【曦澄】続・困ります「ねえ、江兄。この色どうかな? 似合うと思うんだけど」
「そんな明るい色、着たことないぞ」
「だからだよ。江兄、紫ばっかりなんだもん。江氏大好きなのはわかるけど、たまには冒険しようよ~」
「お待ちなさい、懐桑。貴方、色はともかく、その布地はいけませんよ」
「ええ~。だって夏ですよ、曦臣義兄上。涼し気な格好がいいじゃないですか~」
「だからってこれは透けすぎです! 晩吟にはもっと品の良い装いをしていただかないと」
糸が細いし、織り目も開きすぎです。これでは下衣が透かし見えてしまうではありませんか。
許せません、論外ですとぷりぷりする藍曦臣に、そんな破廉恥なこと、させるわけないじゃありませんかと聶懐桑が弁明する。
「曦臣義兄上、違います、違いますってば! これは布地を組み合わせるんです」
「組み合わせる?」
「そうです、そうです。これ一枚だと透けてしまいますけどね、こちらと合わせることで透けなくなるんですよ」
そう言って、聶懐桑は別の布地を取り出した。
「そちらよりは透けないようだけど……でもこれも透ける布じゃありませんか?」
聶懐桑が新たに出した布は、藍曦臣の言う通り、最初に持っていた布よりは透けないものの、ところどころ織り目が開いていてやはり透けて見える。
「織り目が開いた布は涼しいからな。夏の衣にはいいんじゃないか?」
雲夢では夏の衣用に敢えてよこ糸の間隔を開けて織った布地を使う。通気性が良く、衣の中で蒸れることがないので快適なのだ。
だが、藍曦臣はとんでもない! と眦を吊り上げた。
「江澄、いけません! いくら涼しいからといって、こんな透けた衣で人前に出るなんて」
「出るわけないだろう! そんなはしたない真似ができるか!」
下衣にするならともかく、それを羽織って人前に出るなんてはしたない真似、虞紫鳶が生きていたら引きずり戻されて鞭打ちの刑だ。宗主として絶対に許されないふるまいである。
「下衣にしたんじゃお披露目できないでしょ。お二人とも、まずは私の話を聞いてくださいよ」
藍曦臣のご禁制が逐一発動して、どうにも話が進みにくい。聶懐桑は扇子の陰でため息をつきつつ、新しい衣の企画について話し始めた。
***
そんなわけで江澄はめかし込まされていた。
ひと月ほど前まで聶懐桑と藍曦臣が顔つき合わせて、ああでもないこうでもないと議論を戦わせながら拵えた衣装である。
江澄も関わっているはずなのだが、途中から二人の思い入れが白熱しすぎて、すっかり置いていかれた。
布地の織り方に始まって、染め色や染め方、布地の量など、細部に至るまで二人が拘りまくっていたので、ついていけないと放って置いたとも言う。
芸術事に通じた趣味の良い二人が拘るのなら自分が口を挟む余地はないなと、江澄は二人の傍らで我関せずと別の仕事をしていたくらいだ。
ご休息にと茶菓子を運んできた家僕は、そんな様子を見て呆れていた。
ともあれ、新しい衣は無事完成した。
はい、次の清談会ではこれを着てね。清談会前夜の宴席からだよ。絶対だよ。
そう言って聶懐桑から渡された衣装を纏い、江澄は渋々正門の前に立ち、来賓たちを出迎えている。
此度の清談会は蓮花塢なのだった。江澄は主催側、饗す側である。
「これはこれは、涼しそうで良いですな。江宗主」
「ええ、まあ……そうですね」
互いに拱手しあい顔を上げると、仙門百家の宗主たちはいずれも江澄の新しい衣に目を細めた。
その表情を見る限り、冷やかしではなさそうではあるものの、江澄としては慣れぬ装いでどうにも居心地が悪い。
