空に誓い4 抱き上げられ、風を切るような速さで帰宅してきた。
帰宅までの間にも、悟の荒い呼吸をずっと肌に感じていて、それだけ我慢をさせていたことを、今更思い知る。
「さとるっ、待って」
「もう十分待ったでしょ」
「ちがっ、そうじゃ……、んっ!」
玄関に入るなり、アイマスクを剥ぎ取った悟に押し倒されて唇を塞がれた。舌を差し込まれぐちゃぐちゃに掻き回されるせいで、溢れた唾液が頬や顎を伝う。獣人ゆえか、悟の舌は自分のそれよりも大きくて長い。そんな舌に口腔を貪られ続けているので、息が苦しい。
一度息を整えさせて欲しい。ただそれだけなのに、悟の肩を押した手が不満だったようで、手首を掴まれ床に押し付けられた。
「んんっ、ふっ……、は、っ……、っ」
キスの合間に必死になって息を吸う。床に押し付ける力は強くて、獣人と人との違いを知ると同時に、今までどれだけ優しく扱われていたかを感じて胸が苦しい。
だからこそ、このままは嫌だと、憂太は首を振ってキスから逃げる。
「なんで逃げるの」
「ち、ちがうっ……、これだと、僕が悟を抱きしめられない」
一方的に受け取るような愛情では嫌なのだ。自分も、悟に返したい。
そう伝えると、キスをやめた悟は胸元あたりに顔を埋め、「ああ、もう!」と言いながらぐりぐりと頭を擦りつけてきた。手首を解放されたので、そんな悟の頭を包み込むように抱きしめると、僅かに顔を上げた悟から、ぺろりと唇を舐められる。
「半年ぐらいは待つと思ってた」
「そんなに待ってくれるつもりだったの?」
「……僕が憂太に会えるのを待っていた時間に比べたら、大したことないからね」
胸に顔を埋めたまま、悟がくぐもった声で笑う。
「ずっと、気になってたんだけど……」
「なに?」
「悟は、なんで僕を選んでくれたの?」
悟の頭を撫でていた手を滑らせ、その首にある黒い首輪に触れた。誇り高い獣人が首輪を着けることを許すのは、パートナーのみ。そして、パートナーは生涯変えることはできない。
そんな大事な相手に、どうして初対面の自分を選んでくれたのか。
すると悟は身体を起こし、その空のように透き通った青の瞳で、憂太を見つめる。
「憂太は感じなかった? 僕と会った時に、血の絆」
「……血?」
「そ。僕との血の絆。本能って言った方が憂太には分かりやすいかな。憂太の好きなところ、いくつも言えるけど、そんなものよりも獣人にとっては本能の方がなによりも大事」
わざわざ理由作ってパートナーを選んだりしないから、と悟は笑う。
「でも、人間は理由を欲しがるよね。言おうか? 憂太の好きなところ」
一人が寂しい癖にそれを口に出せないところとか、キスが下手なところとか、悩みながらも必死に愛情を返そうとしてくれるところとか、全部好き。そう耳元で囁かれて、憂太は真っ赤になって首を振る。
「わ、わかった。もう、いいから」
「それと、寝てるときに、僕に抱きついて頭ぐりぐりしてくるところ」
「えっ、そんなことしてるの?!」
「してるよ。キスさせてくれない癖に、無意識だと甘えてくるんだよね」
「う、わ……っ」
まさかそんなことをしているなんて、思いもしなかった。いたたまれなくて悟から顔を背けると、こっちを向けと言わんばかりに頬を舐められた。
「ちゃんとこっち見て」
「っ、……」
「まだ僕は満足してないよ」
「さとる、っ……んんっ」
もう一度、唇を塞がれて大きな舌を差し込まれた。ぐちゅり、と濡れた音が頭に響いて、心臓が痛いほど鳴る。
「さっ……、る……、んはっ、……あ」
「憂太、舌出して」
「んぁ……」
思考が麻痺して、言われるがままに舌を差し出した。互いに伸ばした舌を絡め合い、伝う唾液が頬に流れて落ちる。
(……動物、みたいだ)
うっすらと目を開けば、薄暗い玄関であっても鋭く光る悟の瞳に射貫かれる。恥ずかしい、そう思うのに、舌を伸ばして求めるのを止められない。もっと欲しいと、心が騒いで身体が熱い。
「さとる、背中、痛い……」
「わかった」
ふわりと、身体が浮いた。
大きな腕に抱き上げられて、キスしたまま運ばれたのは寝室。ベッドの上に下ろされると、悟の身体が乗り上げてきてまたキスを繰り返す。
ベッドの上で抱き合いながら、すでに乱れて皺だらけのスーツを脱いで床に落とす。苦しくて邪魔だったネクタイも、悟が緩めて外してくれた。ワイシャツのボタンも外され、開かれた隙間から悟の手が滑りこんでくる。
「っ……、!」
「触るだけだから、触らせて」
震えた身体を宥めるように、低く囁かれた。服の中に入ってくる大きな手に戦慄くと、熱い舌に口腔を掻き回される。
