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    まろんじ

    主に作業進捗を上げるところ 今は典鬼が多い

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    まろんじ

    PROGRESS星の声22 完結トラック6
     彼女の話は、もうほとんど終わったよ。スキップさせてしまったなら、すまない。
     それからの彼女は、七緒が知っている姿とあまり変わらないから、特段話すこともないように思う。俺が彼女の『クロ』になったときから、この建物に住み、この建物に人々を集めていた。変わったのは、そうだな。──俺の仕事のやり方だ。
     これは、二人にはずっと隠していたことだけれど──俺は彼女からの依頼も命令もないまま、たくさんの「信徒」たちを殺すようになった。例えば、彼女の髪を引きちぎった男。彼女の首を絞め上げた男。七緒の頭を殴った男。七緒の腕を捻った男。そうした男にもう「信徒」の資格はないと勝手に断じて、首を絞めたり、頭を殴ったり、ナイフで刺したり、毒を飲ませたり──そうやって、五十人ほどは殺しただろう。
     四騎士にいた頃の俺が罪に問われなかったのは組織の保護下にあったから、フリーランスの人殺しだった頃の俺の場合は依頼者が警察さえ抑えられるような力の持ち主だったからだ。今の俺は、死体や被害者の身元の特徴からこの教団に繋がればすぐにでも罪に問われかねないのだ。彼女に警察を抑える力があるわけではないし、何より俺 1670

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    PROGRESS星の声21次の依頼を受けたときのことだ。やはり彼女は、ホテル宛てに電話をかけて来た。どうも、公衆電話からかけているらしく、彼女の連絡先は分からないままだった。
    死体を処理して、依頼を終えた後、俺は荷物を全てまとめて彼女から指定された場所へ赴いた。
    「あら……随分、大荷物ですのね」
     ──七緒は、今も持っているだろうか。俺が、いつも部屋に置いていたあの緑色の大きなトランクだよ。お前が世界を見に歩くときにあげようと言っていたものだ。それを、俺は昔から国と国とを移動するときに使っていた。彼女は、それを見てやや目を瞠って言ったのだ。
    「どこかへいらっしゃるの? ……もしかして、日本を発たれるのかしら?」
     彼女は笑顔を張り付けたまま、怯えた子どものように瞳を揺らしていた。いいや、と俺は首を横に振った。
    「お前……ベイバロン。普段、どこへ住んでいるんだ?」
     彼女は、きょとんと瞬きをした。
    「依頼の都度、いちいちお前に呼ばれるのは面倒だからな。──ちょうど、日本で受けていた仕事が全て終わったんだ。今回の報酬は受け取らない。代わりに、俺をお前専属の人殺しにしろ」
     彼女はしばらく、ぱちぱちと目を瞬いていたが 521

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    PROGRESS星の声20「俺がクロロスなら、お前はさしずめベイバロンだ」
    「あら、新約聖書ね? 素敵。今度からわたくしのこと、そう呼んでくださらない?」
     ベイバロン──大淫婦バビロンは、新約聖書の一節『ヨハネの黙示録』に登場する女だ。獣に乗って現れて栄華を欲しいままにし、その手に持った金の杯は姦淫で汚れているという。
    「でも、わたくし……ベイバロンの知っている悦びを知りませんの」
     花の顔がちらりと、空っぽに見えた。だが、俺が怪訝な表情をしたのを読み取ったのだろう。彼女は、すぐにまた悩ましい顔をして身を寄せて来た。
    「ねえ、あなたなら教えてくださる?」
     こうして、男たちは篭絡されていくわけか。ハ、と俺は笑い声を漏らした。
    「冗談ではない。俺は、お前のような女に何も教えてはやれないよ。どこをどう見ても、女とはかけ離れた人間だろう」
     そうねえ、と彼女は首を捻った。
    「だけど、男の方でもないでしょう?」
    「それはそうだ。だが、この身長で女らしくしていては、目立ち過ぎて仕事に障る。男の振りをした方が怪しまれずに済む。それに」
     それに──奴といないのなら、女である意味など──。そう言いそうになって、俺は口を噤ん 1124

