金
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金「拾ってください」
はあ、と神父ラインハルトは困ったように微笑んだ。インターホンの音に気が付いて、玄関の扉を開けた途端これである。反応に困るだろう。
目の前に立っている男は、影がかたちを持ったような男だった。夜闇のような長髪を黄色いリボンでまとめて、服装も身綺麗なものだ。金に困っているようには見えない。
「なにか困りごとでも?」
拾う拾わないの話はひとまず置いて、ラインハルトはなぜそのような事を言い出したのか、聞いてみることにした。
「情けない話ですが、実は帰るところがないのです」
堂々と言い切る様は困っているようには見えないが、男の妙な自信がにじむ態度は嘘を言っているとも思えなかった。
「そういったことなら、私ではあまり役に立てないと思うが……」
722はあ、と神父ラインハルトは困ったように微笑んだ。インターホンの音に気が付いて、玄関の扉を開けた途端これである。反応に困るだろう。
目の前に立っている男は、影がかたちを持ったような男だった。夜闇のような長髪を黄色いリボンでまとめて、服装も身綺麗なものだ。金に困っているようには見えない。
「なにか困りごとでも?」
拾う拾わないの話はひとまず置いて、ラインハルトはなぜそのような事を言い出したのか、聞いてみることにした。
「情けない話ですが、実は帰るところがないのです」
堂々と言い切る様は困っているようには見えないが、男の妙な自信がにじむ態度は嘘を言っているとも思えなかった。
「そういったことなら、私ではあまり役に立てないと思うが……」
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/現人神「ご機嫌麗しゅう、影殿」
共用スペースに設置された机で作業をしていたところに、影の如き男がやってきたことに気が付いて、私は丁寧に挨拶をした。
影の如き男の用件は察している。我らが輝かしき光が側にいないのを見るに、その行方を尋ねに来たのだろう。
「どこにいるか、知っているか」
そら来た。
主語すらない問いかけだが、その意図を汲めないわけもない。この影の如き男が自ら尋ねるのはひとりに関することのみだ。
私は少し考え込んでから、首を横に振った。
「いいえ、本日私はかの方にお会いしておりませんので……お役に立てず申し訳ございませんが、他の方に尋ねられたほうがよろしいかと」
影の如き男の温度のない視線に、私は困ったように微笑んだ。幾度かの瞬きの間、微苦笑を崩さずにいると、影の如き男はそうかと一度頷いて去っていった。
1272共用スペースに設置された机で作業をしていたところに、影の如き男がやってきたことに気が付いて、私は丁寧に挨拶をした。
影の如き男の用件は察している。我らが輝かしき光が側にいないのを見るに、その行方を尋ねに来たのだろう。
「どこにいるか、知っているか」
そら来た。
主語すらない問いかけだが、その意図を汲めないわけもない。この影の如き男が自ら尋ねるのはひとりに関することのみだ。
私は少し考え込んでから、首を横に振った。
「いいえ、本日私はかの方にお会いしておりませんので……お役に立てず申し訳ございませんが、他の方に尋ねられたほうがよろしいかと」
影の如き男の温度のない視線に、私は困ったように微笑んだ。幾度かの瞬きの間、微苦笑を崩さずにいると、影の如き男はそうかと一度頷いて去っていった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/アトリエ「カールよ、あまり私の部下を怖がらせてくれるな。また泣きつかれたぞ、今年も依頼達成件数が足りていないらしいな」
ふよふよと中に浮かぶ手のひら大の月らしきものをそっと押しのけて、工房の片隅に置かれた椅子に腰掛けている金髪の男が言う。
光を紡いだ長い黄金の髪と蕩けた金の瞳が印象的な、この世のものと思えぬほど美しい男だ。
星の海を模した工房は基本的に薄暗く、その中で金髪の男は自ら発光しているかのようにまばゆかった。
「はて、あなたの部下ともなれば、海千山千の手練れ。私のようなものになにが出来ましょう」
一瞬まぶし気に目を細めて、工房の主は空惚けた。金髪の男が微苦笑をこぼす。
「達成件数が足りないと、工房経営の資格が剥奪されるのは、卿も知っているだろう」
1031ふよふよと中に浮かぶ手のひら大の月らしきものをそっと押しのけて、工房の片隅に置かれた椅子に腰掛けている金髪の男が言う。
光を紡いだ長い黄金の髪と蕩けた金の瞳が印象的な、この世のものと思えぬほど美しい男だ。
星の海を模した工房は基本的に薄暗く、その中で金髪の男は自ら発光しているかのようにまばゆかった。
「はて、あなたの部下ともなれば、海千山千の手練れ。私のようなものになにが出来ましょう」
一瞬まぶし気に目を細めて、工房の主は空惚けた。金髪の男が微苦笑をこぼす。
「達成件数が足りないと、工房経営の資格が剥奪されるのは、卿も知っているだろう」
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 時折心の臓が痛む。癒えない傷がそこにあるように。
とうの昔に脈打つことも忘れたような心臓だ。生まれてこの方、傷を負ったこともない。痛むはずがないと理性は言うが、存在を主張するように折りに触れて心臓は傷んだ。
特に輝ける黄金を見るたびに引き攣れた。
例えば風に遊ばれている金糸であったり、思索にしずむ際の目を伏せた横顔であったり、チェスの駒をつまむ指先であったり。特に珍しくもない、日常のさなかの仕草だ。
はて、ではこの心臓はなぜ痛んでいるのか。まさか本体の不手際ではないだろうな、と無意味な考えを巡らせた。触覚の心臓に不具合をつくっておく意味がないので、ありえない話なのだが。
たまに痛む以外に問題もないため、放っておいた傷の意味を理解したのは、計画が最終段階に至ってからだった。
1060とうの昔に脈打つことも忘れたような心臓だ。生まれてこの方、傷を負ったこともない。痛むはずがないと理性は言うが、存在を主張するように折りに触れて心臓は傷んだ。
特に輝ける黄金を見るたびに引き攣れた。
例えば風に遊ばれている金糸であったり、思索にしずむ際の目を伏せた横顔であったり、チェスの駒をつまむ指先であったり。特に珍しくもない、日常のさなかの仕草だ。
はて、ではこの心臓はなぜ痛んでいるのか。まさか本体の不手際ではないだろうな、と無意味な考えを巡らせた。触覚の心臓に不具合をつくっておく意味がないので、ありえない話なのだが。
たまに痛む以外に問題もないため、放っておいた傷の意味を理解したのは、計画が最終段階に至ってからだった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金「とはいえ、それだけのことで私が犯人と断定できるわけもありますまい」
面倒、というよりは不機嫌な様子で吐き捨てて、水銀はくすくすと笑っている友人を睨んだ。
雪に閉ざされたペンション。破壊された通信機器。中からの脱出も、外からの救援も難しい。つまり、"お決まり"のやつである。
旅行に来ただけだというのに、よくもまあ妙なことが起きるものだ。
朝霧を切り裂いた悲鳴につられて、寝間着の上に一枚羽織って友人が様子を見に行った時から、水銀の機嫌は地を這っていた。
卿も来たほうがいいぞ、と笑みを含んだ声で言われて、厄介ごとを察して余計に機嫌が悪くなった。
