寓話何処かの時代の何処かの国の
何処かの森に居たかもしれない
奇妙な『いきもの』たちのお話
むかしむかし、とある所のとある森に小さないきものがおりました。
『いきもの』と、申しましたが果して其れが『いきもの』であるかは定かではありません。
なにせ、それらは人里では見掛けることの無い姿をしておりますので。
いきものかもしれませんし、妖の類かもしれません。
或るものは猫のような、また或るものは犬のような何処かでみたような獣たちに似た姿をしているのですが似てはいるものの、獣とはまるでちがうのです。
背丈は丁度、人の膝丈ほどでしょうか。
獣のような姿をしながら、人のような装束を着て、人のように二本の足で歩くそれらは、ころころと丸く愛らしい姿をしておりました。
一頃は人に捕らえられて高値で売り買いをされたこともあったといいます。
人に捕らえられた仲間たちがどうなったか。
森で暮らすいきものたちは知りません。
帰って来ない仲間たちの幸せを想いながらいきものたちは森でひっそりと暮らしておりました。
さて、そんないきものたちのうちの、とある一匹、いいえ、二匹のお話を致しましょう。
濃紺の軍帽にも似た帽子を被り、紺の羽織を羽織ったそのいきものは、真白な毛色をした犬によく似た姿をしておりました。
ピンと尖った耳は遠くの音までよく聞こえましたし黒々とした立派は鼻は様々なにおいを嗅ぎ分けることができました。
ふさふさとした大きな尻尾はほんの少し曲がった鍵尻尾でしたが、それもご愛敬です。
とうに巣立ちをして、ひとりで森の中で暮らしていたそのいきものは、名を「ツキシマ」といいました。
ツキシマは巣立ちをした当初、大層苦労をしました。
というのも、ツキシマは森での暮らし方のあれこれを教わることがなかったのです。
なにを教えられることの無いまま森での暮らしを始めたツキシマはツルミという猫によく似たいきものに出会い、森の中での暮らし方を彼是教わりました。
ツキシマがすっかり森での暮らしを覚えてツルミに礼を言うと、ツルミはそれで満足したのか、ふらりと居なくなりました。
ツキシマは其れをほんの少し寂しく思いましたが、きっとまた自分と同じように森の暮らしに不慣れな誰かの所に行くのだろうと考えました。
それからずっと、ツキシマはひとりきりで森の中で暮らしておりました。
小さな洞を見付けて其処を巣穴に決めると、枯葉を集めては寝床を整え、夜はゆっくりと眠り、昼間は木
の実を集め、虫を捕まえてお腹を満たしました。
水辺に行くと、時折、自分と似たような姿のいきものを見掛けることがありましたが、いきものたちはみな、滅多に声を掛け合うことはありませんでした。
時折、嵐に見舞われたり、森の中の大きな生き物に逃げ惑ったり、恐ろしい思いをすることもありましたが、日々はただ穏やかに過ぎていくばかりでした。
こうした日々が続くのだろうと、ツキシマはそう考えておりました。
そんなある日、ツキシマは一匹のいきものに出逢いました。
いつものように巣穴を出て、いつものように食べ物を探しに森を歩いていると、木の実の採れる木の下にそのいきものが居たのです。
山吹色の羽織を着て、もみじのような尻尾をした、こげ茶色の毛色をしたいきものは、未だ幼いのか、毛並みもふわふわとして落ち着きがありません。
自分とは少し違う姿をしたそのいきものに、ツキシマは少し驚いて、少し嬉しくなりました。
「木の実を探しているのですか?」
ツキシマが他のいきものに自分から声を掛けたのはそれが初めてでした。
声を掛けられたいきものはといえば、声に驚いたのか「きぇ」と小さく声をあげると恐る恐る後ろを振り返りました。
めずらしい紫の前髪のあるそのいきものは、大きな目をした愛らしい顔をしておりました。
ツキシマの姿を認めると、自身と同じ『いきもの』だとわかったのでしょう。
ホッとしたように表情を和らげると、そのいきものはツキシマに向き直りました。
「そうだ!この木の実は食べられるものか?」
真っ赤な木の実を指して、いきものはツキシマに問い掛けました。
「いいえ、それは食べられません。」
「!?こんなに美味しそうなのに!?」
「毒があるんです。食べられるのは、そっちの青い実の方ですよ。」
「ぜんぜん美味しくなさそう…」
「見た目が悪いだけで、食べると美味しいですよ。」
難しそうな顔をするいきものに、ツキシマは青い実をひとつとってやると、目の前で半分に割って、片方を差し出しました。