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    PROGRESS星の声19暴力団組長を殺し、その息子を依頼者に引き渡す仕事が終わってからも、同じ依頼者からいくつか仕事を受けていた。俺はそれらをこなすため、しばらく日本に滞在する予定になっていた。
    同じホテルに長く滞在するのは避け、数日おきに別のところへ泊っては出ることを繰り返す。日本でなくとも、ホテルのあるような国ではいつもそうしていた。だから、俺の居場所は簡単には探れないはずだった。
    それなのに、彼女はどうやったのか俺のいるホテルに必ず電話をかけて来た。名乗る偽名はその時々で異なっていたが、俺はやがて、フロントから電話が入ればその女だと分かるようになっていた。「今度は何の用だ」と答えるよにまでなってしまって──つまり、彼女の依頼を受けることが『いつものこと』になってしまっていたのだ。
    彼女の依頼は大抵、自分に付き纏う男を消すことか、狙いを定めている男を彼女の元へ攫って来ることだった。そして、攫われて来た男の大半は、消すよう後に依頼された。
    報酬は金で受け取る、と言ったら、彼女は案外と素直に支払った。それも、いつも依頼者の中ではトップクラスの金額をぽんと寄越すのだ。日本円にして六桁は下らない。一度、どこからそ 795

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    PROGRESS星の声18──ここまで話してから気付いたけれど……七緒には、彼女の話を聞かせない方がいいのだろうか。
     聞いていて辛くなるようなら、次のトラックまでスキップして欲しい。それが最後のメッセージだ。
     彼女からどんな理不尽な目に遭わされても尚、七緒が彼女を慕っているのは、俺もよく知っている。
    俺のように広い世界を自分の目で見て歩いて触れる日が、お前にも必ずやって来る。俺が言うと、お前は微笑んだのだ。「うん、楽しみにしてる。そのときは、お母さまとクロも一緒に行こうね」。一人では寂しいだとか、どう歩けばいいか分からないだとか、そういった理由だったのかもはしれない。けれど、七緒が当たり前のように彼女を、人生を共にする家族と思っているのを見ると……俺は、罪悪感で胸がいっぱいになる。
    彼女を慕わずにはいられない、というのもあるのだろうな。十になったばかりのお前はまだ、大人の手を必要とする子どもだ。何から何まで世話が必要な赤ん坊ではなくとも、大人からの情というものをお前は注がれなくてはならない。ただ、彼女のそれは時にお前を苦しめている。傍にいることしかしてやれなくて、本当にすまない。
     俺がいなくなった後、お前 708

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    PROGRESS星の声17その次の日のことだ。
     ホテルの部屋に付いていた固定電話が鳴った。受話器を取るとフロントからで、俺に電話が来ているから繋いでもよいか、とのことだった。
     依頼者との連絡にホテルの電話を使う契約はしていない。日本には俺の知る人間もいない。「人違いでは?」と尋ねると、相手はワカモト・カオリという俺の知り合いだと名乗っているという。俺は尚も躊躇っていたが、長い金髪の女性だと聞かされるとすぐに承諾の返事をした。
    「まあ、なんて不機嫌なお声。もしかして、寝起きでいらっしゃった?」
     何の用だ、という俺の言葉に対する返答である。相変わらず甘ったるい声をしていた。
    「ちょっと、困ったことになっていますの。あなた、とってもお強いから、力になってもらえないかと思いまして」
     話を聞くと、またしつこくあの中年の男に追われているらしかった。それを追い返して欲しいというのだ。
     殺しではない仕事は受けないことにしていた。相手が生き残れば、俺の名前や身元が割れる可能性が強まる。殺すのではなく、追い返すだけだというのなら、俺よりも警察などの方が適任だろう。
     そう答えようとしたときだった。
    「それとも……あなたに 813

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    PROGRESS星の声16「てめえ、あのアマの仲間か」
     男は、肩越しに必死で顔をこちらへ向けたが、俺の顔を見た途端に、ひい、と小さく悲鳴を上げた。
     黒髪の前髪を長く伸ばして目元を隠し、見えている部分は傷だらけの顔をした、身長百八十センチの黒ずくめの人間。こんな人間が繁華街にいたら、裏社会の者にしか見えないだろう。それも、かなり血生臭い場所にいるような。
     俺は、男を引きずって路地を歩き、女が行った方向へ放り出した。男は、尻餅を突いた後に慌てて立ち上がり、転げるように走って行った。
     くるりと向きを変え、また細い路地を歩いて目的地のホテルへ向かおうとしたときだった。
     路地の曲がり角から、ひょこ、と金色の髪が覗いた。
    「お強いのですのね、あなた」
     長いまつ毛の下から、琥珀のような瞳が俺を見上げていた。化粧をしていたが、それでなくともはっきりと美しいと分かる顔立ちだった。声は、透き通って甘ったるい、いつまでも聞いていられるようだった。
    「ねえ、少しわたくしとお話をしませんこと?」
     彼女は俺に身を寄せて来た。甘い薔薇の香りがした。
    「……何の話か知らないが、俺には今、急ぎの用事がある。あなたと話している暇はな 830

