季節限定貢ぎ物「ちょっとタバコ買ってくる」
返事はないだろうと思いつつも、一応そう声をかけて玄関へ行く。予想通り、いつもなら聞こえる「いってらっしゃい」という柔らかい声はない。「うー」といううめくようなものはした気もするが、空耳かもしれない。
そこに僅かながら罪悪感を抱きつつ、KKは慣れたスニーカーをはいて、財布だけを持つ。鍵をどうしようかと一瞬だけ考えて、家に残る暁人がいるからいいかとそのまま扉から出た。
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暦上は秋とはいえ昨今まだまだ夏の気配を残す東京は、昼はじりじりとした熱気を感じる。
「いつまで続くんだか……」
ぼやきながら向かうのは、行きつけともいえる近くのコンビニだ。ごくごく平均的な品揃えだがタバコの購入程度ならば十分である。
麻里の進学と同時に共に暮らすことを選んだ二人のアパートは、程よくアジトに近い場所にある古い建物だ。築年数が古いため外観はあれではあるが、部屋自体はリフォームされているのと暁人がなにくれとなく手を入れてくれているせいか快適である。少なくともKKが一人で暮らしていたときよりも現在は各段に人間らしい生活が出来ている。
目的地まではすぐだった。都内によくあるチェーン店の一つである店舗に入れば「らっしゃいませぇー」とやる気なさげな声がかけられる。暁人と出会うきっかけになったあの夜と違い、店員はもちろん猫又でなく人間だ。
目当てのタバコが売り切れてないことを横目で確認し、歩みを止めずに陳列棚を見てゆく。かつて一人だった頃ならばタバコとせいぜい缶コーヒーだけを手にして店を出たものだが、健啖家の年若い恋人が出来た今はつい他のものも目に入れてしまう。変われば変わるものだと、我がことながらしみじみと思う。
――さて今日は何にするか。
暁人が気持ちよい勢いで食べることを想像しながら物色するのは、存外楽しいものだ。
好き嫌いのあまりない暁人は、だいたい何を買って帰っても礼を言うが、やはりより喜ぶものを渡したい。
大福や串団子はこの前買った。
暑いからアイスもいいだろうか。
それとも甘いものは飲み物にして、腹にたまるものを買ってもいいかもしれない。
そう物色を続けていたら、『新商品!』と赤い文字が踊るポップが目に飛び込んできた。次いで手のひらサイズのカップにつまったぽっくり柔らかいオレンジ色が目に入る。『季節限定 かぼちゃプリン』と書かれたそれに、暁人と先日交わした会話を思い出した。
一年の内今時期だけの限定もので、見つけたら毎回買うのが秋の楽しみなのだと。前回一緒に来たときはまだ入荷前で、陳列棚にお目当てがないことに肩を落としていた。
プリンを見てはねるように喜ぶ暁人を想像し、思わず笑みが漏れそうになる。元々素直な青年であるが、最近は長男らしい落ち着いた姿以外もKKの前ではよく出すようになった。
「……これにするか」
かぼちゃプリンを四つ(KKは特に必要ないが、暁人は一緒に食べたがることが予想出来たので。二人で食べる、という行為が大事らしい。余れば暁人が食べてくれるだろう)、サンドイッチやおにぎりなどベッドの上でも食べやすそうなものに、昨夜使い切ってしまったゴムを一箱追加してレジへ向かう。
「タバコ、5番をふた……いや、一つ頼む」
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まだ寝ているかもしれないとそっと玄関の扉を閉め買い物袋をリビングの机におくと、足音をたてないように寝室へ向かった。ベッドの上には布団をかぶってまるまる恋人の姿が先ほどと変わらずあった。
今日が二人とも休日ということで、ちょっとタガを外してしまった結果がこれである。最後の方は強すぎる快楽に怖いと泣く暁人をあやすようにして行為を続けた――有り体に言えば抱き潰したに近い。起きたらきっと怒られるだろう。かぼちゃプリンは土産でもあり、駄目な大人からの賄賂でもあった。
布団からわずかにはみ出した肩や手首にはまだ昨夜KKが残した痕が執着じみたあんばいで色濃く残っているが、規則的な呼吸を続ける寝顔は穏やかで、いっそ子どものようですらあった。
それを見る度、少しだけKKの中に後ろめたさが生まれる。成人してるとはいえ、KKからすれば息子とも言えるような年齢差の青年だ。それを自分に縛り付けたままでいいのかという自己を咎める言葉が、ふっと頭をよぎる瞬間がある。
