放送事故みたいな現場に居合わせちまったんだよ。見慣れた顔を突き合わせた早めの忘年会の席で、数ヶ月前を振り返った諏訪洸太郎はそう語る。当時は兎に角必死で、通りがかりの嵐山と柿崎に放心中の生駒を任せて諸悪の根源と思わしき水上を急ぎ自隊の作戦室に引き摺り込んだ。それで手一杯だったのだが、よく行動したものだと自分を褒めることにしている。
「俺のことなんか好きになろうがなるまいがどうでもええんです」
同じく放心しているかと思いきや事情を尋ねてみれば自棄になっているらしいとわかった。もとより作戦室に来る途中だった後輩も一緒になって水上を捕まえたため椅子に着席している。なぜか三人しかいない室内で、最も部屋を使い慣れているはずの諏訪だけが立ったまま無駄に文庫本を整理していた。落ち着かないのだ。言葉を選んでいる間に、学力も情報処理能力もついでに顔面偏差値まで高い後輩が会話を進める。
「けど、それはお前…生駒さんに好きな相手ができたらどうすんだよ」
「イコさんの片想いなら応援はするし両想いやったら上手くいきゃええやん」
「言い方に全部出てんぞ」
思わずツッコミを入れずにはおれず、首ごと水上を見やる。
「言ってんのは生駒さんに好きな相手ができてそれがお前だった場合の話だろ」
「こっちは仮定の話で惚気に付き合うほど暇じゃねえっつーの」
無理に話せと言うつもりはなかったが、どうやら荒船は違う。やけに食いつきのいい荒船の姿を意外に思いつつ、諏訪も追及に便乗した。
「生駒さんに告白されてそれをどうでもいいっつってる自覚、あるか?」
どんどんと追い詰める姿勢をみせる。容赦の無さはらしく、踏み込みぶりはらしくない。荒船の態度をやはりおかしいと断じた諏訪が横槍を入れようか迷う間に、またも後輩が答えを打ち明け会話を進めた。
「……多少。」
「うわ、なんて奴だ」
「そこまで極悪人だったのか」
「ちょい待って悪人とは思われてたん?」
さすがに引いたので横槍がどうのという考えが一瞬で消え、いの一番に本音が諏訪の口から飛び出す。
「そんなんいうたかて、俺が好意を抱えてく準備できてるだけで…あの人が男と付き合うデメリット補填していける保証も心構えもできてへんねん」
できとったらこっちから告白してる、なんて台詞が続けられる。随分と都合の良い台詞に聞こえてしまった。荒船もそれは同じらしい。
「もし、オレが鋼と付き合ってるって言ったらどう思う」
大真面目な顔で腕を組んだと思いきや急にとんでもないこと言い出したぞこいつ、と思った。そんな諏訪を後輩達は遠慮なくどこまでも置いてけぼりにする。
「…ええやん。お前らこそ真面目やし浮かれてどうこうよかお互い腹括って選んだって感じする」
いいのかよ。何がとかはもはや理解し難かったが、この場合は巻き込まれた村上が被害者なのではないか。
「生駒さんだとそうは思えないのか」
「ちゃうわ。イコさんやなくて俺の根性の問題」
実のところ、諏訪と荒船が出会した時には生駒隊の二人の彼是は終わっていた。挨拶をしても棒立ちを続ける二人に違和感を覚え、どうしたと問いかけると「告白してフラれたとこです…。」となんとも返事に困る事実を教えられたに過ぎない。常時ハキハキと動く生駒が肩を叩いただけで砂になりそうだったので、これはヤバいと判断したまでである。フッた側の重く複雑な心境を吐露されるとは夢にも思わなかった。
諏訪としてはキャパシティの限界が近い。対して現状の荒船の落ち着きぶりである。生来のものなのか、あるいは二人について知ることがあったのか、疑わしくなってきた。
「嬉しいってよ」
「は?」
「告白した時に言われた。先のこと云々よりまずそんな感想聞かされて、浮かれられないっていうんならそれこそ惚れてるか怪しいだろ」
二度目の放送事故に出会した瞬間だった。
横目で諏訪の様子を確認した荒船は、一応とばかりに付け足して「まだ内密にお願いします」と告げる。まだって何だ。とても聞ける状況ではない。
「………仮定の話ちゃうんかい」
「現実の参考になる話しねえとと思っただけだ」
大きな驚きとしては二度目であっても衝撃としては今のほうが大きい。恐らく心臓に負荷がかかり過ぎている。諏訪の心は折れ掛けていた。首を突っ込んだのは自分だが、巻き込まれるべき案件ではなかったという後悔にこれでもかと襲われる。
「で、お前は。今なんだかんだ考えちゃいるけど、告白された時はどうだったんだよ」
「浮かれたに決まっとるやろ」
「キレやがった」
「キレんなよ」