のろのろと身支度を整えて現場に向かえば、水銀を出迎えたのは見知らぬ死体と殺人容疑であった。なんとも都合がいいことに居合わせた医者が確かめたところ、死亡推定時刻に所在不明だったのがこの蛇のみであるという言い分らしい。
800面倒、というよりは不機嫌な様子で吐き捨てて、水銀はくすくすと笑っている友人を睨んだ。
雪に閉ざされたペンション。破壊された通信機器。中からの脱出も、外からの救援も難しい。つまり、"お決まり"のやつである。
旅行に来ただけだというのに、よくもまあ妙なことが起きるものだ。
朝霧を切り裂いた悲鳴につられて、寝間着の上に一枚羽織って友人が様子を見に行った時から、水銀の機嫌は地を這っていた。
卿も来たほうがいいぞ、と笑みを含んだ声で言われて、厄介ごとを察して余計に機嫌が悪くなった。
のろのろと身支度を整えて現場に向かえば、水銀を出迎えたのは見知らぬ死体と殺人容疑であった。なんとも都合がいいことに居合わせた医者が確かめたところ、死亡推定時刻に所在不明だったのがこの蛇のみであるという言い分らしい。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 その胸元で揺れる十字架が妙に印象に残った。
もうかなり昔のことである。近所の廃墟であるはずの教会から物音が聞こえることに気がついてしまい、それはもう嫌だったのだが、様子を見に中に入った。
するとステンドグラスから差し込む光の中に、カソックを着た男がひとり立っていたのである。他人の気配に気がついたためか、男は振り返った。光り輝く長い金糸が優雅に弧を描くのに見惚れていたが、男の顔を見てしまうと、その衝撃さえ過去のものだ。
この世のものと思えぬほど美しい男だった。神が手ずから作り上げた美の極致と言っても過言ではないだろう。
男は巡回神父であると名乗った。通りすがりに教会を見かけて、せっかくなのでと立ち寄ったのだそうだ。祈りを捧げるためかと問うと、男は少しばかり困ったように微笑んだ。
541もうかなり昔のことである。近所の廃墟であるはずの教会から物音が聞こえることに気がついてしまい、それはもう嫌だったのだが、様子を見に中に入った。
するとステンドグラスから差し込む光の中に、カソックを着た男がひとり立っていたのである。他人の気配に気がついたためか、男は振り返った。光り輝く長い金糸が優雅に弧を描くのに見惚れていたが、男の顔を見てしまうと、その衝撃さえ過去のものだ。
この世のものと思えぬほど美しい男だった。神が手ずから作り上げた美の極致と言っても過言ではないだろう。
男は巡回神父であると名乗った。通りすがりに教会を見かけて、せっかくなのでと立ち寄ったのだそうだ。祈りを捧げるためかと問うと、男は少しばかり困ったように微笑んだ。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/R15くらい みずからの足元に跪いて、無防備にさらされたラインハルトのつまさきにくちづける男を見下ろして、ラインハルトはなんとも言いがたい表情を浮かべた。
すでに見慣れてしまった寝台に腰を掛けたまま、相手の長い黒髪が地面を這うのを眺める。
妙なことになったものだ。もとは体調不良で休んだ同僚のかわりに原稿を受け取りに来ただけだというのに、なぜだか私以外には原稿は渡さないと作家が言い出し、気が付いたら部署替えが行われて今に至っている。
原稿を渡す条件も回を重ねるごとにエスカレートしていた。
くるぶしやふとももに押し付けられる唇。唾液のあとを残しながら這い上がっていく舌。この家をたずねた際に着ていた服は、シャツを残してすでに脱がされていた。押されるがまま寝台に沈み込む。
1548すでに見慣れてしまった寝台に腰を掛けたまま、相手の長い黒髪が地面を這うのを眺める。
妙なことになったものだ。もとは体調不良で休んだ同僚のかわりに原稿を受け取りに来ただけだというのに、なぜだか私以外には原稿は渡さないと作家が言い出し、気が付いたら部署替えが行われて今に至っている。
原稿を渡す条件も回を重ねるごとにエスカレートしていた。
くるぶしやふとももに押し付けられる唇。唾液のあとを残しながら這い上がっていく舌。この家をたずねた際に着ていた服は、シャツを残してすでに脱がされていた。押されるがまま寝台に沈み込む。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金契約「私とエンゲージしてくれ」
そろりとラインハルトの様子をうかがうような声音だった。
また来たか。ちいさく、息だけで笑う。
ばたりと投げ出されたラインハルトの手に、誰かの手が重ねられて、ゆるりと薬指の付け根を撫でられた。
視界はかすんでいて、垂れ下がった血が余計にうっとうしい。
事故といえば事故だった。避けられるはずの出来事を、避けようともしなかったことも加味して考えると、自損のようでもあったが。
こうして死が近づくと、どこからともなく現れる男がいることを思い出す。
かすむ視界では黒い人影でしか認識できないけれど、毎度同じ男で、同じような台詞を吐いた。
人のことをさんざん悪魔だのなんだのと言ってくれたが、死にかけの時に契約を持ちかけるなど、そちらのほうがよほど悪魔らしいではないか。
445そろりとラインハルトの様子をうかがうような声音だった。
また来たか。ちいさく、息だけで笑う。
ばたりと投げ出されたラインハルトの手に、誰かの手が重ねられて、ゆるりと薬指の付け根を撫でられた。
視界はかすんでいて、垂れ下がった血が余計にうっとうしい。
事故といえば事故だった。避けられるはずの出来事を、避けようともしなかったことも加味して考えると、自損のようでもあったが。
こうして死が近づくと、どこからともなく現れる男がいることを思い出す。
かすむ視界では黒い人影でしか認識できないけれど、毎度同じ男で、同じような台詞を吐いた。
人のことをさんざん悪魔だのなんだのと言ってくれたが、死にかけの時に契約を持ちかけるなど、そちらのほうがよほど悪魔らしいではないか。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 夢を見ている。
光をつむいだような金の髪がカーテンのように世界をくぎっていた。
私は傷つき、おとろえている。体が動かないのだ。星々のように砕けて、ちいさくなっていた。
私を見下ろす金の瞳は慈愛に蕩けていて、動けない私を抱き起す手は慈しみに満ちていた。
白い服が赤く汚れるのも構わず、私を抱きしめて、額にくちづけを落とす。
そして最後には「おやすみ」と告げる声を最後に意識が溶けていくのだ。
ああ、うらやましいなあと思う。
それは私であるというのに、私はそのようにしてもらったことがない。
まぶたを持ち上げれば、ひとりであった。
星々が散らばる宙で、座にひとり座っている。
無意識が見せた幻覚というのがふわさしいか。
327光をつむいだような金の髪がカーテンのように世界をくぎっていた。
私は傷つき、おとろえている。体が動かないのだ。星々のように砕けて、ちいさくなっていた。
私を見下ろす金の瞳は慈愛に蕩けていて、動けない私を抱き起す手は慈しみに満ちていた。
白い服が赤く汚れるのも構わず、私を抱きしめて、額にくちづけを落とす。
そして最後には「おやすみ」と告げる声を最後に意識が溶けていくのだ。
ああ、うらやましいなあと思う。
それは私であるというのに、私はそのようにしてもらったことがない。
まぶたを持ち上げれば、ひとりであった。
星々が散らばる宙で、座にひとり座っている。
無意識が見せた幻覚というのがふわさしいか。
