「洒落てんなぁ」
真新しいマンションの三階。玄関に入ってすぐ、壁に備え付けられた靴箱の上に並んだハーバリウムを眺めて水上が言う。猫瓶と呼ばれるそれの中に、紫を基調とした配色の花が収まっている。隣には緑を基調とした同じ形の物。二つはぴたりとくっつき、安定した様子で白い壁を背景に人の目を惹く。
「少し殺風景かなと思ったんだ」
「へえ…。」
家主達はあまりこういった飾りに手を伸ばしそうにないと思っていた水上は感情をそのままに意外だという声を発する。だが、言われてみれば至極シンプルだ。サイズは小さく、中の花も色とりどりの華美な雰囲気はない。リボンや飾りの類いも付いていなかった。知り合いの女性陣から新居にと送られた品ならば、祝いということも踏まえもう少し可愛らしいデザインでもおかしくないだろう。
「あ。お邪魔します」
「はっは!どうぞ」
カウンターキッチンの正面にあるテーブルに食品を置きながら、水上が忘れていた挨拶を口にする。村上はそれを愉快そうに、あるいは嬉しさや気恥ずかしさがあるのかもしれないが、とにかく笑って受け入れた。
キッチンの中へ進む村上は、洗っておいてくれたらしい鍋を手に取る。
「ほな切ってこかな。俺も手ぇ洗わしてもろてええ?」
「うん。じゃあ此処で。タオル新しいの持ってくるよ」
入れ替わるようにキッチンに入る。手入れの成果も間違いなく反映されているはずだが、築年数が浅いとあってシンクが綺麗だ。あとは意外と、調味料が多い。水上としては男の二人暮らしなんてこの手のものは少ないのが大多数ではないのかと踏んでいたので予想外だった。
「エプロン使うか?」
タオルと一緒に差し出された濃色のエプロン。せっかくなので、と遠慮なく二つ纏めて受け取った。
「これ鋼の?そうか荒船のやつ?」
「荒船のだ。でも全然使ってないから気にしなくていいと思う」
同居人らしい、距離の近い人物特有の話ぶりだ。しかし当の村上はそうは感じていないらしく、慣れた手つきで自分のエプロンを身につける。
「似合うしせっかく買ったんだから着けて欲しいんだけどな」
荒船のエプロンはどこからか取り出してきたらしいのに、村上のエプロンはキッチンの傍に置かれていた。使い慣れているからこその定位置だろう。
「あ、家事しないとかじゃなくてだな…してくれるけどエプロンは着ないんだ」
「あー…まあ、わかるわ」
「オレもわからないわけじゃないんだけど」
自宅でわざわざエプロンを身につけるなんて手間だろう。村上は共同生活が長く、恐らく洗濯する側へ気を回すことに慣れているのかもしれない。
「オレには着けろって言うから少し理不尽だなと思う時がある」
「……それもわかるわ」
自宅でわざわざエプロンを身につけるなんて手間だ。手間とわかっていても、好きな相手がそれを着用してキッチンに立つ姿は見たいものである。水上の恋人は率先して料理を行なってくれるしエプロンも身につけてくれる性質なので、その欲求を持て余したことはない。そういう意味で、いうなれば荒船側の気持ちに賛同したのだが、村上は自身の意見に賛同してくれたと受け取っただろう。わざわざ掘り返すこともない。それも嘘ではないのだ。
「狭いだろ。そっちで切ってくれ」
「濡れるくない?」
「食べる前には拭くからいいよ」
椅子を引いて誘導してくれる丁寧ぶりについ、水上は感心してしまう。発揮されているのが自分であることが申し訳ない程度には紳士的な対応だと思った。女性からすれば是非お近づきになりたい人柄のはずだ。
言葉に甘えて椅子に座り、渡された包丁とまな板で野菜を切っていくことにする。
「はい、笊」
「ありがとう。積んでってええ?」
「うん。纏めて洗うよ」
家主に確認を取るのは当然のこととはいえ、気分は母の手伝いをする息子だ。
使い切れるだろう量の白菜を買ったので考えずに全てを切っていく。その次は安さで選んだ豆苗だ。袋を漁っていると、葱を一本要求される。キッチンの内側ではつくねを作っているらしい。冷蔵庫の中から何やら取り出しているところを見るに、家主達の食べ慣れたものを提供してくれるようだ。恐らくは…。
「それ、荒船のハマりもん?」
「オレその話したか…?」
「なんとなく。」
そんなところだろうと思っていた。そもそも肉団子なんて買ったほうが早いのだ。
気恥ずかしげにするかと予想していたが、その美味しさをさらりとPRされただけ。存外、尽くしてくれている側には何気ない当然の感覚なのかもしれない。だとすれば、ありがたい話である。
***
村上と水上が黙々と作業に励んで、数十分。テーブルには茸や葉物、切った野菜と出汁を沸かしている鍋が並ぶ。根菜は既に鍋に入り、肉類は冷蔵庫で保存中だ。準備万端の温まった室内に、ガタイの良い男達が次々と雪崩れ込んでくる。
「お帰り」
「お疲れさん」
労ったつもりなのだが飲み物を買い込んできた仕事帰り連中のうち、家主たる人物の目つきがやけに怖い。
「鋼くん鋼くん」
「どうしたんだ?」
「ほんまにエプロン借りてよかったん」
「問題ないと思うけど…」
思い当たった最たる原因について言及してみたが、当の村上は首を傾げるばかり。拭いたテーブルの上、鍋の隣に缶とペットボトルを並べていく男達にそっと近寄り水上は荒船の肩を叩く。
「心配せんでも乗っ取らんて」
「んなことはわかってる」
わかってるくせに、自宅を好き勝手に歩き回り始めた仲間内の誰よりも大人しくしている水上を警戒の目で見る。正直というか、色んな意味でストレートな男だと思う。
「なあ、」
「なんだよ」
「鋼くんもっと旦那がエプロン着けてるとこ見たい言うてたで」
正しくは似合うのだしせっかく買ったのだから身につけて欲しい、といった内容だったが…きっと同じことだ。
「お前、昔にオレが説教垂れたの根に持ってんじゃねえだろうな」
「かもしれんなぁ」
水上が現在の恋人に告白された折、投げやりだった自分を諭したのは煙草と金髪がトレードマークの上司と目前の男である。上手く収まったのは二人のおかげというヤツに他ならない。ただ、言い方に棘があったことも事実なので説教といった言い回しも否定しない。本人が言うのだ、間違いないだろう。
「貸せ。んで座ってろ」
普段はストレートなくせに、素直じゃない。引き続き大人しくエプロンをはずして持ち主に返す。さっさと身につけ村上のもとへ歩いていく姿を見送った。キッチンから友人達を追い出す荒船の隣で、驚いた顔をして村上がこちらを見てくる。彼に向けて、水上はぐっと親指を立ててみせた。