酔いどれメール(仮)四日目・五日目四日目。
柏木は、らしくなく苛立ったように寝返りをうった。夜中二時をまわりベッドに入ったが、メールがこない、と頭のどこかで気になって眠れなかった。たった三日なのに、真島からのメールを心待ちにする自分がいる。真島だって組の若頭。忙しいのかもしれないし、三日坊主という言葉もあるように、飽きた、という可能性もあるのだろう。
(相手は狂犬、その可能性も大いにある。)
と自分を納得させ、なぜこれほどまでに苛立っているかという自己分析はせず、無理やり眠りについた。
午前三時前、うつらうつらしてる時に着信音で飛び起きる。かなり長く鳴っているようだ。組からか、と慌てて携帯電話を見ると、それは電話の着信ではなく、メールの着信だった。携帯を開く。メールが十件ほど入っていた。
『寝た?』
『返事は?』
『ねぇねぇ。起きてー。』
そんな短いものが連続で入っている。
(あいつ、酔ったらこういう人格になるのか?)
差出人は真島である。真夜中のテンション。また滅茶苦茶に酔っているのか、所々女言葉のそれは自分に返信を求めていた。
(実際の飲みの場でも、こんなぐずぐずになるんだろうか…。)
たしかに、酒癖の悪い奴はいることはいる。珍しいところでは、酔うと赤ちゃん還りする組長を見たことがある。かなり大柄の組長だが、酔いだしていきなり赤ちゃん言葉になってその場で寝転がりだしたものだから、大慌てで組員に止められていた。口外無用です、お願いします、と懇ろにいわれ、そういう性癖もあるのだな、と認識を新たにしたものだ。真島のこれも、そういうものなのかもしれない。世界は広いな、と思わせられる。
『起きてる。』
色々考えたが、シンプルにそう送った。
『そう⤴⤴⤴❣ 今日はなににする?🍺✨』
間髪開けず、絵文字でデコレーションされた文面と、酒瓶がたくさん映った写メが送られてきた。
(初日と一緒だ。)
テンションが、女のそれに近い。これは困ったぞ、と思っていたら、矢継ぎ早にメールがくる。
『あ、こっちは、いいのかってきた💛』
写メには、初日にこちらが飲んでいたものと同じ酒があった。
(ほんとかよ…。)
思わず起き上がって頭を抱える。反応に困った、というより、心が沸き立っている自分に困ったようなリアクションになってしまった。酔って勢いで買ってきた訳ではないだろう。そのウイスキーは百貨店か洋酒の取り揃えのいい酒屋にしかないものである。素面の時に買ってきたんだろう。
『桃缶じゃねぇから、口にあうかな?』
あの日のように返信してやって、ハイライトを手に取った。
真島は、どろどろに酔っていた。付き合いで飲んだ酒は、非常に不味い酒だった。早く帰りたい、と顔にだしていたが、引き留められて二次会は銀座の高級クラブに連れていかれた。
昨日西田の連絡入れてきていた案件、真島組のシノギのなかでは大口の取引にあたる案件だった。極道に近づく一般企業というのは最近では数が少なくなってきた代わりに、相手がそうでもしなければ困難な案件というものであれば、言い値でまとまった金もだす、という事が大半だった。今回の依頼も、所謂昔から曰くつきの住民が住む土地の地上げだった。相手の営業も、言葉が通じなくて!櫓とか組み始めて座り込みまで始められて!権利書はこちらにあるのに不法占拠で訴えても警察も動いてくれなくて!ほとほと困っているんですよ!とこちらの姿を見ても警戒しないばかりか、やっちゃってくださいとでも言いたげな食い気味の口調で話すのだった。まず嶋野組に話をもっていったようだが、相手方のかなりの気合の入り様で断りきれなかったのを、嶋野組もこの前のめりすぎる姿勢を警戒して、こちらに話を振ってきたのか、と推測された。
