『カフェー』をめぐるエトセトラ(仮)後編電話をかけると、解決してもうたか?と真島は、この間の『カフェー』のオーナーの話を持ち出した。
「いや、まだだが…。」
「せやったら、俺連れていってくれや。」
ええ案あるねや、とやけに自信たっぷりに言われ、他に代案もなかった柏木は、オーナーの元へ真島を連れていくことにした。
『カフェー』のオーナーとの約束をとりつけた当日、真島は、本当に“変装”してやってきた。白のドレスシャツの上に、ボウタイ、黒のズボン、そして黒のドレッシーなダブルの細身のジャケットを羽織っていた。今、というより、少し前の黒服が着ていた模範的な服装のようにも見えた。
「ひひっ、見慣れんやろ。」
そう言って長くくくってみせた髪の毛を指でつまんでみせる。
「いや…。」
とこちらは、それしか言えない。記憶のなかに、ちらっとだが鮮明に焼き付いている、それは在りし日の真島の姿だった。どうや、どうや、と真島の期待した視線が注がれる。思わず言ってはいけない言葉がでそうで、反応に困っていると、
「やっぱり、俺やとわかってもうたら迷惑やろか…。」
としょげた表情をしてみせた。そこは、いいや、と力強く否定する。
「本当にその恰好なら、あの真島組長だってのは、わかる人間しか分からねぇだろうな。」
オーナーは今はそんなにヤクザもんに詳しいわけじゃねぇから、と言ってやると、真島はぱっと表情を明るくし、
「あんたにそう言うてもろたら上々やわ。」
その場でくるりと一回転して見せる。今年四十になる真島だが、ふだんは若く見える顔も、髪の毛をオールバックにしてくくると、年相応の少し落ち着いた雰囲気に見えた。
「眼帯はとらねぇのか。」
「これは…これのほうがええねや。」
そうか、と言ってやると、真島は、口のなかで奥歯を噛むようにして、いーっと一度顔の筋肉をほぐすような仕草をしてみせた。緊張しているのだろうな、と思い、
「もし万が一失敗しても、俺の責任だ。好きにやってくれ。」
と声をかける。真島は、こちらの顔を見て、一度瞬きした後、
「ヒヒッ、さすが風間組の若頭さんやで。」
と普段の不敵な笑顔を取り戻す。
「話こじれてもうたらあかんからな、しっかりと準備せんとと思てな。」
古びた小さな手帳を取り出して見せた。走り書きがたくさん書きつけてある。昔とった杵柄や、と真島はそれをかざしてみせた。携帯電話が鳴った。オーナーが店についたようだ。真島は手帳を胸ポケットに忍ばせる。そこには自分の知らない真島の過去があるのだろう。お守りのようにされた、それに嫉妬するなどと自分らしくない、と首を振り真島を送り出す。
「頼むぞ。」
「おう。」
ご機嫌な笑顔をみせながら、真島は、行ってくるわ、と手をあげた。
真島は、万事上手く進めてくれた。期待としては、一度、相手からこういうのはだめだ、と断らせる予定だった。最低でも、こちらは後任を探しているという面目がたつ、と思ったのだが、真島はどんな話術をもって説得したのか、オーナーからこの間の話は一旦反故にしてもらえないか、と言ってきた。オーナーは態度を軟化させたどころか、もう一度経営を見直してみるというところまで言い出したのだった。
『どんな魔法使ったんだ。』
上記の結果になったことに加え、こう送ってやると、
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
件名:蛇の道は
日時:2003/10/10 22:17
本文:蛇、っちゅうやつやで。』
と、かえって来たのだった。
翌日。老齢のオーナーに呼び出され、開店前の店舗に赴く。禿げ上がった頭頂部を隠すように前髪を後ろに撫でつけた、歳のわりには恰幅の良い男が、脂ののった首をかしげて会釈する。件のオーナーだった。
「柏木さん。あんな弾持ってるなら、早く言ってもらわないと。」
そうニヤついた顔で言われた。真島のことを言っているのだな、と思い、
「気まぐれな男でして。」
呼び出すのに時間がかかりました、と頭を下げる。それに、まぁそうか、とオーナーは分かったような顔で席についた。その顔は、前の苛立ちなどないような、早くこのあいだのことを話したい、といったような興奮が見て取れた。
「昔、二十年になるかならないかの前…だったか、大阪の老舗のキャバレーグランドに、やり手の若いのがいるって聞いてな。」
ソファの対面で切り出された話が、思いもよらない方向からだったので、思わず身構えた。こちらの動揺を見てとったのか、オーナーは、笑みを深めて話を続けた。