s_toukouyou
DOODLE雰囲気水銀黄金たまに夜に追いつかれるときがある。陽が地平に向かいはじめ、黄昏の赤い光に照らされているときが一番顕著だ。私の背後に夜がいて、私を見つめている。何の用か尋ねてみようか考えてみたこともあるが、藪をつついて蛇を出すこともあるまいと思いなおした。
日がかたむくほどに、夜の足音は早まって、つき始めた街燈のあかりによって伸びるはずの自身の影は、夜に飲み込まれていた。
178日がかたむくほどに、夜の足音は早まって、つき始めた街燈のあかりによって伸びるはずの自身の影は、夜に飲み込まれていた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/海に遊びに行ってたのと同じ時空 桜の花びらが解けては空を舞う中、青いレジャーシートの上であぐらをかきながら蓮は頭上にはてなマークを浮かべた。
似て非なる輝きを持つ黄金の男と女がいる。薄紅の花弁がきらきら輝く金糸の上に落ちた。花見とはこういうものかと楽しそうに笑う。そのそばで影がこの上ない喜びといった様子で相好を崩していた。
出かけるつもりもなかったというのに、どうしてこんなところに……とは思うものの、マリィが花見をやってみたいという以上否やのあろうはずもなく。事前準備も楽しんであれこれと用意しているマリィに期待の眼差しを向けられてNOと言える訳がない。
マリィとふたりになる分には邪魔をしてこないので(微笑ましそうに見てくるのはやめてほしいが)、余計なのがふたりついてきただけと思えば良いかと切り替える。
511似て非なる輝きを持つ黄金の男と女がいる。薄紅の花弁がきらきら輝く金糸の上に落ちた。花見とはこういうものかと楽しそうに笑う。そのそばで影がこの上ない喜びといった様子で相好を崩していた。
出かけるつもりもなかったというのに、どうしてこんなところに……とは思うものの、マリィが花見をやってみたいという以上否やのあろうはずもなく。事前準備も楽しんであれこれと用意しているマリィに期待の眼差しを向けられてNOと言える訳がない。
マリィとふたりになる分には邪魔をしてこないので(微笑ましそうに見てくるのはやめてほしいが)、余計なのがふたりついてきただけと思えば良いかと切り替える。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金いまさら迷うこともない。そのはずだった。
腕のなかに抱きこんだ死体に頬を寄せて、ぼんやりと次のことを考える。
今はどくどくと血を流して痛む自分の心臓が、何度かのまばたきの後には熱を知らぬ肉のかたまりになることがどうにも口惜しい。
いつかまた、この胸に友との情が突き刺さる日まで、脈を打たない心臓を抱えて生きることを思えば恐ろしい。
けれど、足を止めぬことを選んだのも己であった。
189腕のなかに抱きこんだ死体に頬を寄せて、ぼんやりと次のことを考える。
今はどくどくと血を流して痛む自分の心臓が、何度かのまばたきの後には熱を知らぬ肉のかたまりになることがどうにも口惜しい。
いつかまた、この胸に友との情が突き刺さる日まで、脈を打たない心臓を抱えて生きることを思えば恐ろしい。
けれど、足を止めぬことを選んだのも己であった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金前提 あ、来た。
視線が向かう先ははるか頭上だ。先ほどまで涙をこぼしていた空を覆う雲に亀裂が入り、太陽の光が漏れ出ている。
薄明光線。友人の到来を告げる先触れだ。
すちゃりとサングラスを装備する。遠くから聞こえてくるざわめき。感嘆の溜息。
左右に割れる人なみのなか、ゆったりとした足取りで歩いてくる男が待ち人であった。
みずから発光しているかのように輝かしい男だ。光を紡いで織り上げたような金の髪が、サングラスのレンズ越しに目を焼いた。
「待たせてしまったようだ」
「ああ、いや、今来たところだよ」
そうか、と口元に微笑みを刻むだけで、周囲から息を飲む音が聞こえてくる。失神者が出ていないだけ上等というものだろう。
1111視線が向かう先ははるか頭上だ。先ほどまで涙をこぼしていた空を覆う雲に亀裂が入り、太陽の光が漏れ出ている。
薄明光線。友人の到来を告げる先触れだ。
すちゃりとサングラスを装備する。遠くから聞こえてくるざわめき。感嘆の溜息。
左右に割れる人なみのなか、ゆったりとした足取りで歩いてくる男が待ち人であった。
みずから発光しているかのように輝かしい男だ。光を紡いで織り上げたような金の髪が、サングラスのレンズ越しに目を焼いた。
「待たせてしまったようだ」
「ああ、いや、今来たところだよ」
そうか、と口元に微笑みを刻むだけで、周囲から息を飲む音が聞こえてくる。失神者が出ていないだけ上等というものだろう。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/よくわからない 海だ。赤い海。
呼吸をするたびに血錆びた空気が肺を満たして、せき込んだ。
広がる赤のなか、まばゆい男が重たい外套を翻して一歩赤に踏み込む。
革靴が赤く汚れていくのを気にもせず、黒い外套と白い軍服のすそをなびかせ、黄金の髪を風にあそばせて、優雅に歩を進める。
それこそ浜辺をまったりと歩いているような様子だ。
革靴の底が地を離れるたび、名残惜し気に赤が後を追う。遠く離れた赤でさえ徐々に男に引き寄せられるように地の上を滑り始め、ついには空を走る。男を目指して伸びる赤は、螺旋を描いていく。
多少目を伏せて、まばゆい男は微笑む。その横顔の美しさはあまりにも恐ろしかった。目を離せない。引き寄せられている。
436呼吸をするたびに血錆びた空気が肺を満たして、せき込んだ。
広がる赤のなか、まばゆい男が重たい外套を翻して一歩赤に踏み込む。
革靴が赤く汚れていくのを気にもせず、黒い外套と白い軍服のすそをなびかせ、黄金の髪を風にあそばせて、優雅に歩を進める。
それこそ浜辺をまったりと歩いているような様子だ。
革靴の底が地を離れるたび、名残惜し気に赤が後を追う。遠く離れた赤でさえ徐々に男に引き寄せられるように地の上を滑り始め、ついには空を走る。男を目指して伸びる赤は、螺旋を描いていく。
多少目を伏せて、まばゆい男は微笑む。その横顔の美しさはあまりにも恐ろしかった。目を離せない。引き寄せられている。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 ああ、また死ねなかった。また殺してくれなかった。また私を置いていく。
みずからの体の破損など意識のそとに放り捨てて、同じように崩れかけの友人の体を掻き抱く。崩れたところから、ほろりと粒子と化して解けていくのを恨みがましく睨みつけた。引き留めるようにつかもうとしても、粒子は指の間からすり抜けていく。
その鼓動を確かめるために友人の胸の上に手をのせて、無防備にさらされた首筋に唇で触れる。薄れていく生の気配をどうにか感じたかった。
かすかな吐息がこれ以上空に溶けていかないようにくちづける。
どこにもいくな。ここにいろ。
264みずからの体の破損など意識のそとに放り捨てて、同じように崩れかけの友人の体を掻き抱く。崩れたところから、ほろりと粒子と化して解けていくのを恨みがましく睨みつけた。引き留めるようにつかもうとしても、粒子は指の間からすり抜けていく。
その鼓動を確かめるために友人の胸の上に手をのせて、無防備にさらされた首筋に唇で触れる。薄れていく生の気配をどうにか感じたかった。
