酔いどれメール(仮)6日目六日目。
柏木は珍しく朝九時ごろ起きた。オフの日でも、基本的には通常通り七時半ごろ起きるのだが、昨日の接待は自分でも思った以上に気を使ったのだと思った。かなり酔っていた為、妙な夢を沢山みた気がした。なにも覚えていないが、頭が重い。ベッドサイドの煙草に手をのばした。ベッドに腰かけ、タバコを吸い、少し目がさめてくる。充電していた携帯電話に、青い着信ランプがともっていた。だいたい組の用事か、接待で使用した店か何かからの営業メールか、と普段なら思うはずだったが、この日はなにか確信があった。柄にもなく心を躍らせながら携帯を開く。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
日時:2003/02/08 03:39
件名:ほんまつかれた。
本文:あんたも、おつかれさん。おやすみ。』
そのままの声で、再生される文面。昨日のぶすっとした姿が思いおこされる。話しかけてほしくなかったのかもしれない、と思ったが、後で思いかえせば、眠かっただけ、ということもある。確かに昨日は自分が逸ったのだと思う。互いの親のいるあの場で、親しく会話しているところなど見せられない、というのは真島の立場だと痛いほど分かる。風間はそうでもないが、嶋野が風間に対して大きく蟠りを抱えていることは知っているし、事実、昨日も世良の声その一存で、嶋野組に振られるはずだった仕事のひとつが、こちらに転がり込んできたのだ。と、ふとここまで考えてある考えに至る。
(ハニートラップ、みたいなことはさすがにねぇよな。)
自分が、真島に何か口を滑らせてしまう可能性をふと思う。近づいてくる女には最大限の用心はしているが、真島がその可能性をもっている、とは今のいままで頭の隅でも考えていなかったことだ。なまじ女ではないものだから、警戒心なしでこちらもメールを返していた。
(さすがの嶋野さんとて、そんなことで俺に真島をけしかけてくるとは思えないが…。)
知りたい情報を持っている組の関係者を、自分の持っている店にそれとなく招待することはある。そこの女と懇ろにでもなってくれれば、割とすぐに相手の動きが筒抜けになるからだ。風間組には、表立ってケツモチしている、と公言していない店舗も沢山ある。金の流れを洗い出されれば、どこかで繋がっていることは推測されるだろうが、その日に連れられていく店が息のかかった店だと用心する人間は、この世界でも少ない。
もう一度、真島からのメール、そして自分が何かうっかりと組のことを話していないか、過去の送受信メールを見返した。だが、何もそれらしいことはないどころか、全く別の恥ずかしさが起こるほどに、なんてことのない酔いどれメールの応酬だった。
(逆なら相手も同じ立場のはず、あまり疑ってやるのは可哀そうだ。)
昨夜もそのまま嶋野組の二次会につきあわされたのだろう。ぼろぼろだったはずなのに、ちゃんと返信をしてくれた。その事実がとても嬉しい。たとえ万が一嶋野の策の一環であったとしても、真島の頭のなかに、自分がいる時間がある。それに嬉しがっている自分がいる。
(それに、あの真島が、親の策略に素直にのって、こんな面倒くさいことを仕掛けてくるか…?)
力づくで何もかもを成し遂げそうな男だ。
(だが…。)
このメールの先が、真島でない可能性をふと考える。
(いや、そんな事はない。)
きっぱりと心に断言してから、短くなった煙草を慌てて吸う。煙草の煙を吐き、自嘲する。
「へっ、なに都合よく思おうとしてんだ。」
口にだして己を叱咤する。嶋野組が仮想敵という事実に変わりはない。
「用心しなきゃならねぇな。」
そう口にだして、ぎゅっと心が痛むのを感じた。久しくこんな想いになったことがない。はるか遠い昔に惚れた女を振った時以来だと思い出して、苦く笑う。
(真島が、そんな対象になるわけでもないのにな…。)
自分が若い頃より要職についていたものだから、本当に一握りの人間の前でしか本音をさらけ出せなかった。プライベートで近づく者は極力排除して、そして残ったのが、この仕事と金だけにまみれた四十過ぎの寡の姿なのである。
こんな思い、メールの文面にのせないように気を付けなきゃな、と思う。気持ち悪がられては事だ。
「………。」
半分まで灰になっていた煙草を消した。真島はきっと遊びだろうに、こちらだけが本気になっている。煙草二本目に火をつける頃には、だいぶと頭がさえてきた。昨日はメールをうつべきではなかった、と思った。
「しまったな…。」
携帯を見るたび、ため息が出る。目覚めた頭で思い至った感情は、言葉で表すにはあまりに抵抗ある事実だった。
髪を切りに行った後、昼御飯を食べ、お気に入りの酒屋で酒を買った。ワインを三本ほどみつくろってくれ、と頼んでいたのが届いたのだ。帰ってきて、ワインセラーにそれをおさめる。思わず写メに撮った。グラスも新しいのを数点買った。ホットにも対応する、耐熱性の取っ手のついたグラス。写メに映えるよう、模様が磨りガラス風になったタンブラーをペアで買ってきた。久しぶりに散財した気がした。
