04■KYOKI NO SYOKUTAKU04■コンチキンパ / キンパ
あの黒糖、おいしかったな……と不意に思い出すようになってしばらくが経っていた。特級の僕は言わずもがな超ご多忙の身、もう猫の手も借りたい〜って言えばなんか雰囲気かわいいけどさ、マジどいつもこいつも己の利益最優先で動きやがってマジで……オマケみてーに機嫌とってくんなっての。
それにしても忙しい。どれくらい忙しいかって七海に「こないだの黒糖どこの? 食べたいから教えて」って言うひまがないくらい忙しい。次会ったときでいっか、なんてのんびりしてたら長期の出張が入るわ戻ってもなんだかんだと呼ばれるわ使われるわ、ゆっくり高専の空気も吸えてないときた。かわいい生徒たちもいるってのに次から次へと……あーあ。マジで僕がやらなくていいことは僕に押し付けないでほしい。ちょっと足を伸ばせば処理できるだろ、ってそりゃ僕の脚は長いけどそうじゃねーんだよいい加減にしろ。
バックシートに倒れ込む。クッションを枕にする。
もし僕に七海みたいな趣味もといストレス発散術があったらなに作ってただろ。スイーツは失敗するとマジテンション下がりそうだよな。逆にストレス溜まりそう、無理。んーじゃカレーとかどうだろ。スパイスから炒ってやるんだろアレって。すきにいろいろ配合してさ……あーでもこれ1日で終わりそうにないな。スパイス集めから没頭できる気がしないし。えー……じゃもうチャーシューとか煮込めばいい? すーげえいい豚の肉塊買ってきて煮込んだら七海食べにきてくれるかな。あ、七海のキッチン貸りたらいっか。めちゃくちゃいい圧力鍋ありそうだよなあのキッチン。
「五条さん、あの、電話鳴ってます」
「出たくない。伊地知かわりに出てよ」
どうせあの件だろ。ほんっと都合のいいときだけ僕のこと持ち上げてさ。まあ腹の底が見え見えなぶんかえって潔いけど。でもいい加減ウルサイな。電源切ってやろうか――んえ、七海だ。
「はい五条久しぶりじゃんどした? …………ギリ都内だけどなに……明日は? 明日、明日あした明日あした明日……しあさってえ? んー……うん、いける。あまい? あまくない? ……ふうん……あ、こないだの黒糖どこの? あー、うん、よろしく。はいはーい」
よし。これであの黒糖また食えるぞ。
「僕しあさって午後電波切るから」
「しあさって、ですか……何かあったような」
「あーうん大丈夫、今全部なくなったから思い出さなくていいよ。あと何分?」
「……10分ほどです」
「天ぷらうまい店探しといて。終わったらそこ行こ」
伊地知は。七海からのメッセージが届く。
[こちらです。気に入ったのなら差し上げますよ]
ふうん……ふうん。ちょーだい、って言っとこ。
* * *
「早かったですね」
「そ? まあ渋滞とか無縁だからね」
「まさかアナタ」
「ソファにいるからできたら呼んで!」
「あっこら」
今日も今日とて片づいた部屋を横切ってソファに飛び乗る。4度目ともなればこのなんもない壁と向き合う時間にも前ほどの緊張はない、というのはちょっと眠いまま来てしまったからかもしれないけど、ここは七海の部屋である。外ほど余計なことは考えなくていいってわかってしまっていることも眠い一因なんだろう。あの日、七海が暗に「僕以外は」って言ったこと、あんまり考えないようにしてたけどこう……また今度、が現実になると完全に無視はできそうにないというか、可能性の高まりを意識せざるをえないというか……いやほら僕最強だからさあ、すぐ分析しちゃうんだよねえ……脳が高級だから………………うん。
背後の音はいたって普通の感じがする。これまではどっかでヤバイ音がしてたけど、今のところはごく普通の調理音だ。調味料を混ぜたりレンジが鳴ったり何かを茹でたり、あと焼いてる音もわかる。普通にごはん作ってくれてんのかな。定食みたいなん出てきたらどうしよう。一度は食べたいけど反応に困る感じあるぞ。
それにしても眠いな……まずい。ちょっと無茶したツケがきたか。でも今日のこの時間は絶対に必要だったからな……僕にとっては。それにたぶん、七海にとっても。ストレスって溜まるとヤバイもん。僕も学んだよ、精神衛生はいいほうがいい。反転じゃ気分まではよくならないからさ。
あー……なんか炒める音がする……なんだろこれ、すげーいい環境音だな……。
* * *
やばい。寝ていたらしい。上体を起こすと毛布が剥がれ落ちた。そっか、ここは七海の家だった。うーんよく寝た。なにしてたっけ……あ、ごはんだ。斜め後ろ、カウンターのほうから視線を感じる。七海なにしてんだろ。僕これ振り向いていいのかな。
とかなんとか迷ってたら「起きたんですね」と声がかかった。
「寝るなら今度から目元のそれ、はずしてください。こちらからはわからないので」
「いまなんじ」
「日は暮れました」
「うそ……寝すぎた」
あちゃー予想外。もう七海ひとりで食べたかな。
「五条さん」
「なーに」
「食べますか」
えっ。
「あともうこっち向いてもらって構いませんよ」
「えっ」
振り向くとカウンターに七海が居た。手元には文庫本がある。僕まじで寝てたんだな。
「それともまだ寝ますか」
「食べる!」
「ではこちらまで」
おお。今日はカウンターか。もう運んでくるのめんどうになってたりして。
腰の高いスツールに背もたれはない。それをまたいで、あ、と気づく。毛布おいてくるの忘れてた。
「寒いですか」
「いや、置いてくる」
「いいですよかけててもらって」
あ、そう? んじゃ膝においとこ。肌ざわりいいんだよな。
だからどこのやつだろ、とタグを探そうとしたときだった。出てきた料理に僕はまだ寝ぼけてるのかと思った。
「必要でしたらあたためますが」
急いで裸眼になる。七海を見つめる。異常はない、けど僕は異常を見つけたい。絶対になにかあるはずなんだ、見逃してはいけない。
「どうしたんですか」
「……七海にかかった呪い見てる」
「何言ってんですか」
「なに言ってんだはオマエだよ、美的感覚がクソになる呪いかけられてんだろ。すぐ解呪してやるから」
「かかってません。失礼ですね追い出しますよ」
やだ声がマジだ。やだ視線もマジだ。やだ僕の眼もマジだ、異常なし。
「正、気?」
「正気です。完成形です」
「うそお……」
サンマ、たぶんサンマがまるまる一匹巻き寿司になっている。まるまる一匹、まるまる一匹尾頭付きで。まるまる一匹尾頭付きで。まるまる一匹! 尾頭付きで! もうなんではみ出てんだよ尾と頭! なあ! 目が合ってんのよ目が!