一次会も、昨日の今日でよく準備できたな、というような気合の入った接待だった。この不景気な世の中でも、金はあるところにはあるのだな、と思わされる。貸し切りにされた逃げ場のない店内、大手広告代理店の営業と不動産会社の社員、コンパニオンの女たちのきゃーきゃーいうだけの姦しい話を聞かされながら、適当に相槌をうった。高いシャンパンを何本か開けられたが、ちっとも美味しいとも思わなかった。家に帰って、メールをうちながら飲んでいる缶酎ハイのはどれほど美味いかわからない。そう思いながら、二時間なんとかやり過ごして帰ろうとしたところ、二次会は銀座で、とタクシーに案内された。用件は分かったから帰る、と言えばよかったのだが、揉み手で近づいてきた営業の男は、
「東城会さんには、お世話になっております。先ほどは本当に申し訳ありません、姦しいばかりの小娘達で…どうぞ次で、お口直しを。次の店は、きっと気に入っていただけます。うちは風間組さんもお世話になっていた時期がありまして、時々そこでお話聞かせてもらっていまして。」
「風間組?」
「ええ、良い店だとお褒め頂いたこともございます。ぜひ、是非。」
柏木が普段どんなところで飲んでいるのか知れるかもしれない、と色気をだしたのが悪かった。
着いたのは雑居ビルの四階。和装の白髪の女将然としたママがでてくる。他もかなりの年増のキャストが接客についた。確かに、嶋野や風間くらいの年齢の紳士たちが社交的な会話に興じるには良いのだろう。野球がお好きらしいですね、実はあの選手もきてくださったことがあって、とママは話すが、白黒テレビ時代のスターで逆に驚いた。いくつなんだ、このママは、と思った。他にも話題を振ってはくれるが、気位の高さが透けてみえる言葉遣い、すべてにおいて気詰まりだった。
途中から手持無沙汰の時間に酒だけ詰め込んで、家に帰りついたのは三時をとっくにまわっていた。天井が揺らいで、心臓が床に落ちていくのではないかと思うくらいの酔いの中、玄関に座り込み携帯を開く。
(桃缶てなんやねん。)
タクシーの中から爆撃したメールに返信があった。文面を読み返して、うふふ、と笑う。電波の先に、あの日の柏木がいる。年下のお姉ちゃん相手の続きだというようなテンション。あのお堅い柏木さんに、こんな遊び心があるとは思わなかった。ごっこ遊びに付き合ってくれる。なんだか、ものすごく、この人のことが好きな気がする。
『いまから飲む』
メールを送ってから、立ち上がるまで長かった。なんとか床から這い上がるようにして壁伝いに立ち上がり、台所までたどり着く。シンクで手と顔を洗い、少し視界がしっかりした。写メで送ったものは前の日に撮っていた写真である。酒瓶を探り出し、氷をもってきて、ロックにする。口をつける。ピリッとした辛口の味。
『きつい!』
そう素直に送った。柏木からは、
『件名:だからいったろう、と。
本文:いってないな。(笑)』
そう返信が来た。なんだかそれだけで嬉しくてたまらなくなる。
『飲めないことはない😣』
『無理するな。』
『余らせるのはもったいない💵』
『俺が飲んでやるよ、置いておきな。』