日が落ちて夜になると、充電した携帯電話をたびたび覗いてしまう。いつもなら、この仕事用の携帯電話が鳴る時は、だいたい聞きたくもないことが大半だったのに。着信音を、連絡帳の個人の欄で変えられる事を知って、真島からのメールだけは違う音を鳴らすようにしてみた。先ほどから、それが聞きたくてならない自分がいる。
一人で夕飯を食べている時も、ずっと携帯電話をいじっていた。はしたない、と自分を叱らなければならないほどだ。
妙にソワソワしながら洗い物やたまった家事をする。でもまだ夜中の一時までは遠かった。クリーニングの宅配がくる、そのチャイムを気にしながらも、携帯電話と睨めっこをした。
起きたら日が落ちていた。真島は、ベッドのなかで寝返りし、いま何時だ、と時計を見た。朝の暗さではないだろう。
(夕方…六時か。)
どのように眠りについたのか覚えていないが、ちゃんとシャワーを浴びて下着に着替えて寝たようだった。暖房をつけっぱなしでいたので、喉が痛い。布団をなんとか除けて、ベッドに胡坐して座る。視線を落とせば、隆起しているそれに、疲れた下半身をしているな、と苦笑する。ベッドサイドからハイライトを取って、火をつけて、しっかりとその香りを飲んだ。俯いて、腹に力をいれる。下着の上からそれの形が分かるほどの立ちあがりかただ。その隆起に手を触れ、はっとする。
(俺、なに考えたんや…。)
柏木のことを考えながら、何をしようとしていたのか。
「ぁー…。」
天井を仰ぎ見た。呻き声にしては甘い声が煙と共にたちのぼる。灰皿に煙草をつけ消した。そのままの勢いで、シャワーをあびに行けばよかったのだろうが、二日酔いの体はだるく、そのまままた後ろにゆっくりと倒れこんだ。生暖かいベッド。きっとこの人恋しくなる季節が悪いのだ、とぎゅっと体を屈ませる。
充電の終わった携帯電話を手に取る。仕事の着信が何件か入っていたが、柏木からのメールはない。当たり前だ。
(平日の昼間に、あの人の頭にオレのことがあるはずもないんやから。)
携帯を畳んで、ベッドに潜る。足をすり合わせる。ぎゆっと身体に力を入れる。いけない妄想と戦いながら、また眠りについた。
夜0時過ぎ、柏木はかなり酔っていた。真島からのメールがこないこないと思いながら、気づけば、買ってきたワイン一本を空けていたのだった。
「…………。」
妙な苛立ちを感じながら、メールを打った。
『件名:なにしてた?
本文:今日の寝酒はなんだ?』
簡素というより、返事を強要する口調に近いことを考える余裕は今の頭にはなかった。酒を口に含む。
メールがかえってくる。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
日時:2003/02/09 00:10
件名:毛そってた
本文:まだ飲んでない。』
シンプルな返しだったが、その件名に書かれた文言に思わず目が釘付けになる。反射的に、髭じゃなくてか、と打ちそうになって、それなら髭と書くだろう、と思い直して考えた。だが、酔った体は、頭で考える先に、指が、
『どこの?』
と素直に打って送っていた。
『えっち♡』
と返ってきて、
(しまった…!)
一気に酔いが醒めた。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/09 00:15
件名:RE:Re:RE:毛そってた
本文:誤解だ』
と返ってきて、真島は腹を抱えて笑った。本当に腹を抱えると、腹の上にのっているクリーム状のものに手を触れることになるので、それはなんとか堪えたが、暫く笑いが止まらなかった。メールをうつ。
『そってた、というか、除毛クリームつけてる。腹とか脇の下な。』
そう送る。しばらく返信がない。変なことを言ってしまったか、と次のメールを打ち出そうとした時、返信が来た。
『どこの毛かと考えてしまった。』
くくくっと笑う。
(クソ真面目に、夜中に毛そるて何やおもたんやろな。)
けれど、つい面白くなって、
『誤解とちゃうやん。』
と送った。すかさず、
『件名:誤解だ。
本文:ご、か、い、だ』
と返ってきた。まさかの天丼でまた笑った。写メに、除毛クリームのラベルを撮って送る。
『件目:えっちやな
本文:見る?』
そう写真つきで送ると、間髪入れず、
『件名:エッチじゃないじゃないか。
本文:綺麗好きだな。』
と返信があった。
「ひっひひっひっ…っ!!」
暫く引き笑いが止まらない。
(綺麗好きってなんやねん、たどたどしすぎるし。)
本気で笑いながら、メールを打つ。
『件名:なに想像したんや
本文:言うてみ?』
『件名:色々だ
本文:動揺、』
どうよう、に句読点だけの文面は本気で腹が痛い。
(ほんまオモロいな、このひと!)
