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    藍(lhk_wyb)

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    @lhk_wyb
    曦澄が主食。曦臣最推し景儀贔屓な藍家箱推し。

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    藍(lhk_wyb)

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    創作邪祟プチ参加作品です!

    #曦澄
    #藍曦臣
    lanXichen
    #江晩吟
    #江澄
    lakeshore

    氷を溶かせば「江宗主危ない!」

     そう言って江澄の前に飛び出して来た曦臣は、江澄と共に退治していた邪祟の攻撃をもろに受けてしまい、その攻撃と同時に放たれた光から二人が出てきた時には、曦臣は十歳くらい、江澄は座学に行っていた十五歳くらいの少年に、見た目が退化してしまっていた。

    「くっ……!何がどうなっている……?」

     微妙に大きく感じる校服に違和感を覚えながらも、まだ状況を把握しきれていない江澄と、何も言葉を発さない曦臣を心配し、藍氏、江氏の弟子たちが宗主の元へ駆け寄ってきた。
    「宗主!お怪我はありませんか⁈」
    「沢蕪君、ご無事で⁈」
     皆それぞれに宗主に声を掛けるも、返事をするのは江澄だけで、曦臣の返事はない。その異変に気付いた藍景儀が曦臣がいた場所にいる見た事のない美しい子供に声を掛ける。
    「もしかして『藍曦臣』ですか……?」
     沢蕪君という号に反応はなかったので、景儀は名前で呼び掛けてみた。しかしこの美しい子供が本当に曦臣だったら、景儀は宗主への不敬でまた罰を受けるかもしれないと、内心ビクビクしながら声を掛けた。(事態が事態ではあるが、宗主を名前で呼んだのだから)

    「はい、そうですが……すみません『先輩』、ここはどこでしょうか……?」

     この返答に、今度は景儀が固まってしまった。宗主である曦臣から『先輩』と呼ばれれば、こちらも事態が把握出来ずに、思考が止まってしまう。そんな景儀に気付き、今度は藍思追が続けて声を掛ける。
    「ここは雲深不知処からさほど遠くない場所ですよ。今は夜狩中でしたが、邪祟は退治できましたので安心してください。」
     思追は、こう見えて混乱しているであろう小さき曦臣がこれ以上混乱しないようにと、なるべく優しく声を掛けた。
    「私は夜狩に出ていたのですね……しかし校服がこんなにも大きい……もしかして、邪祟の影響を受けてしまったのでしょうか……?」
     さすがは早くから沢蕪君と呼ばれていただけあると思わせる鋭い観察力で、曦臣はすぐに状況を把握してしまった。
    「残りは俺から話そう。」
     そう言ったのは、今の体には少しだけ大きい江氏の校服を纏った江澄だった。
    「俺は雲夢江氏の者だ。あなたは俺を庇って邪祟の影響を受けてしまった。俺も多少は影響を受けているが、状況を見るに、あなたの方が影響を強く受けているようだ。原因の邪祟は退治したからこの影響はそう長くは残らないだろうが、これがどうやったら解けるかは誰もわからない。申し訳ないが、元に戻るまでの間、雲深不知処にいさせてはもらえないだろうか。」
     校服が大きいせいで、未だ立ち上がれない曦臣のそばにしゃがみ、江澄は伺いを立てる。
    「私は構いませんが……何故私のような幼少の者に尋ねるのですか?」
     この答えに、その場にいた者全てが今の曦臣に記憶がないことに気付いた。
    「曦臣、あなたはいくつになった?」
     江澄の質問に皆が息を飲む。
    「……?私は今年で十になります。」
     今は夏なので、誕生日を迎えていない目の前の曦臣は九歳ということになる。
     これは大変なことになった。一行は急いで雲深不知処に戻る事とし、事態が事態なので、この日は雲夢江氏の弟子たちも雲深不知処に留まる事となった。
     雲深不知処へは御剣で戻る手筈であったが、江澄は少し体が縮んだだけで丹力も記憶もはそのままだったので問題はなかった。しかし曦臣は結丹はしていて十二分に丹力は強いものの、記憶を失っていたため、雲深不知処までは念のため江澄が曦臣のことを運ぶこととなった。
    「曦臣、御剣はしたことあるか?」
     したことがあれば、剣の上での体の扱いは問題ないが、経験がないのであればおぶるしかない。
    「したことはありますが、まだ上手くは出来なくて……」
     と俯く曦臣に、
    「それなら、ここから雲深不知処まではそう遠くないから、練習がてら一緒に剣の上に立ってみるか?」
     と江澄が提案すれば、幼い曦臣はその目をきらきらと輝かせて「はい、お願いします!」と答えたのだった。

