未満の生命と踊れ うぶめの事
産の上にて身まかりたりし女、
其の執心、此のものとなれり。
其のかたち、腰より下は血にそみて、
其の声、をばれう、をばれうと鳴くと申しならはせり。
『百物語評判』
七海準一級術師が任務をこの言い渡されたのは、もうじき梅雨も明け、夏になろうかという時だった。今年の梅雨は梅雨らしく、しとしとと降るような雨が多く、湿気もある所為で不快指数が高かった。それでなくても呪術師はクソだ。天気位爽やかでいて欲しかった。今日は珍しく雨が降らず、一日中晴天、任務も定時前に完了したのに直後に新たな任務を言い渡され、これから出張の準備をしなければならない。今日はいいブランデーが手に入ったので飲みながら読書でも、と思っていたので台無しである。
資料を受け取り夕暮れの昼と夜の境で薄暗い高専の廊下を歩いていると目の前に人影が見えた。
五条悟だ。
長い身体を少し猫背気味に、目の部分は包帯を巻き気怠げに歩いていた。
「や。七海」
おつかれサマーランド〜、と間延びした声で手を上げて声をかけてくる。
「お疲れ様です。五条さん。今帰りですか。」
「いや、その逆。これから任務で東北まで行く。全く僕使いが荒いよね〜やんなるわ。」
2人で立ち話をする。
丁度、今位の時間をたそがれ時という。 誰そ彼——人の顔が認識できなくなる暗さの時間だ。目の前の五条は肌も髪も目を隠す包帯も真っ白で服は真っ黒なものだからこの薄闇にすっかり溶け込んでしまっている。声はするが輪郭はぼやけてそこに居るかも怪しい。見た目は儚いものだから消えてしまわないか不安になる時が、七海にはあった。そういう時、必ず触れたくなる。
触れて、その眼を見つめて、探って、抱きしめて、かたちを確かめたくなる。
そんな時は五条悟は消えたりしないし、儚いのは見た目だけだと自分にいい聞かせて本能を理性で押さえつけるのが常だった。
「——なみっ。七海?聞いてる?」
そんな葛藤をしていたら五条の話を聞き流していたらしい。
「すみません。今晩の夕飯のメニューを考えていました。」
「酷くない!?オマエ、先輩より夕飯を優先するの!?はぁ。大人になって汚れちまったなぁ。ななみ〜。」
「大人になるとはそう言うものです。悪しからず。」
何とか取り繕って言葉を返す。
五条はまぁいいか。と話を続ける。
「七海、この前の任務の報告書読んだよ。うん。やっぱお前は強いね。高専時代と比べても良くなってる。」
「それは、ありがとうございます。」
純粋に嬉しかった。先日祓った呪霊は不定形で、突然伸びたり縮んだりしたので自分の術式とは相性が悪く中々に苦戦したのだが。
「でも、オマエ真面目だからかな。こう既成の概念?っていうの?そういうのに囚われがちだよね。報告書の呪霊だって常に警戒をしておけば七海なら対処出来たはずだよ。こうは来ないだろうとか決めつけてない?相手は呪霊なんだから常識とか求めるなよ。」
上げて落とされた。しかも的を射ているから反論も出来ない。七海本人でさえそう思っていたのだ。こういう時、この人は教師なんだなと思う。
「ええ。分かりました。他ならぬ五条悟の言う事です。気をつけましょう。」
「うん。ちゃんと覚えておけよ。先輩命令だからな。」
そこで五条の携帯が鳴った。どうやら補助監督を待たせているらしい。待っている補助監督が可哀想なので、話はお開きにし2人は別れた。
七海は去っていく五条を暫く眺めていたが、やっぱりその姿は判然としなかった。
七海は自嘲する。自分から触れる気もないくせに、その姿を確かなものとして捕まえておきたいなどと。