いろはちゃんは知っている(仮)真島にもらった真珠のカフスをつけて出勤すると、それを目敏く見つけたいろはが、店に入ってくるなり、
「なになにそれぇ、おしゃれしちゃって!」
と笑顔でカウンターに近づいてきた。見せて、というので腕をあげてやると、ふふーん、とこちらの顔をうかがうように笑ってから、この後デートかな?と目を細める。
「まぁ、そんなところだ。」
「わー、あっつい!ごちそうさま!」
そう笑ってから、いろははバックヤードに荷物を置きにいった。こちらは、引き続きクリスマスパーティー用の料理の仕込みにかかった。今年も春日達が、ここでパーティーをするというので、25日は貸し切りだった。チキンをスパイスに漬け込む間、腕まくりをするので、カフスをはずす。どこかに落としてしまわないよう、ズボンのポケットに入れた。
『ほな、壊れてもええようにもう一つ同じの買うといたろ!』
真島が言った言葉を思い出し、笑う。確かに昔の俺ならそうしてた、と咄嗟に言ったが、それはある意味本当で、ある意味で嘘だった。
(いや、嘘とも言いきれねぇな。)
現役時代、同じものを二つ購入していたことはある。ただ、それは用心のためではない、とは今になって言える話ではない。
(まさか本当に、こちらが用心のために二つ買っていると思っていようとは。)
二つ同じものを置いておいたら、真島が、何かない、といった時にすぐに、持っていけ、と言えるからだった。
現役時代、真島は身軽を主にしていたから、鞄どころから財布すら持っていなかった。携帯電話と煙草とライター、車の鍵、家の鍵、そして現金。大概は札が数枚とタバコの釣り銭が入っているだけ。それをジャケットに入れて歩いている。時々何故かハンカチを持っていることがあった。
(春先は、ティッシュも持っていたかな…。)
花粉症が酷い時期のみ、だったが。本当にそれだけで、後は子分に持ってこさせるだけで事足りる生活だった。その続きで、こちらの家にも遊びにくるものだから、着替えがないのはザラで、よく下着なども用意してやっていた。
『予備があるから、持っていけ。』
そう言って、有無を言わさず押し付けていた。最初の最初は本当に予備だった。だが、いつしか真島のぶん、と始めから決めて購入していた。それを改めて言うのも気恥しく、真島に何かを持たせる時は、とにかく二つあるんだ、と言い張っていた。その言葉をこの歳になっても信じてくれていようとは、驚くべき信頼である。
(しかし、あいつもああいうとこ素直だよな。)
昔、真島に告白され、付き合いだす、というより、ぬるりと二人で共にいることが何となしに日常になっていった頃の話である。
もっと若い時、本当に駆け出しの頃は、風間に憧れ、同じブランドのものを持ってみたり、体つきに合わない英国式のジャケットを仕立ててみたりしたのだが。欲しいものは何でも手に入った時代。いつしか自分の趣味も似合うものも分かってきて、あらかた欲しいものは買いつくした。金だけあっても、たいしてこれが欲しい、と思う物もなくなった頃と、真島との関係が始まったのが重なったというのもある。
(何を見ても、あれは、真島が好きそうだ、とか、口にあうか、だとか、そんなことばかり思ったな。)
そう思うと、新しい視点でもって世の中の物を見られることに気づいた。楽しくてならなかった。何も興味のなかった百貨店のイタリア系ブランドが、一つの特徴的なものとして目に入るようになった。そういう風に見ていくうちに、物を買うという行為の中心が、真島に合うか、という価値観になりだしたことを自覚した。
ただ、自分の趣味を押し付けるつもりはなかったし、そもそも真島のファッションなどは本当に奇抜で、きっとこだわりがあると思っていたから、そのものズバリの物、洋服・香水などは贈れなかった。
(俺の趣味通りになれ、なんて言えなかったしな…。)
真島に何か物をあげたくて仕方がなかった。喜ぶ顔が見たい、というより、自分の選んだ物にまみれている真島が見たかった、のだと今なら思う。自制はしていても、きっと独占欲というか、それが発露する感覚だったのだろう。
季節のイベント事などでは、素直にプレゼントを贈りあうことはしていたが、それでは己の気持ちに収まりがつかなくなることがあった。そこで思いついたのが、先ほどの作戦だった。
(作戦、というほどのものじゃないな。)
こだわらないところには、まったく頓着のない真島だったから、こちらが持っていけ、といったものを素直に使うと知ってからは、そういった物を中心に買うようになった。それは、日常周りの細々したものが多かった。
(たしか、最初はグラス…だったな。)
百貨店で見かけた、あの綺麗なグラスをともに使いたい、というのが始まりだった気がする。
『お、ペアグラスや。』