かすかな吐息がこれ以上空に溶けていかないようにくちづける。
どこにもいくな。ここにいろ。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 静かだ。ひと時も止まることなく流れ込んでくる情報も、いまばかりは黙して語らなかった。
ブランケットをめくりあげて、すやすやと眠っている友人のそばに滑り込む。拒絶されなかったことに、自然と口元も緩む。眠ったままでいるようにしたのは自分自身だとしても、不安はよぎるものだ。
ぴったりとくっついて丸まれば、多少は脳も休まった。
もはや今回の行く先に希望はない以上、続ける意味もない。眠りを妨げるものすべて先に止めてきたので、時が来るまでは眠っていられる。
”心臓”をつぶしてきた以上、いずれこの城も崩れ往き、友人と自分自身も崩落に巻き込まれるだろうが、それでいい。
いずれ朝がくるとしても、今ばかりは安息の時であった。
312ブランケットをめくりあげて、すやすやと眠っている友人のそばに滑り込む。拒絶されなかったことに、自然と口元も緩む。眠ったままでいるようにしたのは自分自身だとしても、不安はよぎるものだ。
ぴったりとくっついて丸まれば、多少は脳も休まった。
もはや今回の行く先に希望はない以上、続ける意味もない。眠りを妨げるものすべて先に止めてきたので、時が来るまでは眠っていられる。
”心臓”をつぶしてきた以上、いずれこの城も崩れ往き、友人と自分自身も崩落に巻き込まれるだろうが、それでいい。
いずれ朝がくるとしても、今ばかりは安息の時であった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 妙な男だった。
長い黒髪を黄色のリボンでひとつにまとめた、中性的な面立ちの男である。
旅行用のトランクの他に、大きな、それこそ両手で抱えなければいけない大きさの箱を持って、この宿の戸を叩いた。
なにぶん寂れた宿であるので、泊まりたいという客を拒否するようなことなど出来ない立場だ。
男が纏う陰鬱な雰囲気にのまれつつ、部屋に空きはあるか?という問いに頷いてしまったことを、今は後悔している。
男自体が不気味である、というのもそうなのだが、なにより肌身離さず持ち歩いてるらしい箱が恐ろしい。
ある日の午後のことである。
客室の清掃のために宿の中を移動していた男は、ふと部屋の中から話し声が聞こえることに気が付いた。
1105長い黒髪を黄色のリボンでひとつにまとめた、中性的な面立ちの男である。
旅行用のトランクの他に、大きな、それこそ両手で抱えなければいけない大きさの箱を持って、この宿の戸を叩いた。
なにぶん寂れた宿であるので、泊まりたいという客を拒否するようなことなど出来ない立場だ。
男が纏う陰鬱な雰囲気にのまれつつ、部屋に空きはあるか?という問いに頷いてしまったことを、今は後悔している。
男自体が不気味である、というのもそうなのだが、なにより肌身離さず持ち歩いてるらしい箱が恐ろしい。
ある日の午後のことである。
客室の清掃のために宿の中を移動していた男は、ふと部屋の中から話し声が聞こえることに気が付いた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金前提 ふと気が付けば、年単位で時間が過ぎ去っていた。
ぼんやりとしていた間も、染みついた習慣で諸々の処理は済ませているらしい。
端末からのフィードバックは、なにごとも順調に進んでいると伝えてきている。
記録を読むように、ぼんやりとしていた間の記憶を呼び起こす。
なにやらまぶしかったような気がする。白昼夢を見ていたような、そんな気分だ。
まだ白く焼けたままの視界には、きらきらと黄金の残滓が残っている。
何度か瞬けば、焦点が合い始めるが、輝かしいものの痕跡は網膜に残っていた。
242ぼんやりとしていた間も、染みついた習慣で諸々の処理は済ませているらしい。
端末からのフィードバックは、なにごとも順調に進んでいると伝えてきている。
記録を読むように、ぼんやりとしていた間の記憶を呼び起こす。
なにやらまぶしかったような気がする。白昼夢を見ていたような、そんな気分だ。
まだ白く焼けたままの視界には、きらきらと黄金の残滓が残っている。
何度か瞬けば、焦点が合い始めるが、輝かしいものの痕跡は網膜に残っていた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/俳優。ばれんたいん「私の分は?」
何のことだ、とラインハルトは怪訝そうな表情で、ファンからのバレンタインプレゼントを整理していた手を止めて、いつの間にか自室にいた男を見上げた。
この男は新人時代に出演した作品の監督であり、今では勝手に部屋に出入りしているくらいには良き友人である。まあ、家の鍵を渡した記憶もないのだが、特に咎める必要性も感じないので出入りは好きにさせていた。
「卿の分、と言われてもな。マルグリットから渡されてないのか?」
「女神からはもらった」
そうであろう、とラインハルトは一度うなずいた。
なにせラインハルトは事前に相談されている。「今年一年変なこともしてないし、出演作だのなんだのでお世話になったのは確かだから」、とのことで、どのような贈り物が良いかとくだんの女神に尋ねられたのは、約1か月前のことである。
946何のことだ、とラインハルトは怪訝そうな表情で、ファンからのバレンタインプレゼントを整理していた手を止めて、いつの間にか自室にいた男を見上げた。
この男は新人時代に出演した作品の監督であり、今では勝手に部屋に出入りしているくらいには良き友人である。まあ、家の鍵を渡した記憶もないのだが、特に咎める必要性も感じないので出入りは好きにさせていた。
「卿の分、と言われてもな。マルグリットから渡されてないのか?」
「女神からはもらった」
そうであろう、とラインハルトは一度うなずいた。
なにせラインハルトは事前に相談されている。「今年一年変なこともしてないし、出演作だのなんだのでお世話になったのは確かだから」、とのことで、どのような贈り物が良いかとくだんの女神に尋ねられたのは、約1か月前のことである。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 珍しい役だと思いつつ、ラインハルトはベールの端を指でいじった。
ラインハルトのような男に花嫁よろしくベールを被せるものはそうそういないだろう。神秘的な雰囲気を演出したいということで、バルーンベールとロングベールが標準装備の今回の衣装はかなり動きにくい。
衣装合わせの最中のことだ。メイクもして、撮影用の衣装の組み合わせを試している時に、スタイリストは別のデザインのもののほうが似合うかもしれないと、アクセサリーを取りに席を外していた。
手持ち無沙汰になって、席を立ち、全身鏡の前に立ってみた。
「何をしている。衣装が崩れるだろう」
背中のほうを見ようと身をよじっていると、いつのまにか入ってきていた男がいた。
1068ラインハルトのような男に花嫁よろしくベールを被せるものはそうそういないだろう。神秘的な雰囲気を演出したいということで、バルーンベールとロングベールが標準装備の今回の衣装はかなり動きにくい。
衣装合わせの最中のことだ。メイクもして、撮影用の衣装の組み合わせを試している時に、スタイリストは別のデザインのもののほうが似合うかもしれないと、アクセサリーを取りに席を外していた。
手持ち無沙汰になって、席を立ち、全身鏡の前に立ってみた。
「何をしている。衣装が崩れるだろう」
