俤柄杓の入った水桶を片手に、舗装されていない土の道を歩く。昨夜の大雨で洗われた緑は、色鮮やかに、初夏の日差しにキラキラと輝いていた。御影石の並ぶそこは霊園。線香の匂いが、少し落ち着く。ここには生者の気配がしない。
二年前まで、自分が訪れていたサバイバーはそんなところだった。世間から名を隠した男が、ひっそりとやっているバー。生き残った者、という賛歌をその店の名に込めながらも、それを作った人は、殊更それを言いふらさず、静かな佇まいをしていた。店の中には彼の気配で満ちていた。テリトリー、というのだろうか。強固な守りのまじないすらかけられているような、そんな安心する空間。初めて訪れた時より、良い店だ、と思った。
だが、そんなサバイバーは、今や勇者御一行様の意見交換の場となっている。春日たち、ハマの英雄たちの元気な声が常に響くたまり場。こちらの顔を見ると声をかけてくるから、訪れ辛くなった。いろはが結婚して街を離れるというので辞めてからは、もっと顕著になった。連日我が物顔で訪れる春日たち。以前は開店前の来訪は、いろはが叱って追い返してくれていたのだ、と後になって気づいた。昨今は開店前の静けさもどこかにいってしまって、自分があの場に居られる時間はずっとずっと少なくなっていた。
誰かがいると、どうしてもテンション高くふるまわなくてならない。それは習い性のようなものだ。かの街で演じきったキャラクター、嶋野の狂犬。春日はうっすらだが、それも知っているようだったから、余計に。
(その名で呼ばれるのも…もう厭きた。)
嶋野が死んでから、もう18年も経つというのに、いまだ自分の綽名には、嶋野の、とつくのだ。
(それこそ、伝説や。)
自分たちが憧れた世代、嶋野や、そして柏木の親であった風間。本当の東城会の極道伝説は彼らが作った。本物の彼らを知っていると、伝説など、軽々しく口にできなくなる。斜陽の東城会を支えてきた自分たちでは、彼らに比べれば伝説などとは到底呼べない。
「…………。」
嶋野の墓の前。手を合わせた。罵声の一つ、悪態のひとつでもついてやろうと思って来てみたけれども、結局静かに、墓参りを終える。毎年ここには柏木と来ていたから、今回は掃除用具も持ってきてはいないし、花すらない。寺で借りた水桶から柄杓で石の上に水をかけ、ただただ、墓の前でたたずむ。
(なんも言うてくれへんのやな。)
そう苦笑する。当たり前だ。骨はカルシウムとリンの塊。もうそこに意識はない。
(そんなものが伝説だって。笑わせるな。)
墓のなかにあるのは物言わぬ骨だけ。墓参りにくるとき、本当に対面するのは、その人の記憶のなかにある人の面影だ。よく通る声、その大音声(だいおんじょう)は今でも思い出せる。その声に、自分の甘えを叱ってもらおうと来たが、脳内の嶋野は何も語らない。
(そやな…俺らには何も言うてくれんかった。)
嶋野が本当に眼中に捉えていたのは、過去の大親である堂島、そしてライバルの風間新太郎だけだった。
(何をするでも、風間かざま、やったな。)
物静かな風間に一言二言で言い負けて、ぐっと黙る様子すらはっきりと思い出せる。自分たちは、その横にいた。当時は、理解できない関係だと思っていたけれど、今ならなんとなくわかるのだ。
「喧嘩するほど仲が良い、か。」
はっと笑う。なんだかんだいって最期は両者相打ち、なんと幸せな結末なのだろう。あの時は、自分も大概あの事件に巻き込まれていたから、考えも及ばなかったが、今だと二人で示し合わせたようにも思える。
(ここが死に時、ってか。)
二人とも六十歳だった。お互い、見ている世界が近かったのだと思う。ここが勝負所だと、賭けたところが同じだった。老いる前に、世の中からヤクザが生きづらくなる前に、極道として死んでいけたあの二人は本当に幸せ者だ。勝手に死んでしまいやがって、と吐き捨てる。
(自分もそうなりたかった。)
ただ老いた六十という体を抱えて、彷徨っている。にじむ涙をぬぐう。無数の墓、ここはかつて極道だった男たちが眠る場所だ。自分はここにはふさわしくない。
墓を後にして、さて、どうしようかと思う。神室町の様子が気にはなったが、あの街には行けない。かといって、もう一つ気になるのは蒼天堀だが、そちらも近江連合の残党がいるかもしれない。大解散、そしてその後の事業で、向こうにもこちらの顔は売れてしまったから、おいそれとその周辺にすら訪れることができなかった。
