった。外の橙色で誤魔化しきれないほどに、自身が朱に染まっていく過程が生々しく感じられた。心臓が高鳴って、うるさくて、煩わしくて仕方がない。
     チラリと覗いた視界の隅で、七海の右手が彷徨っていた。五条に触れるべきか否かで悩んでいる。こちらは核心を露呈させたようなものなのだから、トドメを刺しにくれば良いのに、七海はそれをしようとしない。可愛らしいほどに愚かである。
     どこまでも真面目で、真摯で、不器用で、弱くて、人間臭い。自分にはないものを沢山持っている彼の、そんなところが、
    「すき」
     大きく見開かれた目からは眼球が溢れ落ちてしまいそうだった。七海の間抜け面などをそうそう拝めるものではない。こんな顔が見られるのであれば、もっと早くから言ってしまえば良かった。五条は喉の奥で自嘲の笑みを漏らした。
    「ご、五条さんっ…!それは、いったいどういう」
    「ただの報告だからこれ以上教える義理はありませーん」
     七海の言葉を遮って宣言すれば、あからさまに落胆の色を浮かべた。愉快極まりない。同じ苦しみをとことん味わうが良い。
    「……すみませんでした。これは…、さすがに堪えますね…」
    「だろ?分かったか。バカ七海」
    片手で顔を覆って深い溜め息をつく七海はセクシーであるが、さすがに可哀想に思えてきた。
     見かねた五条が「キスしてくれたら許してやるよ」と提案すると、
    「付き合ってもいないのにそんな真似はできません」
    真面目臭い言葉とは裏腹に、その表情は緊張を隠しきれていなかった。
    「わーお、紳士」
    「ふざけてないで、真面目に聞いてください」
     五条に急かされ茶化されしながら深呼吸を三つして、七海が念願の言葉をその口から紡いだ瞬間、五条は返事よりも先に口付けで答えた。
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    クリスマスも正月も休みなく動いていたふたりがい~い旅館に一泊する話、じゃが疲労困憊のため温泉入っておいしいもの食ってそのまましあわせに眠るのでマジでナニも起こらないのであった(後半へ~続きたい)(いつか)
    201X / 01 / XX そういうわけだからあとでね、と一方的な通話は切られた。
     仕事を納めるなんていう概念のない労働環境への不満は数年前から諦め飲んでいるが、それにしても一級を冠するというのはこういうことか……と思い知るようなスケジュールに溜め息も出なくなっていたころだ。ついに明日から短い休暇、最後の出張先からほど近い温泉街でやっと羽が伸ばせると、夕暮れに染まる山々を車内から眺めていたところに着信あり、名前を見るなり無視もできたというのに指が動いたためにすべてが狂った。丸三日ある休みのうちどれくらいをあのひとが占めていくのか……を考えるとうんざりするのでやめる。
     多忙には慣れた。万年人手不足とは冗談ではない。しかしそう頻繁に一級、まして特級相当の呪霊が発生するわけではなく、つまりは格下呪霊を掃討する任務がどうしても多くなる。くわえて格下の場合、対象とこちらの術式の相性など考慮されるはずもなく、どう考えても私には不適任、といった任務も少なからずまわされる。相性が悪いイコール費やす労力が倍、なだけならば腹は立つが労働とはそんなもの、と割り切ることもできる。しかしこれが危険度も倍、賭ける命のも労力も倍、となることもあるのだ。そんな嫌がらせが出戻りの私に向くのにはまあ……まあ、であるが、あろうことか学生の身の上にも起こり得るクソ采配なのだから本当にクソとしか言いようがない。ただ今はあのひとが高専で教員をしているぶん、私が学生だったころよりは幾分マシになっているとは思いたい。そういう目の光らせ方をするひとなのだ、あのひとは。だから私は信用も信頼もできる。尊敬はしないが。
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