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    PROGRESS星の声15俺と彼女の関わりも、七緒には詳しく話していなかったな。彼女と知り合ったのは、俺が二十一歳で日本へ渡ってきてからだ。
     俺が十七の時に「黙示録の四騎士」は解散し、コーキノとマヴロは暗殺稼業から洗った。だが、俺だけは、様々な国を渡り歩いて人殺しを続けた。組織ではなく、その都度依頼者と契約していた。言わばフリーランスの殺し屋だ。
     ギリシャから始まり、仕事を探してさまよっていたら、偶然にもユーラシア大陸を東へ東へと進んでいた。ヨーロッパを出て、アジアへ、あの巨大なチャイナへとやって来た。チャイナでの仕事を終えてから、次に依頼された案件の場所が日本だったのだ。
     極東の島国、というのが俺の日本に対する認識だった。ただ、どこか親近感や懐かしさを覚えたのは、俺と同じ黒髪の人間が多かったせいだろうか。
     日本での仕事はあっさりと片付いた。とある暴力団の組頭を消し、その息子を依頼者である別の暴力団の幹部の元へ連れて行く。剣を習っていたのか、息子であったその少年は真剣を構えて俺に立ち向かって来た。だが、手にしたものが真剣だろうと銃だろうと、人を殺したことのない人間を素手で制圧するのは容易いことだ。俺に組 1074

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    PROGRESS星の声14トラック5

     夜中の二時を過ぎている。七緒のハーブティーを飲んでから、二時間ほど眠った。気持ちが落ち着いて、大層よく眠れたよ。七緒の茶はいつも、心を安らかにしてくれる。
     ベッドで眠る七緒を覗き込んだら、健やかな寝息が聞こえて安心した。首筋についた赤く細い痕も大分薄れていた。悪い夢を見て苦しんでいる様子でもなさそうだ。時々、うなされている七緒を起こして、ぬるま湯と薬を飲ませて落ち着かせることがある。覚えているか? 今のお前が、そういったものとうまく付き合えているといいのだけれど。
     七緒がそうなるのは例えば、彼女に罰を受けたときや、彼女に理不尽な八つ当たりをされたとき、そして──彼女の「信徒」へ「祝福を与え」させられたときだ。
     あまり、こういう話を七緒本人に聞かせたくはない。きっと、お前の心の負担になる話だ。だが、俺はいつも後悔してばかりいるのだ。彼女がお前にああいうことをさせるのを止められない。俺が知らない間に、お前は「信徒」の前に連れて行かれている。俺も時々は外出するとは言え、彼女がどうやって俺の目をかいくぐっているのか不思議になることもある。俺は常に、お前を見守り、彼女から目 839

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    PROGRESS星の声13──少し、話し疲れた。
     今日の寝る前、七緒が用意してくれた茶がここにある。これを飲んでもう、休ませてもらおう。七緒が毎晩淹れて、彼女にポット一杯分渡して、残りを俺のマグカップに注いでくれるあのいつもの茶だよ。覚えているか?
     今日はローズマリーか。彼女は、ハーブティーが好きだからな。七緒も、薔薇の香りが好きだと言っていた。
     俺は特別、飲み物や食べ物に好みはない。ないが、そうだな。……何者にも代え難いと、そう思える相手と共にする食事は……自然と、思い出深くなる。
     今日の、七緒に出したケーキもそうだ。俺はコーヒーを飲みながら、食べる七緒を眺めているだけだった。それでも、七緒が久々に笑ったのを見ると、ほっとした。最近の七緒は……七緒は──。生きているかと、あるいは人形なのかと、疑いたくなるほど生気に欠けていたから。
     変に聞こえるかもしれないが、俺はな、七緒。お前が生きている、ということが堪らなく嬉しいのだよ。お前が心臓を動かして、血を巡らせて、呼吸をして、瞬きをして、髪を揺らして、手足を動かして、頭で考えて、心で感じて。お前の命がそうしてここにあることを、俺はいつも心の底から嬉しく思 1058

