麗しの唇光を受けて艶やかに照る、ふっくらと形の良い桃色の唇に目を奪われる。開いて、閉じて、真一文字に結ばれてもその麗しさは失われることはない。
「…」
詠唱して敵に雷撃を落とす。その瞬間すら目を奪われていたフィンは、甘い想いを抱く頭を振って眼前の敵を見据えた。王である少年の一撃で見事に弱点を突かれた悪魔は行動が行えず瀕死の体を引き摺っていた。
「フィン!」
仕留めるなら今だ。王の掛け声と共に鹿革のブーツで地を蹴り敵の間合いに飛び込んだフィンはそのまま剣を振りかざし最後の一撃を放った。
両断された悪魔は断末魔を上げ禍つ霊を吹き上げながら消滅していく。
剣をひと払いし鞘に収めたフィンは、消滅を続ける悪魔の体からアイテムをはぎ取った。
「やったな」
「ああ」
同じくナホビノソードを収めた王が駆け寄ってくる。困っている悪魔から討伐の依頼を受けた強大な悪魔ではあったが主従の敵では無かった。多少の傷をメディアラハンで癒し、討伐完了の報告をするためにその場を去る。
二人で旅をするようになってから随分と経つ。同時に、二人が想いを交わし合ってからも随分と経っていた。
「次はどこに行こうかなあ」
報告後約束の報酬を貰い、ごく自然な流れでフィンと手を繋いだ少年はぽつりと呟いた。体格が良く身長もあるフィンの掌と華奢な少年の掌はふた周りも大きさが違っていた。それすらも愛しくて、フィンは繋がれた手に優しく力を込める。
「お前さん、少し働きすぎじゃないか?体を休めた方がいい」
先程の討伐を含め、受けるだけ受けて溜まりに溜まっていたクエストの消化をもう何時間も行っていた。禍つ霊が満ち足りており外傷がないにしても働き詰めで疲労が溜まっているだろう、と感じていたフィンは少年に提案を行った。彼の言葉に、少年も暫く考えた後に体が軋むのを僅かに感じた。
「…そうだね、ちょっと休もう」
別に期限があるわけでもなければ急ぐことでもないし、と彼の提案に賛同し、手を繋いだまま龍脈に向かうと休息を行うため妖精の集落へと飛んだ。
妖精の集落。木々が生い茂り穏やかな空気が流れる森の奥、二人が良く野営をする場所まで辿り着くと大きな木の袂に腰を降ろしたフィンは両手を広げて少年を呼んだ。
「ほら、おいで」
「ん」
その声に少年は嬉しそうに頬を染めてフィンの腕の中に飛び込む。二人が休むときのお決まりの体制だ。広い背中に少年の細い腕が回されて戸惑うことなく強く抱き締められながら、フィンも同じように抱き締め返す。
「フィン、フィン。好きだよ」
木々のせせらぎと小鳥の鳴き声しか聞こえない森の中で彼にだけ聴かせる甘い声色で愛を伝えた。
「俺もお前さんが好きだよ」
その愛に応える。右手を少年の後頭部に伸ばして絹糸のように靡く蒼く長い髪を撫でれば、彼は満足げに鼻を鳴らした。
「…」
そう、手を繋いだり、抱き締め合ったり、愛を囁いたりする事はできるのだ。
長い睫を蓄えた金色の眼が真っ直ぐにフィンの緑玉を射抜く。見下ろす少年の顔。小さな鼻の下に、つやりと艶めく唇がある。薄く開かれた唇から吐息が漏れていた。
その唇に触れる権利をフィンは持っている。けれど中々触れることが出来ずにいる。実際、「口付けても良いか?」と尋ねれば愛しい少年は拒絶することなく嬉々としてフィンにその麗しの唇を差し出すのだろう。だというのに、少年が愛しいあまり一歩を踏み出せず眺めているだけに終わっている。
人知れず葛藤を繰り広げているフィンの腕の中でいつの間にか少年は眠りに落ちていた。