台所のテーブルに上体をつっぷして飲んでいたが、その返信には顔をあげてぷっと吹き出す。あの日のように、スマートに口説かれている。そうやって誰かれ誘ってるやろ、と送ってみたかったが、それで返信が途切れてしまっては事だ。どう返そうか思っていたら、追加でメールがきた。写メの添付つきである。
『これのほうが、飲みやすいよ』
ウイスキーだろうが、白いラベルの見たことがない酒だった。
『また買ってみる。』
『さっきのは、ロックより水割りにしたほうがいいんじゃないか。しかし、わりと飲める口なんだな。』
ときた。そりゃそうやろ、と言いたいが、女心ぶった感じに返そうと探り探り文章を打つ。
『飲めるで、一升開けることもあるで♡ この家は日本酒なら多彩に取り揃えております🍶✨』
考えようにも頭が回っていないのか、絵文字以外は素の自分で笑う。柏木と遣り取りしていると、どうも素直になってしまう。どこに一升瓶を何本も常備している女子がいるというのだ。
『酒瓶かかえて寝るのか?(笑)』
横にあった、ちょうど昨日空にしてしまった一升瓶を寝室にもっていく。枕の上に寝かせて布団をかけた。それを写メに撮る。
『いつもこんなかんじ🛏』
そう文章をつけて、写真を送った。
一服して目が覚めた柏木は、真島のテンションに倣って酒を飲みだした。これも初日と一緒だった。
(同じ酒、飲んでるのか。)
前に写メで送った酒はこれだった。真島は写真に映った情報から銘柄を特定してきた。警戒心が発動されるより前に、妙に嬉しがっている自分がいて恥ずかしくなる。年下の男からのメールに年甲斐もなく浮かれている自分。
(モテないオッサンをその気にさせるのは良くねぇぞ、とでも送ってやろうか。)
そう自嘲を込めて内心呟いてメールを待つ。二杯目を注ごうとした時、着信があった。返ってきたメールを開く。写メのなかでは、茶色の一升瓶が紺色の布団をかぶって寝ていた。
(自室…いや、寝室か?)
真島はこんなところで寝ているのか、と思う。そう思った途端、僅かに身体が熱くなって、びっくりした。
(おいおい、不味いだろ…。)
本当に相手をそんな目で見ているわけではないというのに。考えるほどに様々な可能性が浮上してソワソワしてしまう。それをかき消すようにソファより立ち上がる。何か写真に撮れる物はないかと探す。今しがた飲んでいた酒瓶をソファに横たえるが、面白い絵面にもならない。被写体にも何もならない、映えない一人寡の部屋である。
(親父が、仕事ばかりに精だすのもいいが、いい年した男にはそれなりの遊びがなくちゃならねぇ、と言っていた訳が分かるな。)
今まで人生の余白はあまりに少なかったように思う。僅かにあったそこに、突如こんな色彩が入ってきて、対応に困っている。今はそんな状況なんだろう、と軽く自己分析する。とりあえず、時間が空きすぎても相手が飽きてしまうと思ったので、写メは諦めて普通の返信をした。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/06 03:26
件名:いつも
本文:床で転がって寝てるのかとおもった』
真島は現状で打ち込める渾身のサーブをうったのに、普通に返ってきて笑ってしまった。お姉ちゃん相手ならそれはないだろ、と思うので、やっぱり自分だとはっきり分かられていては、初日のテンションにはなりにくいかと思う。でも、じゃあなんで、時々口説くようなこと言ってくるのだろう、と不思議にも思う。
(ナチュラル口説き魔なんか?)
