夏祭りの、夜に。待ち合わせの時間はとうに過ぎていた。
俺は、慣れない下駄でカラコロと音を鳴らしながら走る。
「おっお待たせっ!」
待ち合わせた公園の大きな木の下に立っていたのは、長い金色の髪を一つにまとめ上げ、紺色の浴衣にグレーの帯を締めた、いつもより色っぽいMCだった。
「おぉ、似合うじゃん!」
そんなMCにストレートに褒められると、恥ずかしさでますます近寄りがたくなって、変な距離が出来てしまう。
ただ、褒めてもらえたのが嬉しくて、つい、袖口を摘んでくるっと一周回ってしまうほどにはしゃいでしまった。
「そ、そうかな?」
「うん、可愛い」
「…ありがとう」
今日は、人間界の夏祭りに行こうと誘われて、ドレスコードに浴衣を指定された。
浴衣を持ってもいなければ、そもそも着方もわからないので、アスモデウスやルークの手を借りながら、遅刻はしたものの、何とか準備することが出来た。
俺には可愛すぎると思っていた白に淡い水色の柄が入った浴衣に、ピンクと黄色の兵児帯のアレンジは、MCに喜んでもらえたようだ。
サイドの髪を上げて、そこに刺した花かんざしに、MCが優しく触れる。
「じゃ、行こっか」
「うんっ」
MCが差し出した手を取り、自然と手を繋いで歩く。
そんなことが照れずに出来るようになったのも、MCと過ごす時間が長くなってきたからかもしれない。
神社に続く参道まで来ると、道の両脇に屋台がズラっと並んでいる。
食べ物やゲーム、さまざまなお店が並んでいて、つい、目を奪われた。
MCは、俺が目を留めるものを片っ端から説明してくれて、一緒に遊んでくれる。
スマートボールは二人とも全然入らなくて、輪投げは、俺が真ん中に五個も入れるから、お兄さんがおまけでクマさんの形のシャボン玉をくれた。
射的は、MCが得意だと言うので隣で見ていたら、狙ったものを次から次へと当てていく。
浴衣の袖をたくし上げ、腕をいっぱいに伸ばして片目を瞑って狙う姿は、とにかくカッコイイ。
それは、店の周りに少し人だかりが出来るほどで、隣に立つ俺は、これが俺の自慢の恋人です、と周りに言いふらしたくなるほど誇らしかった。
射的で当てた袋いっぱいの駄菓子を持ちながら、人混みの中、はぐれないようにMCの手をぎゅっと握る。
人波を避けながら前を歩くMCの後ろ姿に、思わず見とれていた。
遊び尽くして、下駄で歩くのも少し疲れてきた頃、MCが俺の方を振り向く。
「お腹空かない?」
少し休みたいと思っていたところに声をかけてくれるMCの心遣いが本当にありがたい。
それに、周りからいい匂いが漂ってきて食欲をそそられる。
「ちょっと空いた、かも」
「じゃあ、焼きそば半分こして…フランクフルトも買おう!」
MCが嬉しそうに笑って俺の手を引く。
その表情から、俺と同じぐらい楽しんでくれているのかと思うと、羽もないのに、なんだか心がふわふわとした。
目の前の鉄板で焼かれている焼きそばとフランクフルトを頼むと、出来たてで熱々のものがパックに詰められる。
天界でも魔界でも見たことがない茶色い食べ物からは、見た目は地味ながらも、とにかく美味しそうな匂いが漂っていた。
「わぁっ!これが屋台のごはんなんだね」
「そうだよ。あ、そこの石段空いてる、座ろっ」
熱いからとMCがパックを持って、もう片方の手で俺の手を握る。
屋台の列から少し外れたところの石段に、ぽっかり二人分のスペースが空いていて、そこに座った。
今まで、何も敷かずに地べたに座ったりしたことがなかったが、これも夏祭りならではだと思い、少し砂を払ったあと腰をかける。
「こういうのも、したことないから新鮮だな」
「じゃあ、シメオンの初めてだね。はい、シメオン、あーん」
MCが言うと、どうしてもいやらしい意味に聞こえてしまうのは、俺の思考が毒されてきたからだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、手際よくパックを開けて割り箸を取り出したMCが、俺に向かって焼きそばを差し出す。