そもそも一昨年までの蒼天堀も、昔の面影はあまり残してはいなかった。かろうじでグランドは残っているものの、巌橋周辺も綺麗になってしまって、川縁は舗装され、ビルも建て替わっている。ずぼら屋のフグ提灯もなくなった、その代わりに入ったのは観光客向けの免税店。歩く人の気配も変わってしまった。感傷に浸ろうとも、昔のあの小汚い蒼天堀はもうない。
法眼寺横丁も、一度火災にあい、店舗は昔の面影を残すように再建されたが、神社周辺は今は小ぎれいな街並みになっている。サンシャインはその時に移転したようだ。ただ、まさか新店舗が神室町に移動してきているらしい、というのには驚いた。小雪がママをやっているそうだ。
(というか、そもそもそのオーナーがな…。)
数か月前、異人町でユキに会った。驚いた、という言葉すらふさわしくないほど、互いの顔を見て驚愕した。
『ま、まじまさん?!』
『ユキちゃんやないか?!』
そりゃ驚くだろう。どちらも生きてはいるが、横浜などにはいない、と思っていたのだから。ユキと会ったのは駅からサバイバーに向かう途中だった。金華橋の上で話す。ユキは横浜で新しく店を構えているのだという。
『チラシ寿司! 食べにきてくださいね!』
そう言って手渡されたハガキサイズのチラシ。ちらし寿司屋のチラシ、と自分で言いながら、フッフッフフ…と変わらない、あの気味悪い笑い方をしていた。あぁまたな、と言ってその日は別れた。サバイバーに来て、そのチラシの住所を見る。まさかの、サバイバーの前の通り…川のそばのビルでユキは店をかまえていたのだ。眩暈がした。
柏木と仲良く歩いているところを見られるわけにはいかない。そうまず思った。どんなにヤクザ界隈とは関係のない、昔の仲間、だったとしてもだ。そういった意味でも、異人町は、すこし居づらくなりすぎた。
神室町にも、蒼天堀にも行けない、となると、後はどこだろう、と頭をひねった。数か月前まで仮宿としていた漁師小屋は、震災で見る影もない。自分の人生で関わりある場所は限られてくる。
脳内に色々な思い出をフィルムのように流しながら、とにかく東京駅まできた。一日何十万人と乗り入れるそこでは、人が交差するように足早に目的地に向かっている。自分は誰にも気づかれない。振り返りもされない。心地よさを感じた。大昔の神室町を歩いている心地のようなものが、ふっと蘇った。
まだまだ若い時、喧騒の中を歩くのが好きだった。誰も自分を知らない、だが、いつかはこの街の誰しもが自分の名を知ることになる、今に見ておけよ、と。そんな時代があったな、と思って、自然と微笑んでいた。傍から見れば、老いた男の寂しい笑顔に見えたかもしれない。
切符売り場。新幹線で行ける一番遠いところはどこかな、と思って行先表示を見る。北海道と見えたが、さすがにそれは、と首を振る。自分が一度死んだ土地にいって、もう一度自決ごっこをするほどの愚かさも幼さもない。
最近は、九州の奥地にも新幹線を乗り継げばいけるようになったらしい。そういえば西の端までは行ったことがないな、と思った。いっそもっと遠いところに、と考えて、離島、と浮かんだ。西の端は、長崎の端。南の端は、残念ながら東京都だ。
(それとも、沖縄。)
沖縄に行ってみようか、とおもった。成田空港までの運賃を確認し、ICカードにチャージする。
沖縄。東城会の人間にとっては。曰くつきの土地である。自分も結局一度も行ったことがなかった。今から16年前、あの地のリゾートの買収工作をしていた自分。その交渉にあたっていたが、あの時は神室町を離れられなくて、現地の交渉は下の団体に任せっきりだった。あの時、自分があの場所に行けていれば、あんなややこしいことにはならなかったのかもしれない、と思う。
(あの地は、わだかまる思いがありすぎる。)
桐生が東城会トップにならなかった世界線、その替わりは自分だと聞いた。昔、ぽろっと柏木が漏らしたのだ。嘘やろ、と言った。柏木ははぐらかしたけれど、なにか密約があったのなら、そうなっていたのかもれない、とも思う。しかもそれは、自分の親や、風間ではなく、当時の東城会の会長との約束であったらしいから、真実味があって驚くのだ。
「…………。」
世良の顔を思い出す。いつもアルカイックな笑顔を浮かべていたその人は、誰も見たことない世界を夢想していた。彼の目指す革命はなったのか、わからないが、きっと昔より、まともな人間にとっては生きやすい世界になっている。
(もしかしたら、この世界なんか?)