ひとたらしの要素はあの人にはないと思っていたのに。それが発揮される時は、きっと女性キャストがいるところなのだろう。飲み会を円滑に回す話術なのだろうが、妙に嫉妬してしまう。
『床で転がってるときもあるで、』
と打って消した。返信しやすいような文章でないとな、と思う。思わず、ツッコミを入れたくなるようなやつ、と考えて文章をひねりだす。
『差出人:真島吾朗(嶋野組)
日時:2003/02/06 03:30
件名:Re:いつも
本文:ベッドにまでたどりついたら勝ちや🏆』
確かに、と、笑ってしまう。柏木は冷静になる為にも、煙草に火をつけた。メールでこれほど酔いどれ具合が分かるくらいだから、床に沈んで朝を迎えることは週のうち一日や二日ではないのだろう。
『まぁでも、これうたなきゃとおもうと、そこまでよってない=』
追加のメールが、たどたどしい日本語できた。相変わらず、文末の絵文字は消えている。一体何なのか、会った時に聞いてみようか、そんなルール違反のようなことまで思いだす始末だ。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/06 03:34
件名:酔ってない
本文:っていうやつは大概酔ってるよ(笑)』
呆れられているのか、でも甘やかしてくれている雰囲気に、真島は酔うのとは少し違う心地よさを感じながら、返信を考えた。べろべろに酔っている、と思われているのなら、と、その勢いでリクエストした。
『なんか写メちょうだい📷』
もっと柏木の部屋が見たかった。ウイスキーと水を片手に、テーブルにつっぷするようにして、携帯を見る。充電が心もとないのが不味いな、と思う。
(かえってこない、か。)
撮るものを探してるのか、それともさすがに呆れられたか。何か話題をふろうかと思うが、大概アルコールが入っていて頭が回らなかった。なんだかこの時間がいやに幸せで、ずっとメールを待ちたいなぁ、とそんな思いばかりが頭に浮かぶ。朝がきて必ず終わりの時間がくることなど、この時は頭の端にも思い浮かんでいなかった。
柏木は、ハイライトの青い煙をくゆらせながら、携帯電話を手の中で遊ばせていた。
(写メちょうだい、か。)
えらく直接的なリクエストである。毎度まいど酒の写メでは面白くないと、煙草を消して何かないかと被写体を探す。台所を見ていると、このあいだ付き合いで行った飲み屋で貰った袋があった。そうだ、と中身をとりだす。それを写メに撮る。少し意地悪したかった。
真島は、目をつぶり寝かけていた瞼を、メールの着信音で慌てて開いた。柏木からの返信。メールには写メが添付されてあった。
「あ…。」
『今宵の酒のお供』
と書かれたそこにあったのは、綺麗な箱に入ったチョコレートだった。ぱらり、と目から涙がこぼれて、びっくりして目尻をぬぐった。
(なに、考えてるんや…。)
そりゃこの季節だ。チョコレートをくれる人の、一人や二人いるだろう。きゅうっと心が痛む。
(完全にふられたような感じやんけ。)
男同士での“ごっこ”メール。でも、これは本当にそういう意味で好きだったのだ、と気づいてしまった。はぐらかし続けたのは自分の気持ちだった。まだ涙がでるのをなんとかぬぐって、メールをうつ。
『甘いので酒飲めるんか。』
か、じゃ、非難のようにとれるな、と思って、
『甘いので酒飲める派なんやな。チョコレート好きなん?』
とした。送信すると、すぐに、
『まぁまぁ。これは貰い物。』
と返ってきた。
(そりゃもう! 見るからに貰い物だろう…。)
二月も一週間が終わろうとしている。たしかに、そういう季節だ。
『バレンタインか、モテモテか!😠』
せいっぱいの強がり。文末に、目を怒らせた絵文字をいれて送った。
『飲み屋のママにならモテるよ🍶』
と、土瓶とお猪口の絵文字の入った文で、そうストレートに返ってきた。落ち着いて、その文字を反芻する。た確かに、組の接待で使用する所からそういった物を貰うこともある。自分は甘いものはそこまで食べないので、すべて事務所に持ち帰らせ、子分たちがいつの間にか食べてくれているといった具合だが、柏木は自宅にまで持って帰っているのだな、と思った。