とりあえず、来賓たちを一通り出迎え、案内しての宴席。酒も回り、賑やかに歓談が進んでいるようで何よりだとほっと一息ついていると、江宗主と声をかけられた。江澄よりも一回り年上の地方の世家の宗主だった。
「いいですね、そのお召し物。最近の江宗主は衣装持ちでいらっしゃる」
「いや、これは事情があって着せられているのです」
「いいじゃありませんか。平和な世になったことですし、江宗主もお若いのですから」
「そうでしょうか」
とっかえひっかえ着替えている着道楽と思われていないかと、江澄としては落ち着かないのだが、声をかけてきた宗主は気に留めることもなく、ほう、これは涼しげですなと衣の袖に目を留めた。
「軽やかで涼しそうなお袖ですな。それにしてはあまり透けませんね。珍しい布地をお使いですか?」
ふわりと翻った袖は薄く、透明感があった。だが袖口こそは羽衣のような透け感があるものの、腕が透けて見えることはなく。それでいて、たっぷりと使用されて軽やかに舞う布地は織り目が空いており、涼しげだ。
どういうことだろうと首を捻っている宗主に、これはと江澄は拙いながらも説明しようとした。その時。
「ああ、これはですね!」
聶宗主がすすっと歩み寄り、江澄の腕を取ると、持ち上げて見せる。
「こちらは織り方を変えた布地を二つ、組み合わせているのです。透かせても良いところは目の開いた布地を多めに使っているんですよ。夏の蓮花塢は暑いですからね、涼しげな衣が良いかと思いまして」
「なるほど、これはいいですな」
そうでしょう、そうでしょう。聶懐桑はにこにこだ。
「涼しさを追求して、刺繍も少なめなんですよ。染めの濃淡を付けて、透かしにくさを出しているんです。蓮花塢といえば蓮、江宗主といえば紫ですから、蓮花の色から徐々に濃くして紫に。染める前の真っ白な状態だったらもう少し透け感が出るんですけれどね」
「そうなのですか」
「でも、白でも透けにくいですよ。ほら、ここを見てください。織り目が違うのがおわかりでしょう?」
「ほう、平織りが混ざっているんですか」
「そうです、そうです! さすが! ええ、仰る通り、平織りを交えながら、たて糸を捻ってよこ糸が寄らないように織り目を開けてるんですよ。この衣は平織りを交えた布地と、羽衣のような薄い、織り目の開いた布地の二種類を縫い合わせて誂えました。平織りを混ぜることで、透けないところを作っているんです」
「さすが聶宗主。手が込んでいらっしゃいますな。品良く清廉で、江宗主に実によく似合ってらっしゃいます」
「ふふ。拘らせていただきました。平織りのところには絵や刺繍を施すこともできますよ。江宗主は華美な装いを好まれないので染めの濃淡だけですが、女人には華やかなお仕立てが良いでしょうからねぇ」
ほうほう。着る物に興味があるのか、宗主は興味深げに聶懐桑の話を聞いている。
こうなると江澄としては暇だ。本当は一緒に聞いて売り文句を覚えなければいけないのだが、どうにもこういうことは苦手である。衣装を褒められるのも気恥ずかしい。
意識をあらぬ方向に飛ばしていると、いつの間にやら藍曦臣もやってきた。さっきまで他家の宗主たちに囲まれていたのに、いつの間に抜け出してきたのやら。
「いくら暑いからと言って、透けた衣を着るなんてはしたないでしょう? 涼しくて、透けにくい衣装でなければと、聶宗主と一緒に知恵を絞ったのです」
「なるほど。いやまったく、そのとおりです。藍宗主の仰るとおり」
「曦臣義兄上の要求が高くって、苦労しましたよぉ」
「大事な方の肌を透かし覗かせるなんて、とんでもありません。どこの誰が見ているとも限らないのに」
「そう、そこです!」
熱弁する藍曦臣に、男も強く頷いた。