「ん、ふっ……ふぁ、あ……」
悟の熱で口の中がいっぱいになって、苦しい。
なにかに掴まりたくて悟の背に腕を伸ばすと、服の上からでも感じたふわりとした感触に、憂太は目を見開いた。
「ああ。驚いた?」
ほんの僅かな動揺にも、悟は目敏く気付く。笑いながら身体を起こすと、悟は着ていたハイネックを脱ぎ捨てた。
夕方の、オレンジ色の光が差し込む寝室で、きらきらと光る銀色の毛並み。人と変わらない顔と姿、特徴は耳と尻尾。そう思っていた獣人の悟の腰のあたりから背中にかけてが、銀色のふさふさとした毛並みに覆われていた。前々からそうだったのか。いや、ちがう。今まで何度抱きしめられても、服の下にこんな綺麗な毛並みが隠れているなんて、感じたことはない。
「興奮したら出るんだよ。怖い?」
オレンジ色の光の中で、青空のように鋭い瞳に見下ろされる。ピンと尖った耳も、常に自分に触れてくれる大きな尻尾も、そして光を反射して輝く銀色の毛並みも。なに一つ怖くない。ただ目の前にいる、美しい獣に見惚れて、目を細める。
「……怖くない。怖くないよ。すごく、綺麗だ」
おいで、と両手を広げると、すぐに圧しかかってきた悟に強く抱きしめられた。キスをしながらまた服の中を大きな手で撫でられる。
ワイシャツをはだけられ、さっきよりも強く悟の熱を感じる。触れ合う肌と、肌を擽る毛並み。その両方が心地よくて、ぞくりと身体が震えた。
「憂太」
「ん……」
甘く囁かれ、名前を呼ばれるのが心地いい。すると、ずっと肌を撫でていた手が、ゆっくりと下へと滑っていく。
「さと、る……」
――愛情表現っていえば、キスとかセックスとか、いろいろあるでしょ
いつかの夜、悟に言われた言葉が脳裏をかすめる。愛情を求める獣人。その求めに応じるのがパートナーの役目。
それは、分かっている。
(でも……)
感情と、本能的に感じる恐怖は違う。
一回りも大きな身体。熱い舌に、荒い息遣い。
自分より明らかに強い存在を前にして、自分が獲物になったような気分になる。すると、キスをやめた悟に、ぺろりと頬を舐められた。
「僕は怖くないけど、セックスは怖い?」
「え、あ……」
ストレートな言葉で聞かれて、言葉が詰まる。獣人だからなのか、それとも悟が凄いのか、さっきから考えることを見抜かれてばかりだ。
たぶん間違いなく、自分は抱かれる側なのだろう。
そんなのはっきり言って未知の世界で、恐怖心を感じないなんて無理だ。
「いいよ。憂太が怖くなくなるまで、抱いたりしないから」
悟の大きな耳が、少しだけ前に折れる。優し気に細められた目も、太もも辺りをずっと撫でる尻尾も、悟の全てが優しく自分を包んでくれる。
「……悟」
でも、本当にそれでいいのだろうか。
ただ悟に甘えて、悟の求めに応えられない自分は、パートナー失格なのではないだろうか。
すると、そんな憂太の思考を遮るようにまたキスされる。
「その代わり。僕が満足するまでキスさせて。何度でもね」
「……うん。おいで、悟」
せめてこれだけは。そう思って、憂太は腕を広げて悟を抱きしめる。
すっかり日の落ちた寝室を、月明かりが満たしていた。
■■ ■■ ■■
『リリリリリリリリ!』
鳴り響く機械音。
微睡みながらベッドで寝返りを打つと、ひんやりとした部分の布団に身体が触れ、ぶるりと身体が震える。久しぶりに感じる冷たい感触、それと機械音。
馴染みがあるはずなのに最近は覚えのない音と温度に、憂太は目を見開いて跳び起きた。
「……悟?」
試しに呼んでみても、返事がない。布団を触っても、自分が眠っていた場所以外は冷たくて、かなり長い時間悟がここに居なかったであろうことが分かる。
昨夜は確かに彼の体温を感じながら眠ったはず。悟と暮らすようになってから三週間。彼の腕の中で目を覚まさなかったことなど一度もない。
「悟!」
もう一度名前を呼んで、ベッドを飛び降りた。転がるように寝室を飛び出して、リビングを見る。
ドアを開けた先の空気も冷たくて、嫌な記憶が一瞬で全身を支配して脚が震えた。冷たい空気、誰も答える人のいない、一人ぼっちの家。
「悟、どこ……?」
もう一度呼びかけて、リビングを見渡した。
いつも用意されている温かいコーヒーの香りも、朝食も、なにもない。なにより、悟の姿が見えない。声が聞こえない。
「なんで……」
いったいなにがあったのか。なにも分からずにリビングのテーブルまで足を進めて、そこにあったメモに気づいた。
そのメモを震える手で持ち上げて、もう一度「なんで」と繰り返し呟く。
『二、三日で帰る。ちゃんと食べて、寝るんだよ 悟』