背中のほうを見ようと身をよじっていると、いつのまにか入ってきていた男がいた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 長い。
自身の口内に押し込まれた舌が、あきらかに長い。
唐突にくちづけられたことよりも、その異様さに気をとられたのが間違いだった。
あっさりと主導権を握られて、舌が口の中を暴れまわるのを許してしまう。
苦しさが勝って、自分よりよほど薄い肩を掴んで押しのけようとしたが、びくともしない。
じろりとにらみつけても、にまにまと目元が笑っている。
調子に乗って舌をからめてくるのに、どんどん苛立ちが湧き上がり、口内に侵入してきた舌を噛み切る勢いで歯を立てた。
ぶつりと皮のやぶれる感覚、どろと口内に広がった液体。血の味と匂いを錯覚した。
しかし、次の瞬間、あきらかに舌の傷からの出血とは思えない量の液体が口内を満たして、喉奥を目指す。ぞわ、と悪寒が走る。
673自身の口内に押し込まれた舌が、あきらかに長い。
唐突にくちづけられたことよりも、その異様さに気をとられたのが間違いだった。
あっさりと主導権を握られて、舌が口の中を暴れまわるのを許してしまう。
苦しさが勝って、自分よりよほど薄い肩を掴んで押しのけようとしたが、びくともしない。
じろりとにらみつけても、にまにまと目元が笑っている。
調子に乗って舌をからめてくるのに、どんどん苛立ちが湧き上がり、口内に侵入してきた舌を噛み切る勢いで歯を立てた。
ぶつりと皮のやぶれる感覚、どろと口内に広がった液体。血の味と匂いを錯覚した。
しかし、次の瞬間、あきらかに舌の傷からの出血とは思えない量の液体が口内を満たして、喉奥を目指す。ぞわ、と悪寒が走る。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 ろうそくの火が唐突に揺れた。どこからか忍び込んできた風が揺らしたのだろう。壁に伸びる陰影が異様に踊る。
手慰みに読んでいた聖書をぱたりと閉じて、ラインハルトは小さく笑った。
ささやかな光を頼りに本を読むのは、単にその雰囲気が気に入っているのもあるが、明るすぎると訴えてきたのがいるのも原因のひとつだ。
「やあ、影。今日も来たのか」
いつのまにかろうそくの光が届かない暗闇に、影が立っている。
影の輪郭は曖昧で、けれど確かにそこにいた。
ゆるりと伸びた影がラインハルトに触れて、そのカソックの袖などから忍びこむ。
他人が見たら、さながらホラー映画のワンシーンだろうが、ラインハルトにはこれはどちらかというと甘えに由来するものだと分かっていた。
435手慰みに読んでいた聖書をぱたりと閉じて、ラインハルトは小さく笑った。
ささやかな光を頼りに本を読むのは、単にその雰囲気が気に入っているのもあるが、明るすぎると訴えてきたのがいるのも原因のひとつだ。
「やあ、影。今日も来たのか」
いつのまにかろうそくの光が届かない暗闇に、影が立っている。
影の輪郭は曖昧で、けれど確かにそこにいた。
ゆるりと伸びた影がラインハルトに触れて、そのカソックの袖などから忍びこむ。
他人が見たら、さながらホラー映画のワンシーンだろうが、ラインハルトにはこれはどちらかというと甘えに由来するものだと分かっていた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金前提小話 何もかもがうまくいっていたはずだった。女神の時代の到来、さりとて友をなくすこともなく、子もまたおなじように。
だというのに、女神の治世からなんというのもがうまれたのか。うまれてしまったのか。
時が永遠に引き延ばされたかのようだった。みずからの手が届かぬなどと言う、望んだことが叶わないなどという、久しい感覚にあらゆる感覚が引き延ばされた。そのさきに起こることを、思考はあっさりと予想し、そして体がその未来に拒否反応をしめしている。
分かっている。そうされたとて、本人は気にはしないのだろう。私が許すかどうかはまた別として。それもまた一興と笑えてしまう男だ。なにもかもを愛し、おのれを傷つけるものだとていとしい。そういう男だった。
1004だというのに、女神の治世からなんというのもがうまれたのか。うまれてしまったのか。
時が永遠に引き延ばされたかのようだった。みずからの手が届かぬなどと言う、望んだことが叶わないなどという、久しい感覚にあらゆる感覚が引き延ばされた。そのさきに起こることを、思考はあっさりと予想し、そして体がその未来に拒否反応をしめしている。
分かっている。そうされたとて、本人は気にはしないのだろう。私が許すかどうかはまた別として。それもまた一興と笑えてしまう男だ。なにもかもを愛し、おのれを傷つけるものだとていとしい。そういう男だった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金「なにをしているんだ、卿は……」
その日もまどろんでいた。城の外に出れないとなると、暇な時間ばかり持て余してしまう。たまには部下を見に行きもするが、この城のなかでは実際に足を運ばなくても様子が分かってしまうのがいけない。うとり、うとりとまどろむ時間は増え続けていた。そう、まどろんでいたのだが。
ぐ、と半身に重みがかかったのに、自然と意識が浮上する。いつぶりの覚醒だろうか。まばたき一つのようにも、永遠にさめぬのかと思う程長かったようにも思える。
そうして、自身にぺっとりとひっついて眠る男を視界に移して、あきれた表情を浮かべたのだ。
「今日はニートの日なので」
それ以上口にするつもりはないらしい。この友人はそこそこに愉快な思考回路を持っているので、またなにかおかしなことを思いついたのだろうなあとすこし笑う。
632その日もまどろんでいた。城の外に出れないとなると、暇な時間ばかり持て余してしまう。たまには部下を見に行きもするが、この城のなかでは実際に足を運ばなくても様子が分かってしまうのがいけない。うとり、うとりとまどろむ時間は増え続けていた。そう、まどろんでいたのだが。
ぐ、と半身に重みがかかったのに、自然と意識が浮上する。いつぶりの覚醒だろうか。まばたき一つのようにも、永遠にさめぬのかと思う程長かったようにも思える。
そうして、自身にぺっとりとひっついて眠る男を視界に移して、あきれた表情を浮かべたのだ。
「今日はニートの日なので」
それ以上口にするつもりはないらしい。この友人はそこそこに愉快な思考回路を持っているので、またなにかおかしなことを思いついたのだろうなあとすこし笑う。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/一般人のやつと同設定 毎年クリスマスはあきらかに機嫌が上を向く友人を眺めながら、ラインハルトはちいさくあくびを噛み殺した。なにぶんまだ少年の域を出ない年頃だ。それに今日はクリスマスだ、学友と遊んできたものだから、余計に眠気が勝る。
主は来ませり、この世の闇路を照らしたもう妙なる光の主は来ませり。とくちずさむ友人は、うとうとと船をこぐラインハルトの髪を丁寧に梳かしていた。
この友人と出会ってから、切るタイミングを逃し続けた髪は、腰に届くほどに長く、日々の手入れは友人が嬉々としてやっている。
「自画自賛かな、カール」
あまりの眠さに、自分がなにを言っているのかも、あやふやであった。
「まさか」
うっすらと笑って、友人は纏めたラインハルトの髪の先にくちづけを落とす。
