悪魔は人を甘やかすのか 留学生を探して、クルーザーの中を歩き回る。
パーティーは終わり、大勢いたゲストたちもとっくの昔に姿を消した。既に撤収作業が始まっている船の中は、先程までの華やかな賑わいと比べると、いっそう閑散として物寂しく思えた。
今日は魔女たちとのパーティーだった。
魔界に棲む悪魔と人間界を繋いでいるのが魔女であり魔術師だ。綺麗な言い方をすれば、経済活動のための取引先であり、実のところは悪魔としての力を蓄え魔界での地位や名誉を築くための食い物だ。
今はディアボロ殿下の融和志向もあって昔のような直接的な利害関係は希薄になってきたものの、昔からの名家となれば、先祖代々懇意にしている者も多く、簡単に無下にすることはできない。現代における「サバト」の新しい形……いわば、関係維持のための定例会なのだ。
人間界に赴き、相手方の希望通り豪華クルーザーを貸し切った船上パーティーを開催した。高級食材のブッフェ、シャンパンタワー。そしてドレスコードはビキニの水着。
少々、悪ノリが過ぎるのではないかと思ったが、デッキに出てプールで泳いだり、そのままリクライニングのチェアでゆったりとカクテルを楽しむには確かに水着姿の方が都合が良かった。
パーティーが中盤に差し掛かった辺りから、留学生の姿が見えなくなったことが気になってはいた。
今回の話をしたら、付いてくると言うので同行させたが、他に知り合いがいるわけでもない。元々そこまで社交的なタイプでもない奴だ。きっと手持ち無沙汰で面倒臭くなり、どこかひとりになれる場所に避難しているに違いない。不憫なものだ。
(かといって、私がかまってやる場面ではないからな)
使用人や関係者も何人か連れてきてはいるが、基本は主催者として自らが中心にいなければならない。
クルーザーの重いハッチを押し開けてデッキに出ると、船尾の手すりに頬杖をついて海の向こうをぼんやりと眺めている留学生の後ろ姿を見つけた。
「探したぞ」
声を掛けると、留学生はちらりとこちらを振り向き、表情の薄い顔で小さく手を上げて応えた。スイムウェアの上に羽織った白いパーカーの裾が海風にたなびいている。それを見て、自分もまだ着替えてはおらず、ガウンを着たままの姿だったことを思い出す。
「終わったの?」
「ああ」
目に見えてテンションが低い。疲れているのだろうか。
「随分疲れているようだな。退屈だったか?」
「そうだね。俺にはあまり向いてなかったかも。まぁ、両側にキレーなオネーサンをはべらせてるメフィストは楽しかったかもしれないけど」
不機嫌な口調で冷たい目を向けられた。
「なんだ、それは嫉妬か?」
留学生の隣りに立ち、同じように手すりに体重をかける。キレーなオネーサンをはべらせた覚えもなければ、そもそも、あの場にキレーなオネーサンなんていた記憶もないのだが。
「そういう風に見えたのか?」
留学生は何も言わず、海の方を向いたまま黙っている。
夕焼けのオレンジが徐々に青と紫のグラデーションに染まり始め、遮るもののない水平線が美しく光って見える。空に魔法がかかるといわれている時間帯だ。
「いつになく静かだな」
黙っている留学生が急にいじらしく思え、無意識に肩を抱き寄せていた。
スキンシップは珍しくないが、私の方から触れたのは初めてのことかもしれない。
「メフィスト、キスして」
「……調子に乗るんじゃない」
しかし、その申し出は受け入れた。留学生の、海風で少しべとついた猫毛の髪をそっと撫で、顎に手を添えると少しだけ屈んで唇を重ねた。
しばらくそのまま口付けた後、ゆっくりと唇を離し視線を合わせた。
「あの人たち、みんなメフィストのこと狙ってるんでしょ?」
さっきまで目を逸らしていたのが嘘のように、今度は突き通すような強さで私の視線を離さない。
「狙う?」
「そう、隙あらばメフィストと契約しようと考えてる奴ら」
留学生がぎゅっと私の胸にしがみつく。
まるで駄々をこねる子供のようだ。
「何を言っているんだ。まぁ、確かにそういう奴もいるかもしれない。しかし、ほとんどが利害関係だけで成り立っている奴らだぞ。そして、私との契約はそんなに簡単にできるものではない。分かるだろう? たとえ、相手がお前だろうとな」
「…………」
握った拳に力が入るのが分かる。何も言わないでいるが、人間なりに何か色々と思うところがあるのだろう。悪魔である私がそこまで人間の事情を察してやることはないが……ただ、少し機嫌をとってやろうか。
「今日はこっちに泊まっていくんだろう? 部屋は取ってある」
その言葉に、留学生がパッと顔を上げる。
「え、どうしたの? それってなんだかスケベじゃない?」
空気を変えるきっかけを与えてやれば、すぐに気づいて乗ってくる。そんなところも随分いじらしいではないか。
「……好きにしろ」
甘やかし過ぎか? いや、たまにはいいだろう。これも「人間との関係維持」というやつだ。