半分にした木の実からは、甘い香りがします。
いきものはひくひくと鼻を鳴らしましたが、それでも未だ心配そうです。
ツキシマは、見かねて半分に割った片方をいきものの目の前で食べてみせました。
「ほら、美味しい。」
ツキシマがそう言うと、いきものはツキシマにならって半分にされた実にかじり付きました。
「!…美味しい!」
「でしょう?」
目を輝かせたいきものにツキシマは何だか誇らしいような気持ちになりました。
一緒に木の実をかじりながら、いきものに話を聞いてみると、未だ巣立ちをしたばかりで、巣穴を探してこの辺りまできたのだといいました。
そのいきものは自身の名を「コイト」と名乗りました。逢ったばかりだというのに、コイトはよく喋りました。
昨日ようやく自分の巣穴を見付けたこと。
巣穴を見付けるまでに出逢ったいきもののこと。
森の中で大きな生き物に襲われかけたこと。
ニコニコと楽しそうに、あれもこれもたくさん話すコイトは、水辺ですれ違ったことのある他のいきものたちよりも、随分と表情ゆたかでツキシマを大層おどろかせました。
ツキシマは全く警戒心のないコイトにおどろいてばかりでしたが、同時にどこかホッとするような、不思議な感覚を覚えました。
結局、その日一日、ツキシマはコイトと一緒に過ごしました。
森の中を案内して、木の実の獲れる場所や虫の捕まえ方、安全な水辺や危険な場所を幾つか教えると、もうへとへとです。
水辺で並んで水を飲んで、ふと辺りを見渡すと、とうに陽は傾いて直ぐそこに夜が迫っていました。
夜の森は危険です。
真っ暗になってしまったら、大きな生き物たちがうろつき始めます。
そうなる前に、巣穴に戻らなければいけません。
一緒にとった木の実や虫を分け合って、それじゃぁ。とツキシマが別れを告げると、コイトはさっきまで賑やかだったのが嘘のように静かになりました。
それからポツリと呟きました。
「ツキシマは、明日もこの水辺に来るのか?」
ツキシマは、コイトが何を言っているのか直ぐにはわかりませんでしたが、「えぇ、明日も、明後日も、ここに来ますよ。」と答えました。
すると、コイトは嬉しそうに笑って「そうか!」と言って「またな」と手を振ってツキシマの巣穴が在る方向とは反対の森の奥へと帰って行きました。
小さくなっていくコイトの背中を見送りながら、ツキシマはようやく気が付きました。
コイトはきっと、寂しかったのだと。
寂しいから、あんなに沢山お喋りをしていたのだと。
寂しいから、明日も会いたくて、この水辺に来るかと聞いたのだと。
気付いてツキシマは、ほんの少し寂しくなって、それよりうんと、嬉しくなりました。
ツキシマは、寂しいと思っている自分と、嬉しいと思っている自分におどろきましたが、考えてみれば、ツルミとお別れをして以来、誰かとたくさん話したのは初めてです。
久し振りに誰かと話したから、寂しくて、嬉しくなっているんだろう。
ツキシマは、そんな風に考えながら、コイトと一緒にとった木の実を抱えて帰りました。
巣穴に戻って木の実を一つかじってみると、よく熟れた美味しい木の実の筈なのに如何してだか、昼間にコイトと食べた木の実の方が美味しかったような気がしました。
翌日から、ツキシマは毎朝水辺に行くようになりました。
水辺に行けば、コイトが待っているからです。
コイトは未だ幼く、森の事もよく知りません。
その癖、好奇心は旺盛で、何にでも興味を示してうかうかと近付くのですから近くで見ていると、危なっかしくて怖いくらいでした。
放っておいたら、あっと言う間に命を落としてしまいかねません。
ツキシマはそんな風にさえ思いました。
とてもではないが、目を離せない。と。
そうして、ツキシマは自分がコイトに教えてあげなければと思ったのです。
以前、自分がツルミに教えて貰ったように。
今度は自分がコイトに教えるのだと。
それからコイトは、毎日、水辺でツキシマを待っていました。
そうして毎日、明日もここにきていいか?と聞くのでした。
ツキシマはそれが嬉しくて、毎日水辺に通うのでした。
毎日を一緒に過ごす二匹の日常は平和そのものです。
コイトは時々突拍子もないことをしてツキシマをハラハラさせましたが大抵は、取るに足らぬことでした。
ツキシマは毎日、森の中のあちらこちらを案内しながらコイトにたくさんのことを教えました。
