夜明けの子 嗚呼、夜が明ける。
朝がくる。
じわりと広がりゆくその光は、けして暗闇を切り裂くような激しさはなかったけれど。
貫き穿つような鋭さもなかったけれど。
代わりに月のように見守る優しさがあった。
慈母のようにいたわる温もりがあった。
絶望と嘆きの夜を、そっと包んで明日へと変えた。
嗚呼やはり。
この子どもはその名の通り、暁の子であったのだ。
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「そういやオマエ、あきとって、どういう風に書くんだ?」
どのタイミングだったかすでに思い出せはしない。
だが忘れる程度には初期で、そんな会話を切り出せる程度には慣れた頃合いだったのだろう。
ふと思いついて、公園のベンチでおにぎりを頬張る青年に尋ねてみれば、数瞬目をまたたくような間があった。
「……急になに?」
口の中のものを飲み込んでから返してくるあたり、やはり育ちが良い子どもである。(成人しているらしいが、KKからすれば尻に殻のついたヒヨッコだ)
いぶかしげではあるが、嫌がっている気配はなさそうだ。純粋に不思議に思っているのだろう。その程度がわかるぐらいには、二人の距離は縮まりつつあった。
「なんとなく、だな。あれか? 『明るい人』、王道の」
秋の人も考えたが、こちらの方がこのお人好しで優しすぎる青年に似合う気がした。しかし彼は首を横に振ってみせる。
「よく言われるけど違うんだよね」
「へぇ、よく言われるのか」
「まぁそこそこ」
なんでかはわかんないけど、と続けられたもののどちらかというとそれは他人から見るとさもありなん、と思う話でもあり。やはり普段から『そういう人柄』なんだろうことがわかった。
「そっちじゃなくて、画数が多い方」
「画数が多い?」
「うん。これ」
青年は手に残ったおにぎりの包装をくしゃりと握り込んだまま空中に指を滑らせた。エーテルを使う時よりもなめらかに、空中に文字が描かれる。
流れる指先が、なるほど確かに画数の多いそれを示していた。
「暁か」
「そ。暁の人、で暁人」
「ほう、そりゃあ」
悪くない。そう言う前に、これまで青年の口からあまり聞かなかった自嘲じみた声が漏れた。
「皮肉だよね」
「なんでだよ」
間髪入れずに返せば、少し拗ねたような戸惑うような気配を感じる。
「だって、今の状況……真逆じゃないか」
次いで青年は指を折って数え出す。
明けない夜、続く闇。それに巻き込まれたお飾りのような名前の自分。元凶には手すら届かない。
「これで皮肉以外のなんだっていうのさ」
さすがに疲れているのだろうか、珍しく偽悪的でひねたような口振りだ。聞き慣れないそれがなんだか居心地が悪くて、「ばっかオマエ、そりゃなぁ」と声が出てしまった。それに「なに」という無愛想な応えが返る。
元々たまに塩対応とでもいうか、雑な返しをすることのある青年であるが、常よりも数段低い声に彼の気持ちの落ち込みようが伝わるようで。
正直めんどくさいし、こんなこと言う義理はないと思う自分もいるが、それでも口からこぼれでる言葉を止められはしなかった。
「あー……それはよ、験が良いって、言うんだよ」
「……げんがいい」
魔王のような声から一転して、幼子のような単調なオウム返しに、少し考えて「縁起がいい、ならわかるか?」と問えば、納得してなさそうな沈黙を落としつつもこくりと首を縦にゆらした。
「よし。ならオマエ、言霊ってのは知ってるか」
「えーっと……言ったことが本当になる、的な?」
満点ではなく及第点だが、今はそれでまあいいだろう。
「そんな感じだ。だから祝いの席で『終わる』とか『切る』って言葉を使わねえとか、逆に『スルメ』の『する』が縁起が悪ぃってことで『アタリメ』に変えるとか……」
