格好いいのは、君が好きだからだよアドラーがおかしい。
ウィルがそう考えるようになって片手で収まり切れなくなったころ、さらにおかしいことをガストが言ったので、痛い腰をさすりながらベッドで寝がえりを打ったウィルはいそいそと霧吹きを持って下着姿で仁王立ちしている締まっているけど締まりきれていない背中に声をかけた。
「なあ、最近おかしくないか?」
「ん? なんのことだ?」
「なんのことって、それだよ、それ。どうして急に水やりをしたいなんて言い出したんだよ」
振り返ったガストは前髪を左腕で掻き上げながら、不思議そうに首を傾げた。まだベッドで丸まったままのウィルを見つめ、ヒーローごっこをしている子どもみたいに霧吹きを掲げてみせる。
「べつに構わないだろ。ちゃんと教えてくれたとおりにやるからさ」
「そりゃ、構わないけど。でも、それは俺の日課なんだ。気を使ってアドラーがする必要はないよ」
「気を使ってるわけじゃねえんだけど、ウィルは俺にこういうことされると嫌か?」
「嫌っていうより、落ち着かないんだよ」
「なんだよそれ」
ははっ、と軽く笑ったあと、ガストは気をよくしたのか「指示を頼むぜ」と明るい声で言った。
ウィルは丁寧に、草花に合う水のやり方を伝えていく。
その子は土が湿るくらい、たっぷりと。そっちの子はあまり水は必要ないんだ。指で軽く触ってみて、どう? うーん、ちょっと土が柔いかな。そうか、じゃあまだ土が水分を含んでるってことだから水はあげなくて大丈夫。オーケー、覚えとくよ。
ガストの声が優しくウィルの心に染み込んで、たまらずベッドに頬を押し付けた。ベッドシーツは柔らかくて、土のようにしっとりとしていた。
ウィルとガストが付き合い始めて、三か月が経とうとしている。
恋人ができると不思議なもので、今までなんとなくあった程度の性欲が張り切って主張を始めるらしく、時間を見つけては二人でセックスをした。ほとんどはタワー外にあるホテルを使っているが、同室であるアキラやレンがいないときは互いの部屋を使うときもあった。そんななか、どうにも最近ガストの様子がおかしいと思い始めたのは二か月ほど前だ。
聞き馴染みのある霧吹きのシュッシュッという音に耳を澄まし、かがんだり、背を丸めて覗き込んだりしているガストの背中を見つめながら、優しいし気遣いやなんだよな、とウィルはタオルケットを胸に抱き込んだ。
優しくされるのはうれしい。ガストが気を使ってくれるのも、もちろんうれしい。それが無理をしているわけじゃないことも、本心ではきちんと分かっている。口に出して伝えたことは、まだないけれど。
「最近、優しいな」
数秒悩んだ末に、ウィルは背中に問いかけた。締まらない背中は振り向かないけれど、楽しげな霧吹きの音は気持ちを和やかにさせる。
「それって、さっき言ったおかしいの答えか?」
「そう」
「ははっ、やけに素直だなぁ。今日のウィルは」
「茶化さないでくれ。本当に、気になってるんだから」
「わりぃ。茶化してるつもりはなかったんだけどな」
「……うん」
わかってるよ。ウィルは小さく答え目を伏せた。自分と変わらないはずの背中がやけに頼もしく見えて悔しい気持ちが芽生える。
お互い初めて同士で、最初はなんだかんだと二人で一緒にいろんなことをした。たとえば、セックスをするための準備だとか、終わったあとに疲労感でそのまま眠って後から一緒にシャワーを浴びたとか、ホテルにある小さな冷蔵庫の前に二人でしゃがみこんで飲み物を飲んだりとか。