「どんなもんだ、とこっそり見に行ったことがあったんだよ。確かに、身のこなしも客の捌き方も鮮やかでな。これは確かに物になるな、と思ったんだ。」
ただ…とオーナーはそこで顔色を変え、声も僅かにトーンダウンした。
「キャバレーグランドといえば、戦前からある大箱だが、ヤクザものがオーナーやってるって有名だった。」
「ええ…蒼天掘のど真ん中ですしね。近江連合の息がかかっていても不思議ではない。」
「それもあるがな。俺はそいつを知っていてね。」
「そいつ…オーナーだった人物ですか。」
そうだ、と老人は過去を懐かしむ、というより悔やむような素振りで話を続けた。
「関西の極道といっても、あいつはこっちの男でな。家業は印刷会社だったか、なんだったか…青山だったか、とにかくお江戸の時代から続く名士の息子でな。親父は二代目ののほほんとした人間だったようだが、息子は切れ者だった。空襲で家やなにやら全部焼かれてな、家業が潰れちまって、この界隈にでてきたって聞いた。」
俺より十ほど下だったから、戦争には行ってないんじゃないかな、と首をねじりながら言う。
「とにかく、洒脱で物腰も柔らかで頭の切れるやつだった。女に好かれる雰囲気でモテもしていた。ただ一方で、ひどく冷めた割り切ったような部分もあってな。今の人間なら、合理的でいいっていうのかもしれない。だが、俺たちに言われれば、情がない。」
「情がない、ですか。」
「そうさ。こんな商売、っつうのは、結局は人と人を会わせるようなところがあるだろう。縁をつなぐというかな。その男は生い立ちのせいか、兎に角、他人に厳しかった。金に汚いとかではないんだがな、自分ができることを他人が失敗することを許せないって感じだ。」
従業員がついてこず事業を失敗したとか聞いたが、定かじゃない、気づけば大阪を拠点に商売をしていた、と老人は言う。
「どうしてむこうで極道になったかは知らない。そうだ、って聞いた時には、グランドは今、奴が仕切っている、と噂で聞いたんだ。」
バンドのラッパ吹きがこちらに流れてきて、その伝手で聞いたんだ、と古い物言いでオーナーは言った。
「俺もまだ当時は若かったからな、多少の無茶はやったが…。」
そこまで言い、オーナーは続く言葉を言い淀んだ。
「ヤクザが表立ってやってる店、ってのはやっぱり、ほら、どこか客層が違うだろう。」
あんたに言うのもなんだが、と前おいてから、オーナーは続ける。
「グランドもそういうのになったんだな、と思ってたんだよ。でまぁ、ちょっと大阪に用事で出た時に、見てみたわけだ。そうしたらどっこい、以前より繁盛している。ヤクザのヤの気質もねぇって具合に、サラリーマンも楽しそうに飲んでるからな。もしかして、グランドがヤクザもんの手に落ちたっつうのは、噂だけだったのかな、と思ったんだ。」
こちらは、話の落ち着く先のみえない話に、ほう、と曖昧に相槌をうつ。
「で、その店で、このあいだの彼を見たわけだ。真島、といったか。関西で長らく商売している、と聞いたが。」
「えぇ…そう聞いています。」
「グランドのオーナーは今、何してる、って聞いたよ。辞めて長いので知らない、ときた。」
「そうですか。」
真島の話したことも、どこまでが本当の過去の話かどうかもわからなかったので、ボロをださぬように慎重に頷く。
「まぁたしかにな、と。俺ももう八十だ。あいつも、生きていれば、七十くらいになってんじゃないのか。」
「そうなんですね。」
「真島ってやつは、若い時だいぶやられたらしくてな。その時のメモを見せてもらったよ。俺がやつに教えたのと同じことを、言い聞かせていたようだ。」
「ほう。」
そこまで言って、老人は目を細めた。教え子の教え子に会った、という嬉しさなのだろうか。偶然というのはあるのだ、と思わされますね、と言うと、まぁそうだな、と力なく頷いてから老人は続ける。
「当時のグランドの支配人、すぐにその界隈を引退したか、それともあいつに殺されでもしたのかと思っていたが、まさかあんたのところにいたとは。」
「さて、あの男の過去は私も知りません。が、そのような有名な男ではないとはおもいますが。」
それに、オーナーは、言い慣れない冗談言っちゃいけないな、と苦笑した。
「背の高い眼帯の男だったからな。俺の目で、見間違うことはない。まさかあんたの隠し玉になっていたとは思ってもいなかったよ。」