「いえね、今日の江宗主のご衣装を拝見した時にこれは良いと思ったのがまさにそこなんです。我が仙府も盆地にあるがゆえに夏の暑さには苦労しておりまして。ですが、所構わず薄着をするわけにはいかないでしょう? 妻も子も汗疹にやられてしまって可哀想で可哀想で。なんとかしてやりたいと思ってはいるものの、あまり薄い衣ですと、どこにどんな輩がいるともしれず。困っていたのです」
「わかりますわかります~。汗疹って辛いですよねえ。痒くって」
「ですが、これは良い。風通しがとても良さそうです。それでいて透けないのであれば、安心して妻や娘に着せられます」
「わかります。大事な奥方や娘さんを良からぬ男どもの目に晒したくはありませんよね、ええ」
なにやら三人で意気投合して深く頷き合っている。そういうものかと江澄は頭をかいた。
雲夢では暑ければ男たちは上を肌蹴させてしまうし、暑い暑いと湖に飛び込んでしまう。
さすがに女人はそういうわけにはいかないが、袖のない衣を着たりと、涼しさを優先させている。
しかし、確かに仙府に務める女人、しかも女主人ともあれば滅多な格好はできまい。母上も夏は暑そうであったと記憶を掘り起こしていると、では、ぜひご購入をと商談が纏まっていた。
「雲夢でも清河でもご注文は承ってますけれど、仕上げは清河でしているので、染めや刺繍など御夫人や娘さん御本人のご要望にあるでしょうし、ぜひ一度お店にお出でになって下さい」
「ええ、ぜひ伺います。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、お待ちしております~」
上客を掴んだと聶懐桑は上機嫌だ。満面の笑みを浮かべて、宴席に戻っていく宗主を見送っている。
「江兄、流石だよ~。早速上客一人掴まえたじゃない。その調子で広告塔のお務めよろしくね」
「俺は何もしていないが」
「そうやって着こなしてお披露目してくれるだけでいいの。すっごく良いお仕事してくれてるから、江兄」
「そうなのか?」
気まずいながらも着ているだけでいいのなら良いが。自ら衣の良さを訴えて商談に持っていくのは苦手だったため、助かると言えば助かる。
「私がいないときは一人で売り込み頑張ってほしいけどね~。売れると思うよ、この衣。暑いときにぴったりだもの」
今年は夏に蓮花塢で清談会と聞いて、絶対売れると思ってさ。職人を急かした甲斐があったよね。
聶懐桑は満足げだ。
「曦臣義兄上からの再三のだめ出しとやり直し要求が来たときはどうしようかと思いましたけど、お陰様でいいものが出来ましたよ」
「だって、懐桑。先ほどの方も仰っていたでしょう。大切な方の肌を見せるなど、とんでもありません。たとえ透かしでもです。いつどこで、どんな輩がいやらしい目で見ているともしれない。そんな不埒者の目に私の江澄を晒すわけにはいきませんから」
「はいはい」
「はいはい」
「もう! 二人ともちゃんとお聞きなさい!」
生返事になった二人に、藍曦臣がぷりぷりと怒り出す。
「江澄、先ほど懐桑は一人でも売り込みができるようにと言ったけれど、いけませんからね。その衣を着て他家の方とお会いするときは必ず誰かと一緒にいてください。できれば懐桑か私がいるときに」
「なぜだ、面倒くさい」
「面倒くさいじゃありません! いいですか? たまたまあの方は愛妻家で真面目な方でしたけど、やれ布地を検めようだの何だのと衣に触るふりをして、貴方の肌を覗こうとする輩がいるに決まっています。そんなこと絶対に許せません」
「いや、いないだろう」
「いるんですったら!」
どうしてわかってくれないのです! 藍曦臣が身を捩らんばかりに嘆く。
