酔いどれメール(仮)一日目ソファでうつらうつらとしていた柏木は、メールの着信音ではっと目を開いた。
組から何かあれば電話がかかってくるので、夜中でも着信音は切っていない。着信は三回以内でとれ、と厳命されている。風間組に限ったことではなく、それは極道組織に属するものなら全てそう躾けられていた。素っ気ない音だが、メールの着信は短いスパンで四回鳴っていた。これは何かあったな、と億劫だが体を起こす。
充電のコンセントに刺さったそれは、青い着信ランプがついていた。真夜中のメール、嫌な予感にさいなまれながら、折りたたまれた携帯を開ける。画面には新規メールの着信を知らせる封筒が表示されていた。決定ボタンを押す。最新の着信メールが画面に表示された。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
件名:
日時:2003/02/03 01:47
本文:寝た? 寝てない?』
(嶋野組の真島から?)
何かの転送か、それにしては件名の部分にはFw:や>等の記号もはいっていない。題名は空白である。他にも何通か入っていたが、間違って送ってしまったのだろう、と開封しようとして操作しているうちに、次のメールが入ってきた。
『また朝に、寝てたって返信するつもり?』
首をかしげる。標準語だし、きつい女言葉のようにも思える。これは、自分が電話番号の登録をミスってしまったのだろうと思いなおす。そう思い一旦画面を戻ると、メールが入っていたのは電話番号でやりとりできるショートメッセージでなく、普通のキャリアメールのフォルダだった。
(一体どういうことだ…?)
メールを差出人の名前にカーソルを合わせて決定ボタンを押す。名前と誕生日らしきものが組み合わされたメールアドレスが表示された。goroと入っているので、真島なのだろうが、ますますわからなくなる。
「送り先、間違ってるのに気づかねぇだけか…?」
本当に真島からのメールなのかどうか確認したいが、組関連の名刺入れは事務所のなかである。確か一昨年あたりに、嶋野組が皆一括で契約を変更した、と付き合いのある組員まとめて何人分かの名刺を渡された気がする。
(あの時に何人かまとめて登録したから、間違えたか?)
なんでも新しく開発された、写真をメールに載せてやりとり出来るようになった端末を一斉に持つようになったとかで、キャリアから変えたのだった。キャリアを移動すれば、必然電話番号も変わる。新しいもの好きの嶋野が飛びついたというらしかったが、全員いっぺんに変えるなんて面倒くせぇことしやがる、と東城会本部の名簿を管理する風間もこぼしていた。
携帯電話事業に参入する通信会社は現在群雄割拠で、こちらが極道の組事務所と分かっていても、法人契約をとろうと営業は堂々と入ってくるのであった。そんな強気の営業にも負けず、風間組が組で使用しているものは、携帯電話の黎明を支えた旧電電公社の端末である。むろん風間が古い端末など使わせず、その都度新しくして組員に支給しているのではあるが、写真をやりとりできる端末はこのキャリアは開発が遅く、嶋野組の使用しているキャリアより遅れること二年ごしにようやっと去年の秋、我が組にも支給されたのであった。
通称、写メールという機能。確かに使ってみると悪くない。画素数が少ないので、小さい文字はつぶれてしまって無理だが、名刺ぐらいだと写真で送ってしまったほうが早い時もある。同じキャリアだと携帯電話番号でメッセージをやり取りできる。普段そちらを使用しているので、キャリアメールのアドレスのほうに着信があるのは、PCメールの転送など、添付ファイルがある時くらいのものである。
携帯電話のアドレスを交換する時も、設定したアドレスの英文字をいちいち入力して登録するのも面倒だという理由で、同じ組員同士でもメアドを知らない人間もいるというのに。
(このアドレスは見たことがないな…。)
自分は若頭で、組員の監督もあるため、ある程度はアドレスを把握しているが、それにしても、だ。
(確かに組同士名刺は交換したが…あの真島が何の用だ?)
