その夜、エレインはそわそと寝付けなかった。なにせバンとのふたりきりの時間を削ってまで誕生会の準備をしたのである。かつての生命の泉の聖女は味わったことのない、緊張を強いられていた。
一方、バンもなかなかにソワソワしていた。料理の他にちょっとしたものを用意したのだ。エレインがバンからの贈り物を喜ばない、なんて事は絶対にないという自信はあったが、自分が得たまともな収入で買った品物を誰かにプレゼントするなど生まれて初めての事だ。それにエレインの《内緒》とやらも気になる。きっとなにか、可愛い事を企んでいるに違いないのだ。
つまり、二人してそわついていた。
ベッドで各々がもぞもぞしていたら、はたと目が合い、同時に吹き出した。心を探るまでもない、この程度のことなら考えている事は筒抜けだ。
「いいから寝ろってエレイン♫」
「バンこそ」
「じゃあ合図するから同時に目を瞑るぜ♫ せーの!」
クスクス笑いながら元々ゼロの距離を更に詰め、程なくしてようやく眠りについたのだった。
「おはよう、エレイン! お誕生日おめでとう!」
朝一、待ち切れない様子でバンとエレインの家の扉を叩いたのはディアンヌとエリザベスだ。
「おはようふたりとも。ありがとう!」
「エリザベスと一緒にプレゼント用意したんだ。ちょっと豚の帽子亭に一緒に来て、お家に入らないから」
挨拶と祝福のキスもそこそこに、ディアンヌはほっぺを赤くしてまくし立てた。
「お……お家に入らない?!」
「ディアンヌおめー、巨人族サイズのパンツでも用意したんじゃ……」
「そんな訳無いでしょバカバン!」
「えへへ……。実はパンティも考えたのよ、でもエレインが好きなものと言ったらアレかなって」
「アレ……?」
……おウチに入らないような大きさの、私の好きなものって一体何かしら……?
エレインは楽しみと不安がないまぜになった気持ちで曖昧に笑った。
心を読めばそれが何かを突き止めるなど容易いが、そんな事をするほど野暮でもなければ礼儀知らずでもない。
「ま、行けばわかんだろ♪」
バンは相変わらず飄々としている。
そんな様子を見て、もしかしてバンは何か知っているのかな、と感じた。
「お店に置いておいたんだ」
とディアンヌ達がいうので、かなり早い時間だが豚の帽子亭に向かう。そして着いた店の扉の前で、沢山の気を感じたエレインはもしかして、と小さく息を呑む。その気がなくても人の気持ちを感知する能力を、わざとでなくても発揮してしまったのは少し申し訳ない心地がした。
「ま、しゃーないだろ♪」
そんな心理が顔に出ていたのか、バンは肩をくすめると「入んな♫」とエレインを先に店内に促す。少しだけ躊躇した後、えいやと扉を開けると……。
「えっ、もう来たやべぇ!」
いちばん最初にジェリコの悲鳴が聞こえ……
「うおっディアンヌ!」
何故かハウザーの慌てた声が耳に入り……
「皆さん私のように泰然としていないと。あ、マーリンさんは別ですが」
一番扉側のテーブルで寛いでいるエスカノールとマーリンの姿が目に入り……
「キュピーン☆ ハッピーバースデー、だぞ☆」
ゴウセルがいつものポーズで出迎えた。
「おいおいおーい、ゴウセルさんや、段取りどおり行こうぜ、一応」
後ろから来たメリオダスはゴウセルを押しのけて「グダグダになっちまったけど、ま、そういう訳だからよ」と歯を見せ人懐こい笑みを浮かべる。
「ハッピーバースデー、エレイン!」
そして呆気にとられて固まるエレインをそれぞれがそれぞれの場所から歓迎し、ついでバラバラに魔法仕掛けのクラッカーを鳴らして出迎えた。
「こりゃヒデェな団ちょ、計画と大分違くね?」
枝垂れ柳のように天井から垂れ、まだ設置しきれていないガーランドをくぐってバンはぼやいた。
「いやもう少し遅く来るもんだと思っててさ」
「今から向かうって伝えたじゃない、メリオダス」
「いや、聞いてないぜ?」
「あ、ボク伝え忘れちゃったかも」
「戦犯はディアンヌか♫」
「えへへ。ごめーん」
「あ、あの……!」
主役を置き去りにしていつものコントじみたやり取りを始めかけた面子に対し、エレインは己の存在を主張する。
「みんな集まって……これはその……」
一体何かと尋ねるほど愚かではないが、やっぱり何だろうと頭のどこかで思っていた。状況的にどうやら私の誕生日を祝うために集まっているようだ。それにこの、やりかけとはいえ店内の賑やかな装飾もみんな私の為なの?