美味しい木の実の見分け方、上手な虫の獲り方や食べてはいけないもの、近付くのは危険な場所も。
教えることはたくさんありました。
コイトは賢い子でしたので、見る間に色んな事を覚えていきました。
とても器用な子でもありましたので、小枝や藁を見付けては、器用に籠を作ったりもしてみせました。
この調子では、いずれ教えることは無くなってしまうだろう。
そうすれば、今のように、毎日を一緒に過ごすことは無くなるのかもしれない。
そう考えると、ツキシマは寂しく思いました。
寂しく思いましたが、いきものは、皆、ひとりで過ごすものです。
もっとも、番にでもなれば話は別なのですが。
巣穴でひとり藁の上に転がりながら、ツキシマはふと思いました。
コイトと番になれたら。と。
思ってから、ふるふると頭を振ってそんな事を考えてはいけない。と思いました。
なにせコイトは未だ幼いのです。
番だなんてとんでもない。
そう、思いましたが、ツキシマはそれでもコイトのことばかり考えてしまいます。
ツキシマはその晩、よく眠れずに過ごしました。
あくる日は、朝から空がどんよりと曇っていました。
いつ雨が降り出してもおかしくはありません。
そうと気付いてから、ツキシマは思い出しました。
コイトに、雨の日の過ごし方を教えていないという事を。
ツキシマは寝不足の眼をこすりながら、いそいそと身支度をして水辺に急ぎました。
水辺には、いつも通り、コイトがツキシマの到着を待っていました。
ツキシマは、コイトと合流すると、急いで食べ物と枯葉や藁を集めようと話しました。
コイトはツキシマの提案に素直に頷きました。
食べ物や枯葉を集めながら、ツキシマは、雨の日の過ごし方を教えました。
もしも嵐になってしまったら暫く巣穴から出られなくなってしまうかもしれないこと。
雨が酷ければ、巣穴ごと駄目になってしまうかもしれないこと。
身体を冷やしてしまうと、病になって動けなくなってしまうかもしれないこと。
たくさん、たくさん、話しました。
たくさん話して、たくさん食べ物や枯葉を集める内に空の灰色はどんどん濃くなって、気付けば雨粒が落ち始めました。
折角集めた枯葉を濡らしてしまっては大変です。
ツキシマは直ぐに巣穴に戻るようコイトに伝えようとしましたが、コイトの巣穴は、水辺を挟んだ森の反対側にあるのです。
随分遠くまできてしまっていて、戻っている内にはコイトも木の実もきっと雨に濡れてしまいます。
ツキシマは少し考えて、コイトを自分の巣穴に誘いました。
ツキシマの巣穴は、今居る場所からそう遠くはありませんでしたので、どうにか集めたものを濡らさずに済むと思ったのです。
コイトは、突然の誘いに目を丸くしましたが、こくりと頷いてツキシマのあとをついてきました。
雨を避けながらどうにかツキシマの巣穴に辿り着くと、二匹は集めた荷物を下ろしてようやくホッと息を吐きました。
ツキシマの巣穴は岩場の隙間に在る洞ですので雨の心配も然程ありません。
入口は小さくても、奥はそれなりに広い巣穴ですから巣穴の中に二匹で居ても、きゅうくつというほどではないようです。
初めて訪れるツキシマの巣穴にコイトは興味津々です。
コイトはくんくんと鼻先を鳴らして巣穴の中を探検してみてはツキシマを振返りました。
「他所の巣穴は落ち着かないかもしれませんが、雨が止むまでは此処に居て下さい。」
ツキシマはそう言うと、コイトは「わかった」と答えて笑いました。
「でも、落ち着かないということはないぞ?」
「そうですか?」
「ここは、ツキシマの匂いがするから、すごく落ち着くみたいだ」
にこにこと無邪気にそう言ったコイトは、言葉通りに安心したのか、ツキシマが寝床にしている藁の上に伸びをすると、そのまますやすやと寝息を立て始めました。
ツキシマは、余りに無邪気で無防備なコイトにあっけにとられながら、そんなコイトの幼さを愛おしく思いました。
コイトは、本当に、未だ何も知らないのでしょう。
木の実の選び方も知らなかったくらいなのですから、そうかもしれません。
ツキシマはそんなコイトと番になることを考えた自分がほんの少し恥ずかしくなって、それでもやっぱり、いつかはそうなれないだろうかと考えました。
そんな邪な考えを持って隣に眠るのは気が引けましたが、外は雨ですし、雨の所為で、少し冷えてもきたのだからと言い訳をして、ツキシマは藁の上に転がるコイトの隣にそっと寝ころびました。