あの真島、とつい思ってしまうほどに、彼の姿からは、この携帯の小さいボタンをちまちま押してメールを打っているところなど想像がつかない。そもそも、何かの間違いで送信したにしろ、自分のメアドなど登録していたのだな、と少し面白くなる。ちまちまと端末と睨めっこして登録したのか。
(ああ、子分に登録を任せた、という事もあるのかもしれない。)
携帯の機種を変えたとかで、電話帳を子分に登録させ直したのかもしれなかった。それで、自分の名前が別のアドレスについてしまったというのなら分かる。
(間違って送ってるって言わなきゃな。)
といっても、仕事の用件でもない、むしろ意味のない酔っぱらいの戯言にどう返信しようかと思う。五通ともすべて関西弁の語尾ではない。関西弁ネイティブの人間は、メールまで関西弁で送ってくることがあるが、真島は書き言葉までは、そうではないのかもしれない。
『今日も腹立つ。飲むわー。』
『やっぱり、眠れない。これで三本目。』
『暇。返事して。』
『無視か!』
『寝た? 寝てない?』
『また朝に、寝てたって返信するつもり?』
どれも文末に可愛らしい絵文字までついている。飲み屋のお姉ちゃんにでも送っているのだろうか。
(こいつ、酔うとこんなかんじなのか?)
日夜喧嘩相手を探し、血のついたバッドのヘッドを道に擦り付けながら彷徨っている狂犬も、一人飲んだくれて誰かに愚痴を言いたくなる夜もあるのか、と妙に面白くなる。
『アドレス間違ってるぞ。』
と打って、いや、ここはのってやろう、と文字を消して、こう打ち直した。
『どうした、酔っぱらい』
そう返した。
ハイボールの缶酎ハイを片手に床に腹ばいになっていた真島は、メールの着信音で顔をあげた。
(お、起きとった?)
酔いどれ絡みメールの相手は、勝矢直樹という近江連合に籍を置く極道だった。別に夜な夜な裏切りの算段ということではなく、相手が極道になる前からの友人の間柄なのである。だいたい勝矢はこんな夜中に起きていることは少ない。極道の仕事と、芸能事務所の経営という二足の草鞋で忙しくしているため、だいたい朝に妙に畏まった返信があるか、かったるい時は、電話で、はいはいメール爆撃してないで早く寝てください、と往年の調子で言ってくるかである。
(なんや、相手も飲んどるんかな。)
何故か充電器のコードにからめとられていた腕をふって、携帯電話をつかみ、今しがた返ってきたメールを開ける。
「あれ?」
差出人、のところにあった文字列を見て、ヒュッと息を飲む。
「っ?!」
『差出人:柏木さん
件名:RE:
日時:2003/02/03 01:55
本文:どうした、酔っぱらい』
「はっ!???」
変な声がでた。思わず起き上がり、正座し、目をつぶりスーっと深呼吸してから、携帯電話を見る。
「あー…あぁ………。」
何度見ても、柏木なのだ。柏木さん、とあえてそういうふうに自分が電話帳に登録したのだから、間違いない。風間組の若頭・柏木修。どうにも憧れて仕方ない男なのだ。一切口にはしないが。
画面を見て暫く固まっていたが、ハッと気づいて携帯電話を操作した。こわごわ送信フォルダを開けて見る。そこには、なぜか先ほどから五通も柏木に宛てて送っていた、送信済のメールが証拠としてバッチリあった。
「は…はは…っ…。」
しまったぁあぁぁあ!と頭を抱えたいが、でてくるのは乾いた笑い。酔っていて涙が滲んできさえする。
(なんでや、何してんねん俺…!)
アドレス帳には、“か”のところに、勝矢直樹、が入っていて、今までそれが先頭だった。
(待てよ…。)
酔って寝かけている頭を何とか動かして思い返せば、去年の秋ごろ、風間組の組員が、役員のぶんの名刺と名簿をまとめて嶋野組事務所にもってきた事があった。携帯番号は変わっていないのですが、メールアドレスは以前と変わっている者もいますので、と菓子折りとともに置いていかれた。東城会本部の名簿も時々そうして更新される。
アナログな伝統もあったものだ、と思うが、昔は、組事務所の引っ越しや宅電の番号が変わるとなれば、名入れしたタオルなどを用意して、組員で一軒いっけん配り歩いたのだから、それを思えばまだ簡素なものである。とかく、その名刺の山から柏木の名前の入ったものをくすねてきたのだった。ロゴも何もはいっていない、素っ気ない名前と電話番号とキャリアメールのアドレス、PCのメールアドレスが書かれた名刺。彼らしいなぁ、と思いつつ、それを自分の携帯に登録したのだった。
(いや、それにしても、や…。)
とにかく、自分のアドレス帳に登録された“か”行のトップは、今のいままで勝矢だと思い込んでいたのである。今改めて見ると、か行の先頭は柏木になっていた。
(ほんま…しまった、いう、レベルやないで…!)
