北の勇ましき人々と不壊の氷について 山の薄氷/銀嶺を抱く火鼠/鋼龍カウンキパゴウンの守護する公国北方。山脈が大半を占めるこの地方の、最も高く険しい山の奥、夏も雪が溶けることなき銀嶺の頂きに、深々と雪の降り積もる氷河があります。
そこがカウンキパゴウンの生まれたところ。彼の本体。北の龍脈の奥地。かつてはマグマの沸き立つ噴火口だったそこは、今は内から光を発する氷が積み重なる、底のない洞窟になっています。
この氷が【霊鋼(たまはがね)】。カウンキパゴウンの霊力を凍てつかせた、決して熔けず壊れぬ氷です。
霊鋼は祈りによってのみ形を変えます。とはいえ、言葉では金剛不壊の霊鋼に響きません。ですので、鍛冶師たちは炎と槌で霊鋼に祈りを伝えます。
ええもちろん、炎で霊鋼を熔かすことはできませんし、ハンマーで霊鋼を曲げることはできません。でも祈りが届いたら。霊鋼はカウンキパゴウンのかつての形、万物を熔かす炎の姿を思い出すのです。
【鋼火(はがねび)】と呼ばれる白い炎になった霊鋼は、そのままだと何もかもを熔かして消えてしまいます。ですので鍛冶師は霊鋼と鉄を混ぜて熱して、まず鋼火に鉄を沸かしてもらうのです。
沸き立つ鉄を何度も叩いて、叩いて、重ねてはまた叩いて、鉄の不純物を追い出し純化させていくたびに、鋼火もまた純粋な炎へと還っていきます。そうして鋼火を宿した鋼を望む形に整えたら、用意しておいた水桶で一気に冷やすのです。
水桶の水はどうなるのかって? 凍ります。鋼火が霊鋼に戻りますからね。桶に張り付いた白い霜を剥がすと、そこには冷えて成型された鋼と、その鋼と瓜二つの形になった【霊鋼】が輝いています。
これが霊鋼の加工法です。霊鋼の依代になった鋼を【純鋼(すみはがね)】と呼びますが、こちらも大変価値の高いものです。もちろん霊鋼には及びませんけどね。
霊鋼で作られた武器は、どんな魔物もバターのように切り裂く最上級の退魔具です。法術の媒介としても最高峰のため、需要は増々高まっています。
それともう一つ。霊鋼は北の人々を温める炉火でもありました。
暖炉に置いた霊鋼に槌で祈りを捧げると、霊鋼は鋼火のかけらをこぼします。その火は長く残り広く空気を温めます。民が祈りを捧げたままに。
さすがに花街道が敷かれた今では東部から輸入した薪を使う家庭のほうが多いですが、古くから住んでいる家には炉火に使っていた霊鋼が家宝として残っていますし、北部の大きな都市は今でも大きな大きな霊鋼で街全体を温めていますよ。魔物避けにもなりますからね。最近だと巨大法具を動かす動力源にもなるのではと注目されています。
さて。そんなわけで、霊鋼は北部の生活に密接に関わり、カウンキパゴウンの元にその氷を採りに行くのは名誉ある行いでした。
カウンキパゴウンの大氷穴の深くほど、澄んだ大きな霊鋼が採れます。ええ、霊鋼を氷穴から剥がすのに必要なのもまた氷。浅いところで祈りを込めてハンマーを振るえば細かい欠片が、深いところで振るえば中々剥がれない限りに重く大きな欠片が採れます。
山の頂きまで登り洞窟を降りてまた帰るのがどれほどの難行か。しかも帰りは重く冷たい霊鋼を背負っているのです。大氷穴から出るまで、霊鋼は骨さえ貫く冷気を発し続けます。
その身を温めるのもまた霊鋼。ハンマーで叩いた空気を熔かす鋼火で身を温めながら、採掘者たちは帰り道を目指します。鋼火を使いすぎては持ち帰るはずの霊鋼まで火に還ってしまいます。さりとて節約しようとすればたちまち骨身がかじかみます。自分がどれだけの重さの霊鋼を持ち帰れるのか、その寒さにどれだけ耐えれるのか。その見極めが重要です。
中には見極めを誤り、氷穴で凍てつき霊鋼の一部になった者もいます。それもまた祈りの証。カウンキパゴウンの試練を超えて生還した者のみが、霊鋼を持ち帰る栄誉を得るのです。