     無事に雲深不知処に到着した一行は、江氏はそのままは客坊に案内され、藍氏は自室へと戻っていった。曦臣と江澄は、啓仁を呼びにいった思追が戻るまで、景儀と一緒にその場に留まった。
    「すみません先輩のお名前を伺ってもいいでしょうか……?」
     そう曦臣から尋ねられた景儀は、素直に
    「私ですか?藍景儀と言います。」
     と正直に答えてしまい、隣にいた江澄は頭を抱えた。そう答えた景儀の首に腕を回して取っ捕まえると、
    「なにをバカ正直に答えているんだ!曦臣が九歳の頃にお前は生まれていないだろ⁈こう言う場合、記憶に整合性が取れていないと色々面倒になるんだ!次からは下手なこと言うなよ!」
     と小声で江澄から注意を受けた景儀は、「ひぃぃ!すみません!」と謝るしかなかった。
     そうこうしているうちに、思追が啓仁と共に戻ってきた。
    「曦臣……!」
     そう言って、啓仁は見覚えのある美しい子供に声を掛けた。さすがは藍啓仁、その存在は幼き曦臣を安心させるには十分だった。
    「叔父上!」
     と返事をし駆け寄る姿は、子供らしさが垣間見えるも、家規に添ったしとやかなものだった。
    「曦臣、怪我はないか?」
     そう尋ねられた小曦臣は、
    「怪我はありませんが、どうやら体が縮み、記憶を一部失ってしまったようです。」
     記憶がないことは、周りの反応を見れば火を見ることより明らかだったので、曦臣は家規に倣い嘘なく答えたが、その答えに啓仁は近くにいた景儀と江澄を目の端で睨みつけた。その様子に気付いた曦臣が、
    「叔父上、彼らを怒らないで。景儀先輩は一番最初に私に声を掛けてくれたし、江氏のお兄さんはここまで来る間、御剣を教えてくれました。それに、私がこうなったのは、江氏のお兄さんを庇ったからなので、叱るなら私を叱ってください。」
     と小曦臣から縋られれば、啓仁の怒りも多少は霧散したが、そのくらいで啓仁の怒りが収まることはなく、
    「藍景儀、曦臣が戻るまでの間、お前が二人の世話をするように。わかったな?」
     と、小曦臣に名前が知られている景儀をそのまま世話係に任命し、その怒りを少し霧散させ、気持ちが落ち着いたところで、
    「江氏の君はこちらへ……」
     と啓仁が江澄を呼びつけようとすると、
    「叔父上……!」
     と曦臣が自身の校服をぎゅっと握り締め、啓仁を呼び止めた。
    「曦臣、どうした?」
     と啓仁が優しく返事をすれば、ふっくらとしてきめの細かい肌をほんのり赤く染めて、曦臣は口を一文字に結びながらも、何かを言いたそうにしている。
    「曦臣、言葉にしないと伝わらないぞ?私に何を伝えたい?」
     そう言ってもなかなかその口を開こうとしない曦臣に、さてどうしたもんか……(こうなった曦臣はてこでも動かない)と啓仁が頭を抱えていると、
    「曦臣、したいことがあるならはっきりと言え。それすら出来ないのなら、お前はそれをやる資格はない、違うか?」
     と、九歳の子供には少々きつすぎる言葉を江澄が曦臣に向けるが、腰をかがめて曦臣の目線に合わせて言われた言葉は、曦臣の決心をより強固にしたのだった。
    「叔父上、私は……江氏のお兄さんと一緒にいたいです……!」
     そう曦臣は意を決して自身の気持ちを露わにすると、それにはさすがの啓仁も驚いた。少しだけ目を見開き、腰を屈め再び曦臣に目線を合わせる。
    「そうか、わかった。でもその前に彼とは少しだけ話をしなければいけないんだ。少し待ってくれるか?」
     そう啓仁から優しく言われ、幼い曦臣は嬉しさと恥ずかしさで「嗯」と小さく返事をするのがやっとだった。

     ◇

     啓仁と江澄はこの邪祟の影響が解けるまでの間の打ち合わせをすべく蘭室に来ていた。そこには、藍忘機とかつての兄弟子である魏無羨が二人を待ち構えていた。
    「江澄、ちょっと可愛くなったな!」
     とけらけら笑っている無羨を無視し、啓仁はことの顛末を忘機と無羨に説明をした。
    「……というわけだ。」
     と啓仁が話終えると、忘機は静かに頷き、無羨はいかにも考えています、というように親指と人差し指で顎をさする。そこでなにか疑問が生まれたのか、
    「江澄、そもそも今回の夜狩はどんなものだったんだ?」
     と言って、無羨は目線を江澄に向けた。
    「今回の依頼内容としては、そこまで難しいものではなかったんだ。恋人や夫婦がそこの峠を通る時だけ奇妙な声が聞こえるから原因を突き止めて欲しい、と言ったものだ。先に弟子たちに下見をさせたが、もちろんそんな声は聞こえるわけもなく、結局俺と沢蕪君も出向くこととなったんだ。」
     そこまで話すと無羨が、
    「そんな俺たち向きの依頼、なんで教えてくれなかったんだ?」
     と唇を尖らせ、子供のように不満を漏らすと、
    「私たちはこの夜狩の数日前から別件で出掛ける予定があったから、間に合わなかった。」
     だから断ったのだ、と静かに夫である忘機から言われれば、「あ!そっか!」と、けろりと態度を変え、さすがは藍湛だ!と目の前でいちゃつき始める。江澄の隣にいた啓仁はきりきりと痛む胃を押さえ、江澄はそんな啓仁を横目に一つ咳払いをして話を続けた。
    「まぁとりあえず、原因の邪祟を引っ張り出して、とどめを刺さんとしたところで、最後の反撃をしてきた。邪祟は倒せたが、この有様と言うわけだ。」
     少し決まり悪そうに江澄が話し終えると、再び無羨が口を開く。
    「その邪祟、そうなった原因は分かってるのか?」
     そう無羨が尋ねれば、
    「簡単に言えば、痴情のもつれだ。」
     と江澄が簡素に答えれば、またもや無羨は顎に手をやり、
    「そっか。うーん……多分こうすればいいだろうことはいくつか思い浮かんでるんだけど、まだ確証が持てない。少し時間をくれ。」
     と言って無羨は部屋を出て行くと、忘機もそれに続き、部屋には啓仁と江澄が残った。
    「江宗主、曦臣がああやって自身の希望を伝えてくるのは珍しいのだ。申し訳ないが、解呪の方法が特定出来るまで曦臣といてくれないだろうか……?」
     と恩師である啓仁から珍しくお願いされれば、江澄は断る理由などなく、
    「わかりました。」
     と答え、自分が江澄だと明かさない、青衡君が亡くなっていることは伝えない、などの打ち合わせをした後、江澄は先ほどの場所に曦臣を迎えに行ったのだった。