新規作成などせず、いつも通り勝矢のメールに返信すればよかった、と思っても後の祭りである。酔いどれのメールは、返信がないと見越した悪友宛で、すべてタメ口で、しかもぐずぐずな内容だった。
(内容なんてない…な…。)
頭から突き刺さるようにして、クッションにつっぷした。
「……………。」
打ちひしがれた心のまま、ゴロン、と重力に応じて横になる。携帯電話の小さなディスプレイ、そこに表示された返信をまじまじと見る。
(あのひと、そもそも俺のメアドなんて知ってるか???)
確かにメアドにgoroとは入っているが、まったくの他人からの間違いメールに返信した可能性も、と考えて、
(いや…あの人やったら、知らんやつのメールに返信なんかせぇへんな、たぶん…。)
声もでないほど恥ずかしくなった。普段より、狂犬というレッテル通り、あの街ではせいっぱいその姿を演じているのである。それが、仮にも親同士がライバル、その同業者の先輩に見せる姿ではない。
「……優しいな。」
どうしようかと酔いどれの頭をフルに使って考えていたら、そう口から零れ出ていた。無視したっていいのに、返信する柏木は真面目で、そしてよりによって、こちらを気遣う言葉をかけてくれるとは。優しい男だ、と思う。こんな真夜中にくるメールなどに返信しなくとも、全く差し支えない。着信が鬱陶しければ着信拒否するか、宛先間違ってるぞ、とそれだけで済む話だ。
(なんでやろ…なんも関係ない人なのにな。)
確かに、互いに直系の若頭という関係はある。だが、シノギでバッティングすることもなければ、組同士バチバチに抗争中という訳でもない。喧嘩などしたのは、はるか昔である。相手からすれば、存在を知っている、赤の他人なのである。
(でもな…こっちからはちょっとちゃうんや。)
狂犬だ、プッツンだと、昔からいる同業者でも自分を遠巻きに見る者は多くなった。自分がこの街でやり続けてきたことを思えば因果応報なのだが、最近は自分が何をしなくとも、自分が街を歩けば人が周りから引いてゆくのがわかる。一歩さがって、微妙な笑顔をはりつけて、こちらの機嫌を伺いながら喋る人間が多くなった。だが、あの人は、何十年前から変わらず、自分に一定の距離でいてくれる。ブレない立ち位置に、こっちが勝手に親近感を覚えているだけ、と言われればそれまでなのかもしれないが。
(何も話すことなんて思いつかんが…。)
でも、どうしても、何か会話がしたかった。こんなハプニングでもない限り、柏木とサシでなにかする機会などない。
(もしかしたら、夢で、明日の朝になったら、すべて消えてなくなってくれててもええから…。)
アルコールに震えた手でメールをうつ。
『酔っぱらいで、ごめんなさい』
(いや、ちゃうな。)
さっきまでタメ口だったのだ、今さら変えたらおかしい。こんなしおらしい言葉の返信がきても余計に疑念がわくだろう。だからといって深く考えている余裕もない。早く返信しないと、寝てしまうかもしれないし、と焦りながら文字を打つ。
「もうええ、これでええ。」
ぴっと送信ボタンを押す。封筒が紙飛行機にのって、画面の奥に消えていく。
(あーやってもうた…。)
無事、送信済み、となった画面を見て、頭を抱えながら携帯を折りたたんだ。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
件名:起きてる!
日時:2003/02/03 02:01
本文:飲み、つきあって♡』
柏木は、送られてきたメールを見て、くすっと笑った。すみません、と返ってくるかと思ったが、そうきたか、と肩をすくめる。
(こりゃ、もうべろべろに酔ってるな。)
つきあって、の後のハートマークなど、いくらクラブのキャスト相手でも素面では打てないだろう。朝になって、自分の失態に驚けばいい。そう少し意地悪な気持ちで、
『わかった、起きてるかぎりつきあってやるよ。』
と返信した。女言葉のようなものを使ってカモフラージュするのは止めておいた。さすがに騙すつもりはない。
(こちらを柏木修だと認識していない可能性はあるがな…。)
狂犬だと、誰もが恐れている男の、こんな可愛らしい一面を見られて嬉しい、というのもある。あの街で何もかも己がままになると思っていそうな真島が、こんな泥酔して甘えた事を言っている。三十半ば、年相応なのだと思うし、孤独だと思っていた奴に、こんな我儘を言える人間もいるのか、と妙に安心もする。
(さぁ、どうするか。)
携帯を折りたたみ、ハイライトの箱を手にとった。
真島は、息を潜めて携帯をながめていた。半分は返ってきてほしい、半分は無視してほしい。醜態をさらしているのだから、朝になればもっと頭を抱えるのは明白である。
「…!」
ディスプレイが光る。メールの着信のランプがともる。
「…嘘やぁ。」
携帯電話をもったまま思わず、一回転。転がった場所に折り畳みの机があり、痛っと呻く。
(え、ほんま、どうしよ。)
そこにはこちらの飲みに付き合う、とあるではないか。何度見返しても、アドレスはkashiwagiと入っているし、この口調、間違いないのだろう。
(案外、ノリのええ人なんか?)