家に遊びにきた真島が、二つ並んだ切子のグラスを目ざとく見つけ言ったのだ。
『割れた時の予備だよ。』
と恥ずかしさから咄嗟に言ってしまったのだ。そうなんか、と真島は納得したようだった。
お前のために買った、と言ってやったほうがよかったと今なら思うが、以前はそこまでは口には出せなかった。それからは、家で使うものは、とりあえず二つ買うことにした。たまたまペア売りだったから等、いちいち説明するのも、恥ずかしく。何でも用心のために二つ買ってある、ということにした。
『あるんだから、使え。』
そう言って、真島に手渡していた。たしかに、消耗品だと予備のために買った、とそういう事もある。でも、グラスでも皿でも、年々色違いを準備するようになっていっても気づかなかったのか、と思う。家に遊びに来た時に、これは真島の使うもの、とある程度決まっていたから。それは必ずといっていいほど、真島のほうは暖色の物を使わせていた。青と赤なら赤、緑とオレンジならオレンジ、というように。こちらとしても、半分は無意識でやっていたのもあると思う。
(けれど、本当にわかってなかったってのか…。)
配慮のできる真島だから、きっと気づいていても、わかっていない振りをしているのだと思っていた。
(それとも、あまりに自然にそれが普通になっていたからか。)
相手の負担にならないように。とある程度の年齢になってから、お互いがお互いに縛られないように、ということを態度に出すようにした。どちらがそうやりはじめたのはわからない。こちらとしては、真島は自分の子供がほしそうだったから、余計にそう思っていた。
(こんなオッサンとずっと一緒にいるはずないと、そう思っていた。)
真島には、待っている人間がいると思ってもいたし。そうでなくとも、一度女と所帯を持ったこともあるのだ。普通の家庭でなくとも、将来血のつながった家族を持つ、という選択肢を脳内から完全に消すことはできなかった。
けれど、そんなこちらの思い違いが、真島を悲しませる結果になったのだと、後で気づいてどれだけの後悔が襲ったかわからない。
こちらが眠っている間、ずっと病室で目覚めるのを待っていたという真島。
こちらが行方をくらました間も、ずっと探していたという真島。
(なにを思い違いしていたんだろうな…。)
自分が一番ではないと思っていたのだ。あんなに一緒にいたのに。あれだけの時間を、ともに過ごしてきたというのに。
(言わなきゃ伝わらないもんだな。)
今回のことでも分かったが、真島は、本気で、こちらが用心のための二個用意する人間、と思っているのだ。お前のために買っていたんだよ、と言う機会を逸してしまった。
(しっかし、本気で信じてるのか…どうかはわからねぇな。)
真島の言葉は、どこまでが冗談で本気か、いまだに測れずいるから。そこが楽しいところでもあるのだけれど。
(でも、こないだのは本気でわかっていない感じだったな。)
普段使いではないものを二つ買うほど、こちらが物に執着する人間と思っているのだろうか。確かに物を大切にするほうだとは思うけれど。
(それでも、本当に思っているとしたら、まさかのまさかだ。)
今年はクリスマス用にグラスを買った。真島と一緒に買いにいって選んだ、トールのビアグラス。ペアで買う、今はそれに口実はいらない。
チキンの漬け込みが終わり、手を洗い、袖を下す。この後も水作業をすることを考えて、袖を二つ折りにしてから、真珠のカフスをつけた。バックヤードから支度の終わって出てきたいろはが、それを見ながら、熱いなぁ、と笑った。うるせぇな、と悪態をつく。いろはには、こちらの関係をちゃんとは説明していないが、分かっているのだと思う。最近はそんな気安さがあった。
用意する人数が多いこともあって、料理の下準備には時間がかかった。どの品がどれだけいる、という段取りを伝える。いろははそれをメモに書き留めてから、手際よく仕込みを手伝った。
忙しくカウンターの中で、作業をしていると、
「あ、真島さん、こんにちはー。」
そっとドアが開いて入ってきた人影に、いろはは挨拶する。
「いらっしゃい。」
「おう。」
こちらに手をあげて挨拶した真島は、今日もべっぴんさんやな、といろはにいつものお愛想をしてやってから、カウンターに座る。いろはが、灰皿をだして真島の前に置いた。おおきに、と言ってから、煙草をとりだす。
「外、寒かっただろ。」
「おう、なかなかのクリスマス寒波やな。」
「真島さん、それでも薄着だよねぇ。」
コートを着ずにセーターの上にジャケットという格好で現れた真島を見て、いろはが言う。それに、こちらが混ぜ返す。
「こいつは昔からこうなんだ。肌の感覚ねぇんだよ。」
「なくはない、これがオシャレってやつや。」
「真冬だってのに、革のジャケット一枚で歩いてんだぜ。」
なかのシャツも着ずに、というと、ええー?といろはが驚く。