箸に乗ったそれは、ほかほかと湯気を上げ、そこからソースの香りが広がる。
有無を言わさぬその状況に、俺はMCの箸からパクッと焼きそばを食べた。
「またそういうこと言う。…あーん。ん、おいしい!」
口いっぱいに頬張った焼きそばは、酸味とコクのあるソースに焦げ目の香ばしさがあって、歯ごたえのアクセントに紅しょうがのシャキシャキ感がある。
もぐもぐしていると、口の周りについていたソースをMCが指で拭ってペロッと舐めた。
「でしょ?シメオンの繊細なおいしさの料理とは違うけど、豪快な屋台メシも美味しいでしょ?」
「うん、天界にはこういう料理はないから、勉強になるよ」
俺が箸を出すこともなく、タイミングよくMCが、次から次へと俺の口に焼きそばを運んでくれる。
なんだか、子供になった気分だけれど、つい、甘やかされてしまう自分がいた。
「だろうねー。これなら、俺も作れるかもしれない」
珍しく、MCが料理をしたいと言うので、俺は賛同した。
「じゃあ、今度作って!俺、サポートするから、MCの料理、食べてみたいな」
「わかった、頑張ってみるっ」
先ほどの屋台のお兄さんの姿にMCを重ねて、MCが料理をしている姿を想像すると、思わずニヤニヤしてしまいそうになった。
「やったー!楽しみにしてるね」
焼きそばを食べ終わると、次のパックを差し出される。
そこには、いい具合に焦げ目のついた大きなフランクフルトが二本、串に刺さって入っていた。
「ほら、これがフランクフルト。ケチャップとマスタード、いる?」
「いるっ。あーんっ…これも、ジューシーでおいしい!」
小袋のケチャップとマスタードをたっぷりかけて、零さないように大きな口を開けて頬張ると、プリっと弾けた皮から肉汁が溢れ出し、口の端から垂れる。
それを手で拭った時、隣から凝視されていることに気付いた。
「うわー…エロぉ…」
明らかに、変な意味で見られていることはわかりながらも、MCのつぶやきが聞こえず理由がわからなかったので聞き返す。
「…なんか言った?」
「いやっなんにも!ね、おいしいよね!」
MCは、明らかに慌てながら急いで自分もフランクフルトを頬張り、誤魔化そうとする。
もぐもぐしながら、しゃべれない、とジェスチャーをされれば、それ以上はたずねられなかった。
「…絶対なんか聞こえたんだけどなー」
気にはなりつつも、冷めないうちにと思い、続きのフランクフルトを食べていると、やはり、痛いぐらいの視線が隣から突き刺さる。
しかし、MCといて、そんなことを気にしていたらキリがないと学んだので、気にせずに、最後まで美味しくいただいた。
「デザートは…かき氷にしよっか?」
「かき氷?」
聞き馴染みのない食べ物の名前に首を傾げると、MCは目をキラキラと輝かせて俺を腕ごと引っぱり上げる。
「知らない?じゃあ、決まりだねっ!買いに行こう!」
「う、うん」
付き合ってからというもの、俺の知らないことを教えるのが、すっかりMCの楽しみになってしまったらしい。
俺としても、知らないことを知っていくのは面白いし、MCが教えてくれるなら、どんな些細なことでも知りたい。
…ただ、どっちかというとエッチなことの方が多いのは、何とかして欲しいところだけど。
再び、屋台の通りに戻り、かき氷屋さんを探す。
熱帯夜ということもあって、かき氷屋さんには行列が出来ていた。
「これがかき氷だよ!」
行列に並んでいる間、買い終わった人の手元をMCが指さして教えてくれる。
氷の山のようなその食べ物は、屋台の電球と提灯の明かりに照らされて、キラキラと宝石のように輝いていた。
「わぁ!透明でキラキラしてて、綺麗な食べ物だね」
「まぁ、氷削っただけなんだけどね。でも、これが、夏にはとんでもなくうまく感じるんだよなー」
「へぇー!早く食べてみたい!」
シンプルなものが美味しいというのは、さっきの焼きそばで学んだことだ。
これも、暑い夏に食べるからこそ、ただの氷でも美味しく感じるのだろう。