それとも、こんな真夜中の悪戯メールに付き合うほど暇なんだろうか。ともかく、会話のボールは返ってきた。これはちゃんと拾って投げ返さないといけない。
(ちゃんとキャッチできるレベルのやつ…何かあるか…。)
立ち上がり、台所に行く。宵の口から相当飲んでいたので、空のビール缶やなにやらが床に転がっているが、それらを足で横によけ、冷蔵庫を開ける。本気で酔うなら、ちゃんぽんが効果的だ。もはや酔って体は熱いが、正体をなくすほどではない。柏木と会話するのだから、そのぎりぎりのところでないと、多分、途中ですみません、と謝ってしまうだろう。
(焼酎とリキュールと、ビールあったっけ…缶酎ハイか、これでええか。)
地方の土産とともに取引先から貰ったものだった。甘くて飲めないほどのものだったので、ずっと冷蔵庫に眠っていた。思えば今日のために、お前は残っていたんだな!と言いたくなる。可愛いピーチの顔の書いたピンク色の缶。金の縁取りがついた白いカフェテーブルの上にそれを置く。カメラボタンを押して、写真を撮る。
『乾杯🍷』
とワイングラスの絵文字を語尾につけ、写メを添付して送った。
柏木は煙草をふかしながら暫く携帯を握っていたが、返信がないので携帯をカフェテーブルに置いた。
(さすがに返ってこないか。)
こちらの名前に気づいて、居づらさにさいなまれているかもしれない。少し可哀そうなことをしたな、と思いながら、灰皿に煙草を押し付け、ソファから立ち上がる。
(もう二時か…。)
そろそろ寝る用意をしようと洗面に向かう。歯磨きしていると、ピピっと短い着信音が鳴った。歯ブラシを咥えたまま、携帯を確認する。まさかの返信に写メが添付されていた。
(あいつ、こんな可愛いもん飲むのか。)
真っ白い鏡面磨きのテーブルに桃色の缶が載っている。その奥にはテレビビデオのセット一式映っている。真島の部屋はこんなのか、と柄にもなくワクワクした。まだ眠気がくるには時間もある、本当に付き合ってやろう、と歯磨きを切り上げて台所に戻る。
『歯磨きしたんだがな。』
グラスに氷とスコッチをいれたものを撮影して送付した。
真島は、缶を握りつつ着信を待った。二時もまわったし、さすがに返ってこないか、と時計を見た時、メールが返ってきた。開いてびっくりする。写真が添えらえている。
「うわ、ほんまか…。」
高級そうなガラスのテーブルに載った、バカラのグラスらしきそれ。奥には深緑のラベルの黒い瓶がある。文字は読めないが、銘柄に間違いなければ、昔グランドで一本二十万で売っていた酒だ。
(金持ちやぁ…。)
さっと出てくるのが、想像通りというか、想像以上の羽振り、というか。
『いいなー、そんないいの飲みたいわ。』
そう素直に送ってみた。缶酎ハイが甘く、すこし苦い。携帯を操作していると、目はさえてくる。
(とりあえず、保存、と。)
メールに鍵マークをつける。こんなことで、柏木の生活を垣間見ることが出来るなんて思ってもみなかった。写真を拡大してみる。ガサガサの画質になるが、毛足の長いカーペットは灰色なんだな、とか、ティッシュの箱がカバーなどかけずそのまま置いてあるだとか、色々読み取れた。自宅なのだろうか。写真に見える限り、女っけはなかった。
柏木は、まだ飲むでもないグラスを揺らしながら、携帯を弄っていた。さきほどの写真を見返す、これは本当に真島の自宅なのだろうか。直系団体の若頭にしては、質素な部屋に住んでいるな、と思った。この一枚だけを見て判断するには早計かもしれないが、あまり金のかかった調度品がないのだな、と。
(倉庫やシノギの事務所かもしれねぇ…が、思えば真島組のシノギはしらねぇな…。)
来る日もくるひも、喧嘩を求めてネオンのなかを彷徨っているイメージばかり先行する。極道の主な仕事は親分にアガリを納めることである。真島とて、その本分が猶予されているなどということはあるまい。思えば、真島のことはなにも知らないのだな、と自分にがっかりする。それでも、ずっとこの街に生きる者としては、どこか気になっていて、こうして思わぬことでメールの遣り取りしている状況に心躍っている自分がいた。ぴぴっ、と電子音とともに画面が切り替わる。メールがかえってくる。
(いいの飲みたい、か。)
その声の聞こえてきそうな素直な物言いに、ふっと笑った。
『うちにくれば、いくらでもある。』
そう送った。果たしてどう返してくるか。
真島は、すぐに返ってきたメールに、ひぇっ、と息を飲んだ。
(家おいで、ってことか? これ口説き文句やないか??)
