ringed「七海どこにいんの」
ヒュっと息を飲んだ伊地知の反応は、理解するには充分だった。
窮屈な箱から出たら人類はもういませんでした、なんて事が過らなかったわけじゃない。それに比べたらマシな方だろう。……人類にとっては。
「死んだの」
言い淀む伊地知がyesかnoで答えられる質問にする。
その声が我ながら明日の天気を聞くかのように、飲み会の出欠を聞くくらいの軽さで。
ごくごくありふれた会話のようなトーンは伊地知の心臓を殴ったらしい。
「五条さん!!」
伊地知がこんなにも声を荒げ、非難の目を向けた事はなかった。
僕の態度が気に入らないのは分かるけど、伊地知を気にしてる余裕はない。
「鍵」
「え、」
目の前に手を突き出してやれば怒っていたのも忘れたのか狼狽えて僕の手と顔を交互に見てくる。
「七海のロッカーの鍵」
「あ…はい…誰も触らずにそのままにしてあります」
ん、と受け取って部屋を出た。
伊地知が口を挟むまでもない。
もしここで五条が泣き崩れたとしてもどうしようも出来ないのに一緒に悼みたいとは傲慢だ。
同じ世代に生まれた先輩後輩ではあるが、二人の間には入れない。
それでも少しでも分け合えたら…。
伊地知は出て行く五条の背に頭を下げた。
小さな鍵を手で弄びながらロッカールームへ入った。高専の一部は壊滅的だったがここは無事で、少し埃っぽいだけだった。
小さな名札に『七海』と手書きされた個人ロッカー。思わず筆跡を指で辿ってから軽く息を吐いてから鍵を突っ込む。カシャンと軽い音を立てて難なく解錠されて、意を決して扉を開く。
中にはいつも着ているスーツが一式。革靴が一足。
ビシッとキメたスーツ姿でゴリゴリの近接スタイルとかほんと何考えてたんだろう。似合ってたけど。そんな姿が好きだったけど。
リーマンにとってはスーツが戦闘服ってやつ?それにしてもこんな汚れやすい明るい色なんて。復帰しに高専に戻ってきた時は濃い色のスーツだったのにどんな心境の変化だろう。
たまに汚してたけどそんなにダメはしてなかった気がする。それでもこんな風に予備を用意しておくところが七海だなって思う。
あとは棚の上に高級そうな紙袋。
腕時計か何かだと当たりをつけて手に取ると予想外に軽い。
少し埃の被ったベロアのケース。これはどう見ても。
そっと開いてみると2つのリングが並んでいた。
「オマエさぁ…」
まるで七海がそこにいるかのように呟く。目の前のスーツが錯覚させたのかも知れない。
シンプルなシルバーのリング。内側にそれぞれのイニシャルが刻印されていた。
一体どんな顔して買ったんだか…。
想像して笑う。
「オマエが渡すっつっただろ」
『S』と彫られた方を薬指に通す。指のサイズなんていつ測ったんだろう。
ついでにもう一つ『K』と彫られた方を重ねて嵌めてみると少し緩い。
しっかりとした骨太の手を思い出す。
何度指を絡めたかな。
先に嵌めていたリングを外し『K』『S』の順に嵌める。
ジャストサイズの『S』で蓋をすれば『K』も外れないだろう。
満足して左手を眺める。
いつだったか噛み付かれた跡はすぐに消えてしまった。
今度は消えない。
一目で分かる、誓いの証し。
これは確かに縛りかも知れない。
「愛してるよ」
二つ重ねたリングに口付ける。
この歪んだ呪いが、誰よりも愛しいお前に届くように。