除毛クリームを置く時間、手持無沙汰なこともあり、思わず調子にのってメールしてしまう。
『件名:えっちなんほしい?
本文:写メにとっておくるわ』
さすがに無視されるか、話題を変えられるかと思ったが、3分ほど経ってから返信がきた。
『件名:ほしいかほしくないか、って言ったら
本文:わかるだろう?』
「あっひゃっひゃっひゃ…!!」
来たメールに手を叩いて笑う。
(あー。楽しっ。)
『件名:あんたノリええなぁ
本文:えっちなの撮るからちょっとまっててな。』
『件名:RE:あんたノリええなぁ
本文:はい。』
はい、というのをあの柏木が打っている、と思うともう本気で面白かった。もしかしたら、柏木も飲んでいるのかもしれない。よし、酔っぱらいのオジサンを喜ばせてやろう、と気合をいれて立ち上がった。
柏木は酒のグラスを片手に苦笑した。全くのオッサン同士と思えぬエロメールの応酬である。頭のどこかでは、こんなものをもし真島が誰かに見せたら身の破滅だ、という思いもある。けれども相手だってかなり楽しそうなのだ。
『件名:えっちなやつ、と、
本文:わりとえっちなやつ。どっちがいい?』
(ノリノリじゃねぇか。)
先ほどの誘うような会話にのってやれたのも、返しとして間違いないのだろうと妙に自信を深めた自分がいる。
『どっちもは?』
『その心意気やよし👍』
Goodと文末に入ったものが送られてきた。ふふっと笑いながら、グラスに残ったワインを口に含む。
(さて、毛むくじゃらの足がくるのか、腕がくるのか。)
そう思い、酒の追加をもって来ようと立ち上がる。長い夜になることを見越して、アイスペールに氷を用意する。お気に入りのスコッチ、その新しい瓶を開けた。開けたてのそれは、ふわっと良い香りがする。
暫く酒をちびちびやりながら待っていると、10分ほどして返信があった。
『件名:えっちなやつ
本文:おまたせしました、臍。』
『件名:わりとえっちなやつ。
本文:おまちかね、脇。』
同時に二通入ってきた、その添付ファイルを見て息を飲む。そこには、白いクリームが乗った腹の写真と、そして綺麗に無駄毛を処理された脇の下があった。その思ったより白い肌にドキッとした。
「…っ、ゴホッ。」
思わず、咳き込んだ。けんけんと噎せ返る。酒が喉にひかっかって痛い。はーっと深呼吸してから、再び写メを見る。タオルで胸あたりは隠されているが、その入れ墨からして間違いなく真島の身体だ。一枚目の腹の写真より、二枚目がいやに暗く彩度が低いのは、鏡を映しているからだろう。
「…………。」
思わず唇に手をあてた。
(やばいな…。)
昼間考えていた、ハニートラップ、という単語が脳を掠める。その悪意を首を振ってかき消す。
(いつもだ…いつも、こんなことを思う。)
心のむくまま、誰かに向き合ったことがあるのか。こんなに心を動かされても、まだ、そんなことを思うのか、と今まで押し殺し続けていた自分が叫ぶ。
「…はっ……。」
笑うでもない、溜息でもない吐息を一つついて、携帯に再び向き合う。普段着が裸ジャケットだから、人の目に晒す所を処理しているのだろう。それにしたって、なんと返せばいいのか。これは一歩間違うと危険な気がするのだ。色々、いろいろな方向で危険だ、と頭を抱えた。
真島は、除毛クリームをティッシュで拭きながらも、返信がないのに気を病んだ。
(さすがに、調子にのりすぎたか…。)
気持ち悪がられては元も子もない。ともすると、相手は女の子を思い描きながらイメージ恋愛していたかもしれないのに。
(あー、しもた、どうしよ。)
謝るのも変だ。どうしたらいい、どう挽回すればいい?と考えていたら、着信音。昼間、柏木専用に設定した着メロが鳴り響く。慌てて携帯を開く。