689主は来ませり、この世の闇路を照らしたもう妙なる光の主は来ませり。とくちずさむ友人は、うとうとと船をこぐラインハルトの髪を丁寧に梳かしていた。
この友人と出会ってから、切るタイミングを逃し続けた髪は、腰に届くほどに長く、日々の手入れは友人が嬉々としてやっている。
「自画自賛かな、カール」
あまりの眠さに、自分がなにを言っているのかも、あやふやであった。
「まさか」
うっすらと笑って、友人は纏めたラインハルトの髪の先にくちづけを落とす。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/現パロ小ネタ「ハイドリヒの愛猫だからといって容赦はせんぞ」
ふわあ、と猫は大きいあくびをして、ぐうとのびをした。じっとりと睨んでくる長い黒髪の男をよそに、薄く開けられた窓のそばで丸くなる。
なんとも暇な男である。ここで私を相手にぶちぶち文句を言っているより、ここの家主に構ってくれと言いにいったほうがなんぼか建設的だろう。
家主であるラインハルト・ハイドリヒが手ずから猫におやつを与えた日には、良くある光景であった。愛猫とはいうものの、猫は別にこの家で飼われているわけではない。
通りすがりの野良猫であるのだが、まあつまり、この男は遊びに来たすべての野良猫にこうやって絡んでいるのだ。
むにむにと頬を揉んでくる男の手を、猫はうっとうしそうに押しやった。
325ふわあ、と猫は大きいあくびをして、ぐうとのびをした。じっとりと睨んでくる長い黒髪の男をよそに、薄く開けられた窓のそばで丸くなる。
なんとも暇な男である。ここで私を相手にぶちぶち文句を言っているより、ここの家主に構ってくれと言いにいったほうがなんぼか建設的だろう。
家主であるラインハルト・ハイドリヒが手ずから猫におやつを与えた日には、良くある光景であった。愛猫とはいうものの、猫は別にこの家で飼われているわけではない。
通りすがりの野良猫であるのだが、まあつまり、この男は遊びに来たすべての野良猫にこうやって絡んでいるのだ。
むにむにと頬を揉んでくる男の手を、猫はうっとうしそうに押しやった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/現パロ③。小ネタ ほろりと崩れては舞う薄紅の花吹雪の中、ラインハルトはふと立ち止まった。
どうにも予定が合わずに花見の約束は流れたが、このような花見日和に仕事で外を見る余裕もなさそうな友人に、せっかくだから雰囲気くらいは味わわせてやりたいものだ。
はなびらを潰さないようにそっと指先で受け止めて、ラインハルトは悪戯っぽく笑んだ。
「カール、カール」
鬱屈とした気持ちで書類にペンを走らせていたカールの肩を、ラインハルトが叩いた。
どこか楽し気な声音で、鬱屈とした気分も多少は紛れる。どうして医師になってしまったんだ、私は……と根本から振り返り始めたところであったので、友人が構ってくれるというのならやぶさかではなかった。
678どうにも予定が合わずに花見の約束は流れたが、このような花見日和に仕事で外を見る余裕もなさそうな友人に、せっかくだから雰囲気くらいは味わわせてやりたいものだ。
はなびらを潰さないようにそっと指先で受け止めて、ラインハルトは悪戯っぽく笑んだ。
「カール、カール」
鬱屈とした気持ちで書類にペンを走らせていたカールの肩を、ラインハルトが叩いた。
どこか楽し気な声音で、鬱屈とした気分も多少は紛れる。どうして医師になってしまったんだ、私は……と根本から振り返り始めたところであったので、友人が構ってくれるというのならやぶさかではなかった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/現パロ②。小ネタ カール・クラフト=メルクリウスの朝は、だいたい友人の探偵事務所の仮眠室から始まる。
仕事終わりに立ち寄って、そのまま居着いているためだ。仮眠室とは名ばかりで、カールの部屋のようなものである。前回自宅に帰ったのが、いつのことか思い出せないくらいであった。
香ばしい珈琲の匂いが起床の合図だ。依頼の報酬としてコーヒーミルを手に入れてから、カールの友人はみずから豆を挽いて、珈琲を入れるのを朝の日課にしている。
仮眠室から出れば、窓辺に設置した席で事務所の主がコーヒーカップを片手に新聞を読んでいた。
朝日に照らされて、豪奢な黄金の髪がしっとりとした輝きを放つ。近くの机には朝食が用意されている。ベーコンとスクランブルエッグ、かりかりに焼かれたトーストに乗せられたバターのかけらが、熱でとろりと崩れた。
926仕事終わりに立ち寄って、そのまま居着いているためだ。仮眠室とは名ばかりで、カールの部屋のようなものである。前回自宅に帰ったのが、いつのことか思い出せないくらいであった。
香ばしい珈琲の匂いが起床の合図だ。依頼の報酬としてコーヒーミルを手に入れてから、カールの友人はみずから豆を挽いて、珈琲を入れるのを朝の日課にしている。
仮眠室から出れば、窓辺に設置した席で事務所の主がコーヒーカップを片手に新聞を読んでいた。
朝日に照らされて、豪奢な黄金の髪がしっとりとした輝きを放つ。近くの机には朝食が用意されている。ベーコンとスクランブルエッグ、かりかりに焼かれたトーストに乗せられたバターのかけらが、熱でとろりと崩れた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/現パロ「や、名探偵。調子はどうだい?」
差し込んだ鍵を回せば、鍵が開く音がする。
ドアノブを回して事務所に入った途端、客用ソファに腰かけていた男がラインハルトの方に振り向いて微笑んだ。
腰に届く長い黒髪、笑みを含んだ紅い瞳、褐色の肌。身なりの良い男だ。整った顔立ちは涼し気で、切れ長のまなじりがともすれば冷たい印象を与えるが、常に浮かべられている笑みがそれらを和らげる。
「なんだ、卿か」
鍵がかかっていた事務所に人がいることは気にせず流して、ラインハルトは笑って男を歓迎した。
常連客、というにはいささか語弊があるか。
ラインハルトが開いている探偵事務所に、ちょくちょく顔を出している男である。
訪ねてくる度に、手土産といわんばかりにラインハルトの気を引きそうな依頼を持ち込んできていた。
1601差し込んだ鍵を回せば、鍵が開く音がする。
ドアノブを回して事務所に入った途端、客用ソファに腰かけていた男がラインハルトの方に振り向いて微笑んだ。
腰に届く長い黒髪、笑みを含んだ紅い瞳、褐色の肌。身なりの良い男だ。整った顔立ちは涼し気で、切れ長のまなじりがともすれば冷たい印象を与えるが、常に浮かべられている笑みがそれらを和らげる。
「なんだ、卿か」
鍵がかかっていた事務所に人がいることは気にせず流して、ラインハルトは笑って男を歓迎した。
常連客、というにはいささか語弊があるか。
ラインハルトが開いている探偵事務所に、ちょくちょく顔を出している男である。
訪ねてくる度に、手土産といわんばかりにラインハルトの気を引きそうな依頼を持ち込んできていた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/黎明期(?) ラインハルト・ハイドリヒは思わず眉間を揉んだ。
なんだ、今のは。
軽く頭をふれば、短く整えたばかりの髪の毛先がうなじをかすめた。
とはいえ、目を閉じ続けていたところで話は進まない。
まぶたを持ち上げたラインハルトは、影のような男とふたたび目があった。
沈黙。
影のような男は、ラインハルトを見た後、おのれの手を見下ろして、もう一度ラインハルトを見た。
