【Cuffing Seasons】「ヴァル様? いかがされましたか」
吸血鬼のマントから複数匹の蝙蝠が飛び出し、キーキーと狼男を威嚇している。主の眷属にやつ当たることが憚られるのか、フェンリッヒは小さな生き物に道を阻まれ、噛み付かれても、ただされるがままだ。
「どうもこうもな」
ヴァルバトーゼの不機嫌そうな赤い瞳にギロリと睨まれ、フェンリッヒはたじろいだ。
朝食のイワシのつみれ汁に血を仕込んだせいだろうか? それとも傷を負った泥棒天使にケムシ団子を食わせようとしたことが原因か? ……ひとつ、ふたつ、フェンリッヒの頭にはよぎるものがあったが、しかしその行いはいずれも仲間を想ってのこと。しかも、今更それしきのことで機嫌を悪くする主ではあるまいと首を傾げる。
「ヴァル様」
「ついてくるなと言っている!」
苛立ちを隠さぬ声と共にフェンリッヒにクールの魔法が放たれる。すんでのところでそれを避けると、彼の代わりに魔法を被った燭台が焔を閉じ込めたままに凍てついた。
「聞き分けのない奴だ。言って分からんのなら暗黒議会に掛け合ってでも……」
「わかりました! そこまでおっしゃるのでしたら離れます!」
議会の強制力を以ってひき剥がされてはたまらないとフェンリッヒは自らヴァルバトーゼとの距離を取った。二人の間に生まれた隙間は僅か2メートルにも満たぬほどであったが、日頃主の背からぴたり離れず付き従う彼からすればその距離は果てしなく遠いものに感じられた。
「閣下、わたくしは……何かお気に障ることをしてしまいましたでしょうか」
恐る恐る主の顔色をうかがう狼男の尾はしゅんと下に垂れ、強い重力に従うより他になかった。
「……いのだ」
「はい?」
「何度も言わせるな。暑いのだ! お前、やたら体温が高いだろう。夏場にまで身を寄せられてはかなわん……」
ヴァルバトーゼの口から発せられた言葉が予想だにしなかったもので、フェンリッヒは面食らう。狼は哺乳類としては最も体温の高いとされる生き物である。その血を引く人狼族、フェンリッヒもそれに違わぬのは道理であった。吸血鬼からすれば彼はそばにいるだけで暑く感じられたのだろう。ましてや、密着しているかの如くの距離感は耐え難かったに違いない。
「この距離を保つように。良いな?」
「かしこまりました……」
分かりやすくしおらしくなった狼男の姿に多少の負い目を感じたのか、ヴァルバトーゼはぽそりと呟く。直後、その言葉の意味を汲み取って、フェンリッヒは目を輝かせた。
「じきに寒くなる。……その頃にはお前の温度が恋しくなるだろうさ」
「閣下……! わたくしはあなた様の為、いつでもこの身を捧げる所存です……! 湯たんぽとしてどうぞお使いください!」
「暑い! フェンリッヒ、お前わざとやっているのではなかろうな!?」
感極まり、主人の手を取るフェンリッヒ。彼の尾が上を向きしっかりと揺れているのを目視して、ヴァルバトーゼは肩をすくめた。
マントに潜む蝙蝠がキュイと鳴く。吸血鬼は魔界の辺境、地獄に訪れるささやかな季節の移ろいを人知れず待ち侘びている。