サンタクロースのゆくえ少し遅くなったけど、クリスマスケーキを買ったんだ。一緒に食べようぜ。
そう言ってガストが持ってきたケーキをみたとき、不意に幼かったときのことを思い出した。赤と白で出来たサンタクロースの砂糖菓子が、雪のようにふわふわの生クリームの上にちょこんと座り、ウィルに優しくほほえんでいる。
「サンタさんだ。どうしたんだ、これ?」
ウィルが尋ねると、ガストはいたずらが成功した子どもみたいな顔でにっこりと笑った。
小さかったころ、毎年クリスマスパーティーをした。家は花屋を営んでいるからクリスマスはいつも忙しかったけれど、クリスマスとニューイヤーのあいだ、ほんの少しの時間ができる日があって、その日がスプラウト家のクリスマスだったのだ。街はあっというまにクリスマスの衣装を脱ぎ捨ててニューイヤーの装いに変わりつつあるけれど、スプラウト家のリビングにだけはまだクリスマスがとどまってくれている。クリスマスツリーとリース。妹二人と一緒に世話をした真っ赤なポインセチア。ウィルはいつもリビングに入ると一気にわくわくした。クリスマスというのは、そんな不思議な力を持っていると本当に思っていたのだ。
赤青黄色のライトがツリーをチカチカ光らせて、みんなが集まるテーブルの上には大きなフライドチキンにリースの形をしたポテトサラダ。甘いかぼちゃのポタージュといったごちそうが並んでいる。その真ん中に、ウィルの大好きな甘いケーキもあった。真っ白なふわふわの生クリームの上にぴかぴかのイチゴがたくさん乗ったショートケーキ。真ん中にはサンタクロースとトナカイの砂糖菓子がちょこんと座ってケーキを囲んでいるみんなを見上げている。クリスマスはとっくに過ぎてしまったけれど、ケーキにはいつもサンタクロースとトナカイがいた。それは妹がもっともっと小さいときに、サンタクロースにお願いしたからだった。友達の家で食べたケーキのサンタがとてもすてきだったから、今年のプレゼントはサンタの乗ったケーキがいい、と。父さんと母さんは、妹のプレゼントを聞いて、顔を見合わせ笑った。そのプレゼントはママに任せてほしいわ。
「ママ、私サンタさんがいい!」
「私も!」
妹たちがいっせいに手を上げ、はいはい、と母さんは手慣れたようにケーキを切り分ける。去年はどっちがサンタクロースをもらったのか母さんはしっかりと覚えていて、妹たちにしっかりと言い聞かせながらサンタとトナカイの乗ったケーキを渡していく。それを楽しい気持ちで眺めていると、
「はい、これはウィルのケーキ」
と、母さんがケーキを差し出してくれるのだ。それは妹たちのケーキよりもほんの少しだけ大きくカットしてあって、サンタもトナカイも乗っていないケーキを特別なものにしてくれた。
お礼をいうと、母さんはいつもにっこりと笑う。
みんなで食べるケーキはおいしい。本当はもっと甘かったらもっともっとおいしいと思っているけれど、妹たちがクリスマスソングを歌って、学校であったたわいのないことを話しだすと、ケーキはどんどん甘くなっていく気がする。これ以上おいしいケーキはないと思ってしまうぐらいに。
しばらくすると、小さな妹たちは眠たそうにゆっくりと体をゆすりだして、父さんが仕方ないなーと緩んだ表情で立ちあがり、妹たちを連れて部屋をでていく。その背中を見送ったウィルは一気にそわそわした。くすくす笑う母さんの声が舞い落ちてくる雪みたいにふわふわと耳をくすぐる。
「ウィル。サンタさん、食べる?」
「食べる!」
「あまーいホットミルクも作ろうか!」
「うんっ!」
全身が砂糖で出来たサンタとトナカイは、いつも頭が少しだけかじられていた。甘くて硬い砂糖菓子を妹たちはいつも食べきれないのだ。砂糖菓子のサンタは硬くて溶けにくい。ころころと口の中で転がして、温かいミルクでじんわりと溶かしていく。それを、いつもキッチンで洗い物をしている母さんの背中を眺めながら食べるのがウィルのクリスマスの終わりだった。今年も、そろそろクリスマスが終わろうとしている。
「甘くておいしいね」
ウィルが母さんに声をかけた。そうだねえ、と間延びした声は水の流れる音に重なって聞こえなかった。
「弟分に家がケーキ屋をしているやつがいて、頼んでみたんだ」
二人で食べるには十分すぎるほどのホールのショートケーキを、声を弾ませて切り分けているガストを眺めていた。マグカップに淹れたコーヒーが白い湯気をたなびかせて部屋の空気を温かくしている。少しでもそれっぽくなればいいと飾ったポインセチアと、ガストの持ってきたクリスマスケーキがそろうと、まるで本当にクリスマスみたいだ。ツリーもリースもごちそうもなければ、窓の外に広がる広い空も澄んだ水色をしていて、聖夜ともほど遠い。だけど、目の前には大切な人と、クリスマスケーキがあるのだから特別な日には違いない。そう考えると、心がとてもわくわくした。
「なんだかんだ、クリスマスも忙しかったよな」
しみじみとした声でガストが言って、ウィルはブルーノースの街並みを思い浮かべた。整った景観の美しい街は、レッドサウスのにぎやかさとは違った意味でクリスマスは盛り上がるのであろうと想像するととたんに労りたくなってくる。
「おつかれさま。やっぱり、クリスマスだと浮かれる人も多いのか、こっちはいつもより不良が多かったかも」
