シリィ3話02(……あれ? 笛の音?)
軽やかで素朴で、けれど清らかに空に吹き抜ける笛の音に、レクトは足を止めた。蔦の這う塀の向こうから、音楽が聞こえてくる。
荘厳な静寂を求めるのではなく、いっしょに体を揺すり手拍子を誘うような旋律だった。音が弾んで、梢を飛び回る小鳥のように耳のそばを横切っていく。
「だんしんぐ!」
隣りにいたランが、くるりと回った。衣装が袖のない真っ白なワンピースのドレスに変わり、若草色の髪が花を芽吹かせ芳香を散らす。
芸事に疎いレクトでも見惚れそうな情景だったが、注目する人はいなかった。カイいわくランが心理迷彩の術を使っているのだということだが、よくわからない。くるくる回り跳ねるランに釣れられて、塀の敷地内に足を踏み入れる。
霊菫が疎らに灯る中庭で、聴衆に囲まれて女が笛を奏でていた。
色の薄い金の髪を緩く結んだ、若い女だった。身に纏う神官服は動きやすい旅装を兼ねたもので、この街の神官ではないと一目でわかる。
伏せた目の色は淡い碧。薄化粧を施した面差しは印象が柔らかいが、レクトはツンと澄ました猫を連想した。人を見ても逃げないが媚びもせず、優雅に人混みを縫って歩き去っていくような……
鳥が飛び立つように、演奏が終わった。女の唇が笛に戻らず、拭われて腰の帯に仕舞われるのを見届けて、一斉に歓声と拍手が上がった。
レクトもランと並んで夢中で拍手をして、ふたりで顔を合わせ、ようやく思い出した。
「ラン。ここ、どこ?」
「あら。旅の方?」
「あっはい!」
神殿の雑役婦と思しき老女に話しかけられ、レクトは慌てて返事をした。ここは薄夜(スコタギ)町の神殿、の、はずだ。さすがに違う町にまで足を運んだなら、途中で気づく、と、思う。たぶん。
レクトには、たまにこんなことがある。何かに呼ばれた気がして、ぼうっとそっちへ向かってしまう。カイと初めて会ったときも、ランを見つけたときもそうだった。
では今は、果たして何に引き寄せられたのか。
「あの人は中央神殿の方だそうよ。各地の神殿を廻る巡礼の最中なんですって」
「そうなんですか……あっ、ありがとうございます」
「うふふ、そちらのお嬢さんも召し上がれ」
悩んでいる間に、老女が中庭の食卓に並べられた昼食を見繕い、皿に乗せてくれる。礼拝の後に親睦を深める食事会に飛び入り参加した形だが、おおらかな町らしく見咎める人はいない。
小麦粉を練った餅に香菜を混ぜてパリッと焼き上げた料理は、外はカリッと軽快な歯応えがあり、中はモチモチとしてさっぱりとした旨味のあるソースがよく絡んだ。昼食はすでに軽く済ませていたが、美味しいものを拒む舌はレクトは持ち合わせていない。
夢中で食事を口に運んで舌鼓を打ち、レクトはようやく、カイに宿で待っているよう言われていたのを思い出した。
「やっ、やばい! カイ、心配してるよね。戻らないとっ」
「だいじょうぶ〜」
慌てるレクトに、ランが餅を食べながらニコニコと告げる。ランがこういった断言をするときは信じて良いと、レクトはすでに学んでいた。
「いい食べっぷりねぇ。良かったら、うちでお菓子を食べない?」
「えっ、いいんですか!? ありがとうございますっ。あ、宿の仲間に言伝をしたいんですけど」
こういった誘いを断る選択肢はレクトにない。老女が快く伝言を頼まれてくれたのに安心して、レクトは喜び勇んでランと共に老女の家へ向かった。