その手には紙に巻かれて纏められた金色の髪が握られている。
さきほどラインハルトから切り離されたばかりの髪だ。自室でみずから髪を短くしたばかりだった。
「……なにをしている」
問われて、影のような男はもう一度握りしめた髪束を見下ろして、ラインハルトを見た。そして、そっと髪束を包んだ紙を懐にしまった。
917なんだ、今のは。
軽く頭をふれば、短く整えたばかりの髪の毛先がうなじをかすめた。
とはいえ、目を閉じ続けていたところで話は進まない。
まぶたを持ち上げたラインハルトは、影のような男とふたたび目があった。
沈黙。
影のような男は、ラインハルトを見た後、おのれの手を見下ろして、もう一度ラインハルトを見た。
その手には紙に巻かれて纏められた金色の髪が握られている。
さきほどラインハルトから切り離されたばかりの髪だ。自室でみずから髪を短くしたばかりだった。
「……なにをしている」
問われて、影のような男はもう一度握りしめた髪束を見下ろして、ラインハルトを見た。そして、そっと髪束を包んだ紙を懐にしまった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/おしょた水銀 おや、と目を覚ましたばかりのラインハルトは隣でちまこく丸まっている子供を見て瞬いた。ラインハルトの腕を抱え込み、水銀のような色艶の長い黒髪にくるまるようにして、すよすよと寝息をたてている子供。見る限りではおそらく、五、六歳といったところだろうか。昨晩共に寝台に入った男は、断じてこのようなちいさな子供ではなかったが。
そこで一度考えるのを打ち切って、ラインハルトはまじまじと子供を見た。
まあこれはこれで合ってはいるのかもしれない。普段のなかなか人の神経を逆なでする言動で気づきにくいし、本人も自覚があるとも思えないが、おそらくその精神はとても幼い。
しかしどうしたものかととくに起きる様子のない子供の頬をつっついても、むうとむずかるような声をあげるだけだった。ことこういった現象についてはこれが一番詳しいが、本人がこうなってしまった以上、自力で解決できない可能性もある。
3100そこで一度考えるのを打ち切って、ラインハルトはまじまじと子供を見た。
まあこれはこれで合ってはいるのかもしれない。普段のなかなか人の神経を逆なでする言動で気づきにくいし、本人も自覚があるとも思えないが、おそらくその精神はとても幼い。
しかしどうしたものかととくに起きる様子のない子供の頬をつっついても、むうとむずかるような声をあげるだけだった。ことこういった現象についてはこれが一番詳しいが、本人がこうなってしまった以上、自力で解決できない可能性もある。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 大の男がふたり寝転がっても十分に広い寝台で、まさか本当に大の男ふたりで寝転がるとは思わないだろう。そう思ったとたんに既視感が忍び寄ってくるのだから救いがない。いったい全体いつかの自分たちは何を思ってこんなことをしたというのか。この疑問とも長い付き合いだ。慣れ親しんだ疑問だけが胸の内にあり、答えはいまだに影も形もない。答えを出してもこの既視感はあるのだろうか。横になったまま、隣で眠っているふりをしている男の背をまるで子をあやすかのように一定のリズムで叩きながら、なんとも言えぬ表情を浮かべるしかない。
長い黒髪が白い敷布を覆って、まるで寝台の半分が影に沈んでいるかのようだ。すう、すう、とわざとらしい呼吸にあわせて友人の胸がふくらんではしぼむ。なんとも不思議な気持ちでそれを眺める。この友人はなるほど人の形をしているが、まっとうに人らしい生理現象を見せられると違和感は湧く。
1447長い黒髪が白い敷布を覆って、まるで寝台の半分が影に沈んでいるかのようだ。すう、すう、とわざとらしい呼吸にあわせて友人の胸がふくらんではしぼむ。なんとも不思議な気持ちでそれを眺める。この友人はなるほど人の形をしているが、まっとうに人らしい生理現象を見せられると違和感は湧く。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/モブ視点「……友人?」
虚をつかれた声だ。ゆっくりと瞬いて、その男はそれ以上の反応を見せずに、ただ微笑んだ。
おかしな男だ。
ラインハルト・ハイドリヒの近辺をうろちょろしているという噂の魔術師に対する第一印象はそれだった。
表情は微笑みのかたちに整えられているが、星々浮かぶ夜空のごとき瞳は異様に冷えていた。
ちょうど用事があったために、見覚えのある金髪を見つけて呼び止めたのが発端だった。
あたりさわりのない会話の間、魔術師はラインハルト・ハイドリヒのそばでにこにこしていたが、ラインハルトがついでと言った様子で互いを互いに紹介したあたりから、妙な圧を出すようになった。
ラインハルトがいたときはまだいいが、ラインハルトが部下に呼ばれて、一時的に離れた途端に自身に突き刺さる視線の不躾さがあがった。
824虚をつかれた声だ。ゆっくりと瞬いて、その男はそれ以上の反応を見せずに、ただ微笑んだ。
おかしな男だ。
ラインハルト・ハイドリヒの近辺をうろちょろしているという噂の魔術師に対する第一印象はそれだった。
表情は微笑みのかたちに整えられているが、星々浮かぶ夜空のごとき瞳は異様に冷えていた。
ちょうど用事があったために、見覚えのある金髪を見つけて呼び止めたのが発端だった。
あたりさわりのない会話の間、魔術師はラインハルト・ハイドリヒのそばでにこにこしていたが、ラインハルトがついでと言った様子で互いを互いに紹介したあたりから、妙な圧を出すようになった。
ラインハルトがいたときはまだいいが、ラインハルトが部下に呼ばれて、一時的に離れた途端に自身に突き刺さる視線の不躾さがあがった。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 シーツの上に形容しがたい液体が広がっている。
銀のような、光沢のある液体だ。
ラインハルトが横になってなお余裕がある寝台はそれなりに広いわけだが、液体はシーツの大部分を覆いつくしていた。シーツどころか、ラインハルトの体にもまとわりついている。
枕を腕の間に挟み込んで頬杖をついたラインハルトは、なんとも生温かい目でそれらを眺めた。
「……カールよ、そろそろ起きろ」
声をかけたところで応えはない。
だが、シーツ上に広がる水銀のごとき液体が波打った。
のろのろと一か所に集まり始めるそれに、苦笑を浮かべていたラインハルトは、液体の集合先がシーツの上でないことに、その美しい眉をすこし持ち上げて肩をすくめた。
625銀のような、光沢のある液体だ。
ラインハルトが横になってなお余裕がある寝台はそれなりに広いわけだが、液体はシーツの大部分を覆いつくしていた。シーツどころか、ラインハルトの体にもまとわりついている。
枕を腕の間に挟み込んで頬杖をついたラインハルトは、なんとも生温かい目でそれらを眺めた。
「……カールよ、そろそろ起きろ」
声をかけたところで応えはない。
だが、シーツ上に広がる水銀のごとき液体が波打った。
のろのろと一か所に集まり始めるそれに、苦笑を浮かべていたラインハルトは、液体の集合先がシーツの上でないことに、その美しい眉をすこし持ち上げて肩をすくめた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金。Kルートのあと ふと気が付くと、あたりは星々が漂う宙であった。