(個人宛のチョコレート…やったりするんかな。)
数時間前までいたクラブの接客を思い出す。銀座のああいったクラブなら、その日になれば、一箱五千円のゴディバが今でもお得意様全員に配られるというのだから、と思い、ふと冷静になった。
『それ以外は?』
なんて返ってくるかなぁ、と半分こわごわ、半分楽しみにしておくる。
『ご想像におまかせします。』
はぐらかされたかぁ、と額に手をあてた。少し気が楽になっている自分がいる。もう一度、先ほどの写メを見る。ベルベット仕様の物凄く凝ったハート型の箱に8粒ほど入っている、見るからに高級そうなそれだ。
『これは、あれやな、義理やな👿』
文末に悪魔の顔の絵文字ををつけて、そう意地悪く送った。
柏木は、相変わらず文末の絵文字が消えた文面を見て、そりゃそうだろうさ、と笑う。
(さて、なんと送ろうか。)
チョコレートを一粒、口に入れる。これはブランデーのほうがいいな、と、席を立ち、新たなグラスに生(き)のまま注いでから、携帯を見る。真島は仮にも組長なので、それこそ義理でのチョコレートは腐るほど貰うだろう。なんて返そうか、しっかり数分悩んでから送信した。
『差出人:柏木さん
日時:2003/02/06 04:06
件名:RE:Re:RE:Re:RE:Re:RE:Re:RE:酔ってない
本文:義理でも一つはひとつ、だ。こういうのの勝負は、数だろ?』
真島は、床と仲良くなりながら、届いたメールを開けた。
(数なんか、たしかになぁ。)
チョコレート何個貰った、というのはこの時期の男子らしい話題で笑ってしまう。誰か特定の人間からもらったものがいい、などと答えられないだけマシなのかもしれない。
『バレンタインまで何個もらうか、勝負しよか。』
そう送ろうと文面を打っていたら、ふっと意識がとぎれるように眠ってしまった。
五日目。
夜中の1時過ぎ、真島は少し早いかと思ったが、柏木にメールを送った。
『件名:おつかれさん
本文:何しとった?
俺は今日は寒かったから、熱燗の準備中』
柏木が返信しやすい時間も把握してきたし、もはや日課のようになってきている。昨日の最後のメールは、結局送られないままだった。まだ柏木から返信はないだろう、と思って携帯電話をテーブルに置き、湯を沸かしにいく。今日はどの日本酒にしようか、そう考えて酒瓶を見ていると、着信があった。自分でもニヤニヤしているだろうなと分かる顔で、それを開く。
『差出人:柏木さん
時間:2003/02/07 01:11
件名:RE:おつかれ
本文:このメールを待っていた。
熱燗、自分で作るのか? 温度調整難しいだろ』
(は????)
息が詰まりそうになる。思わず携帯を縦にしたり横にしたりしてみたが、その文言は変わらなくて頬が熱くなる。
「待ってた…まってた、て何やねん…。」
すぐ返信が出来ない。あー、と言いながら床に転がりたい。台所の食卓に腰かけて、何を送ろうかと考えていたら、もう一通メールがきた。
『件名:明日は早くてな。
本文:今日は悪いが、もう寝るよ。
お前も夜更かししすぎたら、明日しんどいぞ。』
このメールを寄越す為に、こちらのメールをまっていたというのか。
(律儀な人やな…。)
日々のルーチンワークの一貫になっているのかもしれない。それは少し申し訳ないと思う。携帯を操作し、素早く返信を打つ。
『そうなんか。おつかれさん。おやすみ。』
『おやすみ。また明日な。』
むこうからも、すぐに返信がきた。時計を見る。まだ一時半にもなっていない。自分にとっては、宵の口である。仕方なくテレビをつけた。スポーツニュースも終わってしまって、深夜のバラエティーが始まる時刻だ。テロップにでる、今日7日の番組、という文字を見てハッと気づく。
(七日…7日、なんかあったで。)
たしか今週の金曜日、本部でなにか行事があると西田も言っていた。今日がもう金曜日だ。一週間、メールのことを考えてテンションを上下させていたら、時が経つのがとても早かったなと思う。先ほどのメールの文言を思い出す。柏木から、お前も明日、という言葉をもらった、ということは、向こうもこちらも行くような行事なのかもしれない。
(あれ、俺も行かないかんのやっけ…?)
