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    ・中夜

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    ・中夜

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    ジュン茨ワンライ【眼鏡】+0.5h

    ジュンくんの瞳も満月だよねっていう人間ジュンと人魚ばらの話。

    #ジュン茨
    junThorn

    7日のマリンブルー ザ……ザン………ッと足元に跳ねた飛沫を跨いで、屋外テラスの階段からごつごつした岩礁に降りていく。苔をした岩肌は昨日と変わらず滑りやすくて、やっぱり靴を履き替えてよかったっすねぇ〜とオレはほくそ笑んだ。両手でバランスを取りながら慎重に歩を進めて行くと、丁度テラスからも海上のリストランテからも死角になる大きな岩の上に、月を仰いで腰掛けるひとつの影が見えた。熟した赤ワイン色の髪はサラサラと夜風に泳ぎ、闇夜に浮かぶ日焼け知らずの肌はしっとりと波に濡れている。
    「いばら」
     岸辺を洗う穏やかな波音に掻き消されないよう、その横顔へまっすぐ呼びかけた。驚いた素振りもなくゆったり振り向いた彼は、ニコリと大袈裟に笑って平く伸ばした指先を額に掲げる。手首に下がる貝殻のブレスレットがしゃらんと鳴った。
    「アイ・アイ! 昨日ぶりですね、ジュン」
    「その挨拶もう何回目っすか〜。かれこれ4日は会ってますよ、オレたち」
    「では5回目ということでしょう。ジュンが帰るのは明後日なんですから、あと2回はチャンスがありますね」
    「はははっ。なんのチャンスっすか」
    「ん〜……。こうやって自分とジュンがお喋りするチャンス?」
     そう言って小首を傾げる茨は、なにも纏わない生まれたままの姿だった。朝の波の色の瞳を嵌め込んだ、不気味なほど白い肌を惜しげもなく晒している。それだけならオレと変わらない、ただ少し露出狂の気がある変態の美丈夫で片付けられるけれど、茨にはオレと同じと言い表すわけにはいかない大きな違いがあった。
     パシャン…と波に逆らって跳ねた水を目で追う。海面から引き上げられた茨の下半身が、月光の中で薄桃色に妖しく煌めく。その腰元から伸びる小粒にそろった鱗の肌は濃緋色に淡く発光し、人間で言う爪先より先でひらひらと柔にそよぐ薄桃の尾ひれも透き通るように光を弾いている。そう、茨は紛れもない人魚なのだ。
    ───普段なら、こんなに人前に姿を晒すことはないんですよ?ジュンは善人っぽいのでトクベツです───
     1週間かけて開かれるおひいさんの誕生日パーティーに気疲れして人気のない場所を探していたオレと、会場から漏れ聴こえる音楽に誘われて海を揺蕩っていた茨が偶然出会い、なんやかんやでこうして月の光の差す間だけ、ふたり並んでお喋りをするようになっていた。海底にあるらしい人魚の街の話を聞いたり、逆にオレが陸の上の話をしてみたり。何百万もするシャンデリアの下で訳のわかんねぇおっさんの話を聞くよりも、たった1日にも満たない時間でも、茨とどーでもいいバカ話をしている方がよっぽど楽しかった。それこそ、あと2回ぽっち月が沈んでしまえば、また明日とすら言えなくなる関係が、どうにももどかしくなってしまうくらいに……。
    「……じゃあ、そのチャンスは有効活用しないとですねぇ〜。ってことで、茨。ちょっとこっち向いてください」
    「はい? まぁいいですけど……。先日もお伝えしたと思いますが、基本的に海底で暮らしている我々人魚は総じて視力が低く、現に自分はいまジュンの顔もよく見えておりません。嗅覚はいいのでわかりますが、食べ物でもなさそうですし、なにを見せてもらっても自分では期待に添えるようなリアクションはできかねるかと」
    「いいからいいから。目ぇ瞑ってくださいねぇ〜」
     訝しげに眉を顰めつつも光の粒を乗せたまつ毛が静かに帳を下ろす。どこもかしこも身体の内側から輝く艶めきに、ああやっぱり人間じゃないんだなと思わされた。
     右手に提げた小さな紙袋から取り出したケースを開き、レンズに触れないよう細いフレームを慎重に持ち上げる。硬いツルがこめかみを撫でると滑らかな肩がびくりと震えた。それでもオレのお願いを聞いて目を閉じている茨に、ごめんと囁いて髪や鼻あての位置を調整する。
    「こんなもんすかねぇ〜……。よしっ、目ぇあけていいっすよぉ」
    「なんですか、こ……れ…………」
     ふたつの宝石が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。滲むように涙の膜が厚くなり、小さく隙間のある唇がふるりと震える。
    「眼鏡っていって、陸で目が悪い人が使う道具?です。海の中でも使えるかはわかんねぇんすけど、たまに海面に出て月眺めるくらいには役立つと思って……。だから、まぁ……、プレゼントです。出会えた記念に、みたいな……?」
     自分で言いながら段々こっ恥ずかしくなってきて、茨から顔を背けてしまった。ド…ド…ド……ッと徐々に鼓動が大きく脈打っていく。友達から眼鏡のプレゼントって、やっぱちょっと重かったすかねぇ? 一応宝飾品でしょ、っておひいさんも言ってたし……。でも、指輪とかならともかく、ネックレスとかイヤリングとかなら友達でも贈りますよね? 大丈夫、大丈夫。人魚なら眼鏡もその延長っすよ!
     隣に腰掛けた腿の上でモゾモゾ手遊びをしつつ、自分に言い聞かせる。ふぅ…と息をついたとき、氷みたいにヒヤリとした手に顎を鷲掴まれ、強制的に横を向かされた。
    「いてッ!〜〜ーーー…っ、茨、手! 手! 人間の体温はやけどしちまうんでしょ!!」
    「…………ジュンだ」
     ポタリと溢れた雫は、あっけなく波に攫われていった。けれど、綻ぶように咲く笑顔は攫われたりなんてしなくて、かわらずオレの目の前にある。温度が馴染む前に、頬にある白魚の手が離れていった。
    「ふっ…ふふふ……あっははははは───!」
    「なんで笑うんすか、もぉ〜……」
    「これが笑わずにいられますか! 最高の気分です。あははっ。月、でかッ!!」
    「いやいやいや。月は見えてたでしょ〜、もとから」
    「見えてたといえば見えたましたが、見えてなかったといえば見えてませんでした!」
     言うが早いか、茨は身を投げ出して輝きの渡る海へ飛び込んでいく。
    「えっ! ちょ、まっ……!!」
     程なくして波間から顔を出した茨は、オレがはじめて見る表情かおをしてキラリと何かを投げて寄越す。咄嗟に受け止めたそれは、ここ数日で見慣れた、茨の手首に付けられていた赤い貝殻のブレスレットだった。
    「お返しです。ほんとは急流の海域を誰かと行き来する際に目印でつけるものなんですが、それはまぁ音が出ればなんでもいいので、そっちはジュンにあげます。では、また明日!」
    「はぁ!? いや、待てって! あっ、もう……あんたねぇ〜!!」
     あっという間に遠ざかっていく影には、オレの声なんてもう届いちゃいないだろうけど、果てしない水平線のそばで揺らめく月の光がバシャリと跳ねた気がした。
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