車窓から見る景色、そのガラス面にうつる自分の顔の後ろで、世良が笑った気がした。あの人は、極道の皮をかぶった政治家だから。誰より汚れ仕事をしながら、その目的と意思を遂行した。もしかしたら、その布石の上にこの世界があるのかもしれない。そう思うと、この蟠る思いの持っていきようがある。誰かを恨めれば簡単なのだ、と思い苦笑いする。
(まんまとあんたの望んだ世界になっとるわ。)
もしかしたら、彼の思い描いた世界はぜんぜん違うものなのかもしれないけれど。
世良は煙草を吸わなかった。珍しい男だとその時は思っていたけれど、今はそれがスタンダードになっている。そして、上も下も、己の言葉を発信する。それが良くも悪くも世論を巻き起こす。
学生運動で、彼らがシュプレヒコールとともに叫んだような、青臭い思想。当時の世の中の大人に徹底的に無視され、子供の癇癪だとスルーされたそれが、今や子供の言うことだからと大々的にピックアップされる。それが全世界に発信され、何か国語にも伝わる映像にされて、世界にそれこそが大人の聞くべき言葉だと歓迎されているのだ。
(誰もが行動をおこし、一人でも声をあげれば、それが世間を変える世界。)
世良が望んだ、そんな世界になっている気がする。そう思うと、自分は革命で、打倒されてしまったほうだ、と。そう思うと笑えてくる。
(柏木さんが嫌うのわかるわ。)
自分はそこまで嫌いではなかったのだけれども。柏木はわかっていたのだろう。世良の思想は本当に危険なものなのだ、と。
(あの人も、どうも賢いの隠しとるからな。)
柏木は極道のなかでも、少し異質だったから。異質の上振れ。二人の見た世界は一緒だった。そして、それを望むかのぞまないかの違いだった。
世良や、その周りの世代は、世の中に一石を投じ、そしてその世界を見ることなく死んでしまった。今生きていても相当な歳だから、とっくに引退して、去年の騒動も若い奴らの喧騒だとほくそ笑っていたかもしれない。
(勝手に死んでしまいやがって。)
本日二度目の述懐だ。
東城会という組織、世良の後、柏木がトップに立てば、全て解決していた問題が多いような気がする。だが、風間はそうはしなかった。いまだに風間という人については何もわからない。あんなに傍にいた柏木すら、理解を諦めるのだから、相当の鬼才だということはわかるし、嶋野があれだけ生涯をかけて屈服させようとしていた人間だから、大きな人だったというのはわかる。
柏木が、昔、酔った勢いでこぼした。
『あの人は、人の心に疑心を植え付けるのがうまいから。』
疑ったら終わりなんだ、と。それが忠誠なんだ、と苦笑とともにこぼしていた気がする。疑いを見抜かれれば消される。たしかに、とその時は思った。
風間新太郎という男は、ある意味、東城会の最大の功労者であり、影の独裁者だったのだろう。今、苦しんでいるのは、彼と関係のあった人間ばかりだ。いまだ、あの亡霊の手の上で踊っている気もする。散りぢりになったヤクザの、本当に恨むべきはあの男なのかもしれない。
「勝手に死んでしまいやがって。」
本日三度目の呟き。
成田についた。ここも飛行場ができる際に、革命と闘争の地となった場所だ。きっとそういう亡霊が今でもどこかにいるのだろう。昼過ぎの便で沖縄に飛んだ。
夕方には沖縄についた。ホテルをとる。梅雨があけた沖縄はもうからっと晴れあがっていた。遅めの昼か早めの夕飯かわからない、わりと豪勢な食事をホテルのレストランでとった。
そういえば、アサガオの場所は知らなかったな、と思った。ネットで調べたら、でてくるのかもしれない。けれども、そういう気分でもなかったし、そうする気力も沸かなかった。
(今更、そうしたところで、というな…。)
来るならもっと早く来ないといけなかった。あの龍の娘に、ごめんな、と言うこともできないけれども、元気にしてるか、とまとまった金を用意することは出来たはずだ。
(そうしていれば、ここまでの酷い未来を彼らには課さなかっただろう。)
