バイク屋日記 ハロウィンがこんな風に経済を回すイベントになって日本に定着しつつあると聞いたら、海外の人々はどう嘆くんだろう。ただの仮装パーティみたいな騒ぎになってる商店街を眺めながら、乾青宗は頼まれて買出しに出た大量のお菓子を詰め込んだ袋を揺らしながら歩いていた。
明日はこの商店街を上げてのハロウィンイベントが行われる。それに乾と龍宮寺の営むバイク屋が巻き込まれる事になった。
主に子供の為のイベントになるのだが、仮装した客が商店街の店を回りお菓子貰ってスタンプラリーをして回るそうだ。出店が出たり、スタンプラリーを達成した子供達がくじ引きで景品を当てたり。そんな歳末前の最後のイベントだった。
「ただいま」
D&Dモータースは一面ガラスのショーウィンドーで囲まれている。本来、展示してあるバイクの様子が良く解るように透明なそれに今は無数の蜘蛛や黒猫、そしてジャックオーランタンのデコレーションシールが貼られ、黒と紫のスプレーでペインティングされていた。
「おかえり」
店の扉の横に、大きなオレンジ色のかぼちゃのオブジェを飾っていた龍宮寺が早くも呆れ顔の乾を振り返る。
「すげぇな…」
「いい出来だろ?」
二人のバイク屋は小さい商店街のイベントながら、なかなか人目を惹きそうないいデコレーションに仕上がっている。
龍宮寺と言う男と長く付き合っていて気付いた事だが、彼は器用で何をさせてもセンス良くこなす事ができる。先週買い回った店の飾りつけがどう利用され、どう配置されるかなんて、乾には全く見当が付かなかったけれど、きっと買っている時点で龍宮寺の頭の中には構想があったのだろう。
数年前まで釘バットと鉄パイプを振り回していた自分達(主にそれは乾だが)もこうやって社会に巻き込まれ、丸く角が落とされていくのだろうなんて感慨深くなる。
「頼まれた飴と、チョコレート買って来た」
「サンキュ。あとは三ツ谷が仮装の衣装を届けてくれるってさ」
「仮装…すんのか?」
「するだろ。当然」
当たり前だろ、何言ってんだよと龍宮寺は笑っているが、乾はどんよりと顔を曇らせた。
「三ツ谷が去年友達がハロウィンで使ったやつ持ってきてくれるってさ」
三角の魔女帽子をかぼちゃに固定しながら、龍宮寺は言うが何故そんなに呑気でいられるんだと乾の胸のウチは嵐が巻き起こっている。出来るだけ目立たないように、平和
に、静かに暮らしたいのに。あの文化祭のファッションショーに巻き込まれて以来、どうもにも乾の心は穏やかでは無い。
「なるべく地味なのがいい…面倒くせぇし」
「そう言うなって。せっかくのイベントなんだし。商店街とも仲良くしなきゃな」
「それは、そうだけど…」
ただでさえ数年前まで事故物件の空き店舗で気味悪がった人々の悪い噂が耐えない場所だったバイク屋だ。それを地道に、真面目に働いてなんとか信用に繋げて商店街のイベントにまで参加できるまでになった。
自分一人ではこうはいかなかっただろう。歳は上でも龍宮寺の人間性には、一生勝てない。
「……お前はすげぇよ」
「何がだよ」
ぼそっと言い放つと笑われて肩に腕を回されて肩を組まれる。
「ちゃんとしてる」
「……ふはっ、なんだよそれ」
「お前なら、社会人としてちゃんとやっていける…」
「イヌピーもちゃんとバイク屋やってんじゃん。真一郎くんの店みたいに皆が集まれる店になってるだろ?ここも」
「……」
見上げればD&Dの文字。店の名前を何にするか二人で一週間悩みまくった事が懐かしい。
「おーい、何店の前でいちゃついてんだ?」
そんな肩を組む二人を笑いながら呼ぶ声があった。振り返ると大きな袋を肩にかけた三ツ谷が佇んでいる。
「イチャついてねーし。早いじゃん」
極自然に二人で三ツ谷の荷物に手を伸ばせば、彼は笑って衣装の入った大袋を差し出した。
「持ってきたぞ。色々。子供がチビルくらいのクオリティに仕上げてやっから覚悟してろ」
「いや、そう言うのいい」
スンッと半眼になった乾の口を慌てて塞いだ龍宮寺はきらりと三ツ谷の目が光った事を見てしまった。
「だめだって、イヌピーっ!」
■■■
バイク屋の営業をやりながら、仮装の衣装を決めるもんじゃない。
笑顔の三ツ谷に差し出された不思議の国のアリスの衣装を身に纏ったまま、バイクの仕上がりの納品伝票に記入していた乾は客からの痛いほどの視線を感じていた。
「あー…ハロウィンの…」