     ◇

     一方、江澄待つ曦臣の方は大変だった。
    「江氏の哥哥お兄さんはまだでしょうか……?」
     と言う問いかけを皮切りに、曦臣の江澄はまだかと言った意味合いの質問を、手を変え品を変え、半炷香ほど尋ねられ続け、景儀と思追はそろそろお手上げで、返答に困り始めた頃に、江澄は颯爽と現れた。
    「曦臣、いい子にしていたか?」
     と言いながら近づいてきた江澄に、曦臣は家規に反しない速さで江澄に駆け寄り、
    「お兄さんが遅かったので、寂しかったです。」
     と、恋する街娘のような言葉で返事をされれば、さすがの江澄もどんな表情をすればいいかわからず、笑顔を貼り付けるしかなかった。
    「半炷香ほどは、あなたの居場所を尋ねられましたよ。」
     と、景儀は疲れ切った表情で真実を伝えると、
    「景儀……!」
     と思追から注意を受ける。
     嘘は吐いていないので罰せられることはないが、曦臣が元に戻った時に今の記憶が残る可能性をまた考えていない景儀に、思追は隣で困惑した表情を浮かべている。
    「なんと、懐かれたものだな。」
     とそこまで聞けば、江澄も満更ではない表情を浮かべて、抹額には触れないように曦臣の頭を撫でてやった。すると、頭を撫でられたことで、ほんのり頬を染めた曦臣が江澄に尋ねた。
    「あ、あの、江氏の哥哥お兄さんのお名前をまだ聞いていなかったので、教えてくださいませんか……?」
     その顔には『あなたのお名前を呼びたいのです』とでも書いてあるようで、目は期待に輝いている。
    「俺の名前か……呼び方なら江兄とかでもいいんだぞ?」
     と言って、一度は誤魔化そうとしたものの、名前を教えてもらえなっかたことにしゅんとして俯いてしまった小曦臣を目の前にしたら、子育てを経験している江澄は、目の前の幼子のお願いを断ることなど出来なかった。
    「あなたが記憶を無くしている以上、ちゃんとした名前は教えられないが……『阿澄』とでも呼んだらいい。」
     と言えば、その俯いた頭を勢いよく上げ、その周りに大輪の花を咲かせると、
    「ありがとうございます、阿澄!」
     と早速指定された呼び名で江澄のことを呼ぶ曦臣は、それはそれは嬉しそうで、その場にいた思追と景儀は、曦臣のその様子になんだかこちらの方が照れてしまい、二人は顔を赤らめ、それぞれに明後日の方を向いてその熱を飛ばしていた。そんな小双璧の気持ちは露知らず、江澄は景儀に声を掛ける。
    「して、俺たちはどこの客坊に行けばいいんだ?」
     と、当然小曦臣も一緒のつもりで江澄は尋ねる。
    「江公子は江氏の皆さんと同じ棟に部屋を用意してあります。若様はあちらのご自身の部屋に……」
     まで景儀が言ったところで、「あの……」と曦臣が控えめに景儀の言葉を遮った。
    「叔父上は、阿澄と一緒にいていいと仰いました。お部屋も一緒では駄目ですか……?」
     と、とんでも発言をしてきた。さすがの思追も、景儀の隣で一瞬言葉を失っている。そこに助け舟を出したのは、もちろん江澄だった。
    「曦臣、それは景儀にではなく俺に聞くべきことではないか?」
     と片方の口の端を上げ、いたずらっぽい表情で曦臣の顔を覗き込む。すると、
    「阿澄……!あの!い、一緒のお部屋に……その、いてもいいでしょうか……?」
     先程景儀に自分の気持ちをはっきり言っていた曦臣と同一人物とは思えないような恥じらいっぷりで江澄に伺いを立てる。そのあまりの落差に、江澄は思わず吹き出してしまい、その場にいた皆が目を見開き驚いた。
    「阿澄、私は何かおかしなことをしてしまいましたか……⁈」
     笑われた当人である曦臣は、見るからに慌てている。すると、江澄は笑いを堪えて
    「曦臣、すまない、あなたがあまりにも可愛くてな。何もおかしなことはないから安心しろ。」
     そう言って江澄は曦臣の頭を再び撫でると、
    「確かに邪祟の影響を受けた者同士、一緒にいた方が何かと都合がいいだろうな。景儀、その方がお前の手間も省けるだろう?まぁ藍先生には上手く言っておいてくれ。」
     江澄は藍先生から小曦臣と一緒にいるように言われていたので、いくら景儀にそう言われようとも、小曦臣を同じ部屋で過ごさせるつもりでいたが、金凌から少し手が離れたことで、十数年してきた子育ての穴を埋めたい気持ちもほんの少しだけあった。
    「江そ……っ江公子、俺がそういうの苦手なの、絶対知っていますよね?確かに同じ部屋にいてくれた方が、私としては何かと手間は省けますが……」
     とまで景儀が言ったところで、
    「曦臣、お前の『先輩』も承諾してくれたぞ。これで藍先生に怒られずに済むな。」
     と悪巧みが成功したような、してやったり顔で再び曦臣の顔を見れば、曦臣の目はきらきらと輝き、その喜びようと言ったら、今にも江澄に抱きつきそうな勢いだった。
    「それでは、改めて案内を頼む。」
     と、江澄は景儀と思追に言い、観念した小双璧に部屋に案内してもらっている間も、曦臣は江澄の隣を幸せそうに歩いていた。

     部屋に着くと、亥の刻が近かったのと、少し緊張が解けたせいか、幼い曦臣は眠そうにこくりこくりと船を漕ぎ始めた。その様子に気付いた江澄は、優しく曦臣に声を掛ける。
    「曦臣、寝支度をしようか。」
     さすが子育てを経験している男江晩吟、子供の扱いは慣れている。一緒にやろうと言われれば、小曦臣は眠い目を擦り、部屋に用意してあった寝巻きに着替え始めようとするも、ふと手を止めてしまった。
    「どうした?」
     江澄は優しく曦臣に声を掛ける。すると曦臣は少し頬を染め、寝巻きを握りしめて言った。
    「阿澄、その、恥ずかしいので向こうを向いていてくれませんか……?」
     そういえば藍氏の人間は、むやみに肌を晒さないし、触れたりもしないというのは聞いたことがあった気がする。
    「そうか、藍氏は他人に肌を晒さないんだったな。俺は向こうの部屋で着替えればいいか?」
     そういうと、曦臣は申し訳なさそうにしながら、私が向こうで着替えます!と言って、足早に向こうの部屋の奥に消えていった。
     数分後、曦臣も着替え終わり、元いた部屋に戻って来たので、喉が渇いていないか確認してやり、江澄には少し早い時間ではあったが、灯りを落としてそれぞれの床についた。
     少ししたら曦臣の寝息が聞こえてきたので、江澄は安心をして起き上がると、静かに窓を開けた。まだ月は夜空の一番高いところまではのぼりきってはいないが、力強く輝いてみせる、そんな時間だ。
     江澄はその月を眺めながら、幼くなってしまった曦臣や今日の夜狩のことを思い返す。
     先程は魏無羨の相手が面倒で、痴情のもつれと説明してしまったが、正確にはそうではない。今回の案件は、他人のせいで初恋が実らなかった女性が、運悪く野犬に襲われ亡くなってしまい、それが邪祟となったものだった。運悪く、とはいうが、それすらも仕組まれたものだったようで、彼女の恨みつらみは亡くなってから募り、遂には人に害を成すものとなってしまった、ということらしい。こういう場合は、その人の思いを叶えてやるのが浄化への一歩だが、亡くなっている以上、その人の恋を本来の形で叶えてやることは出来ない。であれば、今回影響を受けてしまった自分達はなにでもって、この呪いを解くことが出来るのか……そして、あの幼い曦臣は本当に自分が知っている藍曦臣なのかも疑問に思っていた。幼い頃の記憶はあまりないが、曦臣は幼い頃から穏やかで、わがままを言ったりするような子供ではないと聞いた事があり、自分とは正反対な人間なんだと、幼いながらに思った記憶がある。それに弟のことをちっとも気にしていないことも違和感があった。あの小曦臣は過去の記憶すら完全ではないのかもしれない、と思うとなんだか寂しい気もした。でも今の子どもらしい曦臣はそれはそれで好ましいとも思っていた。
     そうして夜風にあたりながら考え事をしているうちに、江澄の目の端にも眠気が忍び寄ってきたので、窓を閉め、牀榻に戻る。そうしてごろんと横になり、見慣れぬ天井を眺めながら、「そういえば、自分はどうして十五歳くらいの姿だったのだろう……?」と思っているうちに、本格的に眠くなってきたので、江澄はその眠気に抗うことなく、自然と意識を手放したのだった。