だが、これはおっさんの社交儀礼みたいなものだろう。ただし相手が若い女の子であれば、だが。
『金持ちやな、』
と打って、文字を消した。
「…………。」
缶を口につけながら考える。相手はどう思ってこの一文を送っているのだろう、と。酔いがどんどん醒めてくる。
(もしかして、俺やとわかってないのか?)
その可能性もある。機種本体にメアドが登録されてなければ、相手に表示されるのはアドレスの冒頭何文字かの部分だけである。
(深夜にきたメールになんとなく返信してるだけか…?)
飲み屋の姉ちゃんでも相手しているつもりだろうか。そういう繋がりくらい、柏木にもあるはずだ。関西弁であるかぎりは、女言葉男言葉というニュアンスの書き分けはあまり見られないから、誤解している可能性もある。
(そりゃ相手もヤクザもんやからなぁ…。)
全てが理想通りの紳士というわけはないだろう。
(しかも、そんな勝手に思っとんのこっちだけやしな。)
時計を見る。02:27。
『もう寝るわ』
と打って、消した。本音はまだ話していたい。こんな偶然がない限り、あの人と個人的に会話することもない。
(お姉ちゃんやと思われていてもええやないか。)
文面からあの人の人となりが分かるし、写真など貰おうものならめっけものである。
(相手にとっては相当な事故やが。)
そこまで思って、ククッと笑いが漏れた。楽しんでいるのかどうかわからないが、時間を割いてくれているのだ。むしろ飲み屋の姉ちゃんの営業メールと思われていたほうが都合がいい。
『わー、ほんとにぃ? 家いくわ♡』
語尾にハートマークを添えて、そう打った。自分でも、カマトトぶった文面である。ええいままよ、という気分で送信決定を押した。
柏木はソファに座りなおした。口につけた酒は、歯磨きのミントの残り香とあいまって、一口目はモヒートのような味がした。そんな酒を口に含んで苦笑しながら、携帯を見ていると、返信があった。
(おいおいマジか。)
家に来られても、こんなオッサン一人が住んでいるだけの部屋だ。たいして面白いものがあろうはずもない。
(確かに酒ならふんだんにあるが…しや、しかし…。)
そもそも真島は、この文面をどういう子相手に送っているつもりなのだろう、と頭をひねる。
(家いくわ、行くは?)
文面だけみれば女言葉ではなく、関西弁の不完全なものなのかもしれない。真島の話し言葉は、無理しているようだから。
(こちらは、男言葉で返したはずだから、男同士でもこのテンションなのか。)
ただ先ほどは、そんな冗談を言える間柄の人間がいるのだな、と安堵していたはずが、この返しには妙に嫉妬している自分がいて可笑しかった。なにがハートマークだ、と眉を顰める。だが、そんな気持ちをもたれる筋合いは彼にはないな、と思い直して時計を見る。もう三時前である。どうしようかと迷ったが、この一杯を干すまでは付き合ってやろう、と決心する。
(つきあってやる? 話したいんだろう?)