ころりと寝返りを打ったコイトが身を寄せて来るとその身体が温かくて、柔らかくて、ツキシマはとても幸せな気持ちでそっと目を閉じました。
二匹が目を覚ますと、洞の入り口の向うにキラキラと瞬く星が見えました。
どうやら、夜の内に雨は上がったようです。
のそのそと起き出して洞の外の様子を見てみると、足元はまだぬかるんでいるようでしたが、明日晴れれば、コイトの巣穴までは戻れるようになりそうです。
ツキシマは、それにホッとして、同じくらい、がっかりしていました。
朝になれば、コイトは巣穴に帰ってしまいます。
それがどうにも寂しくて、堪らないような気持ちになりました。
「明日晴れたら、また木の実を取りに行けるな」
「そうですね」
「…朝まで、まだもうちょっと寝ていてもいいか?」
「もちろんです」
ツキシマがそう答えると、コイトはにこりと笑ってみせました。
二匹は一緒に寝床に戻ると並んで横になりました。
コイトは安心した様子で直ぐに眠ってしまいましたが、ツキシマはコイトの寝顔を見詰めながら、なかなか寝付けませんでした。
翌朝は、快晴でした。
昨日の雨が嘘のように空は真っ青です。
「よく晴れたなぁ」
「晴れましたねぇ」
二匹は並んで空を見上げて言いました。
雨はもう上がったのですから、コイトは巣穴に戻らなければなりません。
けれども、名残惜しいのか、いつも水辺で会う時間になってもコイトは巣穴を出ようとはしませんでした。
ツキシマもまた、コイトに出掛けようとは言いませんでした。
二匹は洞の入り口でぼんやりと青い空を見上げながら昨日一緒に獲った木の実を並んで齧りました。
二匹で一緒に食べる木の実は巣穴で一匹で食べる木の実より、うんと美味しいような気がしました。
「コイトさん」
木の実を食べ終わると、ツキシマはコイトを呼びました。
「そろそろ、森に行ってみましょうか」
「…そうだな。」
答えたコイトは少し寂しそうでした。
けれども、コイトはにこりと笑顔をつくってツキシマに言うのでした。
「今日は、良く晴れているし。たくさん木の実が獲れるだろうな。」
「えぇ、きっとたくさん獲れるでしょうね。たくさん獲りましょう。」
「どの辺りがいいだろう?この前行った東の方がどうだろう?」
「コイトさん」
「?西の方がいいか?」
「どちらでもいいです。」
「…ツキシマ?」
じっと見詰めて来るツキシマに不安になってコイトが問い掛けるとツキシマは、ふぅ、と息を吐いて「コイトさん」と呼び掛けました。
「たくさん、木の実を獲って、一緒に此処に帰って来ませんか?」
コイトは、ツキシマの言葉に耳をぴくぴく動かしました。
「この洞なら、雨が降っても安全ですし、二匹で一緒に居れば、木の実もたくさんとれますし…」
もごもごと言葉を続けるツキシマをじっと見つめながらコイトは、きらきらと目を輝かせ始めました。
「その…無理にとは、言わないのですが…」
「いいのか?」
「え?」
「ここに、ずっと居ても。」
「…コイトさん…」
「いいのか?」
こてん、と小首を傾げて問うてくるコイトにツキシマはこくりと頷きました。
「もちろん…もちろんです!ここに、居てください…!」
ツキシマがそう告げると、コイトはにっこりと笑いました。
笑って「うれしい」と言いました。
「これからは、ずっとツキシマと一緒だな!」
ニコニコと笑うコイトに、ツキシマは「はい」と答えながら、ちょっとだけ、泣きたいような気持になっていました。けれどもそれを上手に誤魔化すと、コイトの手を取って言いました。
「ずっと、あなたと一緒に居させて下さい。」
こうして、二匹は一緒に暮らすことになりました。
はてさて、二匹の暮らしはどうなるでしょう?
一緒に暮らし始めてみれば知らなかったこともたくさん知ることになるでしょう。
森の中には、他のいきものたちもたくさんおります。
誰かとすれ違ったり、交流を持つようになるのかもしれません。
未だ幼い、と、ツキシマが思っているコイトは、何れ発情期を迎えるのでしょうし、発情期はツキシマにだってくるのです。
その時に、二匹はどうなるでしょう?
無事に番になることができたでしょうか?
風の噂では、二匹は仲睦まじく添い遂げたとも聞きますが。
噂は噂。
事の真相はわかりません。
この『いきもの』たちが、何処に居たのか、本当に居たのかも定かではないのです。
なにせ、むかしむかしの、お話ですので。