ニコニコするMCの表情に、ますます期待が膨らんだ。
あっという間に順番が来て、MCが二人分を注文する。
肩からタオルをかけたおじさんが、「はいよっ!」と気前のいい返事とともに、汗を滴らせながら氷を削り始める。
シャッシャッと、涼しさを感じる、軽快な氷の削れる音色が屋台に響く。
氷の削られる様に前のめりで見入っていると、MCが横から俺の肩を叩く。
「よし、じゃあ、何味がいい?」
MCが指差した先には、極彩色の液体が入った大きなボトルが並んでいる。
「味があるの?」
「シロップかけるんだよ。イチゴ・メロン・レモン・ブルーハワイ…」
一つずつ味を言いながらその色のシロップを指していく。
ただ、俺には、パッと見た瞬間から決めていた味があった。
「ブルーハワイ!」
大好きなパラダイス・ブルーと同じ色。
あの色を見たら、どうしたってパラダイス・ブルーの味を想像してしまう。
「ゆーと思った。じゃ、俺はイチゴー」
てっきり、MCはメロンかレモンあたりを選ぶと思っていただけに、少し驚いた。
でも、そういう、たまに見せる子供っぽいところが、可愛くてキュンとする。
「MCがイチゴって、なんか、可愛い」
「お待ちっ!」と出されたかき氷を受け取りながらMCの方を見ると、両手がかき氷でふさがっているので、軽く肩で小突かれた。
「たまにはいいだろー?さ、あっちで食べよっ」
「うんっ」
MCが視線で境内の方を示すので、俺はあとをついて行った。
境内の横手、屋台の列からはちょうど裏になっている辺りにぽつんとベンチがあり、二人でそこに座る。
喧騒から少し離れたその場所は、まるで二人のためだけに用意されたようなベンチで、参道に連なった提灯の明かりだけが、俺たちをぼんやりと照らしていた。
俺が、初めて見る、ストローの先が広がったスプーンで透き通った青い山の頂点をすくおうとした時、MCから声がかかる。
「シメオン、混ぜながら食べないと、下はただの氷だからね?」
「そっか…わかった!」
そうだった。
あまりにも綺麗で崩したくないからそっと頂点から食べようとしたのだが、これはシロップで、無色のところは、溶けたらただの水になってしまう。
「んー!安定の味っ」
MCが、慣れた手つきでかき氷の山を崩して食べていく。
美味しいのと冷たいのとで顔がクシャッとするのが可愛い。
俺も、MCに倣って山を崩し、氷全体を青色に染める。
そこから、スプーンですくって食べると、シャリシャリした氷の食感と甘いシロップの味が口に広がった。
直接氷を食べているので、口内が一気に冷える感じがする。
「…ん、冷たいっ!でも、甘くておいしい」
美味しくて、思わずMCにほほ笑むと、MCも同じように食べながら笑顔を返してくれる。
「ね?このシンプルなのがいいんだよ」
「わかるかもしれない。夏祭りって風流でいいね」
ふと、夜空を彩る提灯を見上げる。
ぼんやりとしたその灯りがずっと遠くまで連なっている様は、光の道を作り出していてとても美しい。
その提灯の列の先、神社の境内には櫓が組まれ、太鼓の音と共に皆が踊っている。
騒ぐわけでもなく、整然と全員が同じ振りをしながら櫓の周りを回っているその踊りは、日本の夏祭り特有のものだ。
『盆踊り』と呼ばれるそれは、死者の慰霊の意味もあるらしく、そう思うと静かに踊る姿には神聖な雰囲気さえ感じる。
そんな夏祭りの様子をぼけーっと眺めていたら、横からMCにつつかれる。
「シメオン、舌出してみて!べーって」
「え?…べー」
俺は、わけも分からず、言われた通りにべーっと舌を出す。
「ははっ!真っ青だよ、シメオンの舌」
「えっ!?どういうこと?」
自分では見えないから確認しようがなく、急に不安になる。
俺は、病気かなにかなのだろうか。
でも、MCは笑ってるし…。
「シロップの色がつくんだよ。ほら、俺の舌も真っ赤でしょ?」
MCが説明しながらペロッと舌を出すと、明らかにいつもより赤い。
なるほど、そういうことか!