「…はあ」
自身の不甲斐無さに嫌気が差す。こんなにも色事に奥手だったろうか。
すっかり安心しきった寝顔を見せる少年の丸い頬を指先で撫で、眠りやすいよう横抱きに体を支えた。
ほんの少し。ほんの少しだけ身を屈めれば届く距離にある唇を眺めながら、訪れる睡魔にフィンも身を委ねた。
高いビルの上を登り、隙間を飛び越える。危険な段差はフィンが少年を抱えて飛んだ。そうして次の依頼の場所まで向かい討伐対象の悪魔と対峙する。
「あれは物理が効かないやつだな」
「成る程、ならばこれで」
ラスタキャンディで強化を行い、フィンが自身に貫く闘志をかける。高く振り翳し力強く降ろされる敵の刃を回避し、攻撃の機会を伺うが巨躯に反して身軽な悪魔に翻弄された。
「クソ…」
体力の高い悪魔との戦いにこのまま長引いてしまっては不利だと判断したフィンは知恵の親指に唇を落とす。しかしそのたった数秒の隙を突かれ、悪魔が咆哮し力強い必殺の一撃を放った。
「フィン!」
慌てて伸ばす少年の手が届かないうちにフィンの姿はその一撃と風圧に巻かれ舞う砂塵に飲み込まれてしまった。ドン、と鈍い音が地を揺るがし朦々と上がる黒煙に一気に血の気が引いていく。念のためを考え布瑠言霊の詠唱を開始したが、それが終わるより先に黒煙の中から光の槍が伸びた。
「っ…!」
少年が動けないまま、徐々に黒煙が晴れていく。そこに立っていたのは光の槍と化した剣を高く掲げたフィンで、悪魔は巨躯をマク・ア・ルインに貫かれ絶命し禍つ霊と化し始めていた。奴の一撃を寸での所で回避し、負傷をしながらも技を発動させ倒すことが出来たのだ。
「は…やれやれ、どうにかなったか」
マク・ア・ルインを消し詰めていた息を吐くと剣を仕舞った。少年は塵にまみれたフィンの元へ駆け寄ると形の良い唇から血を流しているのを見つけて息を飲む。
「フィン、唇…!」
「大丈夫、切ったのは指だ。舐めれば治る」
そう言って出された左手…知恵の宿る親指が、タトゥーとは違う赤色を滲ませているのが見えた。口付けている最中に攻撃を食らったため、その時に歯が当たり切れてしまったのだ。しかしどちらにせよ傷は傷である。
「見せて」
少年はフィンの左手を取ると、今だ血を滴らせている親指をそっと口に含んだ。
「ッ、お前さん…!?」
生温かくぬるりとした感触に身震いする。麗しい唇に迷うことなくフィンの指を銜えて傷口に舌を這わせている。
焦がれた唇の柔らかさとあたたかさを、親指から感じ取る。思っていた通り、少年の唇はとても麗しいものだった。彼は傷を癒そうと必死に指を舐めてくれているのだろうが、意識はどうしても唇へ取られる。
「ん、は…もう大丈夫かな」
小さく口を開きフィンの親指を取り出すと、そこは傷口こそ見えているが血は止まっていた。それを満足気に眺めると、舐めしゃぶっていたことで滴る唾液を舌を伸ばして拭う。
「…」
唾液に光る唇に目を奪われる。
「フィン、傷痛まない?」
「あ、あ…大丈夫だ。ありがとう」
胸を撫で下ろしている少年の唇に意識を取られたままでつい生返事をしてしまう。
口とは、感覚が詰まった繊細な場所でありそれを他人に許すというのは特別なことであるとフィンは考えている。だからこそ口付けという行為は神聖であり、想いを交わした少年であってもその一歩を中々踏み出せずにいた。
しかし少年はあろう事か塵にまみれ血を滴らせた指を戸惑いもなく口に含み癒してくれた。癒すだけならアイテムでも魔法でも使えたというのに、わざわざ自らの口で。