だが――。
「ぅん……」
こちらの気配に気づいたのか、暁人の目蓋がふるえゆるゆるとひらいてゆく。焦点のあわない瞳がきょろりきょろりと部屋を見回して、KKを見つけた途端花がほころぶように笑って見せた。
「けぇけぇ……おかえり?」
「おう、ただいま。出かけたの気づいてたのか?」
「なんとなく……? こえが、したような」
未だ意識が定かでないのか、つづる言葉はどこか舌っ足らずで甘い。少しかすれてるのは昨夜声が出なくなるまで鳴かせた名残だろう。横に腰を下ろせば、ずりずりと移動して甘えるように腿に額をすり付けてきた。柔らかい黒髪をすくように撫でれば、ぽわぽわとした表情のまま目をつぶる。
全幅の信頼と、一見甘えているような仕草は、その実KKにとっては逆でもある。KKの汚いところも弱いところも知っている暁人がKK以外に見せることのないそれは、自分の存在全てを受け入れられて、包み込まれるような安心感をもたらす。そうやって自分だけに与えられる肯定感と優越感は、仄暗い愉悦と共にある。
それを今更手放せるか――答えは否だ。出来るとしたらそれはたいした聖人であろう。あいにく自分はそんな性質欠片も持ってないので、どんなに後ろめたさを感じたとしても結局この唯一無二を逃がしてやることなど出来ないのだ。
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しばらくして、ようやく夢うつつから抜け出したのか暁人がもぞもぞと身じろぎをし――そして「いった……っ」と小さな悲鳴を上げた。
そこからいつもと同じ強い光を宿した瞳がじろりとKKを睨み上げるまで、たいした時間はかからなかった。
「ちょっとKK……」
地をはうような声に心当たりがありすぎてそっと目をそらす。
「僕、今日の夜は飲み会だって言ったよねぇ?」
「……オマエなら、夜までには動けるようになるだろ?」
一応加減はした、一応。という弁明に、「はァ?!」という非難めいた声があがる。
「これで?! めちゃくちゃ足腰痛いんだけど! だいたい昼は昼で出かけたかったのに、これじゃあ夜まで動けないじゃないか」
「それは、あー……すまん」
相手に謝っておいてくれ、と告げると暁人はきょとんとし、布団を体にまいたままそろそろと体を起こした。
「僕が出かけたかったのは、あんたとだけど」
「――は」
「夜は友達と出かけちゃうから、せめて昼はKKとランチを兼ねて出かけられたらって……」
そう思ってたんだけど、と続けられた言葉に思わず片手で顔を覆った。
「……悪かった」
しばしの沈黙。そしてそのままぽてりと、寄りかかられる。
「暁人?」
「……もしかして、昼も友達と出かけると思って嫉妬してた? だから、夜まで動けないようにしたとか」
視線を合わせないままにどこかいたずらっぽく言われたそれは、実に核心をついていた。本気で思ってたわけではないが、そうなればいいという願望は、確かにあったと認めざるを得ない。
沈黙は何よりの肯定で、いい歳のおっさんの悋気なんて誰も喜ばないだろう、恥以外の何物でもないと渋面になる。
だが横でくっつくシーツお化けは、くふくふと楽しそうに体を震わせていた。
「こら、暁人」
笑うな、と言ったセリフもどこか拗ねたような雰囲気になりどうにも格好がつかない。
「しょうがないな、KKは。……ね。僕、お腹減ったんだけど」
誰かさんのせいで動けないんだよ、という文句に責める響きはもはやない。これで手打ちだとでもいうようなそれに「ベッドで食えるもん買ってきたから待ってろ」と立ち上がれば「食べさせてくれてもいいんだよ?」とどこかご機嫌な声が返る。
「へぇへぇ、お暁人くんのお望みのままに」
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余談ではあるが。
貢ぎ物であるかぼちゃプリンは思った以上に暁人を喜ばせ、鼻歌交じりに食べる姿は実にKKを和ませた。
また、夕方飲み会に行ったはずの暁人が思ったよりも早く帰ってきたので理由を問えば、真っ赤になった顔で「これ見た友達がみんなして『いづっちゃん、恋人にめっちゃ愛されてるじゃん……早く帰ってやんなよ』って言って帰らされた!」と、手首に散らばる赤い花にクレームをつけられたが、再び差し出されたかぼちゃプリンで少し勢いが弱まった。
――季節限定は、暁人に大変有効である。