ここまでいわれては隠せないと、いえ…と曖昧に頷く。老人は、こちらの目をすっとのぞき込むように見た。それにまっすぐ見つめ返す。それに、うん、と頷いてから老オーナーは、本題だというように身を乗り出し、話し出した。こちらも背筋を正す。
「実をいうとな、錦山組がここを売ってくれ、と言ってきてる。かなりの金額だ。みなに退職金を渡せる額でな。だからといって、あんたのとこから造反した男に金で身売りしたとなれば、世間体が悪い。」
「本当ですか、それは…。」
先に言ってくれないと、という言葉を飲み込む。ピンク通りはかなりの数、錦山になびいた店がある。今回のことも、把握できていなかったのは、完全に風間組の落ち度といえた。
「錦山も、幼いころからここいらふらついているだろう。この間、久しぶりに会った。立派になったが…ふっと、な。物言いがひっかかってな。あいつのことを思い出したんだ。」
あいつ、とは昔の教え子のことだろうか。こちらが話の続きを、と目で請うのに、老人は続ける。
「この業界は、結局突き詰めれば、情の話になる。そもそも、こういう界隈で働く奴は、まともな仕事につけない半端モンが多いんだ。誰かができなかったときには、誰かが替わる、そんなもちつもたれつ、そんなところがあるんだ。」
情け容赦のない経営方針では、立ちいかなくなる、と語る。
「ここいらのキャバクラだって、客単価が高くなっている。もってあと数年といったところだろう。もう少し、この街も新しい人間をとりこまにゃいかん。」
老人は気づけば長年の経営者の顔になっていた。慧眼を光らせ、こちらを見る。
「真島に会って、人を信じてみる、ってことを思い出したよ。」
「あいつが何か…。」
「あいつは、俺が店を譲る気もないのに、柏木さんを困らせないでくれ、と言ってきたよ。」
「…!」
こちらが思わず瞠目するのに、老オーナーは、ははっ、と破顔したあと、好々爺の表情になって言う。
「柏木さん、あんたえらく信頼されてるじゃないか。真島が言っていたぜ。自分は、流れ者だけれど、あの人は自分のことを信用してくれたから、ここに来た、ってな。」
「そんな…いえ…。」
らしくなく慌ててしまうのに、オーナーは笑みを深めて続ける。
「お体の問題でなければ、頭が動く限りあなたがオーナーで、右腕として動ける人間に現場を仕切ってもらったらよいのではないでしょうか、と真島は言った。その言葉を待っていたのかもしれんな。気が弱っていたんだろう。」
そう言って、苦笑する。これからの経営のことを話した後、組には報告をしておきます、と言い、立ち上がり、頭を下げる。
「錦山の強引なやりかたに、疲弊していたのは気づきませんでした。申し訳ない。」
「いや。ちょうどこれも機会か、と思っていたよ。」
だが、と老オーナーは不敵な笑みを浮かべる。
「真島は今年四十だとか言ったが、俺からしたら、まだまだ自分の半分も生きてねぇ小僧に説教されたまま尻尾まくわけにはいかねぇな、とな。」
「人生百年っていいますよ。」
「らしいな。俺たちが生まれた頃は、五十五まで働いたら、そのあと余生だったからな。」
戦後すぐ、平均寿命が六十歳前後だった時代にがむしゃらに働いていた人間だ。時代は変わっている。
「錦山組の話、そちらは風間組でケツをもちます。資金繰りの話にも。なにかあれば、すぐ駆けつけますよ。」
話が思わぬ着地点に落ち着いた。それもこれも真島の功績だと内心感謝しながら、もう一度丁重に頭を下げるのだった。
数日後、真島を部屋に呼んだ。普段のジャケット姿に、髪型は例の長髪のままでやってきた。髭はもう形が分かるまでになっている。見慣れないな、と思いつつも、酒をすすめる。今宵はとりあえずビール、という気分だった。コンビニのつまみと缶ビールで乾杯した。
「あの店、メイド喫茶ってのになるらしい。」
「秋葉原とかにあるやつか!」
真島は、ほんまか、と驚く。最近秋葉原が電気街ではなく、アニメとアイドルの街、として売り出しているように、金をとる客層を変えるということだ、と説明する。
「まぁ、なかなか街の人の層ってのは変わらねぇからな、こっちで流行るかはしらないが、そういうコンセプトカフェ?ってやつも、今はニッチな金儲けの筋ではあるらしい。」
「そら、おもろいかもな。」
キャストなど、従来の従業員は裏方に回り、若い十代の娘に接客させるようだ。風営法に反しない程度に、というあたり、昔から上手く法の隙間をぬって生きてきた経営者なだけある、と思わせられる。