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    PROGRESS星の声12目が覚めた後、医師や看護師たち、コーキノとマヴロから聞かされた話を統合すると、こうだ。
     俺は、アスプロが死んだと聞いた途端、何も言わずにナイフを取り出した。最初は胸を、そして腹や脚や、顔や首、とにかく体中をナイフで刺して傷つけたという。
     途中から何事かの言葉を泣き叫んでいたが、コーキノとマヴロは俺を抑え込むのに必死で、よく聞き取れなかったと言っていた。「オル──何とか、と言っていたが」とコーキノが何か聞きたげにこちらを見ていたが、俺はただ俯いていた。
     この自殺未遂により、俺は視野の半分ほどを失っている。見えている部分にも負担がかかり、何十年か後には見えない部分の方が多くなる可能性が高い。
     それから──。
    「子宮の損傷が激しく、手術を行いましたが……」
     腹の子は死んだ。いや、俺が殺した。
     俺は黙って話を聞き、それから感謝の言葉を述べた。医師たちが、俺の病室を出て行った。
     ──どうして、生き残ってしまったのかな。
     そう思わないではいられなかった。
     自分だけ──一人だけ生き残って、何の意味があるというのだろう。四騎士はあの任務を最後に解散が決まっていた。俺の、本来ならば俺と 1375

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    PROGRESS星の声11それからのことは、正直よく覚えていない。
     拠点に戻ったマヴロにコーキノが「あいつは」と尋ねると、マヴロは首を横に振った。
    「二人がいた建物は爆破されて、もうなかった。綺麗さっぱり吹っ飛んだんだろう。クロロスを殺しに来た奴らを道連れにしてな」
     骨の一つも残っちゃいないだろう。
     ──その言葉を聞いた後のことを、自分では何も覚えていない。
     目が覚めると、知らない天井が目に入った。知らない天井、知らない壁、知らない床、知らないベッド。お気が付かれましたか、と白い服の女が俺を覗き込んだ。知らない人間。何も、知らない。知っているものは何一つない。知っているひとも誰一人いない。
     いない、と思った瞬間、胸が鉛を飲んだように重く、苦しくなった。
     ──骨の一つも残っちゃいないだろう。
     いない──いない──いない──。頭の中で、その言葉がいつまでも反響し続けた。奴はいない。アスプロはいない。オルペウスはいない。このクロロスという女の、あるいはアステル・エディプソスの夫になる男はいない。腹の子の父親もいない。
     俺は生まれて初めて、涙を流した。堰を切ったように、いつまでもいつまでも止まらなかった 501

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    PROGRESS星の声10敵にはこちらの居場所が知れている。敵方には、一発で人間の左胸を撃ち抜く腕前を持つ狙撃手もいる。味方の狙撃手は瀕死に近く、遠距離での応戦はほぼ不可能だ。その上、いずれは近接戦闘に長けた者たちが大勢、俺たちの元へやって来る。
     そして何より──。
    「なあ、嬢ちゃん……。いいから……。頼む」
     アスプロが、おのが半身にも等しい男が傷付いて倒れている。俺は、涙を堪えながら必死で止血を試みた。白い布が何枚も、赤く黒く染まっていった。奴がそれを拒もうとすれば、「馬鹿」だの「黙れ」だの「喋るな」だのと罵倒していた。それしか、言葉が出て来なかった。戦況と感情の両方に、絶望で押し潰されそうだった。
     ああ、と奴が何かに視線を向けた。銃弾が止んだ隙を見て、コーキノがこちらへやって来たのだ。
     コーキノは奴を一瞥すると、その傍から俺を引き剥がした。何をする、と俺は抵抗したが、情報戦を専らにするとは言えあの子供時代の訓練を生き延びただけのことはあり、コーキノは俺をあっさりと取り押さえた。
    「脱出経路を検出した。行くぞ」
     それだけ口にして、コーキノは俺を引きずるように歩き始めた。いやだ、放せ、戻らせろ、と俺は 629