「確かに冠婚葬祭に関わってる日本語って、ダジャレみたいなのも多いよね」
「そうだ。まぁ、言葉遊びって言っちまえばおしまいだが、こういう商売してるとな、そうそう馬鹿に出来るもんでもない」
名とは簡易な呪いであり祝いだ。助けられたこともその逆もあるとしみじみ語れば、子どもは興味を引かれたのか真剣に耳をこちらに傾けているようだった。思わず興がのってしまい、あれやこれやと例や体験談を話してしまう。
「ま、だ。この世の理が通じねえような状況じゃ、験担ぎだって意味があるとオレは思ってる。そして使えるもんはなんでも使う、勝つためにな」
思った以上にベラベラとしゃべってしまった。柄でもないと思わなくもないが、ここまでしてしまった以上オチをつけるしかあるまい。それはいつの間にかワクワクとした心地で講義を聞いてる、聞き分けの良い子どもへの褒美でもある。
「だから、オマエの名前が良いつってんだよ」
「え?」
「気がつかねえか? 結界のせいか時間の流れがおかしい。本来だったらそろそろ明るくなってきてもいい頃だ」
「……言われてみれば。僕の感覚がおかしくなってるのかと思ってた」
「多分あの野郎をぶちのめさない限り、夜のまんまなんだろうよ」
ふざけてやがる。
苛立ちのままに吐き出せば「でも、それに僕の名前がなんの関係があるんだよ」という問いがなされ舌打ちをする。実体があれば、己の髪をかき乱していたかもしれない。
「かーーーっ! 勘の悪いガキだな。ーーいいか?! クソ野郎を倒して、夜を払う。それがオレ達の目的だ。言い換えればオレ達は朝を呼ぶんだよ!」
「……うん」
「名は体を表すって言うだろうが。朝を呼ぶため戦う男の名前に『夜明け』がついてるんだ。とんでもなく、験の良い話じゃねえか!」
「……っ!」
だからくだらねぇこと考えんじゃねえ、キリキリ動け!
らしくないことをしている自覚はあった。それがなんだか面はゆく、最後は突き放すように終われば当の子どもはしばらく呆けたようにしてから、やがて愉快で仕方がないとでもいうように笑い始めた。
「……なに笑ってんだ」
「いや、ごめん。まさか慰めてくれるとは思ってなかったから」
「はぁ?!」
「意外と優しいとこあるよね。……お説教が長いのはおじさんっぽいけど」
「うっせえぞクソガキ」
立ち直った子どもは、生意気なことばかりを言う。いらないことなどせず放っておくべきだったかと思うが後の祭りだった。
憮然とするKKをおいてひとしきり笑った後、暁人はベンチから立ち上がり伸びをした。先ほどまでの陰鬱な雰囲気はもうすでにない。
「さ、休憩もしたし出発しようかな」
「そうしろ。ちゃっちゃと行け」
「はいはい、ほんと人使いあらいよな」
「ああん?」
「うわ、ヤクザっぽい」
「オマエなぁ!」
「ははっ! ……ありがと、KK」
***************
走馬灯のように、あの時の会話を思い出していた。
あの一件だけではないが、二人でそれからも様々なことを乗り越えここまできた。
独りだった頃を思い出せないほど。文字通り、魂を重ねるようにして、この場にいる。
「これで、最後……っ!」
「行けっ暁人!!」
般若が変生したマレビトから、3度目のコア引き抜きを試みる。光るワイヤーが暁人の手に握られた。まぶしいそれは、まるで朝日のようだった。
嗚呼、夜が明ける。朝がくる。
暁の名を持つ子どもは、誰よりも優しく全てをすくい上げようとした。
優しい光は明日を運ぼうと歩みを止めなかった。
KK自身もまた、救われた一人である。
独りで良いとうそぶいた心を、いつの間にやらすっかりくるまれてしまった。
柔らかでまぶしいその温もりは、唯一無二となった。
嗚呼夜明けの子。月と日の子ども。欠けた自分を埋めた、ただ一人。
どうか、どうか安らかであれ。
その道行きが、幸多からんことを。