「お前のこと、えらく褒めていたぞ。」
「そら良かったわ~。」
「あの気難しい爺さんに、一体どうやって取り入ったんだ。」
「ちょーっと昔話をな。」
その業界の苦労話とかな、と真島はご機嫌に言う。そうか、としか頷けなかった。あのお守りのように胸に忍ばせていた手帳が効果を発揮したのだろう。仕事が上手く運んだことより、それが胸につっかえているなど、絶対に言えないことだった。
「髪、それどうするんだ。」
ビールの缶を持ちながら、真島が肩に落ちてきていた髪の束をはらう。改めて近くで見ても、どこが偽物の毛なのかはわからなかった。
「たしかに、どうするかなぁ。」
毛先をいじりながら、真島が言う。
「そうだ、これ。」
用意していた封筒を真島の前に置く。テーブルに置かれた茶封筒をとって、中身を確認した真島は、なんやねん、これ、と眉を顰めた。
「今回の報酬だ。」
「報酬? いらんて。」
「その髪の毛代くらいは支払わさせろ。」
高ぇんだろ、それ、と言う。エクステンションなるものがいくらするのか、調べたつもりだった。それに、真島は、こんな高こないて!と封筒を返そうとする。
「じゃあ、花代にでもしろ。」
「花代?」
「ああ。お前がそのカッコでいた頃、世話になった人がいるだろう。その墓参りでもいってこい。」
「はぁぁ…?」
真島が心底嫌そうな顔をした。
「あんた、あのじいさんから何聞いてん。」
「何も、聞いてはいない。」
「なんやそれ、ほななんでそんな事言うんや。」
「何も言ってねぇじゃねえか。」
「なんやそれ! さっきから、あんた妙に拗ねとるな?!」
「ははっ、誰が拗ねるってんだよ。」
「いや、拗ねてる。絶対拗ねてるて!」
「拗ねてなんてねぇ!」
真島の徐々に大きくなる声に、つい、こちらも大きくなる。二人でテーブルを挟んだまま見つめあってしまう。
「………。」
「…いや、だからな……。」
こちらがそう呻くようにいうと、真島も、ふぅっと息を吐き、探り合うように視線をさ迷わせる。無言がいたたまれず、ビールを口に含んでから、なんとか話題を切り出す。
「その…髪って、切っちまうのか? それとも、つけ毛をとるのか??」
「まぁ、切るんやな。」
「つか、それどうなってんだ?」
好奇心をのせて言うと、真島が、おお、これな、と言って髪の毛のゴムをはずす。
「これ、ちゅうてもわからんかな、特殊なシールみたいなんで止めてんねん。」
もともと調髪する前で少し長かった状態だったのでつけられた、と真島は言い、横を向き、こちらに毛先をさしだす。
「どこにつけてんだ、わからねぇ。」
「ほら、ここや。」
髪の毛をもちあげる。こちらが触れないように腕組み観察するのに、真島は面白くなったのか、テーブルをまわってこちらの傍に来、ずずいっと頭を近づけてみせた。
「髪持ってみたらええ。」
「いいのか?」
「ああ。」
こちらが、おずおず、というように手をのばした。真島の髪の毛に触れる。他意はない、と言い聞かせてみても、心がふわっと沸き立つのを感じた。
「そこは、ニセモンの髪や。もうちょい上につけてある。」
「へぇ、わからねぇもんだな。」
「裏返してみたら、つけてるの見えるおもうで。」
真島が髪の毛をとりながら、こちらの手に触れた。毛先に集中していたので、まるで電流がはしったようにぞわっと鳥肌がたった。心臓が早鐘をうつのに気づかれないよう、慎重に、髪の束をとる。だいじょうぶ、というように真島がさらに体を近づけてくるのに、少し髪の毛を透くようにして、裏返してみせる。
「…っ。」
「痛かったか?!」
真島が息をのむ音をさせたので、ぱっと手を放す。長い髪がふぁさり、と目の前に流れた。真島がばっと顔をそむけて、
「しゃっくりでそうになった。」
と口元を抑えた。酔ったか、と聞くと、かもしれん、と真島は言いながら、こちらの腕を抑えるように掴んだ。
「……………。」
何故か真島はこちらにもたれかかるような状態で止まっている。長い髪が、腕に流れた。
(あぁ…もう……っ。)
目をかくようにして、目元をぬぐった。この距離感。高校生か、というやり取りだ。気をとりなおして、真島の髪の毛の束を掴み、そして、その継ぎ目を見る。
「ほんとうだ、こんな上手くつないであるんだな。」
「くすぐったいわ。」
ようやっとそれだけ言って、真島は、そっと傍を離れた。髪の毛をゴムで再びまとめながら、
「一か月ほどしたら、髪の毛傷んでくるらしいわ。まぁ、それまでには切るかな。」