救いを求めてバンを見上げると、優しい瞳とかちあい、肩にポンと手を置かれた。
「そういうこった♫ ま、いつもの面子にプラスαって程度だけどよ、お前の結んできた絆っつーか……まぁアレだ、どうせなら賑やかな方が楽しいだろうと声かけたら、皆お前を祝いたいって集まったっつーか ……理由つけて飲みてぇだけかもしれないがな♫」
「ひゅー!バンってば照れてる〜!」
「うっせ♪ 」
「まぁ、もうその辺にして乾杯といこう」
見かねたらしいマーリンが割って入りパチンと指を鳴らせば、全員酒が注がれたグラスを手にしていた。
「んじゃ改めてエレイン、新しい豚の帽子亭の家族に……オイ、バン」
そのままメリオダスが乾杯の音頭を取ると思いこんでいたバンは肘で突かれ一瞬目を見開いたが、グラスを掲げる。
その時、状況に流されかけていたエレインはハッと気づいた。
兄さんは……?
しかしどう考えても口にできる空気ではない。エレインがへどもどしている間に、バンが真心の籠もった低い音で「ハッピーバースデーエレイン……この世に生まれてきてくれてありがとよ♫」などと言いながら指輪をはめられた物だから、すっかりのぼせ上がってしまった。
「乾杯♫」
「カンパーイ!」
「はっ。あの、兄さん……」
当然、エレインのか細い声は皆の唱和にかき消される。
………しかし、その時に強い金木犀の香りがエレインの鼻孔を刺激した。
「おめでとう、エレイン。たった一人の可愛い妹」
聞き慣れた声よりもう少し、お兄さんになった声……けれども聞き違えようのない尊敬する兄の声にエレインも我知らず笑顔になる。そしてその声が耳を心地よくかすめた瞬間に、何処からか仄かに光る花びらが一斉に飛んできて、またたく間に美しいラベンダー色のドレスとなってエレインの肢体を包んだ。
一瞬だけ、しん、とその場から音が消える。けれども次の瞬間にはどっと歓声が上がった。それから口々におめでとう、きれいだ、と皆がエレインを褒めそやし、こんな賑やかな場は初めての妖精姫は目を白黒させてバンに視線を送ったが、彼は珍しく眩しそうにその光景を眺めているばかりだった。
「……久々だけど上手くいって良かったよ。昔はこうして服を着せてあげたの、覚えてる?」
ひとしきりエレインがもみくちゃにされた後、キングは妹にそう尋ねた。
「忘れる訳ないじゃない。兄さんの服、一番好きだった」
「ああ、よくそう言って喜んでくれたよね。……まだ好きかい?」
「大好きよ、ずっとだい好き。……ありがと、兄さん!」
照れくさいからいつも口にする訳ではないけれど、キングのまごころはずっといつだって、エレインに伝わっているのだ。少しだけ頼りなくて不器用で、でも本当は誰よりも頼れて尊敬する、一番大好きな兄。その兄に心のままにハグしようとすると……何故かバンの腕の中に納まっていた。
「カカッ♪ もーらい♫」
「バン〜。今そういう所?」
「お約束ってやつだろそこは♪ ……ヤルじゃん、兄貴♫」
「どうも。キミはどうなの、バン」
「バンはとっても美味しい、スペシャルなお料理食べさせてくれるのよ! 昨日試作品? 食べたんだけど凄く美味しいの!それにさっきは急でびっくりしたけど指輪……! なんて美しいのかしら。これ、海の石ね。 初めて見たわ。有難う!」
「オウ、真珠な♫ いつかそいつの本体も見に行こうぜ?」
「バン……!」
早速恋人といちゃいちゃし始めた妹に、安堵と悲哀の混じった息を吐いたキングは「あんなに悩んだけどディアンヌの言う通り、特別な事なんて必要なかったな」と肩をくすめた。
