(仮題)首輪が欲しい🐶ここ最近のテレビはサブミッシブ狩りの話題で持ちきりだ。独り身のSubが誘拐される事件が相次いでいるらしい。
「…俺みたいな出来損ないには関係ねえけどな」
乾は洗濯物を畳みながら、ニュース速報に切り替わったテレビ画面をぼんやりと見つめていた。
この世界には男女の性以外に、もう一つの性がある。一般にダイナミクスと呼ばれるもので、人類は概ね、誰かに支配されたい性「サブミッシブ」と支配したい性「ドミナント」の2種類に分かれるとされている。互いの欲求を満たし合えば双方が満足して、win-winの関係が築けるはずだが、世の中にはサブミッシブを襲い、都合よく自分の欲求だけを満たして傷つけるドミナントが後を立たない。
夕方のニュースで痛ましい速報が流れるたびに龍宮寺は難しい顔をして、それから横で風呂上がりに至福のアイスを食べている乾を抱き寄せる。
「用心しろよ。お前は強いけど、それだけじゃどうしようもねえこともあるから」
龍宮寺に言い含めるように囁かれて、乾は毎度
「わかってる」
とだけ返す。
——心配してくれるなら、早くこの首にお前のものだという証をくれ。
乾は心のうちで、ずっとそう願いながら言い出せずにいるのだった。
龍宮寺はドミナントで乾はサブミッシブだ。互いに支配し、支配されることで満たされる性質を持っている。しかも、龍宮寺と乾は単にダイナミクスが噛み合っている以上に相性が良く、何年も共に過ごす内にいまでは互いの魂に慣れ親しんで、高い次元の絆で結ばれている、はずなのだ。軽いPlayなら毎日のようにしているし、セックスだって済ませた。
でも、龍宮寺は乾に首輪を贈らない。
——なんでだ?俺がいいSubじゃないから?
首輪があれば、野良じゃなくなる。野良じゃなければ襲われる確率は格段に下がる。Subを襲うようなDomは他のDomと戦うような気概はないからだ。
乾は早く龍宮寺だけのSubになりたい。
—— 万が一、しょうもないその辺のDomに襲われたとしても「俺はドラケンに所有されてるんだ」って言えるのに。
でも「首輪が欲しい」なんて、はしたないことはとても強請れそうになかった。断られでもしたら、いまの居心地のいい関係もすべて失うかもしれないし、そもそも立ち直れない気がした。
言付けをキチンと守っていい子にしていたら首輪を貰えるかもしれないと期待してみたり、あるいはペット感覚で乾の世話をしてくれているだけで龍宮寺は特定のSubを所有したくないのかもしれないと思ったり。
乾の心はここ最近、人知れず揺れていた。
「他の誰かじゃなくドラケンだけのものになりてーのに。ばか」
龍宮寺の着古したTシャツを畳む手を止めて、ぽつりと呟く。
しかし、乾は心のどこかで龍宮寺が自分を選ばなくても不思議はないと思ってもいた。
なにせ、乾はSubとしては不完全なのだ。不能と言ってもいい。ほとんどダイナミクスが発現せず、並大抵のDomには反応しないし、欲求も薄い。医者の説明では幼い頃の火事が原因となった後遺症の一種らしい。お陰で抑制剤を飲む必要もないし、暴走族(ほんのちょっとグレていたのだ)として活動していた頃の乾にとってはむしろ好都合だったのだが今では乾の心に暗い影を落としていた。
圧倒的な力を持つ強力なDomである龍宮寺に触れられてやっと僅かに発現する程度で、満足に反応できない不完全な自分では龍宮寺とはとても釣り合わない。
——相手の欲を完全に満たすことができないのに、専属にして欲しいなんて、イカれた考えだな…
自分だけのDomが欲しいなんて、ましてや、Domとして引く手数多な龍宮寺に所有されたいだなんて烏滸がましいにも程がある。考えれば考えるほど、惨めな気分になってくる。
——もう首輪のことは考えないようにしよう。俺にはきっと無縁のものなんだ。
乾は洗い立てのTシャツに顔を埋めて、愛おしい人の残り香を探したが安い柔軟剤が香っただけだった。