と真島は言う。真島が望んでいるであろう、もったいない、と言う言葉より、早く切っちまえ、と出そうになった口を閉じる。拗ねてる、と指摘された言葉をかき消すように、ビールを煽ってから、
「その姿、子分たちはびっくりしただろうな。」
と言ってやる。真島は、ひひっ、と普段の顔で笑って、
「それもええですね、って絶賛の嵐やったで!」
と自信満々に言ってのけた。だろうな、と頷いてから、改めて真島を見る。
「ん、どうした。」
やっぱり見慣れんか?と聞かれ、腕を組む。
「お前ぇが、そんな髪の頃、見たことがあるな、って。」
「あぁ、見たことあるどころやのうて、派手に喧嘩したやろ。」
あの屋上で、と真島は当時のことをはっきり覚えている、というような仕草で言ってみせた。
「それ以外で、見たか?」
いや、と首を振る。
「お前が支配人やってたキャバレーって、大阪のグランドってとこだろう?」
蒼天堀の、というのに、あれ、名前言うたかな、と真島は軽く首を振ってから、そうやで、と軽く頷く。こちらは、さっきの思い出した、といわんばかりの顔で、やっぱりそうか、ともう一度言った。
「行ったことあるんだよ、そこに。」
「え、ほんまか? あんたみたいな特徴ある人間やったら覚えてるはずなんやけどなぁ。」
せめてVIP席に座った客の顔と名前は一致させろ、とうるさく言われていた、と真島は続ける。
「その頃は、ほんま人生で一番記憶力つこたで。その後はお察しやけどな!」
思い出すから待ちや、と言われ、首を振る。
「いや、中では遊んでない。近江のシマなかで堂々と動くわけにはいかなかったからな。」
こっちのフロントが接待で連れてかれたのがそこだ。動く金も大きい山だった。他の組からもちょっかいかけられた、って企業の社長がびびっちまって、護衛でいったんだ。関西まで来たら、ここで遊ばないと、と接待で連れていかれたのがグランドだった。蒼天掘はまさしく、近江のお膝もとだろう。まずったな、と思いつつも、俺はこんな見た目だ。もう一人一緒に行ってた子分に中に入らせて、なにかあれば、って俺は外の車で待機してた…と、そこまで一気に説明する。真島は、ほう、と続きを促した。
「不味い話になりそうにもねぇと踏んでたから中には入らなかったんだが、今思えば、ちょっと中見るくらいしておけばよかったな、とな。」
ほーん、と真島は頷く。オチがないどころか、なんだか面白くないことを話してしまった気がして、慌てて言葉を継いだ。
「ほら、お前が客捌く姿ってのが素晴らしかったって、こないだの爺さんも言ってたからよ…!」
そこにあった妙な空気を濁そうとしたが、上手くいかなかった。どうしようかと真島の顔を見る。そこにあった表情に、思わず別の言葉が口をついて出た。
「なんだその顔。」
「いや、いや…。」
ニヤニヤ、という形容がふさわしい表情だった。こちらが、なんだよ、と呟くのに、真島は耐えきれないように、両手で顔を覆ってから、もう一度、いやいや、と言った。
「わかった、切る、髪、切るわ。」
真島はまだ唇が笑ったままの形のまま顔をあげ、謝礼の封筒をとって、それだけを言った。おう、と頷いたと思う。その後はいつもの酔いどれ話になっていったので、果たしてそれ以上なにか不味いことを話したかどうかも定かではなかった。
翌日、襟足まで綺麗さっぱり刈り上げられ、短髪にした真島の写メが送られてくる。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
件名:髪切った
日時:2003/10/14 18:47
本文:ほれ、いつもの。』
見慣れたやつだな、と送ってやると、
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
件名:re:RE:髪切った
日時:2003/10/14 18:50
本文:あんたの好きなやつや。』
と来て、ようやっと自分の失言に気づいた。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
件名:いつもの真島ごろうです
日時:2003/10/14 18:52
本文:謝礼、やっぱ多かったで。
飯、いこや🥂 』
もらった報酬で髪を切りました、と言われているのだと分かった瞬間の自分の顔は、そこに鏡があればパンチしていただろう。それほど情けなく恥ずかしく、事務所のなかで、盛大に変わった表情を隠すように、慌てて顔を覆うのだった。
おわり