『件名:RE:えっちなやつ
本文:これだけか?』
(あー…喜ばせるのうますぎやろ。)
さすがに、あの写真への具体的な感想は避けたに違いない。返信までにかかった時間の柏木の逡巡を思うと、申し訳なさと、愛おしさが溢れる。とりあえず、この話題はここまで、と返信を考える。
(あのひとのノリのよさに甘えて、悪ノリで〆とこ。)
『件名:風呂はいってくる
本文:もっとえっちなやつはもっと仲良くなったらな!😉』
ウインクの絵文字も入れて、そう送る。
『件名:いってらっしゃい、
本文:楽しみにしてるよ📷』
カメラの絵文字付きで返信があった。また口から、あーぁーと妙な声が出るではないか。
(なんやろな、ほんまに、案外いうたらあかんけど、口上手いんやなぁ。)
こんなもの送られてきたら、女は裸足で走って行くと思う。
(相手はヤクザやいうても、こんなん女ほっとかんやろ。)
もしこれで、本当に女性の影ないのだとしたら、もしかしたらそちらの気があるのではないか、と疑うくらいだ。
「いや…いや、そんな勝手な憶測はあかん。」
憶測、ではなく、希望的観測、という言葉が頭を掠めたが、うるさい、と己の頭にツッコミをいれて、風呂に入った。
柏木は、先程のメールをじっと眺めていた。受信フォルダには、真島吾朗という名前と、件名のえっちなやつ、と文言が並ぶという、とても居たたまれない事態になっているが。
(きっと、下ネタというか、男女問わずそういう話題が好きなタイプなんだろうな。)
勝手にストイックな奴だと思っていたけれど。夜の街で働いていたという噂もある。そういう話題にまみれていれば耐性もつくし、それ以上に、こういう話題も夜の街の円滑なコミュニケーションの一貫なんだろう、と思う。自分はそういった話を振られると、加減がわからずぶっこんでしまうこともあるため、現実ではあまりそちらの話題につっこまないようにしている。最近はそういう話題が始まると、黙り続けていることも多いため、部下には、そういう話題が嫌いな人、という堅いイメージを持たれている始末だ。
(別にそうでもないんだが…。)
実際、こういうメールも楽しいと思う自分もいるのだ。酒に飽きて、煙草を取り出す。クリームを落としに風呂にはいっているなら、しばらくは返信がないだろうと、ハイライトに火をつける。
「はぁー…。」
己のため息が、とても情けなく聞こえて苦笑しそうになる。先ほどからずっと、写メを眺め続けている。そこにあるのは、まぎれもなく真島の肌で、メールの先にいるのはきっと本人で、誰かが悪意をもって接してきているわけではない、と言い聞かせている。そして先ほど身体に宿った熱はきっと酔っているせいだ。そういうことにしておけ、と自らに散々言い聞かせていた。
チリンっ、と軽い鈴の音のような音が携帯から鳴る。真島専用のメール着信を知らせる音だ。画面が切り替わる。メールがやってくる。
『本文:そうや、
件名:あれから、チョコレートふえた?』
シャワーの時間も短いな、と思いながら返信を打つ。
『本文:増えてない、
件名:飲み屋にいってないからな。』
『本文:そうなんか。
件名:それは残念やな。』
『本文:前のも食べてしまった。
件名:から、今日のあてがないよ。』
『本文:そら、
件名:かわいそうや。明日あげるわ。』
順繰りにやり取りしていた、普段通りのテンションに戻ったメール。今一度返ってきたメールを見て、誤操作でメール画面を消してしまってから、もう一度操作して、受信フォルダを呼び出した。
「えっ?」
どうやって渡しに来るのか、それとも写メで、チョコレートをくれるのか。どちらにしろ。
(真島がチョコレートを? 俺に?)