     翌朝、小曦臣はいつも通り卯の刻に目が覚めたようで、江澄が目を覚ました頃にはすっかり身支度を済ませ、江澄の分のたらいの水も用意されていた。その身で出歩くわけにはいかないので、正確には景儀が準備をしたのだろうが、記憶を失ってもさすが藍氏の人間だ、と江澄は起き抜けから感心した。
    「阿澄、おはようございます。」
     江澄が起きた気配がしたとほぼ同時に、小曦臣が声を掛けてきた。
    「ん……おはよう、曦臣。」
     江澄は記憶はあれど、体は十五歳くらいの若者なので、いくらでも寝ていられる年頃だ。朝はいつだって眠い。しかし、小曦臣の手前、江澄は眠気を引きずり頑張って起き上がった。
    「体に変わりないか?」
     自分は変化がなさそうなので、おそらく小曦臣も変わりないだろうが、こういうのは日々の変化があるものもあるので、念の為の確認だった。
    「はい、変わりはないように思います。阿澄はどうですか?」
     よわい九つにしてきちんと気遣いも出来るだなんて……と、寝起きの江澄は、さすが沢蕪君としか思えなかった。
    「朝の膳は、景儀先輩がこちらに運んでくださるそうです。」
     江澄の意識がはっきりするまで、小曦臣は江澄に話掛け続けた。そうして江澄の意識が覚醒したと確認してから、改めて朝の挨拶をしてくれた。
    「阿澄、おはようございます。」
     丁寧な拱手と共に言われたそれだけで、朝から江澄の気分を良いものにしてくれたのだった。


     ◇


     実は江澄は、十五の頃から沢蕪君こと藍曦臣に叶わぬ恋をしていた。


     江澄が恋心を自覚した頃の曦臣は、歳はさほど変わらないのに、既に大人の男性といった感じで、宗主の任にはまだついていなかったものの、弟の忘機と「藍氏双璧」との呼び声が既に高かった。しかしその頃の江澄はまだまだ子供で、曦臣は自分のことなど気にも留めないだろう、そんなふうに思って、この気持ちを誰にも明かさずにいるおかげで未だ独り身だ。
     しかしあの頃は、江氏が壊滅し、藍氏も相当な痛手を負い、太陽が落ち……と生きることに必死だった。その後可愛い甥が生まれるも、姉夫婦は子の成長を見ぬままこの世を去り、残された甥を立派に育てようとまたも必死に生き、世の中が平和であろうとも、この十数年、江澄に本当の意味での平穏はなかったし、かつての兄弟子がこの世に戻ってきた事で、平穏はまた遠ざかってしまった。
     とはいえ、忙しい方が今の江澄の性には合っているのと、心の平穏は訪れなくとも皆が生きていたらそれでいいとさえ思っていた。自分の幸せなど二の次だった。


     一方曦臣は、十歳になる前から江澄に恋をしていた。


     先代の江宗主が雲深不知処に公務で訪れた際に、一度だけ幼い江澄を連れてきたことがあった。これは虞夫人から「何故未来の宗主に自分の仕事を見せないのか」と厳しい口調で言われ、それを受けて先代が江澄を帯同させたのだが、この時江澄がまだ幼いことを理由に、啓仁以外の藍氏のお偉方には挨拶をさせてもらえなかった。
     そうして先代である父親が公務をしている間は、子守り担当の江氏の兄さん方と、雲深不知処内にある川辺で時間を潰させてもらっていたのだった。
     その時たまたま、その川の近くを幼い曦臣が通りかかり、その見た目の美しさと、兄弟子魏無羨がいなかったことでたまたま天真爛漫に振る舞うその様子が、曦臣にはとても魅力的に映った。一目惚れだった。
     曦臣は江澄や江氏の兄さん方からは死角だった場所を歩いており、幼少の江澄と幼少の曦臣は顔を合わせることはなかった。しかしこれ以降、曦臣の脳裏から無邪気に笑う江公子の笑顔が離れることはなく、一人静かにその想いを育んでいた。
     そうしてそれから数年後、藍氏の座学に来た江澄を、再びその瞳に映した時、曦臣は大変に喜び、大変に驚いた。あの可愛らしく、いとしい江公子が、あの頃の美しさも残しながら、こんなにも背は伸び、こんなにも精悍な顔つきになりながらも、仕草には少しだけ幼さを残す、そんな様子に、その当時の曦臣は何度家規を脳内で唱え、己を律したかわからない。曦臣はそのくらい江澄の事を好いていた。しかし、長男であり未来の宗主である自分が、決して恋心を抱いてはいけない相手だということは、大人になりきっていない曦臣でもわかっていた。だから江澄同様、抱いた恋心は胸の内に秘めることにしたし、藍氏の長老たちにいくらなにを言われようとも、嫁を取ることはなかった。全ては江澄への恋心が捨てられなかったからだが、もし万が一、江澄へ気持ちを証明することとなった際に、誰も娶っていない事が、自身の気持ちの証明を助ける材料の一つにはなるだろう、と考えていたのだった。

     ◇

     そう、この邪祟は、初恋の相手にその当時の自身の気持ちを伝えないと解けない呪いをかけており、退化した見た目はそれぞれの初恋の頃の見た目なのであった。
     邪祟は、いわゆる両片思いで長年過ごしてきた二人に反応し、呪いをかけ、消えていった。
     本来記憶が奪うほどの強い力はないはずであったが、曦臣の想いが強すぎたのと、観音殿での出来事以降、精神的に不安定で、閉関を解いたばかりだったということも、記憶をなくした原因の一つなのだろう。
     しかし記憶をなくした今の曦臣は「本当の意味での藍曦臣」なのだろうか。もしくはこちらが「本来の藍曦臣」なのだろうか……

