「なんか……、先日から母乳が出てしまって…………」
……。
…………。
「……母乳?」
「ええ」
その衝撃的なワードには、さすがのニンジャさんも鸚鵡返しがやっとだった。
え、だって……母乳? 母乳ってアレ? 母に乳って書くやつ?
母。そう、それはその名の通り、子を産んだ母からこそ出るもので……え、でもチェズレイは男で……、
まさか。脳裏を走った予感たらり、忍者の額に冷や汗が流れる。
「チェズレイ、え、もしかしてお前って……」
しかしみなまで言う前に、微妙な距離を取ってベッドの上に座る男の声が遮るようにかぶさった。
「医者にかかりましたが割に良くある軽いホルモン異常らしく、薬ももらったので数日で治るようです」
「えっ」
え。一瞬言葉を飲むのに時間がかかる。
うん、えーと、つまり、ということは……」
「……あっ、そっかー!? 病気とかじゃないのね!? よかったよかった!」
……みなまで言わなくて良かった!!!!
寸でのところで何とかギリギリ取り繕えた。危なかった〜……。
内心胸を撫で下ろすモクマに、けれど詐欺師の目は当然節穴ではなく……、
ぺろり。舌が唇を舐めとって薄笑い。
「モクマさぁん……一体何をご想像されていたのやら……」
「ぎくっ」
「まさか私のこの姿すら変装……実は女性でさらに妊娠までしてた……ですかァ?」
「あ〜やめて心読まないで!」
手で顔を覆って悲鳴をあげる。窓の外から差し込む月明かりすら、いまや犯罪者を照らすサーチライトのように感じる。
それを眺めて、白い裸身を晒すチェズレイはしゅんと眉を下げてさらに追い詰めるように哀れっぽい声を出した。
「ひどいです……私はいつでもあなたに全てを曝け出していますのに……しかも言うに事欠いて、婚前交渉で妊娠するような自己管理のできない女だと疑っていたと……?」
「わ〜ごめんて! ちょいと頭をよぎっちまっただけだって!」
……うん、つまりそう。だってほら、ホルモン異常とか知らなかったし?? 順当に考えるなら……ねえ??
いや、今考えればバカな想像だったと思うんだけど。でもそれくらい、いま目の前で起きてることは衝撃的だったのだ。
「……。……?」
あれ。おそるおそると指の隙間から覗き込む。急に追い討ちも罵倒のことばも聞こえなくなってしまった。やばい、怒らせた?
「!」
だけど、見えたその表情は……、
「……ま、『全てを』なんて言葉は今や何の信憑性もなくなってしまった訳ですが……」
俯いて、口元に浮かぶのは自嘲めいた笑み。同じ色の声で、チェズレイは小さくつぶやいて……、
「チェズレ……」
「……ともかく、止まらないのでガーゼで押さえていたと言うわけです」
モクマが思わず身を乗り出してしまった時には、それら全部かなぐり捨てて、話は終わりとばかり、最初の平坦な声と表情に戻っていた。
「……」
「まだ何か? もう服を着たいのですが」
でも、ここで終わりになんかしないぞ。
じっとガーゼを凝視していれば、居心地悪そうにチェズレイが眉を顰める。それで、
「なんか、張ってない?」
「……っ」
シャツに覆われる前に指をさして言えば、びく、と肩が跳ねてかたまった。……どうやらいいところをつけたようだ。
見つめる先で、すみれの瞳がふらりと逸らされる。
「……まあ、本当は搾った方がいいみたいですね。薬で新たに生成される量は減ってきているので、出し切ってしまえば終わりですし。ですが、放っておいても治るとのことでしたから……」
「でもさ。俺あんまり詳しくないけど、ちっちゃな村落で医者の手伝いしてた時によくママさんとも話したけど、胸、張って痛いんじゃないの? はやく吸ってもらわないとって言ってた」
言いながらあ、と気づく。
「それで動き、鈍かったのか……」
「いえ、それは……」
けれどその思いつきは、すぐさま否定されて。
代わりに、力が入ると出てしまうので、さっき気づいて……と明かした声は、彼らしくもない弱々しさであった。
……はあ。少しの沈黙の後、月明かりで白くひかるシーツに重いため息が落ちる。
「……ですが、そうですね。万全の状態でないのなら、あなたに告げるべきでした。いつも隠すなと口すっぱく言っているのに。すみません」
そのままぺこりと頭を下げられて、慌てるのはモクマのほうだ。