困惑と同情をない交ぜにした客の返事に対応しているのは、某世界的に有名となったアニメ作品に登場する黒くてデカくて不気味なアレのコスチュームを纏った龍宮寺だ。ちなみに物語の中では「あ、あ…」としか言えない筈だが、持ち前の外面の良さで客と世間話でその場を取り繕っている。
「そーなんですよ。驚かしてすんません」
乾が無言で差し出した伝票を受け取った龍宮寺が会計をしている間、早足で客用ソファに戻った乾が頭上の黒いリボンを毟り取って衣装を吟味している三ツ谷に詰め寄る。
「次は何着るんだ?早く出せ」
「お、イヌピーやる気だな。いいね、オレそう言うの嫌いじゃないぜ」
「なんでもいい。スカート以外のものを寄越せ。出来れば普通の服がいい」
「なんだよ。次はこれにしようと思ってたのに」
ブルーの氷の結晶が散りばめられたドレスを拡げられて、乾ががっくりと肩を落とす。
有名なアニメの二人姉妹の姉のアレだ。乾にも解る。
「うーっ…」
「三ツ谷。面白いけど、ねえわ…コレ」
黒尽くめで顔だけ出した龍宮寺がこちらに歩み寄ると低い声で唸る。
「ちょっと、ドラケンには小さいか」
裾からツナギ見えてんじゃん、ウケる。そう言ってひとしきり笑うと三ツ谷は龍宮寺を綺麗に無視して妹用のドレスを広げた。え、それドラケンのか???と恐れ戦く乾は隣の龍宮寺を盗み見た。龍宮寺も三ツ谷の手の中のドレスの意味に気が付いたのかぞっとしたような顔をして額に手をやった。
「三ツ谷。真面目にやれ、真面目に」
「真面目だって。お前ら、我が儘なんだよ」
「いや、普通の狼男とか、吸血鬼とか、包帯男とか。そんなんでいいだろ?」
「そうだ、そうだ!!」
「そんなのつまねーじゃん」
「お前が楽しいだけだろーがぁ!!」
「ああん???もう一回言ってみろ!!!!」
徐々にヒートアップしていく三人が怒鳴り合いを始めると、もう収集が付かなくなる。ぎゃいぎゃいと騒ぎながら、衣装を叩き付け合い大騒ぎになった店に、その時また来店があった。
「うるせぇな…」
低い声に一斉に振り返った三人が固まる。そこに佇んでいたのはなんと柴大寿だったのだ。
「た、大寿!?」
一瞬、自分の目を疑った乾が思わず龍宮寺の後ろに隠れるのを横目で見て、大寿は溜息をつく。
「何騒いでんだ、三ツ谷」
「げ、もうそんな時間?」
「お前がここで待ち合わせだって言うから来てみれば何なんだこの騒ぎは…」
見るからにハイクラスのスーツを身に纏った大寿がバイク屋二人の格好を交互に見る冷たい視線にぎりぎりとしながらも龍宮寺が言い返す。
「明日のハロウィンイベントの衣装合わせだよ。仕方ねぇだろ」
「ッチ、三ツ谷、早く終らせろ」
「解ってるって」
夏の花火大会で二人を見かけて以来、ずっと聞きたくても聞けなかったがやはり三ツ谷と大寿は連絡を取り合う仲だったようだ。それどころかもっと親密らしい。元上司の大寿をじっと見つめて乾は思う。
( 少し雰囲気が変わった…? )
黒龍を統率していた頃のギラギラとした攻撃的な空気は今の大寿には無い。
年齢を重ねただけでは無いその微妙な変化は三ツ谷の隣に並ぶとより一層解りやすくなる。
「ごめんね、すぐ終るから」
穏やかに告げた三ツ谷に頷いて、その傍らに佇む。その目許が優しい色になる。
「早くしろ…」
「うん」
たくさんの兵隊に囲まれても、いつも孤独に見えた王の姿は無い。拗ねたように袋の中から衣装を引っ張り出す三ツ谷を愛しげに見下ろしている。
「じゃあ、普通すぎて出すの嫌だったヤツにするか。二人とも強情なんだよ」
「あるなら早く出せよ、最初から」
げんなりとした龍宮寺に三ツ谷が押しつたのは黒くて長いマントだ。裏地が赤くて白いレースの飾りの付いたシャツも差し出す。
「イヌピーはこれな」
大寿の変化を感慨深く見守っていた乾に、三ツ谷が差し出したのはもふもふの毛皮の塊と首輪だった。
「は?」
「明日メイクに来るから二人ともしっかり着とけよ。大寿くん、待たせてわりぃ、行こうぜ」
「おい、三ツ谷!!」
急な展開についていけず、黒い塊の龍宮寺と不思議の国のアリスの乾が焦って呼び止めても三ツ谷と大寿は連れ立って店を出て行く。店の前にはハザードを点滅させた高級車が停まっていて、大寿は運転席に三ツ谷は助手席に乗り込んだ。
「また明日な」
そう言い残して、嵐のように去っていった二人を、バイク屋二人は見送る事しか出来なかった。
「なんか…疲れた」
「ドラケン…その格好面白いな」
「うるせーし」