「キレてへんわ」
三歳年下の男子高校生の色恋話に、合いの手がわりに感想を呟くので精一杯だ。
「そんで浮かれた荒船くんはその後なんて返してん」
「その後?…別になんも返してねえな」
「は?」
「告白した側だしな。そうか、って言って今に至るんじゃねえか」
今日の動揺は使い果たした。この十数分で披露した諏訪は既に投げやり気味だ。不貞寝したい気持ちを抑え、その為には図体のでかい二人を作戦室から追い出すのが最優先だと決めて口を開く。自分で招いたことはこの際、忘れることにした。
「お前らあれだな。俺が思うに完全に自己完結型だわ」
揃って首を傾げられ、なんでそういう反応だけガキっぽいんだと悪態をつきそうになった。深い息に変えて吐き出し手の中の文庫本を机に積む。作業の振りを諦めたのだ。
「例えばだな、真逆のシチュエーションだが誰かと喧嘩すんだろ。その時に喧嘩して言い合いして、冷静になったから謝って仲直りってのが一連の流れだわな」
「そう、すね?」
「やけに冷静になるのが早い奴っているんだよ。お前ら多分それ」
交互に指をさしてやると、水上の話ではなかったのかと荒船が目で訴えかけてきた。それには知らぬ顔をしておく。
「喧嘩してる最中から頭の隅で先に理由を考えてやがる。なんでコイツはこんなに怒ってんのかとか、相手の怒りはわかんなくても自分の何が相手に引っ掛かっちまったのかとか、途中で察して納得してる。んで気づいたことも口に出さねえし」
諏訪の脳裏には顔見知りの顔が浮かぶ。どいつもこいつも、優秀な奴ばかりだ。頭の良い野郎というのはそういう選択をするAIチップでも埋め込んでいるのか。だから頭が良いのか。SFチックな発想は正気を保つ為の現実逃避だ。ちなみに、矛盾している自覚はある。
「相手に言ったら尚更ムカつかれんのわかってんだろうよ。無意識でちゃんと選択してんだと思うぜ」
「……俺もしかして八つ当たりされてます?」
「言ってくる奴は言ってくる奴でそん時はマジでムカつくけどな。こういう奴だ、って理解するにゃいいのかもしんねーって話。」
ほんの少しだけ顔見知りに対する怒りも含んでいるかもしれない。巻き込んでくれたぶんだと甘んじて受け取らせ、顔見知りにはない危うさを気付かせることに専念する。
「生憎と俺は彼女も男の恋人もいねえから説得力には欠けるがよ…恋愛なんかしようってんなら理解する気概あってなんぼなんじゃねーか」
我ながら小っ恥ずかしいと思ったが、言い切った。
「告白して察されて何も教えてもらえねえのはしんどいだろうが」
それもこれも自分の為だと言い聞かせて、けれどもやはり恥ずかしいものは恥ずかしい。ついでに羞恥心というやつは、意外と体力を消費させる。
「別に責めてねえぞ。ただお前だけ両想いなの知ってるうえで肝心なとこ黙ってんのが極悪人だっつー話でだな…」
「やっぱ俺、極悪人認識なんや」
「当たり前だろ」
続けた台詞が言い訳がましく聞こえたのは自分自身だけであれと願わずにいられなかった。
心配は不要だったのか。自分…ではなく、好きな相手のことで頭がいっぱいらしい男子高校生が一名、椅子から立ち上がる。
「……一回死刑になってこよかな」
「おー。そうしろそうしろ」
後からこの瞬間と前後のやり取りを思い返すんじゃねえぞと内心で脅しておく。
「荒船はなんか他にも言いたいことある感じ?」
腕を組み座ったままじいっと水上を目で追っている荒船に何かしら思うところがあると察するのは当然だ。もうそっとしておいてやれ、と言いたい。
「無罪にしてくれそうな相手好きになってるあたり余計に悪人臭ェなと思ってた」
「相手の人柄に甘えてることに関しては人のこと言えへんやろ」
「ア?」
「言えてる」
「はあ?」
つい口が同意を唱えてしまった。だがそろそろ限界が近い。片手を机について体を支える。ただ煙草を漁るのに都合のいい姿勢という風を装った。詳細を思いきり愚痴ってしまいたい。できるはずもない事態なのだが。だから今ここで荒船くらいには…有無を問わない声色でこれだけ言いたかった。
今日という日にぶち込まれるべきイベント量では到底ない。
「荒船、やっぱ用事は先延ばしにしてくれ。俺、夜勤だから、寝る」
口の堅い男こと諏訪は、数ヶ月経った今も未だ酒の席で目の当たりにした放送事故の詳細を語らず腹に収めている。本人としてはもはや語ったところでだ。諏訪がジョッキを傾け中身を呷る。個性豊かで優秀な同期達は、曖昧な発言には興味なさげに各々の好物を頬張っていた。