女狐チャンはご法度です「……おいおいマジかよ」
空を飛び跳ねる相棒にして恋人の姿に、オレは間抜け面をさらすしかなかった。
今夜の暁人はオレとは別行動で絵梨佳とコンビを組むことになっていた。あの夜よりも精度が下がったとはいえアイツの弓や札を中心とした戦闘力は今でも高いし、実務経験を積み始めた絵梨佳だってなかなかのものだ。だからこそ送り出したのだが――信じられないものを見てしまったオレはスマホを取り出して凛子へと電話をかけた。
コール音が途切れた瞬間、仕事仲間の声が聞こえる前に「おい凛子、どーゆーこった?!」と問い詰めれば《あらやだ。そっちはもう終わっちゃったのね》というのんびりとした返答がくる。ってことはやはり。
「知ってたな」
唸るように言った言葉に、旧知の仲の女は悪びれることもない。
《頼まれたからな。KKには秘密でって言われたんだけど……勘のきく男だ》
「なんっなんだよあれは!」
《それを調べるための今日だよ。悪いものではないのは確か》
「だからってオマエ…!」
言ってもう一度上を見上げれば、翻る黒いケープと赤いプリーツスカートが目に入り頭が痛くなる。巫女服を模したそれは某アイドルのものと同じだろう。
狐面をつけた青年――顔は見えないがオレにはあれが暁人だとわかる――が、グラップルを駆使しながらマレビトを狩っている最中だ。愛用の弓は使わず、印を結んだ指先から高火力の火が飛び出している。どうなってんだよアレ。オレの火エーテルより攻撃力高くねえか。
スカートからすらりと伸びた日焼けしてない白い足が闇夜に浮き上がる。それはどう見ても成人男子のもので、女装した男でしかないのに目を引きつけられるのは惚れた弱みなのかなんなのか。
一応とばかりにスパッツをはいてはいるものの、何せ着てるのは暁人なものだからスカートとは思えない動きをしていて(そりゃそういうときの動き方なんざ男には身についてない)、健康的な足と形のいい尻が丸見えだ、恥じらいを持て。「僕のことそんな目で見るのKKだけだよ」と口をとがらせる様子が幻視されたが、頼むからオマエは自分が人たらしなのを自覚しろ。祟り屋までちょっかいかけてきてるのをオレが知らねえとでも思ってんのか。
ぎりりと奥歯を噛み締めた音がきこえたのか、電話の向こうで凛子が笑う。
《ほんと変わったわね、あなた》
「うるせえ。馬鹿にしてんのか」
《良い傾向だってほめてるんだ。……あの子のおかげで変わったのはあたしたちもだしね》
存外真摯な物言いに言葉が詰まる。暁人のおかげでメンバーの歪みが正され、以前よりも仕事がスムーズになったのは事実だ。
《暁人くんと絵梨佳には終わったら直帰で良いって言ってあるから、そのまま一緒に帰りなさい》
「絵梨佳はどうすんだよ」
《ほんと暁人くんしか目に入ってないんだな。近くにデータをとるために車内で待機してるエドとデイルがいるわ》
言われてあたりを見回せば、確かに見覚えのある車がとまっている。窓が開いてひらひらと手だけがふられすぐに引っ込んだ。
含み笑いとともに《あまり無体なことはしてやるなよ》と切られた電話を手にはぁ、とでかいため息をつく。何から何まで凛子の手の平の上というか、冷静になれていない自分に腹が立つ。
というか、蚊帳の外はオレだけじゃねえか。あの二人が暁人をそういう目で見てないのは知っているが、それでもあの姿をオレにだけ隠そうとしたのがいただけねえ。
やがて最後の一体が火に灼かれ、耳障りなノイズ音が消え辺りに静寂が戻る。暁人と絵梨佳が合流しハイタッチをするのを確認して――オレはワイヤーを伸ばして暁人をぐるぐる巻きにすると一本釣りの要領でぐいと引き寄せた。油断してたのか面白いように空を舞った暁人が悲鳴も上げられずにオレの腕の中に落ちる。状況が理解できないのか仮面越しでも混乱する様子が手に取るようにわかった。
「――よぉ、お暁人くん。良い夜だな」
びくぅ! と震えた女狐がオレを見つめてびしりと固まる。にぃと笑いかける自分のツラが、さぞかし凶悪なものであろうことは自覚していた。
「け、けーけー……どうして」
「師匠に隠れて秘密の特訓たぁ剛毅だな」
「えっと、あの、これはその……」
顔は見えないがどんな表情をしているのかなんとなくわかる。きっと真っ赤なのだろう、面に隠れ切れてない耳が朱に染まっている。今すぐ仮面を剥ぎ取ってその可愛いツラを拝んでやりたいが、同時にこんな外でコイツのそういう表情を晒したくないという独占欲も湧き上がる。
狐面を見つめたまま逡巡していると向こうから「先帰るねー! 暁人さんガンバー!!」という絵梨佳の声が投げかけられた。それと同時に車がエンジン音をたてて動き出す。
「え、ちょ、みんな……?! ってか僕の着替え!!」
慌てながらもぞもぞと動く暁人を、オレが逃がすはずもなく。ワイヤーの縛りを強めながらオレは暁人を姫抱きから肩に担ぎ上げる形に抱え直す。
「よっと……ま、気にすんな」
「気にするに決まってるだろ、ってか離せよ!」
きゃんきゃんうるさく暴れる子犬(子狐か?)の尻を片手でペシンと叩くと「ひゃん!」と愛らしく鳴いた後に本人も驚いたのか沈黙が流れる。
「さすが女狐、鳴くのがうまいこった」
そう揶揄うように喉を鳴らして笑えば、恥ずかしさで声が出なくなったのか担がれたままオレの背中をポカポカと殴ってくる。
「オマエが気にした方がいいことは他にあると思うがなぁ」
ん? と言って先ほど良い音のした尻を今度は明確な意志を持って揉んでやれば「ひっ」という悲鳴じみた色の付いた声がもれて、正直な体だとオレの機嫌は一気に上向きになる。
「こんの……っ、スケベ親父……!!」
「おー、おー、吠えろ吠えろ。どうせ明日は声が出なくなる」
「……は」
「このままタダで帰れると思ったか?」
天狗を呼びグラップルの準備をする。最短で家まで帰れるルートを考えつつも、獰猛な笑みが広がるのを止められはしない。
そう、オレは怒ってるのだ。
オレの本気を感じ取った暁人がひゅっと息をのむ。
「あの、KKごめん。謝るから」
「ははっ。――おせえよ」
ぜってぇ抱き潰す。
そう決意して、オレはビルと闇の間を駆け抜ける。この後ぴーぴー鳴くであろう、恋人の艶姿を思い浮かべながら。
次の日、ガラガラになった声で告げられた「もう女狐は着ない」という暁人の宣言に、オレは「良い子だ」と言って口づけを一つ贈ったのだった。