     ◇

     静かな朝餉を終えた二人は、解呪の方法を探るべく会話をしだした。
    「阿澄、今回の邪祟はどのようなものだったのですか?」
     曦臣は既にそこから記憶がないようだった。江澄がどういった経緯で邪祟になってしまったかを説明してやり、一通り話し終わると、曦臣は悲しい顔をした。
    「その方は、大層無念だったのでしょうね……きっと今もどこかで悲しんでいるのかもしれません。」
     その言葉に江澄は、
    「確かにそうかもしれないな。しかし、初恋が成就する人間なんてこの世に存在するのだろうか……?」
     と、未だその恋心を心の奥底にしまい込み、厳重に鍵を掛けている江澄がぼそっとこぼす。すると曦臣が絶望した顔を江澄に向けてきた。
    「阿澄、初恋は叶わないものなのですか……?」
     その絶望した表情を上手く隠せないくらい衝撃的だったのか、はたまた藍曦臣のような見た目の別の子供だからこんなにも表情が豊かなのか……江澄はそろそろわからなくなってきていた。
    「一般的には、だ。なんだ曦臣、お前恋でもしてるのか?」
     江澄はそう口ではからかって見せるも、こんな小さい頃から藍氏の天命とやらを感じて、想い人がいただなんて、そんな事実をこんなところで知りたくなかった。約二十年越しに胸に秘めていた初恋が散る。江澄は無意識に片方の目から絹糸のような一筋の涙を溢した。
     それを見た曦臣はそれはそれは焦って、取り乱した。
    「阿澄⁈どうして泣いているの……⁈私は何か気に触ることを言ってしまいましたか?それなら謝ります。ごめんなさい!どうか私を許して……私は阿澄と一緒にいたいのです、どうか一人にしないで……」
     と、江澄より涙を流し、顔をぐしゃぐしゃにしながら江澄の腕に縋る。
     江澄としては、曦臣の反応を見るまで自分が涙を流しているとは思いもしなかったし、会って間もないはずの小曦臣がそんなに必死になる理由がわからなかった。
    「曦臣落ち着け。俺は曦臣の発言で泣いたわけじゃない。それに、自分が涙を流していることにさえ気付かなかったんだ。だから曦臣も泣き止んでくれるか?」
     そう江澄に言われた曦臣は、涙でぐしゃぐしゃにした顔を上げた。
    「私のせいではないの……?本当に……?」
     江澄は校服の袖で曦臣の涙を優しく拭いながら、
    「本当だ。」
     と努めて優しく微笑む。
    「本当に本当……?」
     尚も確認してくる曦臣に、
    「俺はそんなに信用ないか?」
     といたずらっぽい表情を浮かべ、曦臣に聞けば、
    「そんなことありません……!」
     と曦臣が即答してきたので、江澄は思わず吹き出してしまった。
    「なんでそんなに必死なのかわからないが、こんな美人を泣かせたことが知れたら、俺は藍先生に怒られるだろうな。」
     と曦臣の頬に残った涙を拭い、優しく頭を撫でてやりながら、いたずらっぽくそう言うと、今度は顔面蒼白になり、
    「私のせいで、阿澄が叔父上に怒られる……?」
     と、先程とは違った絶望顔を江澄に向ければ、
    「藍先生はきっとあなた達甥子にはなんだかんだで甘いだろうから、その時は俺を守ってくれるか?」
     と言えば、その表情はきりっとしたものになり、私が阿澄を守ります!と鼻息荒くしている。
     本来の曦臣ならこんな百面相などしないだろう……とは思いつつも、ところどころに垣間見える沢蕪君の要素に、江澄の戸惑いは更に大きくなっていた。
     そんな時、啓仁が部屋の扉を叩いた。扉を開け、
    「おはようございます、藍先生。」
    「おはようございます、叔父上。」
     二人がそれぞれに朝の挨拶をすると、啓仁も「おはよう」とそれに応える。
     そうして三人で一つの卓を囲んで座ると、啓仁に体調の変化などを尋ねられた。
    「変化がないならとりあえずよかった。それで解呪の方法だが、忘機や魏嬰、門弟達に蔵書閣の書物を調べさせているが、まだそれらしいものは見つかっていない。江公子には申し訳ないが、解呪出来るまでしばらく雲深不知処に滞在してはもらえぬだろうか?」
     その言葉を聞いて、曦臣の目はきらきらと輝く。
    「俺は構いませんが……藍先生、一つだけお伺いしたいことがあります。」
     江澄はそういうと、江澄の隣でちょこんといい子にしている小曦臣をちらっと見てからさっきまで気になっていた事を尋ねた。
    「つかぬことをお伺いしますが、彼は小さい頃はこんなにも表情が豊かでしたか?」
     これで啓仁がそうだと言えば、自分が知らない頃の曦臣なんだと割り切れる。しかし「否」と言われた時のことは考えていなかったし、考えたくもなかった。
    「そうだな……十近くの頃はここまでではなかったが、小さい頃はそこそこにお転婆ではあった。」
     そう言う啓仁は感慨深げに顎髭を撫でた。江澄も今でこそそれなり落ち着いた金凌の事を思うと、啓仁の苦労が伺える。
    「では、やはり彼は藍曦臣で間違いないのですね?」
     そう江澄が返し、啓仁が頷いたのとほぼ同時に、控えめに扉を叩く音がした。扉を開ければそこには藍忘機と魏無羨が立っていた。
    「叔父上、解呪の方法がわかったかも知れません。」
     忘機はそう静かに言うと、啓仁が二人を部屋に迎え入れ、卓に着かせた。
    「忘機、その方法を話してくれ。」
     この一言がいけなかった。
     曦臣は若年化した昨日から実弟の忘機の名前を何故か口にしていなかったが、今思い出したのだ、自分には可愛い弟がいたことを。目の前にいる美丈夫の大男が自分の弟ならば、自分の体はどれだけの時を遡ってしまったのか。そんなことを考え出してしまったら、いい子に座っていた小曦臣は急に眩暈がして、江澄の膝にこてんと倒れ込んでしまった。
    「「曦臣⁈」」
    「兄上……⁈」
     周りの大人に必死に名前を呼ばれているのに、曦臣の意識は暗闇に沈んでいき、ついには意識を手放したのであった。