動揺がありながら、冗談やて、と返ってくる前に返信した。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/09 02:00
件名:チョコレート
本文:楽しみにしてる。』
真島は、返ってきたメールに、にっこり微笑んだ。こちらの言葉にどこまでも乗ってくれる、柏木の返信に嬉しくなる。
夕方、買い物に出た際に、思わず積んであったチョコレートを籠に入れてしまったのだ。男がこの時期に箱のチョコレートを買うことに恥ずかしいと思うべきなのだが、あまりにも自然に、手にとって籠にいれていた。ツマミや酒とともに会計されていくそれを見て、柏木に渡すつもりで買った、という事に気づいてハッとしたが、後の祭りである。
『よかった。』
とメールを打って、消した。そのかわりに、こう打った。
『件名:白いラベルのやつ
本文:前にあんたからすすめられた酒、スーパーで見たがなかったわ。結構大きな店やったけど。』
柏木から写メをもらっていた、白いラベルのウイスキー。ショッピングモールの酒コーナーを探してみたが、売っていなかった。柏木から返信がくる。
『件名:それは残念だったな。
本文:俺は近くの酒屋で買ったんだが。』
『件名:そうなんか。
本文:そういや、酒屋というか、そういうの専門で扱う店も最近見なくなってしもたな。』
神室町には昔は商店街もあり、昔ながらの個人店も多かったが、いつの間にか大型店舗やチェーン店ばかりになってしまっていた。
『神室東の地下鉄の入り口を上がったところに、酒屋にあるよ。洋酒の仕入れが多い。』
返信に時間がかかっているな、と思ったら、店のリーフレットのようなものを写メしてきてくれた。
『夜10時まであいているから、重宝する。直輸入のワインもある。』
拡大して地図を見ていたら、すぐに追加のメールが来た。
『そうなんか、よういくんか?』
『家の近くだからな。御用達だ。』
こんな近くに住んでるのか、と驚いた。神室町とは目と鼻の先である。思わず口の端があがるのを押さえて、返信を打つ。
『そんな個人情報知らせてしもたら、家特定するで~?』
『してみろよ。家にあげてやるから。』
「あっ…。」
本当に、近づいてしまう。現実が、この虚像に近くなる。いけない、と首を振った。
『件名:地図ありがとな。
本文:また行ってみるわ。他にも毛の処理あるから、今日はここでおやすみや。』
『件名:RE:地図ありがとな。
本文:ああ、おやすみ。』
携帯電話を閉じた。くすっぶっているこの気持ちが行き着くところの先、本当に自分が望んでいることが何なのか、決して言葉には表してはいけない気がした。
次の日、柏木は普段ならば日曜日で休みだったが、予定を変更して昼から事務所に出た。子分たちも顔を見るなり、何かありましたか?と驚いたように聞いてきた。いや、ちょっと気になることがあってな…と言葉を濁して、デスクに座る。東城会の名簿をもってきてくれ、と子分に頼み、そこに載る真島のメールアドレスと、携帯電話にあるアドレスを照合した。
(あってる…か。)
本部に登録されている名簿は、そのまま警察にも届いているものなので、おいそれと虚偽の情報を記載するわけにはいかなかった。
(誰かにメールを送らせている可能性は、ない…のだろうな。)
では、やはりあれは真島に間違いないのだ。ほっとしたのと、では次からどうしたらいい、という感情がないまぜになる。そのまま名簿を見ながら、頭を抱えていると、子分たちがちらちらとこちらに視線を寄越してきた。それを無視し、難しい顔で携帯を操作する。真島からきたメールに次々鍵をかけていく。人の頭のなかを読むことには天才的な風間がいないことが幸いだった。
夕方、風堂会館に西日が当たる頃、メールが来た。今日は着信音は切ってある。ディスプレイから見える名前を見ても顔色を変えないように、そっと携帯電話を開く。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
日時:2003/02/09 16:21
件名:
本文:ポストに何かはいっています。』
それだけだった。立ち上がり、窓を見て、それよりも、と思いなおし、慌てて下に降りた。通りを見ても真島の姿はない。
「…クソっ。」
ポストを開ける、小さな箱が出てきた。15センチほどの丸い箱。薄い黄緑色の背景に白色でクローバーの描かれた可愛いものだった。
「…………。」
写メを撮った。天下一通りを振り返り、それを送信した。
真島は昭和通りを西へと歩いていた。メールの着信がある。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/09 16:34
件名:RE:
本文:受け取った。ありがとう。』
添付には、柏木の武骨な手が、ファンシーな黄緑色の箱を持っている写真が添えらえていた。
(柏木さん、なんやな…。)
紫かがった灰色のスーツの袖が、画面の端にある。現実がそこにある。本当に、魔法じゃなく、あのひとがこの電波の先にいるのだ。ほんとうに、相手は自在するし、送った自分もここにいるのだ。電波の中だけじゃない、関係を望みたくなる。
「…っ…。」
顔をあげる。ヤクザ者が、ぎょっとして横を通りすぎた。一般人も、そそくさと自分を避けて足早に道をゆく。
沢山の人が行きかう歩道。そこには何の可愛げもないどころか、見た者に恐怖を感じさせる極道者がいるだけだ。足を止めて振り返った。天下一通りの赤い結び目の看板、それを横から見て、
『口にあったらええな!』
そうメールを送って、昭和通りを西に走った。
つづく