ぷかりとそのただなかに浮かんだまま、ラインハルトは好奇心のまま近くに漂っている星をつんとつついてみた。
つつかれた星は、押されるがまま滑ってゆき、別の星にぶつかった。
「それで良いのですか、獣殿」
降ってきた友の声に見上げれば、実に見慣れた顔がそこにある。
「良いもなにも、私はなにを選んでいるのかな、カール」
「もちろん、新しい主演を。何度でも作ればよいと言ったのはあなたではないですか」
ああ、そういえば、と後追いで記憶が蘇った。
核となるものと、それを補強するものをと。
体を起こして、あたりを見回す。上下左右も曖昧ななか、そこに立てるのだと思えば、立てた。
1092ぷかりとそのただなかに浮かんだまま、ラインハルトは好奇心のまま近くに漂っている星をつんとつついてみた。
つつかれた星は、押されるがまま滑ってゆき、別の星にぶつかった。
「それで良いのですか、獣殿」
降ってきた友の声に見上げれば、実に見慣れた顔がそこにある。
「良いもなにも、私はなにを選んでいるのかな、カール」
「もちろん、新しい主演を。何度でも作ればよいと言ったのはあなたではないですか」
ああ、そういえば、と後追いで記憶が蘇った。
核となるものと、それを補強するものをと。
体を起こして、あたりを見回す。上下左右も曖昧ななか、そこに立てるのだと思えば、立てた。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金 仕切り板のむこうでそっと扉が閉まる音。抱えた後ろめたさや罪の自覚を吐露したものが出て行った。
告解室から出て行った信者が十分離れられる間を取って、ラインハルトもまた告解室から出るためにドアノブに手をかけた。
途端、引き留めるように仕切りの向こう側でかたんと微かな音がした。扉の開閉音ではない。椅子を引く際にわざと音を立てたのだろう。
仕切り板の下部にある格子付きの小窓越しに視線を向ければ、向かい側の椅子に誰かが座っているのが見える。
またか、とラインハルトは口元に微苦笑を浮かべた。離れたばかりの椅子に腰を下ろす。
語りだしはこうに違いない。
――これは私の息子とその恋人の話なのだが。
「これは私の息子とその恋人の話なのだが」
1245告解室から出て行った信者が十分離れられる間を取って、ラインハルトもまた告解室から出るためにドアノブに手をかけた。
途端、引き留めるように仕切りの向こう側でかたんと微かな音がした。扉の開閉音ではない。椅子を引く際にわざと音を立てたのだろう。
仕切り板の下部にある格子付きの小窓越しに視線を向ければ、向かい側の椅子に誰かが座っているのが見える。
またか、とラインハルトは口元に微苦笑を浮かべた。離れたばかりの椅子に腰を下ろす。
語りだしはこうに違いない。
――これは私の息子とその恋人の話なのだが。
「これは私の息子とその恋人の話なのだが」
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金「ハイドリヒ」
かろやかに、楽しげに話しかけてくる影に、すこしばかりの呆れを込めて少年は微笑んだ。
私の名前はそれではないと何度か訂正したが、この影ときたら聞き入れる素振りすらない。
生まれてこの方、この影以外にハイドリヒと呼ばれたことはないし、そう名乗ったこともない。影の他愛ない世間話に出てくる人物、出来事のなにもかもに覚えもない。
けれども、影に相対していると感じる言葉にし難い親近感は友情めいていて、楽しそうに女神がどうのと語る影を見ていると、はしゃぐこどもに対するような微笑ましさすら沸いてくる。
だから、良いのだろう、この男がそう呼ぶのなら。私はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒなのだろう。
313かろやかに、楽しげに話しかけてくる影に、すこしばかりの呆れを込めて少年は微笑んだ。
私の名前はそれではないと何度か訂正したが、この影ときたら聞き入れる素振りすらない。
生まれてこの方、この影以外にハイドリヒと呼ばれたことはないし、そう名乗ったこともない。影の他愛ない世間話に出てくる人物、出来事のなにもかもに覚えもない。
けれども、影に相対していると感じる言葉にし難い親近感は友情めいていて、楽しそうに女神がどうのと語る影を見ていると、はしゃぐこどもに対するような微笑ましさすら沸いてくる。
だから、良いのだろう、この男がそう呼ぶのなら。私はラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒなのだろう。
s_toukouyou
DOODLE水銀黄金/ふぁーすときすは血の味 がっ、と勢いよく衝突した。
何と何がといえば、水銀の蛇と黄金の獣が、だ。
「卿……」
蛇の方は口元を押さえて若干前かがみになりつつうめいているが、獣の方は同じく口元を押さえてはいるものの、衝突したのもなんのその、特に姿勢を崩すこともなく、なんとも生ぬるい笑みで蛇を見守っている。
獣がじんわりと痛む己が口端を指先でなぞれば、赤く潤った唇からなお鮮やかな紅が引き延ばされた。
獣よりも重傷な蛇が、歯が痛い……とぼやいた。
「であろうよ、今の勢いではな」
いや私も別に口づけのひとつもできないわけではないが、ただその、そう、距離感を間違えて。埒外の、美しいものを見るとき、ひとは感覚が狂うものでしょう。ええ、ですから、そういう。
398何と何がといえば、水銀の蛇と黄金の獣が、だ。
「卿……」
蛇の方は口元を押さえて若干前かがみになりつつうめいているが、獣の方は同じく口元を押さえてはいるものの、衝突したのもなんのその、特に姿勢を崩すこともなく、なんとも生ぬるい笑みで蛇を見守っている。
獣がじんわりと痛む己が口端を指先でなぞれば、赤く潤った唇からなお鮮やかな紅が引き延ばされた。
獣よりも重傷な蛇が、歯が痛い……とぼやいた。
「であろうよ、今の勢いではな」
いや私も別に口づけのひとつもできないわけではないが、ただその、そう、距離感を間違えて。埒外の、美しいものを見るとき、ひとは感覚が狂うものでしょう。ええ、ですから、そういう。
s_toukouyou
DOODLE四人でうみにあそびにいったはなし/水銀黄金が根底にある「どうした、ハイドリヒをそんなにじっと見つめて」
「いや、見つめてるってわけじゃなくてだな。単に、海来たのにあの人結構着こんだままだなって思っただけだよ」
ソフトクリームの屋台に並んでいるマリィとラインハルトを待っている間、眺めていただけである。見つめるとかではない。
レンの分も、買ってきてあげるね。とうれしそうにパレオのすそを揺らして飛び出していったマリィを追いかけようとしたが、ラインハルトにそっと止められたのがついさっきのこと。卿のために買ってきたいのだよ、彼女は。と微笑ましげにささやいて、ラインハルトがマリィを追いかけていった。あれは完全にはじめてのおつかいに張り切るこどもを見るそれであった。
1410「いや、見つめてるってわけじゃなくてだな。単に、海来たのにあの人結構着こんだままだなって思っただけだよ」
ソフトクリームの屋台に並んでいるマリィとラインハルトを待っている間、眺めていただけである。見つめるとかではない。
レンの分も、買ってきてあげるね。とうれしそうにパレオのすそを揺らして飛び出していったマリィを追いかけようとしたが、ラインハルトにそっと止められたのがついさっきのこと。卿のために買ってきたいのだよ、彼女は。と微笑ましげにささやいて、ラインハルトがマリィを追いかけていった。あれは完全にはじめてのおつかいに張り切るこどもを見るそれであった。