     ◇

     曦臣が次に目を覚ました時は、心地よい温もりの江澄の膝枕ではなく、自身の体温で温まった牀榻の上だった。
    「曦臣……!」
     一番最初にその名を呼んだのは江澄だった。
    「……」
     まだ意識がはっきりしないのか曦臣から返事はない。
    「曦臣」
     次に啓仁が声を掛け、そこでやっと曦臣が返事をした。
    「叔父上、私は一体……?」
     曦臣は江澄に握られたままの手に視線を落としたり、部屋の中を見回したりして、その目から少しでも情報を得ようとする。
    「急に倒れてしまったんだ。何か体に違和感などはないか?」
     そう啓仁から聞かれ、少し自身の気を確認してから、ゆっくり頷くと、啓仁は肩の力が抜け、安心したようだった。その様子を見届けてから江澄が口を開いた。
    「藍先生、曦臣と少し話さなければならないことが出来ました。申し訳ないのですが、席を外して頂けますか……?」
     甥がまだ心身ともに不安定なのに、目覚めてすぐに席を外せと言われ、流石の啓仁も少しむっとした表情を浮かべるも、曦臣がこの姿になって選んだのは忘機や啓仁自身ではなく他家の江澄で、そして曦臣の言葉を聞いて、曦臣のわがままを受け入れ、それを江澄に託したのも自分自身だと言うことを思うと、啓仁は余計なことを言わずに部屋から出ていく他なかった。
     部屋を出た啓仁は、二人がいる部屋に音漏れ防止の結界を張り、その場を離れた。
     啓仁の気配が遠ざかり、江澄は握っていた手を離し、再び口を開いた。

    「いつまでとぼけている気ですか『藍宗主』」

     と江澄は目の前の美少年に啖呵を切る。すると藍宗主と呼ばれた美少年は牀榻の上で伸ばしていた足を下ろし、牀榻に腰掛けた状態で江澄の方に向き直った。

    「いつから気付いておられで?」
    「目を覚ました時から藍宗主だっただろう?」
    「さすがは江宗主。確かに目を覚ました時はすでに元の記憶があったね。叔父上の前だったからとりあえず『小曦臣然』としていただけだよ。」
     そう平然と答える曦臣に、なぜだか江澄は腹が立った。
    「いつから記憶がお戻りで?」
     江澄は不機嫌を隠さず話を続ける。
    「さっき起きた時からだよ。」
     これは本当にそうで、にっこり微笑んで江澄にその笑みを向ける。しかしおかげで胡散臭さが増すが、これでも藍家の宗主だ、嘘をつくことはないだろうと思い直し、次の質問を投げかける。
    「体が縮んだ時の記憶はあるのか?」
     これは結構重要だった。

     ◇

     曦臣が気を失い、その容態が落ち着いた頃を見計らって、牀榻に寝かせた後、江澄と啓仁は、わかったかもしれない解呪の方法を、忘機と無羨から聞いていた。
    「これはあくまで仮説だから、江澄怒るなよ?」
     と無羨が前置きをし、話し始めた。
    「本来恋人か夫婦が通らないと反応しなかった邪祟が、沢蕪君と江澄が行ったら出てきた、と言うことは、二人は両想いなんだと思う。それもかなり長い間。それを邪祟が恋人同士と勘違いして、出てきて……」
     とそこまで話したところで、江澄が口を挟む。
    「おい、魏無羨、勝手に決めつけるな!大体何故俺と沢蕪君と限定されるんだ?夜狩に参加した弟子たちの中にいたのかもしれないだろう?」
     江澄としてはそうであって欲しかったが、無羨の次の一言で退路は断たれてしまう。
    「夜狩に参加した門弟や弟子たち一人一人に確認したさ。雲深不知処にみんないたからな。恋人や夫婦もいなければ、気持ちを伝えてはいないけど実は両思いだった、みたいなのもいなかったんだ。そして、昨日の夜狩に参加した中で確認が取れていないのは江澄と沢蕪君だけって言うわけだ。」
     そうして腹立つような表情で江澄の顔を覗き込んでくる無羨の顔をしっかり睨んだ江澄は、すっかり黙り込んでしまった。そして黙ってしまった江澄の代わりに啓仁が話の続きを促す。
    「して、解呪の方法は?」
    「初恋を成就させるか、初恋相手に思いを伝えるかのどちらかだと思います。」
     江澄をへらへらと煽っていた表情は何処へやら、無羨は真面目に啓仁の質問に答える。
    「そう思い至った経緯はどのようなものか。」
     啓仁は厳しい表情を続けているが、質問を続けたことによって、魏無羨に対してそこそこの信頼は置いているらしいことはわかった。
    「そうですね、今回の邪祟は初恋を他人に邪魔された挙句殺されてしまった気の毒な女子おなごです。恋した相手が悪かったのか、身分の問題か……その辺はわかりませんが、解呪の方法が初恋に絡む何かだと言うことは確実です。浄化を考えるのであればその女子の初恋を叶えてやるのが一番ですが、恐らく本人がそれを望んでいない。まぁすでに消滅してしまっていますし。夜狩に出ていた門弟たちから話を聞いたら、自身の今の姿に困惑しているような仕草を見たと話す者もいました。だから、本当は心根の優しい女子だったんだろうと考えられます。邪祟になってしまったのも、亡くなってからしばらく後のようですし。となると、他人に恋路を邪魔されたのであれば、自分は逆に架け橋になろうとでも考えたの可能性もあるのかなと。」
     なるほど……と啓仁は小さく唸って、悔しそうに
    「とりあえず、甲だな。」
     と無羨の見解を評価した。
    「藍先生、相変わらず厳しいですね〜!」
     と急に軽口を叩く無羨を見て、『豪に入れば豪に従え』を少しずつ実践し、舅にあたる藍啓仁との関係をよくしようと魏無羨本人も努力をしているのを感じ取ってしまった江澄は、少し感じた寂しさを怒りに変換し、話が終わったなら出ていけ!と忘機と無羨を部屋から追い出してしまった。もちろん忘機に睨まれたが、江澄も同じくらい睨み返してやったのは言うまでもない。
     そうして部屋の中は啓仁と江澄になり、江澄が曦臣の手を握ったところで曦臣が目を覚ました、と言うわけだった。