「…」
フィンを心底信頼し心も体も赦してくれている。実際少年はフィンの事が誰よりも大切で、誰よりも好きで、誰よりも愛しかった。
「さ、行こう」
こちらを見る視線に気付かないまま、少年はフィンへと手を伸ばすとすっかり馴染んだ手を捕らえその場を後にした。
ともあれ今回も無事に依頼を終えた。報酬を貰い、野営を布こうと弱い悪魔が跋扈する土地の崩壊した廃ビルに入ると焚き火の材料を集めて火を灯す。木々が爆ぜる音と揺らぐ炎に今日も無事一日が終わるのだと少年は胸を撫で下ろした。
「なあ、お前さん」
そんな少年を変わらず自分の脚の間に座らせ、寒くないようマントで包んだフィンが声をかける。
「俺の指、汚かったろう。どうもないのか?」
突然の問いかけに彼を振り返り、きょとんとした後で問いかけが差すのは日中のあの出来事なのだと理解する。
「汚くなんか無いよ、フィンの指だから。それより怪我が大したことなくてよかった。もう痛まないか?」
「ん、平気だ。ありがとう」
さも当然だと答えて笑む姿が愛しい。柔らかな孤を描いている唇に、どうしても視線が奪われていく。フィンは少年へ右手を伸ばすと、親指で柔くふっくらとした下唇を撫でた。柔らかく温かく、麗しい唇。
触れたい、という思いがとうとう止められなくなる。
「指が平気なら…その、唇は、どうだろうか…」
「っく、ち…!?」
突然の問いかけだった。
見下ろしてくる緑玉は真っ直ぐに少年を射抜き、唇へ触れる許可が出されるのを従順に待っている。同じく綺麗な山形を描いている形の良い薄い色の唇に視線を落とせば、緊張に胸が跳ねた。
「…」
思わず彼のマントを掴めば、唇を撫でていた指が顎を捕らえる。愛しげな指先に、緊張が期待に変わっていく。少年は身を捩るとしっかりとフィンに向き直った。
「…いいよ。俺も、フィンとキスしたい」
「お前さん…ありがとう…」
そう言って微笑めば、フィンは眩しそうに目を細めた。浮き出た喉仏がふるりと動く。
「お前さん、愛してるよ」
「俺も、フィンを愛してる」
焦がれていた唇への許可は、フィンが想像していた通り拒否など無く下りた。自分にしか見せない愛しみを湛えた笑みを眺めながら囁けば、恥ずかし気に頬を染めた少年は静かに瞼を閉じ唇を差し出した。
甘い中にほんの少しだけ、張りつめた空気を感じる。
フィンはゆっくりと身を屈め、壊れ物に触れるようにそっと少年の唇に己の唇を重ねた。指先でも感じていた柔らかさを更に繊細な唇で捉え、次いであたたかさと吐息を感じる。
「ん」
小鳥が啄むように少年の唇を己の唇で挟めば、可愛らしい音と共に止めていた息を吐く少年の少し上擦った声が漏れた。舌先が触れてほんの少しの唾液を甘露のように味わう。もう一度啄み、離れていく。
「フィン…」
とろりと目尻を甘く染めた少年が見つめてくる。麗しい唇をそっと舐めて労る。
「お前さん」
初めての口付けはずっと触れていたいほど甘いものだった。
遂に触れられた幸福の余韻を噛みしめていると、同じく余韻を味わっていた少年はゆるりと腕を伸ばし、フィンの逞しい首に絡める。金色の瞳は蜂蜜のように蕩け、艶づいた唇が甘い吐息と共に強請る声を漏らす。
「フィン、もっとしよう?」
もっともっと、体も心も満たされる口付けを味わっていたい。愛しい少年からの甘いお強請りを拒む理由はフィンには無かった。
「ああ、俺もしたい…もっと、沢山」
そう言って微笑み合って、二人は愛しく甘い口付けを幾度も交わした。