おいしい水 昔の同僚に誘われて、ここらへん来たことがあったな。あの子は失恋してて、夭聖さんが願いを叶えてくれるカレーを、一万円も出して食べたいって言い出したんだった。一人で行くのが怖いからって言われて、特に願い事なんてない私もついていった。席に通されるまで、ずいぶん待たされた。個人店だからしょうがないかな、と思っていたけど、うさんくさいマスターの手際がいいのか、思ったより列の進みは早かった。
「み、水、いるか」
ぶっきらぼうな声がかけられ、見ると、ヤンキーっぽい外見の男の子がピッチャーを手にしていた。
はい、お願いしますと水をおかわりした。待たされていたせいか、うっすらレモンの香りがするその水のほうが、カレーより美味しかった気がした。
ああ、あの店、まだ残ってた。「BAR F」って看板がかかってる。
扉を開けると
「いらっしゃいませ」
と声がかかる。カウンターには、あのヤンキーっぽい男の子と、長髪の上品そうな男の子がいた。
小声の言い合いの後、長髪の子が水を持ってきた。水をひとくち飲む。そうそう、冷たくてすっきりした、こんな味だった。
作り置きらしいカレーはあっという間に来て、食べようとすると、目の前にツボスコの瓶が置かれた。あのヤンキーの子だった。
何か言う暇も与えず、ヤンキーの子はカウンターに戻って、あの長髪の子と言い合いを始めた。
「人間が全て歩照瀬のような味覚だと思うなよ」
「ツボスコだって人間が作った調味料じゃねえかよ」
「人間に貴様のような下品な奴がいただけだろ」
……言い合いじゃないな、じゃれあいっていうか。だって二人とも顔が笑ってる。
あの子、あの昔の同僚、一万円カレーでどんな願いを叶えたかったのかな。私は、何を願ったのか忘れてしまった。今日のカレーはランチだから、一万円も取られないけど、何かお願いしていいのなら、そうだな、私もああやって何かを言い合えるひとが欲しいな。