一次の組長だけが行く行事、というものも勿論ある。そこに若頭として付き従うか、それとも自分も二次の組長としての立場で出席しないといけない行事だったか、と頭を捻る。メールを見て浮かれている場合ではなく、自分も早起きしなければならない日ではないのか。
スケジュールを確認する。カレンダーなどほぼ真っ白、風のむくまま気のむくままの生活だが、さすがに親からの呼び出しの日や、本家の予定は書いてある。七日のそこには、法要、とだけあった。
(あぁ、先代の法要か、しかも朝9時とかほんま…。)
東城会二代目の墓、そこに皆で揃って霊園詣でするのである。確かその後はホテルでパーティーがあるといっていた。
(めんどくさいのぅ…。)
しかし、さすがに明日遅刻すれば、嶋野にどやされるどころでは済まない。
「…寝よ。」
湯を沸かすのを中断し、携帯を置く。歯磨きをしながら、喪服どこやったかなぁ、と頭をかいた。
翌朝。弔辞など霊園でのセレモニーが終わった後は、ホテルでパーティーということで、黒塗りの車が続々と都内某所向かって移動を開始した。昼食時ということもあって立食パーティーと聞かされていたが、ホテルに着き会場に案内されると、ちゃんと席もあり、ステージに祝い花などそこそこに大掛かりなセットもある豪華な仕様のものだった。花には、今週こちらに仕事をふってきた不動産会社の名前もあった。
(自分に振られた仕事も、これ関連なんかのぅ。)
来賓のなかには、大手広告会社の引退組や政財界に連なる名もあり、東城会の名義を隠して請け負った政府筋の仕事というのが見て取れた。
ディナーというほどのものでない食事の後、中締めの挨拶では、三代目の世良の会長就任が十周年を迎えたということと、そのお祝いが今年計画されているなどということが発表された。その後、各自ご歓談の時間を、と立食形式のパーティーが始まった。
嶋野の席には、すぐに人が群がった。代わり替わり名刺をだされ、誰か分からない奴の酌を受けても嶋野は大笑いしている。最近は大口のシノギが入り、機嫌が良いのだった。羽振りが良いのは、この関連の仕事を請け負ったからなのだ、と分かった。
ステージでは、歌謡ショーが始まった。出演者はテレビでも見たことある顔だった。このパーティーは何時に終わるのだっけ、とそれを見るでもなく眺めていると、自分の席の前まで、嶋野に挨拶する為の一般人の列が並び始めた。相手は極道者ではないので、こちらの視界を遮る形となっても、お構いなしだ。特に若いスーツの奴がこちらの横に並んだ時、もの凄い香水の匂いがした。さすがに辟易したこちらの顔を見て、横に座っていた西田がハラハラしだした。前に座っていた若いのが拳を握って今にも立ち上がりかけるのに、手をかざす。嶋野への来客を殴る訳にもいかない。皆がその列を睨みつけるなか、自分ははっと溜め息をつき、便所いってくる、と言って席を立った。
(つまらん…。)
さすがに分煙というわけではないので、壁に背をつけて煙草を吸った。ハイライトの香りで鼻をリセットする。オッサンの加齢臭には慣れているが、男性化粧品特有のきつい臭いまでは例外だった。壇上では、先ほど歌っていた演歌歌手が、益々のご発展を、とこちらにおもねるスピーチをおこなっている。この後は芸人のステージがあるらしい。来賓挨拶だなんだのも予定されているだろうことを思えば、また長い一日だ。
(最後までいてなあかんやろか。もう無礼講みたいやし、適当に帰ってもええんちゃうか。)
結局寝たのはいつも通り朝五時前で、七時半に目覚ましをかけて無理やり起きたから眠かった。朝方眠りにつき、午後二時ごろようやく起きだすという自堕落なサイクルが出来ている為、それを崩されると頭が痛かった。
「………。」
煙草を消し、時計を見る。ちょうど正午だ。一番眠気が襲ってくる時間だった。腕を組み目をつぶる。周りの喧騒が少し遠く聞こえた時、人の気配を感じた。目を開けると、カーペットに映る人影が視界に入る。