そう意地悪な自分が脳内で言うが、それを鼻で笑ってメールを打った。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/03 02:39
件名:RE:
本文:よし、迎えにいってやろう。今どこにいる?』
真島は二本目の缶に伸ばした手を止めた。着信あった画面を見て、そして、固まった。
(このひと、スマートに口説くのぅ。)
どういう顔をすればいいのか。残念ながら、画面のむこうにいるのは、綺麗なお姉ちゃんではなく、眼帯のおじさんである。そろそろごめんなさいを言ったほうがいいのかもしれない。ネタバラシではないが、間違っていました、と謝罪のメールを送ったほうがいいのかもしれない。
(どこにいる…か。)
この時間から、お姉ちゃんとどこかに遊びに出かけるようなことが、あの人にもあるのか…と少し凹む。しかも、それは幻滅というのではなくて、それを出来ない自分に苛立つ気持ちだから始末におえない。
(焼き餅やて。あほちゃうか。)
どう返信しようか悩ましい。でも、この時間なら、このまま寝落ちてしまったりしないだろうか、とも思う。うやむやにしてしまってもいい時間な気がした。文面を打っては消ししていると不安になってきて、もう一度、アドレスが本当に柏木か確かめるが、何度見ても、先ほどのメールは、柏木さんと登録したアドレスから返ってきているのだ。
「………。」
アルコールの力を借りよう、と二本目をあける。半分ほど一気飲みした。自分は今酔っているのだ。今夜のメールは、全て酔っ払いの世迷いごとである。よっしゃ、と気合をいれてメールをうつ。
『家におるよ。きてもいいけど、今、パジャマ👿』
文末に羽ばたいた小悪魔の絵文字をいれた。もういっそ、笑ってくれ。
夜中、三時過ぎ。さすがに、さっきのはオッサン節全開で気持ち悪かったかな、と柏木は頭を掻いたが、グラスを遊ばせていると、返信があった。
(やっぱり家なのか。)
しかし、文末の絵文字が補助二重線になっていた。キャリアが違うと時々おこることだ。絵文字をいれたメールというのは、普段あまり使わないので、こういう時困る。以前、飲み屋のママから入ってくるものが二重線だらけで、意味を聞いたことがある。こちらの使っているキャリアの機種は、絵文字の発祥というわりには、今もその種類は少ないらしい。特に相手が送ってくる色付きの複雑な絵文字は、機種対応されておらず、こちらの見るぶんには消えていることが多い。日本語のニュアンス、それを補う絵文字であるから消えられては困るのだ。件の飲み屋のママにもそう言って、絵文字はなんだったのか聞いたが、その時は、気にしないで~と言われただけだった。
(パジャマのあと…なんだ、服の絵文字はこちらの機種にもあるな。)
普段開かない絵文字一覧を見ながら考える。暗号解読のようだ。
(パジャマだから行けませんよ、お断りします、のような絵文字があるのかもしれないな。)
考えてもわからない。諦めて、次の返信を考える。
(じゃあ、パジャマ姿送れ…はさすがに気色悪いか。)
ただのエロおやじの返しで失笑する。相手はそれこそクラブのキャストや、安いそこいらの女ではないのだ。
(本当に、この会話…誰にむけて送ってんだ?)
真島の囲いの女に宛てたものならば、普通女言葉でこういうノリで返さないだろう。相手は、一筋縄ではいかない狂犬と称される男だから、そんな可能性もあるのかもしれないが。だけれども、その真島がチマチマとメールを打つ姿も面白いし、それに一応はこちらの投げた言葉に合う言葉が返ってきているのだ。
(酔ってはいるが、会話できないほどじゃない、か。)
考えにかんがえるほど、妙な妄想につきまとわれれる。
(真島が女役、とかそういう関係の…いや……。)
この界隈にいないこともないが、とまで考えて、自分までつられて悪酔いしてないか、と頭を振った。テンションはどう考えても、恋仲かそれに準じたものだろう、と思うが、真島の交友関係ではそうではないのかもしれない。あのくらいの世代では、こういう遊びもあるのかもしれない。歳の自分がそれに上手くついていけないだけか、と少し冷静になって返す。
『俺も飲んでるからなぁ。車出してやれねぇな🚙』
文末には、申し訳程度に、車の絵文字をいれておいた。
真島は、残り少なくなった携帯電話の充電を気にしながらも、返ってきたメールと、さきほどまでの会話の流れを見返していた。
『いいなー、そんないいの飲みたいわ。』
『うちにくれば、いくらでもある。』
『わー、ほんとにぃ? 家いくわ。』
『よし、迎えにいってやろう。今どこにいる?』
『家におるよ。きてもいいけど、今、パジャマ。』
『俺も飲んでるからなぁ。車出してやれねぇな。』
(文末にはタクシーの絵文字があるが、これで来いってことなんか? そこまでか??)
んーー、と考える。絵文字がなければ、そもそも若干冷静になられた感じのある文面である。
(こいつマジか、思われたんかな…。)
もし、相手が女でもこんな時間から積極的になりすぎられても、という気は分かる。
(始発でいくわ…は、そのまま会話終わってしまいそうやしなぁ。)
走っていくわ、が無難か。ボケにも分かり易さないといけない。夜の街の絵文字と、マラソンしているような絵文字を語尾につけて送った。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
日時:2003/02/03 03:13
件名:RE:Re:RE:Re:起きてる!