遥の人生を変えたのが、金がないという、その一点から狂ったということだったのなら。その発端が自分の過去の配偶者だったというのだから、どこまでも呪われた人生だ。
「…………。」
だが、あの頃は、自分にとっても大変な時期だった。義兄弟が、もう一度収監されたいという希望を聞いた時も、正直しっかりと諭せばよかったと思う。言って聞くやつではないが、お前にはもう組をもち子分がいて、それを養う義務があるということを、柏木ばりの論旨で言えばよかった、と思った。
でも出来なかった。気おくれがあった。義兄弟、親友だと思っていた人間、冴島大河。その魂の形は変わってはいなかったが、その姿かたちは変わっていた。当たり前だろう。あの事件があったのは自分たちが二十歳の時。そこから二十余年の歳月を、彼は獄中で過ごしたのだから。自分も老けた。彼も同じように年をとった。しかし、見てきた世界は違いすぎた。彼がシャバに出られた奇跡、それに感謝したしたけれども、その言葉を聞くほどに、別離の長さを感じさせられた。とんでもない時間の長さ、それに比例する途方もない後悔の大きさ。冴島自身は、もう二十余年腹で収めてきたことだから、こちらに何かを言うことはなかった。それが余計に、自分を苛んだ。彼が外の世界の変容を知らないというような言葉を聞くたび、やはり自分がやらかした、その罪の意識を如実に感じた。そんな冴島が、こうしたい、という希望。大局的に見て間違っていようが、それに自分は、否、とは言えなかったのだ。
(それにあの時は、まともに物が考えられる状態じゃなかった。)
体がしんどすぎて。どれだけ体面はってても歳やな!と笑ってはいたけれども、柏木がいなくなって、酒の辞め時がわからず、肝臓が悲鳴をあげていた。あまりに体重が落ちて、コーラ色の尿が出たとき、さすがにこりゃおかしいぞ、と病院にいったら血液検査で物凄い数値がでて、そのまま入院になった。人生二度目の嫌酒剤も打ったりもしたりして、ひたすら吐いていた。本当にしんどかった。それでも、周りの状況は待ってはくれないものから。必死で体を動かした。大吾は九州に飛び、自分は北海道に飛んだ。身体の動きも悪くなっていた。敵対組織に捕まり、そこで会った人物から同情されたのも苦痛だった。あんたも病の匂いがする、死ぬ気できたな?と。そう言い放って笑った近江の会長は、末期ガンで死の淵ぎりぎりを歩いていた人だった。あの時ばかりは、本当に無茶苦茶だったと思う。
(よう生きとったな。)
あの頑張りを思い出したら、自分に少し優しくなれる気がした。
ずっと、柏木の目覚めるのを待っているのが辛かった。その時のことを思えば、今、これくらい待つの、どうってことないやろう、柏木さん!という甘い気もおこすというものだ。
黄昏、その日の光が暮れ残る頃。一人ドライブしては、柏木と一緒にいた頃の思い出を巡った。
『whish you were here.』
こちらが勝手に柏木のカーステレオにいれたincubusのアルバム、その中にあった曲。その音楽を脳内に思い浮かべながら、よく誰もいない浜辺を歩いた。
(ここに、あなたがいればいいのに。)
たしか、そんな歌詞だ。人通りのない路肩に車を止め、浜辺に降りる。靴を脱ぎ、波のくるぎりぎりの少し湿った砂地を歩く。何をするでもない。足の隙間に砂を感じながら、歩く。そして、気が済めば、靴をぬいだところまで戻る。柏木との思い出を反芻しながら。彼なら、今この状況で何と言ってくれるか、そんなことを脳内の面影に必死に問いかけていた。
現役の時は、浜辺におりることはなかった。それでも一人であの浜辺にいったのは、二人でよく逃避行といって過ごしたモーテルが見えるからだった。
逃げたくても逃げられはしない。あの時こそ、神室町の最後の変革期だった。大吾も、押し付けられた会長職を投げ出さず愚痴もこぼさず、よくやっていた。自分はその横で年長らしい顔をして、支えてやらねばならなかった。
