夢の種は芽吹かないこぢんまりしてるけど、信じられないぐらいきれいで、あったかい家に住んでいる。ドアは温かみのある木でできていて、玄関にはガーベラって花がでっけえ植木鉢に植えられて飾られている。どういった経緯かは分かんねーけど、教えてもらったんだと思う。知りたいなんて思わねーし、調べようなんて絶対に考えないから、たぶんそう。そして、そういうことを平気でするのはオレの中には一人しかいないから困る。それを嫌だと思わないことも。
「おかえり。手、洗ったか?」
「まだ。洗面台に行くのめんどうだからそこ使わせろ」
「えー。またか? 仕方ないなぁ。今日だけだぞ」
玄関からまっすぐに歩けばリビングがある。広くはないから、ドアを開けばキッチンもみえる。そこには黄色っぽい電気がくっついていて、部屋をまるで作り物みたいに温かくみせる。そして、いつも同じヤツが立っている。幼いころの記憶にある顔つきよりも、すこし精悍さがあるかもしれない。振り返ったソイツは、今日だけだぞって言いはするけど、怒っているわけじゃねえから明日同じことを言ったとしてもたぶん同じような表情で「仕方ないなぁ」って言うんだと思う。
「なあ、シャムス。よかったら手伝ってくれないか?」
蛇口から水がじゃぼじゃぼ流れているなか、隣に立っていたソイツが言う。手にはじゃがいもがあって、まな板の上には玉ねぎと人参があった。
「カレー?」
「ううん。肉じゃが」
「……手伝ってやる」
「なーんか、その間が気になるな」
「べつに、なんもねーよ。それにいつも手伝ってやってんだろ」
オレは当たり前みたいに口にだして、貸してみろと手を差し出した。ソイツはなにが嬉しいのか分かんねえけど、包丁と人参を手渡して「一口大にしてくれ」と笑った。
ちいせえキッチンで、隣に並んで料理をする。それが当然のこととなっている。コイツはとにかく料理が全然ダメでなにを作っても甘くしちまう。それを阻止するためにはこうするしか方法がなかった。んだと思う。料理すんなって言ってもいいけど、楽しそうに飯作ってるのをみてると言えなくなっちまった。
トントンとまな板と包丁がぶつかって野菜が小さくなっていく。コイツは隣にずれて、コンロに鍋を置く。入れる順番に調味料を並べる姿に目を光らせていると、鼻歌混じりのコイツは砂糖の入ったびんのフタを開けた。
「砂糖はそんなにいらねーって言ってんだろ」
「そうかなぁ。このぐらいいれたほうがおいしいと思うんだけど」
「……とにかく、味見してからにしろ。それからでも遅くはねえだろ」
「そうだな。甘さは控えめなのがシャムスの好みだもんな」
「……そーだよ」
ありえもしないデジャビュを感じる。飽きもせず同じやり取りを繰り返しているんだって思えるようなやつ。そのたびに、オレはこいつの好きなものがどういうものなのかを知って、手を引っ張られるようにオレがコイツのどんなところが好きなのか気づいていく。
とんでもなく甘いものが好き。でも、オレ好みの甘さにしたってべつにまずいとは思ってないってこと。オレが「うめえんじゃねえの?」って言ったら、ぶつぶつ小声で入れた調味料の量を思い出そうとしてること。二人で飯の準備をすること。デザートはアイスにあんこを乗っけたりすること。その隣でポテトチップスを食べること。ビゼルがソファでのんびりと鳴くこと。
「どうした? なにか良いことでもあったのか?」
「あぁ?」
振り返ると、覗き込むように顔を近づけたこいつがまじまじとオレを見つめていた。どういう育ち方をしたのかオレには想像することすら出来ねーけど、当たり前のようにオレのスペースに入ってきてはオレのなかに小さな種を植えていく。
「なんでだよ」
「なんでって、楽しそうだなって顔してたから」
「んなわけねえだろ。おら、さっさと始めろ。腹減ってんだよ、こっちは」
「分かったって。あ、なあシャムス。砂糖を減らすんだから、変わりにはちみつを入れるのはどうかな? すっごくおいしくなると思うんだ」
「ダメだっ」
「えー。どうしてもダメか?」
「しつけーぞっ」
油をひいて、野菜を炒めて、調味料を入れて煮込んでいく。甘辛い匂いが部屋に立ち込める。そのあいだ、コイツは諦め悪く飯を甘くしようと躍起になっていた。そして自覚はしたくねえんだけど、その諦めの悪さとか頑固さとかそういうのに、オレのなかに植えられた種は育っちまうから、十回に三回ぐらいは譲歩して少し甘くしたりするんだ。自分でも本当、呆れちまう。
テーブルに並んだ飯は見た目はけっこう美味そうなのに、口に入れると目元がひくつくぐらいに甘くて、食べるたびに「次はぜってえに厳しくしてやる」なんて思う。
いい加減、オレもコイツも諦めりゃいいのに。
ちょっと前のオレならきっとそう悪態を吐くんだろうが、今のオレはそれを鼻で笑っちまうぐらいには、希望みたいなものがみえている。望んでみてもいいかもしれないと思えるようなもの。それは目の前で「もう少し甘くてもいいかも」なんて言っているコイツのせいなんだと、気づきたくなかったのに気づいちまった。だって、コイツは相当な頑固でお節介焼きなのを十分すぎるぐらいに知っているから。
「なあ、もう少し甘くてもいいよな」
甘ったるい顔して、甘ったるくなることを言う。
それにオレはあきれるふりをする。
「……今でも十分に甘めーって」
目を開けると暗闇だった。外ではまだ店が開いているのか、落ち着かない色が窓から差し込んでいた。部屋はしんとしている。辛気臭くて冷てぇのに、明かりだけがやけに楽し気でしらけてくる。
今まで見ていたものが夢だと気づいたのは、気だるさが体中にまとわりついていて、さっきまでの軽くなるような心地が一気に鉛のように重く感じたのと、見ていたものすべてがありえるはずのない光景だと分かったからだ。だいたい、どういうものが幸せかもわかんねーのに、なに見てるんだか。自分に呆れる。
最悪な夢だ。
とは言えなかった。口に出すことさえ嫌だった。
崩れ落ちた先で空を見上げているような気持ちを振り払うように寝返りを打つと、指先に暖かな毛の感触があって、そこにビゼルが眠っているのを知った。指先でくすぐってみる。すると、気持ちがちょっとだけ落ち着く。夢の中のビゼルは今よりもずいぶんと太ってたなと思ったら笑えた。
「お前、のんきなやつだよな」
指でつついてみるけど起きる気配はちっともない。安心しきって、ここを自分の居場所なんだって分かりきってるその姿に、存在しないと思っていたものの姿を垣間見る。
それは胸が痛くて苦しくてたまらないのに、それでも良いと思わせるような強さと温かさがあって惑わせる。ぎゅっと抱きしめて離しやしねえ。お節介すぎて嫌になる。クソっと吐き捨てた。へたくそな言い方だと思った。
「水をやり続けたら、種は芽を出すのかよ」
ただの独り言に、ビゼルがニャンと鳴いた。ただの寝言だ。
だけどそれは、まるで肯定するかのような声で、ちょっとだけ胸が苦しくなった。