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キミ、死刑ね。封印の札だらけの空間で、五条悟は楽しげに宣告した。いつもの上から下まで真っ黒の衣服で、色の渦巻く空間の中に影人間のようだ。ふざけた態度にだらしのない姿勢、顔の上半分を包帯で覆った顔は締まりなく笑っていて、実際に生者の必死さを嘲笑う亡者の国の者のよう。悪魔に足を取られて人生を破綻させればきっとこんな悪魔の哄笑を聞くのだろう。
五条はしかし、突然に、ぴたりとその仮面を投げ捨て、ごく低い声で、唸るように言う。
「何でだよ」
雑に包帯を引き下ろし、その隙間から蒼天の瞳が刺してくる。恐ろしいほどの真顔は、激情をよく表現していて、空恐ろしくなるほどだ。まるで臨戦態勢の猛獣を前にしたような威圧感は、実際に質量のある空気のように周囲を圧迫し、圧倒する。
七海はその苛烈な瞳を眺めながら、ああいつだったかあんな空の下で学生をしていた頃があったと、懐かしく思い出していた。冴え渡る青く美しい空。
「こんなことのために、オマエ、『一般社会』に就職したのかよ」
まだ親しい者の死も、慕っていた者の凶行も、自身の遁走も経験していない、その頃の自分を思い出していた。眩しかった。あの空の下を制服姿で、クラスメートや先輩と並んで歩いた。心配することなどせいぜいが授業や、遊びのような任務のことくらいで。
「こんなことのために、オマエを見送ったんじゃねぇよ……」
絞りだす声はこの期に及んでまったく七海を責めず、この顛末に対しての悲嘆のみを切々と漏らす。
七海は高専により身柄を確保された。ある朝、とある新宿のオフィスで、そのフロアに存在した人間を全て殺傷した。
第一発見者はビルの警備員だ。誰かが鳴らした非常ベルが鳴り響く中、一人ポツンとフロアに立ち尽くしていた。雨のように血を浴びていたけれどもそのあまりの覇気のなさ、従順さから最初は発見者に被害者の一人と勘違いされていたほどだ。ビルの警備員の勧めによりそのまま警察に出頭したが、殺害方法に呪力も使用したことから、一般的な刑事事件としては裁かれず、高専預かりの案件となった。当然に、死刑と判断された。呪術というものを表沙汰にせずにおくために、この事件自体も犯人も、闇から闇へ葬り去るつもりなのだろう。
七海はもう疲れ切っていたので、そのことに異論はなかった。むしろ自殺すら面倒だったから、終わらせてもらえることをありがたいとすら感じていた。そして、自分を終わらせるのがあの頃に慕っていた先輩だというのは、僥倖だとすら。
だから身を振り絞るように悲しむ目前の五条悟に対して、むしろ憐れみと、愛しさしかない。かわいそうにと、もしこの両手が背後に拘束されてさえいなければ、その春のシロツメクサのような髪を撫でて慰めるところなのにと悔しいほどだ。
「五条さん、悲しまないで」
だが七海にできることは口頭で通りいっぺんの、面白みもない言葉を吐くことぐらいだ。
「もし、次があるのなら、……人を殺しても何も思わなくなるほど疲れ切る前に、アナタの元に戻ります。だから、もう、今は、終わらせてください」
五条がすっと息を吸う音がした。けれど罵声どころか一言すら聞くことができない。何も出てこないまま、ただあのきれいな桜色の唇が、血の色に赤く染まるほど食い締めている。
「……すみません。でももう、疲れたんです」
五条悟がとても優しいことを七海は知っている。こう告げればきっと、無理にでも道理を曲げて生かしてやろうだとか、何とかして身を削ってでも助けてやろうだとか、あまつさえ七海を匿って逃げようだなんて、そんな馬鹿な考えは起こさないはずだ。きっと望み通りに、殺してくれる。
息を吐き、視線を落とした七海に、五条は歩み寄った。手が伸ばされた。幼なげな顔に不似合いなほど大きく強い手が、七海の喉元にかかった。
七海は、とうとう訪れる甘美な瞬間に身を委ねるべく瞳を閉じた。
だけれども、五条の指は七海の顎を引き上げた。そして頬を押さえ、固定して、顔を寄せ、くちびるにキスをしてきた。
とても下手くそなキスだった。ただぶつかるように重ねただけのくちびるは冷え切っていたし、その奥の歯が震えていることすら隠せていなかった。
目を開けると、目前の銀色のまつ毛はチリチリと、まぶたすら、まるで痙攣のように震えている。
今更思い出したように吸い始める口、ぬるりと口唇を割り、這う舌、
「……じっとして」
低く囁いて、七海の膝の上に乗り上げてくる。明確な意図を持って七海の体の上を滑る手のひらは、淫蕩さのかけらも感じない。むしろまるで洗礼でも始めるかのように厳かな気持ちにさえさせられた。
両手さえ自由になれば抱きしめてやれるのにと、七海はその一点のみで己の罪を悔いた。
「五条さん、ずっと前から、愛してました」
五条は何も言わず、ただ頷いた。
朝までには死刑は執行されるだろう。