チェズレイは詐欺師だ――
「モクマさん」
――詐欺師は9割の真実に1割の嘘を混ぜて口に乗せるんです。嘘は相手が好むものであればあるほど良い。愚か者は1割の嘘が毒とも知らず悦び食いつき、毒が回った頃には『わたし』も愚か者の財も消えている。
「モクマさん、聞こえてますか?」
「……ん、ああ、すまんすまん」
モクマは相対する相棒の強い口調の声に意識を戻された。前を向けばチェズレイの眉目秀麗な顔が映る。寄せられた柳眉と吊り上がった目尻。嵌め込まれた紫水晶には陰りが見える。批難と心配と不安の色がマーブル模様を描いていた。
「何の話だっけ?」
おどけた顔で小首を傾げてみせる。
チェズレイは、はあと溜め息を吐き出した。
「ディナー、口に合いませんか」
カチャリ。チェズレイが手元のスープ皿の底をスプーンで擦った。
同じものがモクマの前にも置かれている。黄金色のスープに歪んだ男の顔が映っている。
チェズレイが仕事終わりに疲れた身体をおして作ってくれたコンソメスープだ。角切りのにんじん、玉ねぎ、セロリ、仕上げのディル。舌の上でほろり崩れる具材と塩味の効いた汁のハーモニーが口の中で広がる。
「おいしいよ」
二人の間に置かれたバスケットからバゲットを掴んで齧り付く。
「ウソつき」
チェズレイが鋭い視線をモクマへ突き刺す。
モクマはふわふわのパンを噛み含みながら、(どっちが)と詰った。
「ねェ、モクマさァん、」
蠱惑的な笑みを浮かべたチェズレイがねっとりと喋る。
「私に言いたいことがあるのでしょう?」
「……」
モクマは押し黙った。
いつも勝手にこちらの心を丸裸にするのが好きなくせして言わせたがるとは。
腹の中でぐるぐる回る理不尽な怒りを宥めている最中のモクマは無言のままスープを啜る。
チェズレイはスープをゆっくりかき混ぜている。彼の前に浮かぶ黄金色の海はちっとも嵩を減らしていなかった。
「モクマさん、私ね」
手慰みに銀の匙を揺らしている男が告解する。
「そのスープに自白剤を盛ったと言ったらどうします?」
モクマは、口角を吊り上げた。
「だからちょっと塩辛いのかい? いつもと味付けが違うと思ったよ」
「違和感を覚えておきながら迷わず口を付けますか」
いつぞやにも聞いた批難を聞き流す。
「あなた、怒っていますよね」
「怒ってないよ。苛立ってるだけ」
都合よく『自白剤を盛られた』のでモクマは素直に感情を表す。チェズレイの検分するような瞳がモクマの視線と絡んだ。
「今日の私の仕事にご不満があると言いたげな目だ」
「仕事の結果に不満はないよ。相変わらず見事な手管で奴さん踊らせて丸裸にしてたじゃない」
「あァなるほど。気に食わないのは男を踊らせた内容のほうか」
下唇に指を添えて、チェズレイは思案げに息を吐いた。それから、困ったように眉を下げてモクマへ笑いかける。
「ただのつくりばなしですよ?」
愚かな男を釣り上げるためにでっちあげた作り話を真に受けてもらっては困るとチェズレイは言う。
モクマもそう思う。
スープの中のモクマは恐い顔をしていた。きっと、男の屋敷屋根裏でチェズレイの変装した魅惑的な女性とターゲットの愚か者の会話を盗み聞きしていた時も同じ顔をしていただろう。
脳裏でその時の会話が再生される。
――あの人とどうして結婚してしまったのかしら
ターゲットの男は人妻に弱かった。他人の女を自分の手で奪うことに快楽を見出す下劣な男だった。
チェズレイの話に出てくる「あの人」=「夫」はモクマをモデルにしているようだった。嘘だとバレないように実在するモノや事実を登場させるのは詐欺師の常套手段だ。
――ズボラでだらしなくて食べることとお酒が好き。あなたのようなセンスはないの。前なんて突然その辺の野花をむしって渡してきたのよ? まあ、夜はそれなりに愉しませてくれる人だったけど、あなたの方が上手だった。
――嬉しいよ。それより、美しい君に泥のついた野花なんて、そいつ、君のこと愛してないんだよ。
――私ね、今日、あの人に黙って出てきたの。もう、帰らないつもり。来世も一緒になんて約束したのにね。裏切りかしら。
――大丈夫。君のことは守るよ。それより、そいつ追いかけてくるんじゃない?
――追ってこないわよ。そんな意気地、あの人には無いもの。去るものは追わない人よ。
――都合が良くて最高だね。
――ほんとうに。
詐欺師は9割の真実に1割の嘘を混ぜるという。
チェズレイにとってこの話はどこまでが嘘(つくりばなし)でどこまでが本当(しんじつ)か。
モクマはかつて自分勝手な自罰にチェズレイを利用しようとした。彼の仇敵を前に利用しちゃくれないかと誘った。モクマはチェズレイにとって都合の良い男になりたかった。
「都合の悪い男は嫌いかい?」
チェズレイがモクマに黙って出ていったのは本当。
来世の絆を願い約束したのも本当。
去るものは追わない人だとチェズレイに思われていたのも本当。
あの寒々しい極北の地までモクマが追いかけてこなけれぱチェズレイにとって計画通りで都合が良かったのだろう。
だけど、実際モクマは追いかけたのだ。チェズレイの計画をズタズタのボロボロにするために。
意地の悪い質問にチェズレイはパチクリと瞬きする。
「…………」
ひとつ深呼吸したのち、彼はスープを一匙すくって口に入れた。『自白剤の盛られた』スープを呑み込んだ男が笑う。
「私の完璧な計画を『つくりばなし』に変えてしまう忍者さんのこと、嫌いじゃありませんよ」
それから、とチェズレイは続ける。
「……実を言うとね、このスープ、自白剤は入れていないんです」
塩を入れすぎたのだとチェズレイは自供した。
「あなたの機嫌が悪い理由を考え悩んでいたら塩加減を間違えてしまいました」
これはほんとうですよ、と念押すチェズレイにモクマは「ごめんね」と謝り、皿のスープを飲み干した。