     ◇

    「体が縮んだ時の記憶はあるのか?」
     記憶があれば、初恋の話が振りやすい。啓仁も気遣って音漏れ防止の結界まで掛けてくれたのだ、ここまでお膳立てされたら、後は自分達でどうにかするしかなかった。
    「……」
     曦臣は微笑みを崩さずに口を閉じた。藍氏の沈黙は肯定だ。
    「藍宗主、それならば話は早い。先ほど藍先生が来る前の話の続きをしようじゃないか。よわい九つの小曦臣は一体誰を好いていたんだ?」
     江澄は強気を装っているが、心の臓はうるさいくらいに跳ねている。
     少しの間を置いて、曦臣は江澄をまっすぐ見つめると、静かに深呼吸をし丁寧に言葉を発した。
    「江宗主、いえ、江晩吟。この思いは誰にも言わずしまっておくつもりだったが、解呪のためならしかたない……私の初恋で、今もずっと好きなのは、江晩吟、あなただ。」
     曦臣がそう江澄に告げると同時に曦臣は優しい光に包まれ、その光が収まったと思ったら、元の藍宗主が現れた。
    「おや、本当に戻れた。これは魏公子に感謝しなければ。」
     元に戻った自身の体をあちこち眺めながら、曦臣はそう言うと、腰かけていた牀榻から立ち上がり、目の前で口をあんぐり開けている江澄を壁まで追い詰め、その幼さの中にも群を抜いた美貌の片鱗を見せている江澄の顔の横に手を着き、逃げ場をなくす。
    「それで、江澄の初恋の相手は誰なんだい?」
     これに素直に答えれば江澄の体も元には戻るが、同時に曦臣に告白することになる。無羨の言うように、本当に両思いではあったが、曦臣の思いを知ってしまった今は、もう自身の思いをその口から零すことは出来なかった。
    「さぁ江澄、心の氷を溶かして、その思いを私に伝えて……?」
     そう曦臣に詰め寄られれば詰め寄られるほど、江澄の顔は赤みを増し、曦臣から顔を背ける。しかし背けられる限界まできてしまった江澄は、急に曦臣の胸ぐらを掴んだと思ったら、唇を重ねてきたではないか!少し背伸びをした江澄に勢いよく重ねられた唇は、互いに歯が当たり二人の口内には血の味と匂いがじわりと広がる。すると、江澄は光に包まれ、その光が収まった時には、元の江宗主がいた。
    「私は言葉で聞きたかったのだけれど……」
     とまで言った曦臣は未だバツの悪そうにしている江澄を正面から抱きしめた。
    「私が今まで独り身だったのは、江澄あなたへの思いを超える人に会えなかったし、何よりあなたを忘れることなど出来なかったからなんだ。」
     曦臣はなおも言葉を続ける。
    「私たちは宗主同士だからすぐに一緒になることは出来ない……でも、必ず迎えに行くから、待っていてくれるかい……?」
     そこまで言うと、江澄を逃さまいと、曦臣は腕の力を強め、ぎゅうっと江澄を抱きしめた。
    「曦臣」
     そう江澄が呼ぶと、曦臣は腕の力を弱め、先程よりも近くなった江澄の顔を覗き込んだ。すると顔を更に赤らめた江澄が、じっ、と曦臣を見つめると、今度はその唇の感触を確かめるように、再び唇を重ねてきた。「ちゅっ」と控えめな音が互いの耳に届く。すると江澄は唇を離し、曦臣の背中におずおずと腕を回して恥ずかしそうに言った。
    「待っているだけは性に合わん、俺も迎えに行くから覚悟しておけ。」
     そういうと、江澄は言葉とは真逆の様子で真っ赤に染めた顔を曦臣の立派な胸板に埋めて自ら隠してしまった。
     その江澄の愛らしさに、曦臣は己の内に湧いた衝動を抑えるため、脳内で高速に家規を唱えたのだった。

     そうしてひとしきり抱き合った二人は、その温もりを惜しみながらも体を離し、手を繋いで見つめ合う。

    「江晩吟、結婚を前提に私の恋人になってくれますか?」

     改めて曦臣に告白され、江澄は再び頬を染め、一度は曦臣のまっすぐな眼差しから目を背けるも、一つ呼吸をした後、まっすぐ曦臣を見つめ、

    はい、以外の返事があると思うか?」

     そう言って、いつもの好戦的な表情を浮かべてにやりと笑えば、曦臣は堪らず、またも江澄を腕の中に収めてしまった。
    「藍先生が待ってるぞ?」
     そう言って曦臣を剥がそうとするも、
    「お願い、もう少しだけ……」
     と、曦臣が江澄の肩口に顔を埋め、動かなくなってしまったので、江澄は引き剥がすことを諦め、同じく曦臣の肩口に顔を埋めて、ずっと焦がれていた温もりを堪能したのだった。


     曦臣がやっと江澄から離れ、部屋に掛けられていた結界を解くと、すぐに無羨が、続いて啓仁と忘機が部屋に入って来て、部屋の中は急に賑やかになった。
    「江澄〜」
     とニタニタ笑いながら部屋に入ってきた無羨を江澄は無視し、曦臣は「魏公子、ありがとう。」と笑顔で感謝を伝えた。しかしその笑顔の圧に、さすがの無羨も黙り無言で忘機の後ろに隠れてしまった。そうして少し部屋の中が静かになったところで、曦臣が啓仁に向き直り、口を開いた。
    「叔父上、この度は心配を掛け、申し訳ありませんでした。そして報告なのですが、私と江宗主は結婚を前提にお付き合いをすることになりましたので、私宛に届いている釣書は、失礼のないように全てお返しください。」
     そう、にっこり笑いながら江澄の腰に手を回し、自分の方へ引き寄せる。すると江澄の顔はみるみる赤くなっていき、曦臣のことを思いっきり突っぱねた。しかし、相手は姑蘇藍氏の宗主、素の力で勝てるわけもなく、腰を抱かれたままのその格好は、飼い主に抱っこされるのを全力で嫌がる猫のようだった。
     曦臣のその言葉を聞いて、三人は言葉を失ってしまったが、曦臣はそんなのお構いなしだ。
    「それでは、私は江宗主と今回の夜狩の報告書をまとめますので、失礼します。」
     と江澄の手を引いて部屋を出ようとした曦臣を無羨が呼び止めた。
    「沢蕪君!結局どっちの方法で解呪出来たのか教えてくれませんか?」
     これは自分にも聞く権利があるはずだと言わんばかりの質問だったが、曦臣は立てた人差し指を口元に持ってくると、
    「それは報告書が完成するまでのお楽しみに。」
     と曦臣らしからぬ悪戯っぽい笑みで答え、足早に寒室を目指してその場を離れたのだった。
     その一連の流れについていけず、ずっと取り残されていた啓仁がやっと正常に戻ると、
    「曦臣!待ちなさい……!」
     と家規に反しない程度の大声と早足で曦臣を追って部屋を出る。忘機と無羨は顔を見合わせ、
    「兄上……」
     と呟く忘機と、
    「江澄、寒室から出てくるのに何日掛かるだろう……」
     と江澄を心配する無羨がいたのだった。

