いっしょにたべよう「フィンにとって美味しいものって何?」
何気なく訊いた。少年の手には、今ダァトでフィンが狩りを行い仕留めた兎のもも肉…所謂ジビエが握られている。狩ったものを直ぐ捌き調理されているので臭みなどはなく、丸焼きであっても茹で肉であっても食べ慣れた家畜の肉のように美味い。
「そうだな…自分で狩った獲物のクラド=ミールは格別だったな」
「それは確か茹で肉の良いところ、だっけ」
捕った川魚を竹串に刺しながらフィンがそうだと答える。少年が握っている兎肉も、自分を王と仰ぐ彼のことであるから恐らくそのクラド=ミールと思わしき部位であることは分かっている。
「…フィン、今度は俺にご馳走させて」
「兎は好きでなかったか?」
「そうじゃなくてな、フィンがいつも俺に美味しいものを食べさせてくれるから、俺からもお返しがしたい」
ダァトにおいてはいつも彼が獲物を狩ったり捕ったりしてくれて施してくれている。彼はいつも、自分よりも王である少年を優先してくれていた。それは従者として仕えているから当然なのかもしれない。今手にしている肉もそうだ。
最初は少し躊躇いがあったが、一口食べるととても美味しいものなのだと知った。そうしてフィンが手ずから料理を振る舞ってくれるのは好ましいが、今の会話でふといつも馳走になってばかりだと気付いたのだ。
これは此処が一番美味い、とか、こういった食べ方もある、とか。フィンは持ち前の知識と共に丁寧にもてなしてくれる。だからこそ少年もフィンに自分の美味しいと感じているものを食べて欲しいと思った。
「お前さんが?」
「うん。とはいえ、お前ほど調理に長けてはないからな。そこは目を瞑ってくれ」
「とんでもない、王手ずから俺に馳走を作ってくれるなんて最高の褒美だ」
そう言って嬉しそうな笑みを見せてくるフィンに、内心ハードルが上がったな、とは言えない少年であった。手にしていた兎肉を噛めば柔らかく、家畜とは違うあっさりとした肉汁が滴って香りを届ける。
『美味しい』
フィンの手料理をじっくりと噛みしめ味わいながら、実家を出て寮に入るにあたって母から教わったレシピを思い出していた。基本は寮母さんと給食の職員さん達がご飯を作ってくれるが、寮とは言え一人暮らしなのだからと母が振る舞ってくれた手料理の中でも一番好きな献立のレシピを教えてもらった。今も本当に偶に、思い出した時に作っていたからフィンに出しても大丈夫な筈だ。
骨の際の肉も全て千切って食べ、御馳走様、と命の糧に感謝を述べる。そうして少年が食べ終わるのを見送りつつ魚を炙っていたフィンが一つ遅れて漸く冷めた肉を噛む様子を『これも一つの課題かな』と眺めていた。
日曜日。寮母さんに食堂の台所を使う許可を貰ってから、必要な物のリストを作り買い出しに行った。許可を貰う際に寮母さんが「ここのスーパーのが安いからお勧めよ」と言われた店に向かい、慣れない店内を右往左往しながらもどうにかリスト分の買い物を済ませ、台所に立つと食材をテーブルに並べて失敗しないよう改めて書き出したレシピのメモを見えやすい所に置くと服の袖を捲って手を洗う。
「…よし」
久々にこの料理を作る。彼に食べて貰うために失敗は出来ない、と料理を作ると思えぬ程の気合いを入れてからまな板と包丁を取り出した。玉葱を人参を洗い皮を剥いて適度な大きさに切りチョッパーで微塵切りにすると、温めておいたフライパンに油を注ぎ炒める。
「えっと、次…」
炒めながらレシピを見る。次の行程を確認して、手際よく料理を進めていく。炒めた野菜を平皿に移して冷ましている間に合い挽きミンチをボウルに入れて捏ねる。
「ちょっと楽しいかも」
自分自身の為だけに作るのは億劫であるし、寮に入っていれば栄養士が管理した朝昼晩の食事が出るためする必要も無かった。愛しいフィンのために料理を行うのが楽しいのだと初めて知る。
いつも自分のために狩りをし、料理を振る舞ってくれる彼も同じ気持ちなのだろうかと思いを巡らせた。
冷めた野菜と調味料、母直伝の隠し味を入れて小判型に成形する時には鼻歌なんて歌ってしまっていた。熱したフライパンに油を引いて出来上がった肉種を二つ、そっと入れて蓋をする。じゅわ、と肉が焼ける良い音が響いた。
「さて、この間にサラダ。と、ソースも作らなきゃ」
手を洗い、盛るだけ簡単のサラダミックスの袋を手に取った。これはネットで調べていたレシピ(という物の程でもないが)を参考にボウルに出すと調味料と混ぜ合わせる。途中肉の様子を確認し、フライ返しでひっくり返すと再び蓋をする。戸棚から二人分の皿を準備し、小皿にサラダを盛り付けてケチャップとウスターソースを混ぜてかけるためのソースを作ると、カトラリーを忘れていたことを思い出し慌てて準備する。
さてそろそろかとフライパンの蓋を開けると、ふっくらと膨らみ良い焼き色の付いたハンバーグがそこにあった。
「良い匂い」
膨らんだハンバーグに竹串を刺す。溢れる肉汁の色を確認して火を止めると皿に移してソースをかけた。熱い湯気を立てるハンバーグは見るからに美味しそうに仕上がっている。