「ほんとだー!わぁ、変なのー。おもしろいね」
俺は話を聞きながら、どうしても自分の舌が見たくなって、思いっきり伸ばしたあと舌先をちょっと上に向けて覗き込んだ。
本当だ!俺の舌、青くなってる!
「でしょ?ちなみに、シロップの味選んだけど、どれも同じ味だからね?」
「えぇっ!?そうなの!?」
MCが、さらに衝撃的な事実を教えてくれる。
「色が違うだけで味は変わらないんだって、前にテレビで見たことあるよ?」
「嘘だぁ!MCの、ちょっとちょうだい?」
ただ、さすがにそれは信じられなかったので、MCのイチゴ味を一口もらった。
「いいよ、どうぞ」
「…んー、イチゴの味する気がするんだけどなー」
口の中で、イチゴ味のかき氷を溶かして味わってみたが、何となく、イチゴの香りがする気がした。
「だってシメオン、ブルーハワイって何味だと思う?」
「え?あー…そっか、そういう味のものがあると思ってたけど、色の話かぁ」
「そーゆーこと。無色のシロップにいろんな色を着けてるってだけっ…スキありっ!」
これが、錯覚というものなのかぁ、と口に残ったイチゴのかき氷の液体を楽しみながらぼんやり考えていると、突然、隣から、俺のブルーハワイめがけてMCのスプーンが飛び込んできた。
「あっ!」
「いいでしょ?ひと口あげたんだから」
そう言いながら、既に溶けて液体になり始めているブルーハワイをザクっとひと山すくい、口に運ぶ。
「うん。おいしいでしょ、ブルーハワイ」
シャクシャクと音を立てながら食べるMCの方を見る。
同じ味だとわかっていても、同じ食べ物を共有できることは、なんだか嬉しかった。
「うん、おいしいっ。…ねぇ、シメオン」
「なぁに?…んっ…ふっんん…」
しばらく見つめ合っていると、MCが俺の名前を呼ぶ。
少し首を傾げると、急にMCの顔が迫ってきて、唇が重なった。
なすすべもなくMCの舌が入り込み、俺の舌をさらっていく。
お互いの冷たい舌が合わさって熱を分け合い、あっという間に口内は熱くなる。
舌に残ったシロップは、もはやどちらのものかもわからないほどに溶けあってしまった。
「…ほら、キスしたら、混ざって紫色になったよ?」
MCがゆっくりと唇を離すと、二人の間に紫色の糸が引く。
そのまま、MCがべーっとした舌は、MCの赤と俺の青が混ざって紫のマーブル模様になっていた。
改めて見せつけられると、キスをしたという実感が湧き、急に恥ずかしくなってかき氷を掻き込む。
「…もぉ!…ん…んん……うぅ…頭、痛い…」
口いっぱいに頬張って食べ続けていると、突然、頭がキーンと痛くなった。
どうすればいいかわからず、とにかく、痛みを感じるこみかみあたりをトントンと叩いてみるが、特に効果は感じない。
「そんなガツガツ食べるからだよ。かき氷は、頭キンキンするからゆっくり食べないと」
そんな俺を横目に、MCはマイペースに自分のかき氷を口に運ぶ。
なんだか、だまされたようで悔しい。
「それを…早くっ言ってよぉ…」
かき氷を一旦ベンチに置き、両手でこめかみを押さえながらMCを睨む。
しかし、MCはそんなことを気にするようすもなく、最後に残ったイチゴシロップの水を一気に飲み干す。
「じゃあ、シメオンのキンキンが治まったら、一緒に帰ろうね」
「うん…。でも…しばらくかかりそう…」
食べ終わった器を置いて、俺の頭をポンポンしてくれるのは嬉しいが、キンキンはまだ治まる気配がない。
悶絶する俺を、MCは優しい顔で見守ってくれている。
これも経験のひとつなんだろうけど、こんな痛い思いは二度としたくないと思った。