「ウソ、本当にジャケット一枚?」
「せやで。」
「へー! ファッションモンスターなんだね!」
料理の仕込みをしながら、三人で会話する。最近はここに真島がいることが、日常となっている。
「あ、それ…。」
こちらの袖を見て、真島がそう言いかけて止めた。いろはが目を細める。
「真島さんからの贈り物なんだ。」
「いろはちゃん…。」
真島がそう少し照れたような顔をした。
「マスター、いつも仕込みする時は、カフスそこらへんに置きっぱなしなんだけど、今日は、それポケットにいれて、つけたり外したりしてるんだよ。」
大事なんだね、という言い方。真島がなんという顔をしようか、というまさに微妙な表情でこちらに目配せする。それに、ふっと息を吐いて言ってやる。
「予備があるとはいえ、なくしたら大変だからな。」
「あれ、もう一個買ったんか?」
真島が煙草を着けながら聞く。
「お前が買ってくれたんじゃなかったのか?」
「いや…。」
「壊れてもいいように二つつってたからよ。てっきり、買ったのかと。」
「いや、あれは、あんたやったらそうする、って話で。」
真面目な言い方に、やはりそう信じていたのだ、と確信する。
「お前つけるか?」
「なんで? 俺はカフスつけるようなシャツもってないやん。」
「なら、二つはいらねぇな。」
「え、なんで?」
真島が本当に、話の流れがわからない、という顔をしているのに、いろはが、ふふっと笑う。
「お揃いにしたいんだよ、マスター。」
「え?」
まだわかっていない、というような顔の真島。それにいろはは今度こそ、吹き出す。
「ハンカチとかもお揃いにしてるんだぁ、って思ってたんだけど、違うんだね。」
ね、マスター?と悪戯そうな視線をよこすのに、
「俺の予備をこいつが持って行ってるんだ。」
と説明する。
「あかんかったか。」
返すで、と神妙に言う真島に、こちらは肩をすくめる。
「昔からそうなんだよ。」
「そうなんだ。いいお話きかせてもらって、ちょっと和んじゃった。」
いろはの言葉に、真島は首をかしげた。こちらは、思わずあがる口角を手で隠すようにして横を向いた。
「真島さんって意外と可愛いんだね。」
「だろう?」
「え?」
真島は珍しく毒気の抜けた顔で、こちらの顔といろはの顔を交互に見た。
「ははっ、愛されてるね、真島さん。」
ごちそうさま~、といろはは言い、メモを片手に奥の冷蔵庫へ品物を出しにいく。あとは二人で、といった背中を見送ってから、真島に向き直る。
「真島、何か飲むか。」
「あ、あぁ…。」
いつもので、と言うのに、はいよ、と頷き氷を切る。
「え、ほんまなんなんや。」
まだ釈然としない顔に、後で説明してやる、と目くばせする。真島はそれを見て、おん、と呻くように言って煙草を吹かす。そっぽを向いた顔、その頬がわずかに上気している。
(他の奴らには見せられねぇな。)
これでも真島には、理性的で慎ましく、用心深い性格だと思われているらしい。
(何がそこまで俺のことを信用に足る人間だと思ったんだろうな。)
今更ながらに思うのだ。真島は、本当に出会った頃より、こちらの言葉をよく聞いた。
(こっちだって、しっかりヤクザやってたのにな。)
世間でいう良心がなかったわけではないけれど。少しづつ自分の所有物を分け与えて、真島を少しづつこちらの色に染めていく。
(そういうことを考えられる人間なのに。)
彼の纏うカオスな色合いに、少しくらい自分の色を混ぜても気づかれない、と狡い自分は思っていたのだ。最初は言い訳のように、そう思っていた。でもそれが少しづつすこしづつ比率を増していって、今となっては皆に気づかれるほどだというのに、本人がわかっていないというのは、本当に不思議だった。
(人一倍、勘のいい真島なのにな。)
こればかりは、相性の問題なのかとも思う。
(案外、俺も同じように、こいつに染められてるのかもしれねぇが。)
袖をあげる振りをして、腕のカフスを一撫でしてから、棚から真島用のボトルを取り出す。切り出した氷をグラスに入れ、真島お気に入りのウィスキーを注ぎ、コースターと共に、どうぞ、と机に置く。
「あぁ。」
真島は、こちらの動きを余すことなく見つめたあと、満足そうにそう頷いた。いただきます、と言ってから、ちびりちびりと、酒を口に含む、その顔を横目で見つつ、仕込みに戻る。
今宵のパーティーのあとは、真島はこの話を忘れているかもしれない。
(それならそれでいいけどな。)
いつか、あの時…、と真島が言いだすまで。
(この言い訳じみた秘密は墓場までもっていこう。)
後ろ暗い思いは全くない、公然の秘密。図らずとも、異人町で一番安全な店、と言われるここ、サバイバー。自分の絶対のテリトリー。そこに彼が大人しくいることに、今日も、人知れぬ幸せを噛みしめるのだった。
おわり