「出来た…!」
満足げに眺めた後、お釜から夕飯用に炊き置かれているご飯を拝借し茶碗二つに盛って、スープボウルにはインスタントのコーンスープを作る。出来上がった二人分の料理を備品の大きめな御盆に乗せ、少年は台所を後にした。
休日の食事時でもない日中に食堂に寄りつく人は居ない。それを見計らって少年は料理を行った。そうしなければ好奇心も食欲も旺盛な友人達から折角フィンのために作った料理を奪われかねないからだ。尤も仲の良い友人であるユヅルとイチロウなら賞賛こそすれどその様なことはしないだろうが。
兎も角誰にも出会うことなく無事に出来たばかりの料理を二人分自室まで持ち運んだ少年は、ひとまず御盆をテーブルに置くとストックからフィンを喚び出した。現れたフィンは喚び出された場所が少年の部屋と分かると落ち着いた様子で彼を見た。
「はい、冷めないうちに装備外して此処に座って」
いつだって彼は出来たばかりの温かな料理を自分に優先して食べさせてくれる。しかし今日は二人で一緒に出来たばかりの料理を食べるのだ。少年とテーブルに並べられていく湯気の立つ料理を見比べたフィンは言われた通りにさっと装備を外し、インナーだけのラフな格好になると少年の向かい側に腰を下ろす。
「凄いな、これはお前さんが作ってくれたのか?」
フィンの時代では見たことの無い料理だったようだ。形の良い翡翠の瞳を輝かせて料理を見つめる様が意外で、少し驚きながらもその手にフォークとナイフを手渡した。
「ああ、このハンバーグだけね。俺が一番好きで、唯一作れる料理なんだ。フィンの口に合うと良いけど」
「見るからに美味そうだ」
「温かい内に一緒に食べよう?」
二人で手を合わせ、「戴きます」と食前の挨拶を述べる。フィンにとっては馴染みがない挨拶であったが少年が行う事とその理由を聞いて食事を摂る際は必ず言うようになった。
フィンが、綺麗な手つきでカトラリーを使っている。流石は入団試験で教養を求められるフィアナ騎士団の団長だと見惚れてしまう。ハンバーグをナイフでするりと一口大に切り分けると、切った先から肉汁が滴った。それをフォークで刺し口に運ぶ。
「…」
少年はその様子を固唾を飲み見守っていた。レシピ通り、見た目も香りも美味しそうに出来上がったとは思うが彼に食べて貰うのは流石に緊張する。音を立てず上品に咀嚼し喉仏をこくりと動かした後、彼はほんのりと頬を染めて破顔した。
「これは美味いな!」
「よかった」
「肉をこうして食べたことは無かったから新鮮だ。成る程、こういった調理法もあるんだな」
翡翠の瞳が輝いている。少年の手料理を彼は大層気に入ってくれたようだ。美味い美味いと言いながら喜々として二口目を切り分ける様子に胸を撫で下ろすと、彼と同じようにハンバーグを切り分け口に運ぶ。ミンチ肉が綻んで溢れる肉汁で口内が満たされる。かけていたソースも肉の味を引き立たせていた。紛う事無く母直伝の、母が作ってくれていた好物のハンバーグの味。
「うん、美味しい」
自分で作った物なので、不思議と一際美味しく感じられた。
「約束してくれていたとはいえ、作るのは大変だったろう。本当に有り難う」
微笑み感謝を述べられるのが擽ったくて、少年は肩を竦めた。
「フィンこそ。いつもご馳走してくれて有り難う」
「こんなに美味い物が作れるなんて、お前さんの料理を食べられる奴は幸せ者だな」
「人に食べて貰ったのはフィンが初めてだよ。これ、俺の一番好きな料理なんだ」
「そう、か…それは、しっかり味わって食べなければ」
驚いた表情を見せたフィンは、愛おしむ眼差しを切り分けられた料理へと向けた。彼に食べて貰っている少年手作りのハンバーグは既に半分ほどになっている。この短時間にそれ程食べ進める位に美味しかったのだろう。
「…そんなに惜しまなくても、フィンのためなら幾らでも作ってあげるよ」
ハンバーグ一つで大袈裟だと思いつつも愛しい彼に褒められ味わってもらえた事が堪らなく嬉しくて、そしてほんの少しだけ恥ずかしく少年の頬も紅く染まった。彼にもっと現代にある色んな物を美味しく食べて貰えるように『料理の練習をしようかな』と決意する。
「本当か?なら遠慮なく戴こう」
「どうぞ」
徐々に食べられ、二人の胃袋を満たしていく料理。二人で舌鼓を打ちながらこれはどうやって作ったのだ、とか、今度はダァトでこんな料理を作ってみようか、と他愛もない会話に花を咲かせ、部屋の中も美味しい匂いとあたたかな空気が満たしていく。満腹感と幸福感に包まれた二人の体は心地よく火照っていた。
「これからも一緒に美味しい物を沢山食べよう。フィンの料理でも、俺の料理でも」
「そうだな。食事の時間が一層楽しみになりそうだ」
「俺に遠慮せず一緒に、だぞ。約束」
「…ああ、約束しよう」
副菜まで全て平らげてすっかり空になった皿を見やって目を合わせ微笑むと、二人は身を乗り出して約束の口付けを交わした。