だからこそ、自分の心がどうにもならなかった時は、一人、砂浜を歩く。二人があの街から逃れるようにして来たホテル。いまだ営業しているらしい、明かりがつくそのモーテルを横目に波の音を聞く。在りし日の思い出にすがって、糞みたいな感傷にひたるしかなかった。
「…………。」
でも、いま、その柏木からすら逃げている。
(ほんまあかんな。)
彼の前では笑っていたい。あれだけ辛いことがあったのだから、再会してからは、いつも楽しい思い出だけを積み重ねていたい。こちらが塞ぎこんでいると、柏木の顔も曇るから。それが見ていられなかった。
沖縄の海は、日本海のそれとも勿論違うし、あの東京近郊の海とも違った。美しいブルー、白い砂浜。海に落ちる日も、金色にかがやくばかりのオレンジで。ハワイもこんなだったのだろう。海辺に出ては、これでは求めている感傷は得られない、と苦笑する。
早々にホテルに戻った。売店でビールとつまみだけを買う。ふっとレジ横においてあるハガキが目に入った。そういえば柏木に、手紙、なんて書いたこともなかった。彼が眠っていた頃は、届くかどうかわらないメールアドレスに、よく日記のようなそれを入れていたこともあったのだが。それも数か月で空しくなって止めた。
「…………。」
沖縄らしい、綺麗な海。白亜の建物、それが印刷された一枚を手に取り会計した。
翌日、ハガキを書いて出す。沖縄はどうにも虚しい、あんたはどう思う? そんなことが伝わればいいな、なんて思いながら投函する。
『元気にしています。
傘、壊れてしまった。』
どこにいるか、は書いていない。ホテルの名前が書いてあるハガキだから、きっとそこにいるんだろう。サバイバーに届けられた、それを裏返し思う。ホテルの名前、それは沖縄らしい土地の名前がついていた。
「そうか…桐生のところか。」
らしいな、と思う。あの生ける伝説は、自分の甥っ子みたいなものだと思っている。彼らの関係に嫉妬したことはないけれど、今は少し心が痛んだ。ライバルの様子を見届けないと気が済まないんだろうな、と思う。
(そういえば、風間の親っさんの足が動かなくなった時、一番気にしていたのは嶋野の叔父貴だった。)
ふっとそんな懐かしいことが思い出されて苦笑した。ここ暫く、あの人たちのことは思い出しもしなかったというのに。それもこれも、東城会本部がなくなって、目指すところがなくなったやつらが、悪霊のごとく今ここいらへんを彷徨っているのかもしれない。桐生のあの様を見れば、お前がついていながら、と小言を言われるに違いないと思って、また苦笑がこみあげる。
(盆には少し早いがな。)
墓参りにでもいこうか、と考えながら、真島からのハガキをもう一度裏返す。消印は沖縄市内で、昨日のそれだから、しばらくはそこにいるのだろう。住所は書いていなかった。
(それでも、居場所がわかればいい。)
もしかしたら、今、こういったハガキを出してきて、定例報告のようにしておいて、死んだあとも同じように届くようにする…そんなどこかの映画で見たようなゾッとする未来をふと考えてしまうけれど。
(お前を信じてるからな。)
ハガキを胸にあて、そしてカウンターの下の引き出しに仕舞った。
美しい水色の海、白い砂浜。この横浜とも海の色が違う。無論、日本海の緑青色の海とも違う。きっと、言葉にはできない思いを消化するために、今、真島はこの砂浜を歩いているのだろう。
(納得するまで続けたらいい。)
無一文になって帰ってきても、お前の家はここだ。こんな老いぼれでも、羽を休められるヤドリギくらいにはなれるだろう。
『いってらっしゃい、元気で。』
そう心の中だけで返事をした。メールも、通話アプリも、昨今いろいろとあるが、ハガキにそんなもので返事をするのは野暮だ。真島のその気持ちが込められたそれは、何にも代えがたいものだから。
(このハガキの返事は、ここに帰ったときにするよ。)
色々また、話そうな、と思いながら開店の準備をするのだった。
END