「……それは、ごめん?」
「なんだ。アドラーの弟分たちだったのか」
「いやいやいや、違うって。違うけど! 元不良として、なんとなく?」
「関係ないなら謝る必要ないだろ。それに、アドラーの知り合いじゃないことぐらい分かってるし、レッドサウスも最近はけっこう落ち着いてるんだ」
「ああ、それは歩いてたら分かるよ。そりゃ不良はまだまだ多いけどさ、心の余裕みたいなのを感じる。ウィルやアキラ、サウスセクターのヒーローのおかげかもな」
「…………ありがとう」
「ははっ、どういたしまして。というわけで、はい、どーぞ。ウィルもおつかれ。そして、メリークリスマス」
「うん。メリークリスマス」
ナイフとフォークを使い丁寧に盛られたケーキはあきらかにウィルのものが大きくて、サンタクロースが乗っていた。おもわずガストを見つめる。そうして、照れもせずまっすぐにウィルを見つめる瞳に促されて、ふわふわの雪のような生クリームの上で、見上げてほほえむサンタクロースと視線を合わせた。
「ウィルが、好きだと思ってさ」
ガストの声が耳の底を撫でていく。生クリームが溶けてしまいそうなほど熱っぽい声に、心の中にあったぽそぽそになった希望が溶けていく。
「俺、サンタクロース食べてみたかったんだ」
「へ?」
「小さいころ、うちも今日みたいに遅れてクリスマスケーキを食べてたんだ。ケーキにはサンタとトナカイの砂糖菓子が乗って、それを妹たちが毎年順番に食べているのを、俺はいつもいいなって思ってた」
欠けたサンタクロースとトナカイ。時間が経ってぽそぽそになったクリームと一緒にぺったりとお皿に残っていた。
本当は、自分のケーキの上にサンタかトナカイがいてくれたらと思っていた。小さいころ、妹がすてきだと言った言葉にウィルも本当にそのとおりだと思ったからだ。
だけど、クリスマスシーズンの終わったケーキ屋に追加で砂糖菓子を増やしてほしいと母親に言うことも、妹たちに食べたいからほしいと言うことも、ウィルには言えなかった。そして、いつのまにかクリスマスケーキの上からサンタクロースはいなくなってしまった。
「アドラー」
「ん?」
「うれしいよ。ありがとう」
ウィルの言葉に、ガストが目を細めて笑う。
「……おう。どういたしまして」
ウィルも笑った。ガストの晴れやかな顔が、あまりに可愛かったからだ。
「さっきもそれ聞いた」
「仕方ねえだろ。ウィルが素直にお礼ばっかり言うんだから」
「じゃあ、もう言わない」
「え!? なんで!」
「うそだよ。言いたいと思ったときは、ちゃんと言う」
「お、おう。そうしてくれると助かるぜ」
ガストの焦った言い方がよけいに笑えて、笑っているのに気づかれないよう、いただきます、とケーキをほおばった。
二人で食べたクリスマスケーキは甘くておいしかった。もっと甘くてもおいしいかもとは、あまり思わなかった。もしかしたら、砂糖菓子のサンタクロースを食べていたからかもしれない。大切な人と食べる甘いものは、特別に甘くておいしいことをウィルは知っているし、いまがそのときだともちゃんと認めている。
「そういえばさ、俺もサンタ食ったことねえかも」
ガストが濃いめに淹れたコーヒーを飲みながら言った。とっておきのイチゴをやっぱり食べてしまおうかと悩んでいたウィルは顔を上げる。
「そうなのか?」
「おう。ウィルの家と一緒でさ、やっぱり妹が食ってたのかもな」
「へえ。どこも一緒なんだな」
「妹には逆らえねえからな」
「それは同感」
話しながら、ウィルはガストのケーキにもサンタクロースを乗せたいと思った。クリスマスケーキにサンタクロースが乗っているとこんなにうれしいんだという気持ちを、ガストにも知ってほしいと、そう思ったのだ。
「このケーキ屋さん、今度連れて行ってほしい」
「ん? 気に入ったのか?」
「ああ。あと、来年のケーキの予約というか、お願いをしたいと思って」
ウィルが答えると、ガストの返事がなかった。どうしたのだろうと顔を上げると、なぜかガストはきょとんと目を瞬かせていた。
「……来年」
「なんだよ。来年もケーキ食べるだろ?」
「……ああ、もちろん!」
きっと、来年もクリスマスにクリスマスらしくケーキを食べることは難しいだろうけれど、ちょっと遅れたぐらいでクリスマスを祝ってはいけないなんてルールはないし、お願いすれば、クリスマスケーキは作ってもらえるはずだと思うと、いまから待ち遠しくなってくる。
「なあ、お願いってなにするんだ?」
ガストが言った。ウィルは、なんだかいたずらを仕掛ける子どもみたいな気持ちに胸を弾ませる。
「トナカイの砂糖菓子も一緒に乗せてほしいって、頼むんだ」
「ふうん。ウィルは、本当に甘いものが好きなんだな」
「ああ、好きだよ」
自分がおいしいって思ったものを、好きな人と一緒に食べることができれば、共有できれば、もっと好きになる。心の中で、そう答える。
来年は実現できるといい。
ガストにはサンタの砂糖菓子は甘すぎて食べられないかもしれないけれど、齧られたサンタだって甘くておいしいからなにも問題はない。
そんなことを考えながら、とっておいた大きなイチゴを口に運んだ。
イチゴはとても甘酸っぱくて、とても特別な味がした。