そんなわけで、公国と繋がる前の氷剣山脈では霊鋼を持ち帰るのが成人の儀でした。今では専門の訓練を積んだ人たちの仕事ですけどね。ええ、男たちが山へ登り、女達は無事の帰りを祈り。愛する人との婚姻を認めてもらうため、無茶をした若者も随分といたそうです。
山での生活は力強く丈夫な体が大事ですので、かつての氷剣山脈では家長は男が務めるものという風習があり、今でも根強く残っています。え、どうして廃れそうなのかって? どうしてって、うーん、じゃあ、今日はその話をしましょうか。
大きく重く澄んだ霊鋼ほど、鋼火にした際の熱効率が高く、炉火として長く使えます。魔物を祓う剣も大切ですが、街を照らす明かりは山を拓き新たな居住区を興すのに不可欠です。
ですから、街の長を決めるのもまた持ち帰った霊鋼の大きさで決まりました。いえいえ、あながち統治と無関係とも言い切れませんよ。
霊鋼を持ち帰る難行は、一人では成し得ないもの。一人では抱えきれない重さの霊鋼も、二人なら持ち上げられます。三人ならもっと。四人以上で仕事を分担できればもっと。
たくさんの人を借りれる人望、集まった人に適切に仕事を割り振る采配、街を暖める霊鋼を持ち帰るのに必要なそれらは、そのまま人を率いるのに大切な能力でもあります。
さあ、あの明かりを見てください。街の中心に聳える巨大な氷の柱、いいえ、輝く剣を。あれこそが氷剣山脈の歴史で最も大きな霊鋼。捧げられた祈りで鋼火を燃やし、時を経ても欠けることのない、氷剣山脈の宝です。
あれを持ち帰ったのはどんな益荒男たちだったのかって? ふふ、あれを持ち帰ったのは小柄で可憐な乙女。そう、アデラ公子殿下です。
いえ、お一人で。はい……王族の力で。山頂までひとっ飛び、両手で霊鋼を掲げて、どしっと広場に突き刺して、「これでわたしがここの長ね!」と。
氷剣山脈の公国参入、そこそこ揉めたんですよ。当たり前ですけどね。それを納得させるのに地元の慣習を利用したわけなんですけど……いえ、アデラ様は聡明な方でしたよ。決して脳筋では……あったかもしれませんが。ちょっと当時の氷剣山脈は度の過ぎた男尊女卑で、それでお冠に……ええ、普段はもう少し、手心が……もうちょっとは……
ともかく、それで女性は霊鋼を持ち帰るのに適さないという偏見は破壊されたわけです。なにせぶっちぎりで巨大なやつを目の前で持ち帰られちゃったので。いえ王族を一般女性にカウントするのは無理があるんですが、インパクトって大事ですからねぇ。
今では法術や仙術が広まって、女性の採掘隊も増えてますよ。そもそもリーダーシップに性差はないですからね。女の癖にとか言うと笑われるようになってますよ。お前毎日誰が持ち帰った鋼火で暖められてると思ってんだよって。霊鋼の採掘で亡くなる人も随分減りました。
これが公国北方です。いかがでしたか? そうですね、寒くて春と夏が短い場所なので、咲く花が少なく霊菫の恩恵が限られているのは大きいかもしれません。山に流れる川が霊土の川と合流するのも麓を過ぎてからですし。独自の文化が色濃く残っている地方と言えるかも知れませんね。
とはいえ、変化は徐々に訪れてます。良きにつけ悪しきにつけ、それが人の世、いいえ世の中というものですから。
これなんかが一番わかりやすい例でしょうか。食べます? カウンキパゴウン饅頭。可愛いでしょ、フカフカの白い皮に糖衣で角を立てて針に見立てて……え? ああ、はい、聞き間違いじゃないですよ。カウンキパゴウン饅頭です。
山を踏み荒らして吠え猛っていた豪猪(ヤマアラシ)は、今は人の掌に収まる愛らしいハリネズミに。畏れ敬われていたカウンキパゴウンは、今は愛され親しまれる存在に。人の世の移り変わりは、自然の象徴たる龍にも無関係ではないのです。