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    PROGRESS星の声9俺たちは腹の子どもを伴って、最後の任務に赴いた。違法薬物の製造に関わっていた製薬会社がターゲットだった。コーキノの破壊工作で会社の内部組織はめちゃくちゃになり、主要人物は全てマヴロが毒物で一掃していた。あとは、その会社の代表者をアスプロが狙撃して殺害すれば全て終わりだった。
     俺は、いつものようにアスプロの護衛についていた。万全の体調とはいかなかったが、任務中はただ心を静かにしてナイフを握るだけだ。こいつの命を狙いに来る奴がいれば、一人残らずナイフの錆にしてやる、と神経を研ぎ澄ませていた。
     異変に気付いたのは、「まずい」というアスプロの声が聞こえたときだった。
    「殺し損ねた……居場所がばれる。逃げるぞ、嬢ちゃん」
     俺は、スコープを目に当てた。標的である男のスーツが、右肩から腕や胸にかけて血に染まっているのが見えた。男は、大勢の屈強な護衛たちに囲まれていた。護衛の一人が、スコープ越しに俺を指差したかと思うと、彼らは男を守る数人を残してある方向へ駆け出した。
    「こちらへやって来る。広い場所へ移ろう。お前も近接用武器の用意を──」
     そう言いかけたときだった。
    「嬢ちゃん!」
     銃声が鳴 929

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    PROGRESS星の声8「これが最後の任務になるとさ」
     組織が拠点にしていた建物の廊下を並び歩いて、上官の元へ向かおうとしていた日のことだ。俺は突然、吐き気がこみ上げてその場にうずくまった。嘔吐こそしなかったが、酷く眩暈がして立ち上がれそうにはなかった。
     俺は十六だったその当時、身長が今と同じくらい──一八〇センチほどあったのだが、アスプロは俺を抱き上げて医務室へ運んだ。頭を動かさない方がいいから担架が来るのを待て、とその場にいたコーキノやマヴロから言われたにも拘わらず、「嬢ちゃんが倒れるなんざ、よっぽどのことだろう」と、俺を抱えて駆け出した。重たいだろうに無茶なことをする奴だな、とか、怪我なら日常茶飯事だが体調不良というのは稀だからな、とか、さすがは日頃ライフルを持っているだけのことはあるな、などと、俺は奴の腕に収まってぼんやりと考えていた。
     医務室にいた医師は──当然、表社会で正規に医業を営んでいる者ではない──俺の体や血液などをいろいろと調べた後、「三ヶ月になる」と結論を出した。腹に子どもがいたのだ。アスプロと俺の子どもが。
    「──全く考えなかったわけじゃないんだ。嬢ちゃんとこうして過ごしてりゃあ 948

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    PROGRESS星の声7……何と言うのだろうか……。「変」、だな。
    初めは、こういうことを話すつもりではなかったのだ。こういうことまで、と言うべきか。奴が──アスプロが、オルペウスが、どんな男だったのか……そんなことまで、話そうとは思っていなかった。
     彼女にも話してはいない。昔、親しくしていた男がいたが別れた、としか伝えていないはずだ。そこから彼女が何かを察した可能性はあるだろうけれど。
     お前に、アスプロのことを覚えていてやって欲しいのかもしれない。無論、覚えていると言っても、四六時中考えているようなことを望んでいるわけではない。お前の心の片隅、ほんの小さな場所でいいから、奴の居場所を作ってやって欲しいのだ。恐らく、そこにしか奴はいられない。
     奴の痕跡をこの世で最も色濃く、心身に刻んでいるのは俺だ。自分でも分かっている。だが、俺はもうすぐいなくなる。俺は俺自身がいなくなることを痛くも痒くも思わない、だが──奴がどこにもいられなくなる、と思うと、言いようもなく胸が苦しくなる。
     ……ああ、目に浮かぶようだ。俺を案じるお前の顔が。例えば俺が少し走って息を切らしただけでも、お前はこちらが気の毒になるほど心配を 785

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    PROGRESS星の声5数年経つと、俺は一人で任務をこなすことも多くなった。女だからこそ潜入しやすい場所もあったし、純粋に四人のうち俺の殺し方に向いた任務というのもあったし、他の三人の予定が空いていなかったため、と頼まれた任務もあった。
     変わらず、俺はナイフを握り続けた。刃渡りや材質、長さが変わりこそすれ、手にあるのはずっとナイフだった。ほとんどの時間を、ナイフを握って過ごした。
     「ダガーがよく似合う気がするよ、俺は」。アスプロはよく、俺の手を取って言った。「嬢ちゃんなら、使いこなす分には何でも来いだろうがね。でも、こういう……尖ってきらきらした手には、ダガーが似合う」。
     尖ってきらきらした手、というのがどういう手なのかは、今も俺には分からない。自分の手が美しいとも思わない。ただ、アスプロの手を握るのは、どうしてか心地が良かった。ナイフの代わりに自分の手に収めるのならこの手だ、といつも思っていた。
     俺は十六のとき、片手で奴の手を取り、もう片手の指でその掌に文字を書いた。
     Α−σ−τ−ε−ρ−ι。『アステル』。
     読めたか、と尋ねると奴は頷いたが、やや戸惑った顔をしていた。生まれたとき、私はそう呼ばれ 740