「……かじるの?」
「どうぞ」
「頭から?」
「どこからでも」
七海はマジでマジらしい。平然と僕を見ているだけ、たすけてくれない。サンマはサンマで終わりのないにらめっこを僕に挑んでくる。なんなんだこの圧は。僕はなにを試されているんだ……?
すると「冗談です」と、七海が言った。「いま切りますから」
それからちょっと笑って、僕の目の前からサンマが引いた。僕の引いた血はドッと巡った。
「冗談……?」
「ああ、食べたかったですか」
「いいえ切ってください七海も食べて」
「そうですね。味見はしていないので」
ざくざくと七等分にされたサンマがあらためて皿に盛られる。しかしまあ切ったところで尾頭のインパクトは消えず、どうにも目が合ってしまう。
「どうぞ」
「普通に食べていいの?」
「普通にとは」
「クイズは?」
「出しましょうか」
「え、や、いらない」
一瞬迷って真ん中をとった。うん、断面は想像どおりサンマのそれだ。味は……うん、味も、普通にうまい。米すげえぎっちり詰まってるけど。
「見た目より全然いける。酢飯じゃないんだな」
「ごま油と塩です。この国の味付けは」
「韓国だっけ?」
「済州島で食べられるそうですよ」
「へえ~」
なあんか意外だな。完全に偏見だけど七海が韓国料理食べてるイメージなかった。
「で、まだあるんですが」
「えっサンマが?」
思わずマジの心の声が出た。でも七海は笑った。
「いいえ。もっと一般的な具材でつくりました」
そうして出てきたのは山のように積まれた海苔巻きだった。たぶんこれもイッタラだろうな~と思う大皿2枚に3段ずつある。米何合炊いたんだろ。
「巻き寿司用の海苔って少なくとも十枚は入ってるんですよ。残していてもしかたないので」
聞いてもいないのに言い訳をされている。僕そんなウワ、みたいな顔したっけ。
「どんな具があんの?」
「それは食べて判断してください」
「急にめんどくさくなんなよ」
「疲れたんですよ」
言いながら七海は缶ビールを取り出していた。僕には? と思ったら「りんごとぶどうとカルピスどれにしますか」と言われた。
「りんご」
「はい」
缶ジュースを受け取る。折り畳んでいたスツールを出してきた七海は、僕の斜め横に座った。
「乾杯する?」
「はい」
カシュ、と響いたいい音に続いてお疲れさま、と言い合い缶をぶつける。なーんかいい一日の終わりって感じだな。
「これが10本分……」
「いいえ7本分です。残りは切らずにそのまま置いてます」
「すごい量だな」
上のほうのひとつを口に入れる。たくあんとキュウリに混じって甘辛い牛肉の味がする。
「もう二度としないので食べ納めといてください」
「えーーーすげえうまいよ?」
「買ったほうが早い」
「そんな今更」
「あ、ここ辛いゾーンです一応」
コチュジャンだろうな、見るからに赤い。
「あ、僕そういうのは平気」
お、チーズ入ってる。うまそ。いただきまーっす!
「……からい」
いや辛いわ! なんだこれ入れすぎだろ!
「言ったじゃないですか。素直なひとですね本当」
呆れたように笑う七海は平然と僕と同じものを食べている。なんでだよ。僕りんごジュースなくなっちゃうんだけど。
「カルピス原液」
「大げさな。水にしてください」
「げーーーっ辛いやばいでもチーズうまいね」
「そっちのチーズは辛くないですよ」
「どれ?」
「一番下です」
グラスに注がれた水を受け取る。一番下ってマジ一番下じゃん。
「ジェンガ?」
「崩したら怒りますよ」
「んじゃこの辛いゾーン早く片して」
「……取り皿を出せばいいんでしょう出せば」
ふはは、話が早い。ほら、と出された皿はこの間見たのと同じものだった。
「発掘はっくつ~!」
「アナタ勝手に寝て元気になりましたよね」
「ん? ふふふ」
たしかに、そうかもしんないな。でも居心地いいからさあ、こう……うん、また今度があるといいなってやっぱり思う。普通のさあ、先輩と後輩、っていうのかな、同僚の関係がどんなって僕にはあんまりピンとこないけど、七海的にはそういう感じで思ってくれてたらいいな~~~~~~なあんて。
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▶︎続きます〜ッ!