「いやいやいいって! さすがに母乳出たなんて他人に言いづらいのはわかるし……、でも……」
ちら、壁にかけられたカレンダーに目が走る。
実際、本当に怒ってなんかいなかった。失望だってもちろんしていないし、他にも嘘を吐かれていたかもなんて、そんな疑いも持っていない。
そうじゃなくて。モクマが憂慮しているのはーー、
「……そうですね、明日、もう一箇所の潜入は今更止めることはできません」
「じゃあ俺一人で……」
「ダメです」
思いつきはぴしゃりと跳ね除けられる。が、すぐに眉根が寄って、「ですが、搾って出すわけにもいかないし……」と呟く声は本当に悔しそうで、らしくもない焦りが滲んでいる。
チェズレイの不調の理由は、胸から溢れる液体が制御できないことだという。
だったら答えは簡単で、もう分泌されていないなら出し切ればいい話だ。
そんなのはわかっている。でも、チェズレイは困っている。そうできない理由があるのだろう。
モクマは考えて……、はっ、と、今度はひらめきの電流が身体を駆け抜けた。
「それさ、出し切ればいいんだよね。
俺……手伝おっか?」
「…………。
ーーはああぁあ?」
……結構、名案だと思ったのに。
モクマがまじめな声で出した提案に、チェズレイは今日一番のいやそうな顔を見せてくれた後で、
「やです」
「なんで」
「なんでもなにも……」
ぴしゃり。とりつく島もない却下に、けれどモクマはめげない。呆れた歌声に今度はこっちが、乗っかって。
「俺、お前の相棒、だし。お前には借りばっかふくれててさ、役に立ちたいんだよ」
子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと丁寧に。膝を立ててじわじわ、距離を縮めていく。
月明かりのスポットライトにすっぽりと二つの影をおさめて、モクマは真面目な顔ですみれの目を捉える。
「無理って言ってたけど、それってお前がその、体液とか、そういうの苦手だからだろ? おじさんは別に大丈夫だし」
「……。……あなたにそんな趣味があったとは……!」
「いや、ないよ!? ……って、茶化さないの。俺、結構マジだよ?」
相棒、なのだから。どちらかにできないことがあるなら、もう片方が肩代わりする、ふたりでならできないことはない。そういうのが、バディというものではないのか。
ぐっと、もう一歩。ほど近い距離で、逃さぬようにと手を伸ばしかけて……はっとモクマは我に返った。
触れぬなら、かわりに。そう、思ったのだけれど。
「あっ、でも俺に触れられるのイヤか……」
手のひらが空を掻いてとまる。
さっき押し倒しておいて言えたことじゃないけれど、そうだ、どうしても目的には直接素肌に触れることが必須。結局イヤなままでは……、
「…………っ」
「! ……チェズレイ?」
「……ちがう」
腕を組んでううむと悩んでいると、急にあたたかな感触。顔を上げれば、すぐそばのチェズレイが手首を掴んでいる。目がひたりと噛み合って、ちいさな声と、淡い微笑み。
「……違うんです。自分の体から出るものならば……濁りアレルギーの昔ならともかく、今は平気ですよ。
それに、あなたになら触れられても。裸のあなたをさんざ見てきたのです、今更恥ずかしいこともない」
でも。月明かりにも負けてしまいそうな儚さの、だけど、この静かな夜よりなお透き通った色をさせて。眉を下げて、無理なんです、そう断じる声を挟んで。
空いている手が、胸元に伸びる。しとどに濡れそぼったガーゼが、音もなくシーツに落とされた。
そうして、ついに秘密は完全なむきだしに。
モクマの目に、晒されたものはーー、
「……これ、なので……」
うすい紅色のそれを眺めて、モクマの目がまたぎょっと見開かれた。
「えっっ!? 肩の傷見た時もこれだったっけ!?」
「あァ……咄嗟に掛けた催眠、きちんと効いていたのですね」
「催眠かけられてたの!?」
思わずコントみたいな会話になってしまったけれど。
だって、それくらいに衝撃的だった。
抑えを失って、みるみる白い分泌液をこぼして肌を染めゆく、その、源。
女性とは比べ物にならないが、ほんの少しだけ張ってふくらむ中心にはーー、どこにも、見慣れた突起がなかったのだ。
「え、えーー」
「陥没乳頭というのですよ。
ご存知ありませんでしたか? モクマさん」