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    PROGRESS星の声4俺たちはそれぞれ、銃火器による狙撃でターゲットを殺害するアスプロ、情報操作で敵組織を崩壊させるコーキノ、潜入と毒物の混入でターゲットを殺害するマヴロ、潜入してナイフでターゲットを暗殺するクロロス、と役割が当てられた。ただし、俺はまだ年少だったことから、最初の数年は狙撃手であるアスプロの護衛についていることが多かった。
     「あらら、見つかっちゃった。俺、動けないから。嬢ちゃん、よろしく」。銃を構えて狙いを定めながらけろりと言うアスプロを背に、俺は寄って来た刺客を一人一人確実に殺した。飛び降りを図った者がいれば脚を掴んで屋内に投げ飛ばし、そのまま頭を床に打ち付けた。舌を噛んで死のうとする者がいれば、喉元からナイフを突き刺してやった。とにかくその頃の俺は、アスプロに近付く者を自分の手で死なせなければ気が済まなかった。任務に対して完璧主義なのだ、と当時は思っていた。
     「標的死亡確認、と。そっちも済んだか、嬢ちゃん。ありがとな」。俺が刺客を殺す間に、大抵アスプロも仕事を済ませていた。奴はいつも変わらない、どこかぼんやりしたような顔で口元を緩ませた。奴と周りの死体を見比べて、こいつがああならなく 1117

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    PROGRESS星の声3トラック3

     まずは、そうだな。俺が生まれてからのことを話そうか。出身はギリシャのどこか。これは、いつか話したな。
     ギリシャのどこかの、子どもがたくさん集まった建物に俺は暮らしていた。朝六時に起床、洗面台に行列を作って顔を洗い、七時には広い居間で朝食を摂る。午前の勉強、十二時には昼食、午後の勉強、夜六時には夕食、それから入浴して九時には就寝する。建物の東側の窓からはギリシャの都市が見え、西側の窓からはのどかな山林が見えた。建物は古いが頑丈で、いつも清潔に掃除がされていた。このあたりは、表の社会にある子どもの施設と変わらないだろう。身寄りのない子や、事情があって大人と一緒に暮らすのが難しい子を集めて育てる施設だ。
     違っていたのは、「勉強」の内容と方法だ。子どもたちには、ナイフが一人一本ずつ配られる。そして、教師が――正規の教員や保育士などではなかったろうが――ともかく、教室に現れた大人が言うのだ。「あなたたちの半分が動かなくなったら、午前の勉強はおしまいです。残った子には、お昼ごはんがあります。さあ、始めましょう」。
     俺は言われた通りに、他の子どもたちを動かなくなるまでナイフで刺 952

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    PROGRESS星の声2こんなことを今言えば、お前は驚いて目に涙を浮かべるのだろうな。涙を浮かべて、何と言うかな。「クロは『人殺し』じゃないでしょう? クロは優しいもの。そんな怖いこと、できるわけないよ」。こんなところだろうか。いいや、と俺は首を横に振らねばならない。お前は知らないのだ。俺が今まで、彼女とお前が見ていないところで何をしていたか。彼女に出会うまで、何をして生きてきたか。俺が本当は、どんな人間なのか。
     これから俺が話すのは、俺自身の過去だ。彼女には一度くらいは話した気がするが、お前には一言も告げていない。お前から尋ねられたときには、ただ「ずっと旅をしていた」と答えていた。そうして誤魔化し続けて、お前が大人になった時に全てを話そうと思っていた。だが、先にも言ったように俺にはもう時間がない。時間を延ばすつもりもない。ただ、お前にはこの先ずっと、長い長い人生が待っているはずだ。その人生のどこかで、いつの間にかいなくなったクロという人間について思い出したとき、自分はそいつに見捨てられたのだと思って傷ついて欲しくはない。俺は理由があって、お前と彼女から離れるのだ。その理由を語るには、俺が生まれてから今に至 732