聖夜の逢瀬雪が降り、辺りを白く染めていく。
ツンと凍える空気は、息を吐けば靄のように広がる。
既に足を踏み出せば、ザク、と音がするくらいに雪が積もっていて、そこに真新しい足跡がついていた。
黒い装束についた雪を手で払い、紅の瞳が闇夜の中で動く。
(…今夜は人間共の気配を感じぬな)
目的の場所は明かりがついていて、光が漏れていた。
力を入れると、ギギ…と音を立てて開く。
「あら、吸血鬼さん。今日は遅かったのね」
「……何をしておるのだ?」
いつもより煌びやかな教会の中。
そこに現れたのは、“暴君”と謳われる吸血鬼、ヴァルバトーゼ。
笑顔を向けるシスター、アルティナは彼を招き入れる。
「今日はクリスマスですわ」
「クリスマス…?なんだ、それは」
「そうですわね…この世にとある神が降臨された日…と言われている日ですわ」
「何かと思えば…悪魔の俺が、神などの出生を知るはずがなかろう」
「ふふ、そう言えばそうですわね」
溜息をつきながら、部屋の中へと足を踏み入れる。夜だからか、戦争も動く気配がない。
「…それで?クリスマスとやらは、このように飾り付けるのか?」
「ええ。今は物資もまともにないので、このようなことしか出来ませんが…神がそのご加護でわたくしたちを守って下さるよう…早く戦争が終わるよう…祈りも兼ねていますわ」
「人間は下らぬな。神とやらがこの現状をどうこうするはずはなかろう。奴らほど合理的という名の冷徹な判断をする者はおらぬぞ」
「……そうですね。それでも、わたくしたちはまた明日もこの現実を生きてゆくのです」
だから、今だけは。
そう言いかけた唇が意味をなさず閉じられる。
俯いたアルティナの手に在る紙の飾りが、くしゃりと音を立てた。
ヴァルバトーゼはその手から飾りを取ると、壁に貼り付ける。
「…吸血鬼さん?」
「祈るなど俺のすることではないが、お前が今日も生きていたことだけは、俺に約束を破らせなかったことくらいは感謝してやっても良い。それだけの話だ」
ぶっきらぼうに背中を向けたまま言うヴァルバトーゼに、アルティナは目の端に涙を僅かに溜めたまま微笑んだ。
「ありがとうございます」
「礼など言っている暇があるのなら、さっさと済ませろ」
「はい」
簡素な飾りを終わらせると、アルティナはやり切ったというように息を吐いた。
「これで満足か?」
「満足と言うには…ですが、贅沢は言っていられませんわ。何より、ひとりじゃありませんもの。それだけで充分です」
「……そうか」
笑顔で言うアルティナに、居心地悪そうに目を逸らすヴァルバトーゼ。
「…それより、夜だからか?人間共が動く気配が見られぬぞ」
「ああ、クリスマス休戦、ですわ」
「何だそれは?」
「クリスマスの今日は兵士の方々も大切な人と過ごそう、と今日だけは休戦していますの」
「…理解に苦しむな。明日からはまた元通り戦争か?なぜ今日休戦したならそのままに出来ぬ?いやそれより、クリスマスだからと闘争をやめるというのも理解出来んな……」
「ふふ、悪魔の観点ですか?」
「互いの暴と暴をぶつけ合ってこそ、闘いというものは面白いのであろう?そこに他者のことなど関係ない」
「残念ながら、人間はそうもいかないのです」
「愚かだな」
「ええ、愚かです。でも、だからこそ愛しいのですわ」
慈愛に満ちた表情でそう言うアルティナに、ヴァルバトーゼはさらに首を傾げて「…分からん」と言う。
「本当は子供たちも呼んでパーティーをしたかったのですが…子供たちにも親がありますし、いつまた戦争が始まるかわからない今、外に出るのは危険ですから」
「それでお前ひとりでやっていたのか?」
「きっと、あなたがやって来ると思っていましたもの。だから、ひとりで飾り付けていても寂しくなかったんです」
「…本当に来るかなどわからないであろうに」
「きっと来てくれますわ。そういう方ですもの」
くすくす、とアルティナが笑う。
「だから─ありがとうございます、吸血鬼さん」
「…例を言われる謂れなどない。俺はお前を恐怖させ、さっさとその生き血を啜ってやりたいだけだ」
「ええ。ですが今日はクリスマスですから、それも休止ですわ。だからまた明日から─頑張ってくださいね、吸血鬼さん?」
「俺がお前たちの決まり事に則る必要はなかろうが…」
「あら、悪魔の考えを押し付けるのも良くないのではなくて?」
「傲慢とでも言うのか?どっちにしろ俺は悪魔だ、傲慢で何が悪い」
フン、と鼻を鳴らしながらヴァルバトーゼは壁に凭れて座る。
その横に、アルティナも腰掛けた。
「…なぜ横に座る」
「いいじゃありませんか、寒いんですもの。…と言いたかったのですが、吸血鬼さんって体温低いんですのね。なんにも熱が来ませんわ」
「寄るな。そもそも悪魔に暑さ寒さを感じる必要などない。そんなものは生きるのに邪魔なだけだ」
「悲観することばかりじゃありませんわ。夏に日陰で涼む時間は、冬に寒いと身を寄せ合う時間は…何にも例え難い、幸せな時間ですもの」
そう言いながら、アルティナは毛布を膝へとかける。
ふと、ヴァルバトーゼの肩に頭を寄せる。彼も嫌がるものの、無駄だと分かれば諦めの顔を見せた。
満足そうに凭れる彼女の瞼が少しずつ落ちていく。
「…来て下さってありがとうございます、吸血鬼さん。少しだけ、寂しくなくなりましたわ」
「……眠いのならばさっさと寝るがいい。人間は、睡眠が必要なのであろう」
「…はい…あ、もし起きた時に、吸血鬼さんが…隣にいなかったら…少しだけ、怖いかも…しれません、わ…」
そう言って眠りに落ちた彼女に、ヴァルバトーゼはため息を着く。
「俺がいなくて、どうやってお前に恐怖を与えたと証明出来ると言うのだ…全く」
安心しきったその寝顔に、若干の落胆を覚えながら、ヴァルバトーゼはその華奢な肩口まで毛布をかけてやる。
人間の身でありながら神に仕え、その出生すらも記念日であると祝う。
悪魔の自分に恐怖心もないと言い張り、神聖なる場である教会に悪魔の侵入を許す。
やはりこの女は分からない。
そう考えながらも、スヤスヤと寝息を立てる彼女に、ヴァルバトーゼはその肩を貸すのであった。