本文:走っていくわ🌛🏃』
ずっと握っていた携帯が震えたので目を開けた柏木。かえってきたメールの文末には、横顔の月と、人が走っているような絵文字があった。文面も投げやりに感じる。
(さすがにこの時間だ、頭も回らねぇな。)
くしゃくしゃする目をこすって、返信する。
『眠いか?』
素直にそう送って、携帯を閉じた。
真島は、話題を変えられ、まぁしゃあないかと苦笑した。
『少し眠い。けど、まだしゃべってたい。』
絵文字もなにもつけず、そう送った。
すぐに帰ってきた返信に、柏木は、額をおさえた。きっとこれは、誰か好きなやつと話しているんだろうな、というのが分かって申し訳なく思った。きっと間違いなのだ。あの真島が甘えるほどの子がいるのだろう。はぁー、とため息をつく。そろそろ、間違いだ、と指摘してやるべきだ。
(さて、ここまでやり取りしておいて、なんと言ってやったらいいだろう。)
むしろ、送るのはやめておいて、明日自分で気づかせたほうがいいだろうか。このタイミングで自分だと明かして、せっかくの酒が不味くなってもな、と思う。そして、間違いでこんなに時間をとらせてしまったというのも、今思えば可哀そうな気がした。携帯を操作しては、前髪をいじる。何度も文を打っては消す。良い言い回しも思いつかない。
「…………。」
やはり、シンプルに、間違いだと送ろうと思ったとき、
『寝た?』
と追加でメールがきた。それに、思わず、
『寝てないよ』
と返信していた。
返事がこないことを不安に思った真島は、気づけば追加でメールを送っていて頭を抱えた。アルコールは理性の閾値を少し下げる。
(しゃべりたい、ってなんやねん…。)
柏木が困っているのが想像できる。やってしもうた、とまた頭からクッションに刺さりそうになった時、着信がきた。
『寝てないよ』
なんだか、それだけでホッとしてしまった。そっか、とだけ打って、手を止める。こちらは朝方まで起きているの事もザラだが、柏木は昼間も事務所にいることもあるのに。普段からこの時間も起きているのだろうか。無理はさせたくないが、眠れない日というのもあるだろう。もしかしたら、そういう日なのかもしれない。自分とわからずとも、誰かわからない人間と、こうもとめどない時間を過ごしているのだから。
(どうしよう、なにか話題がほしい。あの人の興味あるもんってなんやろ…。)
文字をうっては消しをして、携帯ディスプレイを見ていたら、
『お前はまだ寝ないのか?』
ときた。ふっと声をだして笑う。
(いいな。柏木の声で、お前、と呼ばれたい。)
素直に言えば、声がききたい、だ。だが、それを打つのはさすがに不味いだろう。
『まだ寝る時間やないな。あんたは?』
今日はいつになくこの時間で少し眠いなと思いながら、そう送ると、
『俺はいつもはもう寝てるよ。眠れないのか?』
とすぐ返信がきた。
『寝れんから、こうして飲んでるねんて。どうやったら早く寝れるんやろうな。』
そう送った。もう、自分の素な気がした。3:17。眠れない、というわりには、半分ほど頭が寝始めていた。
柏木は、飲み干したグラスに次の一杯を注ぐか迷っていた。さすがに寝なければならない。明日は昼からの来客しかない予定だが、それでも断りもなく昼出もないだろう。そう思ったが、真島からのメールが気になって、ベッドに入るのが戸惑われた。
(ベッドに入ったら確実に寝ちまう。)
眠気を感じてソファに横になる。少しうつらうつらしてしまっているうちに、メールが返ってきていた。
(眠れないのか。)
あの街で真島の姿を見るのは日が落ちてからだけだった。仕事の都合で夜型なのか、体のサイクルがそうだからか、と思ったが、この文面を見る限り、そうでもないようだ。
(確かに、本家のことがあると朝出ることもあるしな。)
真島も嶋野組の若頭として、呼び出しに応じなければならない事はある。だいたい集まりがある時は、むすっと黙って嶋野の横に控えている姿を見る。つまらないからそういう顔をしているのかと思っていたが、眠いだけなのかもしれなかった。
「………。」
着信から十五分ほど経っていた。もう眠っているかもしれないが、一応返そうと寝ぼけ頭で文字をうつ。
『誰かに子守唄でも歌ってもらえ。』
目をこすりながら、そう送った。