     しかし、曦臣が左頬に季節外れの大きな紅葉をつけてきたのは、それから数時間後のことだった。




    【後日談】

    「江澄、あなたはいつから私のことを好いていたんです?」

     先日の夜狩で邪祟の影響を受け体が縮んだ二人だったが、それがきっかけとなり、互いに長年の初恋を実らせ、晴れて付き合う事となったのがひと月前。その時の解呪の方法が、初恋相手に告白するというものだったが、江澄は未だいつから思いを寄せていたかを、明確に曦臣に伝えてはいなかった。とはいえ、曦臣自身が江澄に恋をした年齢の頃に体が縮んでいたので、きっとその見た目の頃に恋をしたのだろうとは思っていたが、曦臣としては江澄の口から聞きたくて、こんないかにも江澄が不機嫌になるであろう問いを投げかけていた。

    「いつか気が向いたら答えてやる……」

     と、ほぼばれているであろうことなのに、江澄は恥ずかしさが勝って、その問いに未だ素直に答えられなかった。
    「そんなに自分の口からいうのが恥ずかしいのなら、私が当ててあげようか?」
     そうからかってくる曦臣をどうにかやり過ごすのが、最近二人の中での流行りだった。
    「そうだ、あの時のことで、俺も聞きたいことがある。」
     江澄は思い出したように曦臣の方を向いた。
    「何故解呪の方法を知っていた?魏無羨が仮説を話していたとき、あなたは気を失って寝ていただろう?」
     確かに、容体が落ち着いたのを見計らって曦臣を牀榻に移した時はまだ意識はなかったように見えていた。しかし真相は違ったようだった。
    「あぁ、そのことか。実はあの時、私は意識を取り戻していたんだけれど、魏公子がまだ寝ていろと目配せをしてきたから、それに従って寝たふりをしていたんだ。そうしたら、彼は江澄と私が実は両思いだという仮説を立てるものだから、とても驚いて、目を開けないよう結構必死だったんだよ。」
     と笑いながらいう曦臣に、江澄は驚きを隠せなかった。
     あの曦臣が、寝たふり……?本当に信じられなかった。
    「こんなことは言いたくないが、あなたは本当に俺の知っている藍曦臣なのか?本当は小さくなったあたりから別人の魂が入っている、なんてことはないよな⁈」
     江澄はとんでもないことを聞いているが、それを実際に起こした人間が比較的近くにいるので、ないとは言い切れないのが辛いところだ。
    「江澄、言いたいことはわかるけど、それはあまりにもひどいじゃないか。それは以前の私よりは表情が豊かになったからだろう?私が三十年もの間、どれだけあなたに恋焦がれ、閉関してもその思いは消えることなく燃え続け、ついにはその相手と結ばれたんだ、少し浮かれもするし、何よりそうさせているのは江澄、あなたなんだよ?」
     そう言ってなお、曦臣は言葉を続ける。
    「私は江澄と一緒にいれるだけで幸せだし、江澄が嬉しければ私も嬉しい。今までの私は、自分自身を抑圧してきた。それが良い結果をもたらす事もあれば、もちろんいい事ばかりではなかった。言葉にすればよかったこともたくさんあったのに、それをしなかったせいで、結果多くの人を傷つけた。だから、自分の本当に守りたいものに対しては言葉を尽くそうと決めたんだ。だから江澄……」
     覚悟してね……と急に顔を寄せ、耳元で呟かれれば、江澄は顔を赤らめ、背筋を震わせた。

    「〜〜〜っ‼︎俺はそんな恥知らずな藍曦臣は知らない……‼︎」

     二人の幸せな未来はまだ始まったばかり。(了)







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    藍(lhk_wyb)

    DONEお題『婚礼』
    〜 これまでのあらすじ 〜
     閉関を解き、療養目的で三月ほど蓮花塢に滞在した曦臣が江澄と紆余曲折を経て、無事に付き合うこととなり、浮かれて先走った曦臣が、姑蘇へ帰る際、世話になったお礼の品として、婚礼衣装用の赤い布を江澄に贈ったのがことの発端。さて、初心な二人はどうなったのか。
    紅を隠す雲 曦臣と江澄が付き合い始めて早数年。付き合い初めの頃は互いに忙しくなかなか会える時間もとれず逢瀬にも苦労があったが、それも今となってはいい思い出だ。そしてあの時江澄がもらった婚礼衣装用の赤い布も当時のまま引き出しにしまってある。もちろんそのままでは虫に食われてしまう可能性もあるので、保存のための術がかけてある。江澄はその布がしまってある引き出しをたまに開けてはひと撫でして閉める。この布を見るたびに江澄は曦臣との婚礼を想像しては、その光景の中心に自分がいる幸せを噛み締めていた。
     金凌も宗主としてだいぶ動けるようになったし、もういい加減暗殺の心配もなくなり、金家内部も安定してきた。江家は他の仙門に比べると新規門弟も多く、いつも賑わっている。藍家は曦臣が閉関を解いてすぐは、規模こそ小さいが野望だけは大きい仙門が、この機会に取り入ろうと復帰したばかりの曦臣をこぞって訪ねた。おかげで曦臣と江澄は逢瀬の時間をほとんど取れず互いにやきもきもしたが、その時に曦臣を訪ねてきた便乗仙門は、この数年で統合なども含めほとんどが消え去った。そして知らぬ存ぜぬの三不知・聶懐桑の聶家は、江家ほどではないが入門者が以前より増えていた。懐桑がただの三不知ではなかったことを聞きつけた者たちがこぞって聶家の門を叩いたからだった。
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     蓮花塢の風は夏の名残をはらみ、まとわりつくようにして通りすぎる。
     江澄は自室の窓辺から暗い蓮花湖を見下ろした。片手には盃を、片手には酒壺を持っている。
     一口、二口、酒を含む。雲夢の酒である。
     天子笑はこれもまた美味であるが、雲夢の酒はもう少し辛い。
     もう、三日前になる。雲深不知処で天子笑を飲み、浮かれた自分はこともあろうに藍曦臣に酒をすすめた。
     まったく余計なことをしたものだ。
     江澄は舌を打った。
     
     酒を飲んだ藍曦臣は、しばらくはただにこにことしていただけだった。
    「味はどうだ?」
    「味、ですか」
    「うまいだろう?」
    「そうですね。おいしい……」
     突然、藍曦臣の目から涙が落ちた。ぽたぽたと流れ落ちていく涙に、江澄はぎょっとした。
    「ど、どうかしたか」
    「ここで、おいしいお茶をいただきました。二人で」
    「二人?」
    「阿瑶と二人です」
     胸を衝かれた。
    「阿瑶は本当に優しい」
     息がうまく吸えない。どうして奴の名前が出てくる。
    「私が蘭陵のお茶を好むことを覚えていてくれて、おみやげにといただいたことがありました」
     動転する江澄をよそに、藍曦臣は泣きながら、またにっこり 1527