「今日一日、好色そうな宗主たちがじろじろと貴方のことを見ていたんですから。まったく、どれだけうるさがられようが口出しして正解でした」
「そうだねえ。視線は集めていたよね。見えそうで見えない衣って気になるもんねえ」
これはこれで男心を唆るのかもしれない。あの助平爺たちにも是非とも売りつけようと聶懐桑は頭の中で算段をつけ始めた。妓楼に売り込もうと思っていたが、気に入りの妓女への贈り物としての売り方もありかもしれない。
「なんたってこの衣装の密かな売りは、脱がせていくと艶っぽい下衣姿が透かし見えるってところだもんねぇ」
「……懐桑」
「だ、だからー、それは特別なお二人のみの、閨でのお愉しみ事としてですってば! 脱がせる時には気づくんですから、敢えて触れ回ったりはしませんよっ」
じとりと睨まれて、聶懐桑が慌てて首を振る。知らない、知らないよと後ずさりを始めた。
「表立っては先ほど曦臣義兄上が仰ったとおり、品性を保ちつつも涼しく快適な夏のお召し物、ですってば! 実際そのとおりですし、藍宗主も太鼓判を押したと広まれば、興味を持ってくださる方は多いと思いますよぉ」
というわけで、江兄、頑張って売り込んでいこうねっ。
そう言いおいて、聶懐桑は藍曦臣の説教から逃れるようにそそくさと宴席に戻っていった。
「まったく、あの子は」
「大丈夫だろう。貴方も心配性だな」
「そんなことありませんよ」
ご機嫌斜めの藍曦臣を宥めるように江澄はその背を軽く叩いた。
「安心しろ、貴方が散々口出ししてくれたおかげで良いものに仕上がっている。透けるのは袖口や裾くらいだ。それに涼しいしな。俺も透ける衣など着たくはなかったから助かった」
「それなら良かったですけれど」
ようやく機嫌を直したようで、藍曦臣が困ったように苦笑する。
「でも、本当に気をつけてくださいね。貴方は美しいんですから」
「またそれか」
俺にそんなことを言うのは貴方くらいだぞ。江澄は呆れたが、藍曦臣はいいえと首を横に振った。
「今までは皆、貴方に近寄りがたかっただけです。今は平和な世になりましたし、それに……」
藍曦臣がこほんと咳払いする。
「これは自惚れなんですが、江澄、貴方、私と深い仲になってから、以前より穏やかになられたと思うんです。微笑んでくださることも増えましたし。それは私が独り占めしているものとばかり思っていたのですが、どうやらそうではないようですね」
おそらく、他の方も、以前より貴方に話しかけやすくなっているのではありませんか。
困ったように眉を下げて苦く笑う藍曦臣に、俺が少しでも穏和になったのなら良いことではないのかと江澄は首を傾げた。
「貴方が慕われることは良いことですが、良からぬ下心を持つ者が近づいてくるのは困ります」
「なんだ、そんなことか」
江澄は思わず吹き出した。
「安心しろ。苛烈な江宗主の看板はおそらく一生掲げたままだ。下心を持つ者が近づいたなら容赦なく紫電で撃つ」
「ええ、ぜひそうしてください」
即答する藍曦臣に笑ってしまう。
「まったく困った御人だな、貴方は」
「私がですか?」
「ああ、そうだ」
わかりやすく妬心を見せて拗ねる藍曦臣をうっかり可愛らしいと思ってしまい、江澄は内心で呆れつつも、ご機嫌を取ることにした。
なにせ、今回の清談会では江澄は主催側なので。饗しをせねばならないのだ。それが一等大事な情人ならばなおのこと。
「清談会が終われば俺も休みを取れる。この衣を貴方も堪能するがいいさ」
「うん? 私の分も仕立ててあるの?」
「そうじゃない。懐桑が言っていただろう? この衣の密かな愉しみ方があると」
閨で脱がすといい。
そっと耳打ちすれば、藍曦臣は夜目にも明らかに顔を赤く染めた。