真島はクッションを抱いてうつぶせになりながら、メールを待った。少し時間が経った。気づけばもう四時前である。さすがに柏木も眠ってしまったのかもしれないな、と携帯を充電プラグにさしてテーブルを片付けた。台所に転がっていた缶をまとめ、グラスを洗う。
リビングに戻ると、携帯のランプが青く光っていた。柏木からのメールの返信、とても嬉しかった。
(子守歌、か。なんや、そんなかわいらしい言葉、よくでてくるのぅ。)
家族がいるのかもしれないな、と思う。思えばそんなことすら知らなかった。ふと、がらんとした自分の部屋が薄ら寒く感じた。
『そんなもん歌ってくれる人いたら、こんなとこでくだまいてない。』
そう拗ねた心を全部のせて送信した。
柏木は肌寒さにはっと気付いて体を起こした。ソファで腕を組んだまま寝おちてしまっていた。時計を見る。四時半だ。慌てて立ち上がり歯磨きをした。さすがに眠らなければ、明日に響く。
歯を磨き終えリビングに戻ると、携帯のランプが青く光っていた。30分ほど前にメールの返事がきていた。拗ねたような文面。この時間だ、相手も酔っ払いで頭も回っていないのかもしれない。さすがにこのまま無視するのは可哀そうで、どうするか迷ったが、
『そうか、なら、俺が頭撫でて歌ってやるよ。』
そう送って、枕元にある充電器に携帯をさした。ベッドに横になる。布団をかぶりながら、これが自分だと明日になってバレたら、次会った時にどんな顔をすればいいのか、とふと真顔になった五時前だった。
真島はベッドに俯せになりながら、コンセントにさした携帯電話を睨んでいた。かれこれ30分は返信がない。さすがに寝てしまったのだろうか。それとも、返信に困るものだったから放置されたか。
「…………。」
電気を消し、眠ろうと思ったが、じりじりと時間が経っていく。目をつぶっては開け、携帯電話のランプが充電中の赤から青色に替わっていないか確かめた。
(明日になったら、全部消えてしもうてたりして。)
長い夢のようなものかもしれない。憧れていた柏木に、口説かれているような気分になれるなんて、現実だとありえないだろう?と、まだソワソワしている自分を嘲笑う。携帯電話を手にとった。しかし、充電の表示がもう先ほどから赤いゲージになっていて、受信フォルダに柏木の名前が並んでいるのを確認して、仕方なくコンセントにさしなおした。
柏木は、返信がないのを見て、諦めて寝ることにした。目覚ましを八時半にセットして眠りにつく。いつもよりは遅いが、昼前には必ず出られるだろう。
「…………。」
携帯電話を手に取ろうとして止めた。今になって急に恥ずかしくなってきた。特に先ほど送ったものの送信は取り消してしまいたい。
(どんな顔して会えってんだ。)
幸い暫くは仕事で真島と顔を合わせる機会はなさそうだが。明日は是が非でも、夕方には事務所を出ようと思った。街で真島とばったり顔をあわさないことを祈りながら目を閉じた。
真島は、びくり、と体を震わせて枕を引き寄せた。少し眠ってしまったらしい。携帯のバイブレーションが震えた気がして、ふっと目を開けた。
「ぁ…っ。」
コンセントにさしてある携帯電話のランプが青く光っていた。メール着信を知らせる色。慌てて手にとった。
(うわぁ…うわぁうわぁうわぁ!)
叫びそうになるのを、唇に手をあててこらえた。
(頭撫でるってなんやねん!!!!)
思わず布団をはねのけて、ベッドに座った。ぼうっと画面を見たが、その一文は消えることなくそこにある。
「…………。」
寒くなってもう一度布団をかぶりなおした。時間はもう六時前だ。遮光カーテンの隙間から、うっすらと水色の光が見えている。
「あー、どうしよ…。」
朝日がのぼると、明日だ。こんな幸運な勘違いはきっと今夜だけ、数時間すればこの魔法は解けてしまう。カーテンの裾をちらりと指で開けてみる。街はまだ寒そうな色をして静まり返っている。さすが二月、朝焼けにも遠かった。
『頭撫でてほしい。一緒に飲もうや。家にも行くで。いつ会える?』
夢中でそれだけ打って、妙に可笑しくなって、携帯から顔をあげた。間違ってこのまま柏木におくらないよう、アドレスの末尾を何文字かだけ消して、保存した。さすがにこの時間から返信はできない。携帯電話をそっと畳んで、充電プラグにさした。
つづく