それなのに、最近といえば準備はほとんどウィルが気持ちよくなるためのものになって、起きたらべとべとだった体はタオルで拭かれてすっきりとしている。朝だって、甘いコーヒーを淹れて、もっと甘いほうが好きか? なんて笑う。そのうえ、今はまだ気だるく動く気にならないウィルに変わって草花の水やりまで。勝手に一人で格好良くなっていくなよ、と理不尽なことを考えてしまう。
「俺はさ、ウィルのことが好きなんだよ」
ガストが何ともない声で良い、ウィルは伏せていた瞳をガストに向けた。振り返った彼の背中にはたくさんの植物が水を弾いてキラキラと光っていて、揺さぶられるような感覚にめまいがした。湿った匂いが鼻をくすぐる。汗ばんだガストの肌は、光を落とした夜の中でキラキラと輝くのだ。
「なんだよ、それ」
絞りだした声はびっくりするほど甘ったるくて、小さかった。
「そのまんまだって。ウィルのことが好きだから、やりたいことをしてるだけ」
「朝のコーヒーは」
「コーヒー?」
ガストが不思議そうに答えたあと、ああ、と納得いったように頷く。
「あれは、ウィル好みの味を研究してたんだよ。好みは違うけど、ウィルがおいしいって思うものを飲ませてあげたかったしさ」
ほかには? 今ならなんでも答えるぜ。
ガストが笑って請け負って、ウィルはたまらない気持ちになっていく。だから、一人で勝手に格好良くなるなよ。言いたいのに、言えずにきゅっと唇を引き結ぶ。へらっと締まりのない表情のガストが、水やりはウィルに頼られたいからだ、と恥ずかし気もなく告白する。楽しそうにしているのを見るのが好きだった。俺も手伝えたらもっと楽しいだろうなって思ったのが始まりだけど、今はちょっと下心もあるぜ。もし、どうしようも手が回らないとき、水やりはガストに任せようって思ってもらえるように、ってな。
「……俺は、一生、アドラーとしか呼ばない」
「おいおい、突っ込むところそこかよ」
ウィルは体を起こして、ベッドの下に落ちていた下着を履いたあと、ガストの隣に並んだ。身長も体重もそんなに変わらない。視線が近いことが恥ずかしいこともあるけど、キスがしやすいからけっこう好きだ。緑色の瞳だって、本当はとても好きなのだ。
「ど、どうした? なにか顔についてるか?」
焦っているのか、照れているのか。前髪を掻き上げているガストをじっと見つめ、
「俺もダーツ、してみようかな」
と言った。
言ったあと、たまらず視線をそらしたけれど、すぐさま掴まれた手首を引かれ、たたらを踏んだ。顔をあげる。そこにはやっぱり締まらないガストがいて、ちょっとかわいいかもと思った。
「うれしいぜ。それってさ、俺のことが好きだからってことだろ? 一緒にダーツをしてもいいって思ってくれたんだな」
「それもあるけど、単純に格好いいアドラーをもっとみたくなったんだ」
「へ?」
「ダーツ、得意なんだろ?」
いつにしようか。楽しみだな。
ウィルが言葉をつなぐと、ガストは頭を掻いたあと、そういうことをサラッと言うんだもんなー、と言った。どういうことかは分からなかったけど、自分の胸がきゅんと高鳴ったことは分かった。仕切り直すように、コホンとガストが咳ばらいをする。にっこりと笑った笑顔がまぶしい。
「おう、任せとけ」
その言葉に、素直に頷いた。
「ああ」
「それより、もっとみたい、ってどういうことだ?」
「…………聞かなかったことにしてくれ」
「いやいやいや、そこはちゃんと教えてくれよ!」
今日はやけに耳ざといな。
詰め寄ってくるガストをなんとかかわしながら、ちょっと必死なアドラーはかわいいのかもしれない、と思う。
じゃあ、本当はどっちだろう。
格好いいのか、かわいいのか。たとえば今ここで、いきおいよく唇を押し付けたらガストはどんな顔をするのだろう。試してみたい。そんなことを考えながら、ウィルは勢いよくガストの手を引いた。