「もしかしてふたりとも、私への贈り物で悩んでいた?」
申し訳無さそうにエレインが口を挟めば、彼女の恋人と兄は「そうでもない」と口を揃えて答えたので、エレインは声を立てて笑った。
「贈り物って悩むものね。私も色々考えたの。でも悪い時間じゃなかったわ。……あのね、私、みんなに伝えたい事があるの」
バンの腕からするりと離れたエレインは、フワリと浮くと場の全員に呼びかけた。それは大きな声ではなかったが不思議と賑やかな中にもよく通り、皆は彼女に意識を向けた。
「私、本当ならこうして楽しく皆と時間を過ごす事なんて叶わない身だったけれど、バンが死者の国から、こちら側に引き戻してくれたわ。でも結構、彼無茶するから……」
よく通る、けれども耳触りの良い、聞いていたくなる声色だった。誰もが光を纏い宙に浮く妖精姫を注視して、続く言葉を待っている。
「そんなバンを皆は支えてくれた。もちろん私自身の事も。種族も歳も性別も、色々なものがバラバラでも、心は重ねる事ができるって私、知ったわ。今ここに私がいるのは皆のおかげ。だから私も自分が生まれた日に、私を生かしてくれている皆に。感謝と贈り物を……」
エレインは細く白い腕をす、と上げた。その動きに合わせて不思議で心地よい、良い香りのするそよ風が室内を巡る。風に乗ってエレインが身に纏う花びらが宝石の欠片のように煌めきながら宙を舞った。
それからだ。エレインの桜色の唇から、小鳥が歌うような可愛らしい歌声が発せられたのは。それは人には理解できない古の妖精の歌だったが、何故か誰もがあたたかな懐かしさを感じる旋律だった。不思議な言葉で同じ音階を繰り返し、ツグミのように忙しなく上ったり下ったりして、聴く者をうっとりした気分にさせた。
ただ一人、バンを除いては。
彼は古いが何より色彩豊かな、あの七日間に引き戻された気分にさせられた。あの時に聴いているのだ。この歌を、この妖精から。
「〜♫……♪……」
バンはエレインの歌声を追いかけるように、同じ音をなぞって口づさんでいた。エレインは声を止めることなくバンを見て、微笑む。そのまま愛しい盗賊に腕を伸ばし、盗賊はその手を取った。
そしてそのまま、妖精を奪い取り、店から逃げ出したのだ。
「やっぱこのオチか〜」
言葉ほど呆れている様子のないメリオダスは、いつものようにエリザベスに絡みながらエールを煽る。
「美味すぎる残飯残してくれたから文句ねぇけどよ!」
ホークはバンとエレインの食べかけに舌鼓を打った。
「プレゼント、渡せなかったね。明日でいっかぁ」
「そういえばディアンヌとエリザベス様、何作ったの?」
キングがディアンヌに尋ねると、エリザベスは笑顔で「植木鉢です。ディアンヌが土を練って、私が装飾したんですよ」と教えてくれた。
「中に入れる植物はキングにお願いしてもいいかなって思ってたんだけど、まさかあんなに悩んでたのにあんなに素敵な贈り物を思いついたなんてね〜」
「ディアンヌのおかげだよ。まぁ、でも……」
兄は妹と、義弟の出ていった扉の先を見通すように、遠くに視線を投げた。
「お誕生日おめでとう、エレイン。有難う……バン」
妖精は歌いながら舞う。彼女を奪った盗賊とともに。生まれた日の歓びの歌を。己の生命に、それを支えるすべての生命への感謝の歌を。
盗賊は歌う。内容なんて知らない不思議な音の歌。ただ、愛しい妖精が歌うから。彼女が一緒に歌うと喜ぶので。
バンとエレインは二人でくるくる舞いながら歌い踊り、それはその日が終わったあとでもずっと続いたのだった。