「案外、スーツも似合うな。」
そう、声をかけられた。ハッとして顔を上げる。
「へ?」
目の前に柏木がいた。
「いや…。」
こちらの顔を見た瞬間、柏木が何かを言いよどむようにして黙り込んだ。その顔を見る。こんなに近くで相手の顔を見る機会は今までなかった。意外と、整った顔をしている。
「…………。」
よく見ると、男前だな、でもどこか野暮ったい服装をしているな、なんて感想が胸のうちに飛来して、自分でも可笑しくなる。メールの、あのスマートに口説くオジサンとは思えない、ザ・極道者といった、その手のかっちり型にはまったスーツ姿だった。なんとなくぼうっと柏木の姿を見ていただけだったが、相手の視線がこちらに注がれているのを感じて、相手の目を見る。
「………。」
「………。」
しっかり三秒は見つめあった。耳に喧噪が戻る。ここがどういうところか、ハッと気づき、慌てて背を伸ばす。こちらが口を動かそうとした時、
「柏木!」
と奥のテーブルより声が聞こえた。二人してそちらを振り返る。柏木が、へい、と返事して頭をさげる。
「………。」
柏木は一瞬視線を再びこちらに寄越してから、すっと向こうに行ってしまった。向こうは風間組の席がある。そちらから人々の視線が自分達に注がれていたのを感じた。しかも好機の目、というのではなく、僅かに殺気の含まれるそれ。
(警戒されとったな。)
風間組には、旧堂島組を接収した人員がいる。自分は派手にそいつらを叩いてきたので、今さら仲良くとはいかないことくらい分かっている。柏木の背が人波に消えていってしまう。人垣のなかに風間の顔も見えた。そんな中にはさすがの自分も入っては行けない。
「………。」
自分は嶋野組の若頭で、やはり、おいそれと会話できる間柄ではないのだ、と痛感した。
柏木は、固めすぎた前髪を気にしたようにパーティー会場に戻った。組同士付き合いある組長、関連団体の来賓対応などをしつつも、心の隅では、真島がこの会場にもいるのだな、と思っていた。霊園でのセレモニーの時は、真島の姿は見たが、パーティー会場ではその姿を見つけらなかった。ステージがあるため、照明が落とされた宴会場。会場は広く、来賓あわせ300人はくだらない客が入っていた。
(あいつ…あんな所に。)
手洗い場から帰ってくる時に、部屋の隅に真島を見つける。壁に背をつけ、腕組みして、時折会場を睨みつけているその姿は、人を寄せ付けない野良猫のようだった。つまらない、はやく帰りたい、というのがその全身から出ていて笑う。毎晩メールでごろごろ喉を鳴らていたのは、果たして本当に彼だったのだろうか?と思うくらい、不機嫌な顔をしていた。ちょっと構ってやろう、と近づく。
「案外、スーツも似合うな。」
なんだ、というような剣呑な視線を寄こされた。メールの時のような、愛想を期待していたわけではなかった、そのはずなのに、この視線を食らうと、軽口もでてこなくなる。真島は警戒するように、こちらの姿を足の先から天辺まで眺め見た。
(いつもお前が使ってる絵文字はなんだ、なんて聞ける雰囲気じゃねぇな。)
そうこうしている間に、風間に呼びつけられその場を離れる。真島の視線がこちらを見ていた気がしたが、振り返った時には、もうその壁に彼はいなかった。
風間に呼びつけられ忙しくしていて、それ以降、真島の姿は追えなかった。パーティーがはけた後も、世良からの呼び出しに風間と共についていったので、メールどころはなかった。二次会、というにはあまりに格式高い料亭には、議員秘書などが待ち構えたように座っていた。
とかく昼から飲まされていた為、その日は、家に帰りつくと、真島のメールを待たずに宵の口から眠ってしまった。
二時過ぎ、ふと目覚め、枕元の携帯電話を確認する。メールが入っていないと寂しい、と思ってしまう。
