SACRED『今年も各地で、七夕飾りが飾り付けられています。』
商店街やファッションビル、市役所などに飾られたそれをテレビは画面いっぱいに煽りのアングルで映し出す。幼稚園児が、笹に折り紙で作った飾りや一生懸命書いた可愛らしい願いごとの短冊をつるしている。
『今年こそ、景気が上向くようになってほしいですね。』
そうアナウンサーが、ニュースを〆た。ぱちん、とテレビを消す。そろそろ七夕の日が終わる。二人でキッチンの食卓に腰かけた午後十一時前。目を伏せてスマホを確認してから、また置いた真島。上の空な様子に、声をかける。
「早く寝たほうがいいんじゃないか。」
「そうやな。」
頷いた後も、やはり何か気になるのか、スマホを取り上げ何度かスワイプした。目は文字を追っているが、内容はまったく頭に入っていないような顔。ここのところ、真島はずっとこんな感じだ。
「真島。」
「…ん?」
「寝ろ。いつまでもそうしていると、身体に悪い。」
「ああ、せやな。」
昔みたいに、喧嘩するかセックスするかして寝かしつけてくれるんか。そんなことを言われたほうがましだ。煽る気力もない、そんな真島をずっと見続けるのは苦しかった。
「七夕、お前なら何を願う。」
「いきなりなんや。」
ふっと視線がこちらを向く。今ようやっとこちらの顔を認識した、というような顔。
「叶えてやる。」
「叶えられへんて。」
あほいうなや、というように煙草をとりだす。煙に巻くその態度に腹がたった。
「一緒に、死んでやろうか。」
ぽとり、と真島が唇から煙草を落とす。
「お前がそれを本当に望むなら。」
真剣に言った声に、真島は顔を上げ、こちらを睨みつけた。ぎゅっと眉をひそめて、こちらを見続けている。瞳に涙の膜ははらない。せめて泣けたら楽になるだろうに。
「お前が…。」
「そんなこと、望んでないことくらい、わかってるやろう。」
テーブルに落ちたタバコを拾い上げ、真島は言う。そう冷静に言われる声。こちらを諭すようなトーン、それが物悲しい。
「寝るわ。おやすみ。」
「ああ…おやすみ。」
一緒に暮らしていても、寝室は分けてある。それは真島がそうしたいと言ったから。今夜はそれが酷く間違った選択に思えた。
翌日。いつもの格好で出て行った真島は、夜になっても帰ってこなかった。
『今日は夜は? 飯は?』
そう夕方にいれたメッセージアプリの返事。
『やっぱりしばらく、旅にでるわ。』
暫くして、そうかえって来た。そこにある文言を見て、衝撃を受ける。追いつめてしまった、と思った。昨日の話。それは、自分の前では楽しい顔をしていろ、とそんな風に言ってしまったみたいだ、とも。
(でも、そうなのかもしれない。)
好きな相手の楽しそうな顔を見ていたいと思うのはエゴだ。本当に愛情なら、嗚咽をこらえる、弱ったその相手の背中を、ただたださすってやり続けられるのが男というものだろう。
「しまった…な…。」
空虚な呟きがサバイバーにこだまする。
お前を支えられる男になりたかった。互いに支え支えらえている、そのつもりでいた。けれども、今倒れそうなのに、それが出来てやれないのだな、と思うとつらかった。自分にどこか驕りがあったのだろう。
真島はまだ渦中にいる。去年の事件も、人々の口からは語られることがなくなった。日々次々と事件は起こる。ネットを騒がした話題など、半年も経てば世間はもうすっかり忘れているけれども、彼のなかではまったく終わってはいない。
いつしか、自分は部外者になっていた。彼の横に立つ資格を失っていたのかもしれない。
「…………。」
メッセージ画面を開いて、そして閉じた。
(何をかえそう。)
返す言葉をもたない。けれど、これを放っておいたら、鎖が切れたように、きっとどこかへ行ってしまう。
(昔のように、深淵が真島をとりこもうとしている。)
迷子のような彼を見つけたのは、雪が降りだしそうな季節だった。傷だらけで、己の中からくる衝動で壊れそうになっていた。でも真島は強い。自分では壊れられないから、人に酷いことをされるのが自分の罪滅ぼしだというように、その理不尽な痛みを甘んじて享受していた。
(そうする必要はない、と…あの時は、伝えられたんだがな。)
あの時は、あの街に一緒にいたから、同じ景色を見ていたから、救えたのだと思う。今は、それが出来ていない。
(たった、たった一年だけれども。)
離れていて、見たもの感じたものの齟齬が、言葉の端々に感じるようになった。こちらがどんな言葉をかけても、彼には響かない。真島のことは自分だけが本当にわかってやれる、そんな幻想を打ち砕かれたような気分だった。
去年一昨日の真島を取り囲む状況が、本人の言葉とは裏腹に、まったく楽観視できないというのは、自分は、東城会本部が焼け落ちるニュースを見てわかったのだ。俺たちの本丸が、と思った。極道を辞めて長く経つけれども、やはりあそこは、いつかは帰る場所だった。
(そうならざるをえなかった理由を自分は知らない。真島は知っている。)
その現実が、どんどんと溝となってひらいていく。
東の極道のシンボルだった東城会本部も、一般人に土足で入り込まれるような無残な晒した後、焼け落ちてしまった。極道の帰る場所はない。路頭に迷う子分が多いだろう。末端の者はまだ自分の身の振り方すら決まっていない。そいつらが一縷の望みと縋るのが、神室町の狂犬、その存在だ。
圧倒的な華と華麗な言葉で飾られた人気者。その漠然とした期待が、伸ばされる手が、真島を追い詰める。
真島自身が、きっと皆の目印になるものなのだ。けれど、もうその旗印になってはいけないんだ、と彼は言った。
『死ぬことすらできん。』
死して伝説になってはいけないのだ、と。苦笑とともに呟かれた言葉が耳にこびりついている。
「…………。」
もう一度スマホを手に取る。アプリを立ち上げる。
『わかった。気をつけてな。帰ってくる時は言えよ。駅まで迎えにいくから。』
自分ができること、それは日常を用意することだ。それしかできないのだ。
(気のすむまで、一人で考えるしかない。)
逃げることすらできない現実、それに真島は切り刻まれている。だけど、きっと彼は自死を選ばないだろうから。絶対に、日常に戻る糸口を用意してやらなければならない。それだけが、今自分がここで待っていられる理由だ。
(こんなに、離れることが辛いとは。)
鼻からふーっと息をはいた。涙が滲む、それを眼鏡をあげてぬぐった。
愛している、その言葉を何度言っただろうか。自分は、どれだけ気持ちを伝えていただろうか。
こんなに愛していて、こんなに大事におもっていることを、彼にはどれだけ伝えられていただろうか。
帰ってきたら、あれもこれもしてやろう、なんて。妄想。
(そんなことを考えさせないでほしい。)
初めて彼を思って泣くかもしれない。自分はつくづく薄情な男だと思う。
「はやく…。」
帰ってこい、などとは言ってはいけないんだろう。期待、などは。今の彼に一番かけてはいけないものだ。
尻切れトンボの言葉が、誰もいない店内にこだまする。それをかき消すように、水音とカトラリーを片付ける音が響いた。扉が開き、常連が顔をだす。
「いらっしゃいませ。」
今日は何にしますか。頬に傷のある男が、小慣れた接客の言葉を口にする。
サバイバー。ここは、名前を失い生き残った男が、切り盛りする店。
END