(そもそも、あいつも寝ているかもしれないしな。)
今日は真島も二次会三次会と駆り出されて、メールどころではないほど疲弊しているかもしれない。
「………。」
仕方ない、と自分に言い聞かせているのに、それでも期待する自分がいる。時計を見る。二時十五分。このまま携帯をいじっていたら、メールがくるかもしれない。今日はしんどかったなー、という明るい調子のメールがくるかもしれない。そんな馬鹿げた妄想すらする。たった四日ほどで習慣になるわけもないけれども、ひどく切ない気持ちでいられない。
(たまには、こちらから入れてやってもいいか。)
いろいろ考えたが、酒が残っているのか、小洒落た文言も思いつかないまま二時半。
『件名:今日はおつかれ。
本文:おやすみ、また、明日な。』
それだけを送り、携帯電話を充電器にさし、目を閉じた。
始終機嫌のよかった嶋野だったが、ホテルを出る際に風間となにか言葉を交わした瞬間、傍から見てわかるほどに、機嫌が急降下した。
(あ、ヤバい。)
と思った時には、真島は嶋野の大きな手にジャケットの襟首をつかまれていた。案の定、組のモンで飲み直しや!ということになった。二次会三次会と散々付き合わされた。どやされながら飲む酒は、最後は、ただただアルコールを便所に運ぶだけの作業になっていた。夜もとっくに更けた三時過ぎ、ようやっとタクシーで家に帰り着いた。床で倒れていた組員もいたが、どうなったかもう分からなかった。
(あああ、つかれた…。)
ネクタイもジャケットもうっちゃって、そのままベッドに沈みたいが、さすがにさっきまでトイレで跪いていた為、風呂に入らなければならない。ズボンを脱ぎ、ジャケットから携帯をだして、充電しようとした。メールがあることを知らせる青いランプがついている。
(なんや組の奴らか、なんかの伝言か…酒で倒れて死んだとかやったら嫌やで…。)
と何件か新着があるそれをスクロールして、ハッと気づいた。柏木さん、と書いたそれが一件紛れている。
「…っ…。」
鳥肌がたった。一瞬、その場で震えたのが自分でも分かった。心臓の音が大きくなる。
「…………。」
おつかれ、とある。それを見て、なんだか妙に泣きたくなった。一日の苛立ちもしんどさも、すっと体から霧散してゆく。暖房が切られて長く経った寒々とした部屋の空気すら、一二度上がった気すらする。
(好きすぎるわ。)
メールだけの関係。それ以上望むことはできない。そう強く心に留めながら、返信した。
『件名:ほんまつかれた。
本文:あんたも、おつかれさん。おやすみ。』
相手の顔が見えない遣り取り。この百字足らずの文面だけで、人に惚れることがあるなら、きっとそれは魔法のようなことなのだ。
柏木の事は昔から知っている。だが、それは同業者で先輩である姿というだけで、その人となりは全くといっていいほど知らなかった。実際深く話したこともなければ、プライベートのことなども知らなかった。いつもかっちりとした姿でいるので、お堅い男だろう融通の利かなさそうな人だと、勝手に思っていた。でも、この一週間のメールの遣り取りで、ノリの良さであったり、ちょっとエロことを言ってみたりするのを聞いていたら、その身のこなしの軽さも見えて、以前よりずっと好きになってしまった気がする。
漠然とした憧れ、ではなく、血の通った、好きという感情に変わってしまっていた。しかし、今日のことを思いかえすと、やはり現実には思った以上に冷たい溝があるのだ。
(このメールが、“俺”やって知られたら、もう返ってこんようになるのとちゃうか。)
現実の真島吾朗と、このメールの先にいる真島吾朗には、きっと隔たりがある。相手の頭のなかで、この自分がこれを打っている、とはっきり認識された瞬間、きっと、幻滅が襲ってくるに違いないのだ。
(“俺”だとわかってほしい。)
でも、魔法よ解けないで。そんな気分で、携帯を閉じた。
つづく