【无風】夢「なあ、心臓が止まるってどんな感じなんだ?」
死体を目の前に、風息が問いかけてくる。どうだろうかと无限は考えてみた。
「よくわからない。私は死んだことがないから」
「ふうん。まあ、それもそうか」
「そうだね。でも、死にかけたことならあるよ」
「へえ。どんな感じだった?」
妖精に心臓はない。だから、鼓動もない。脈が止まり、呼吸が止まる。それが苦しいのか、痛いのかもわからない。
「そうだね。初めはすごく痛かったけれど、そのうち、ぼんやりしてきて何もわからなくなって。寒かったはずなのに暖かくなったような気もして。痛かったはずなのにふわふわして、瞼が落ちていくんだ。自分の鼓動が少しずつ遠のいていくような感じがした。ああ、このまま死ぬのかなと思ったよ」
かつてを思い出し、ぽつぽつと語る无限に、風息はふうんと相槌を打った。
「でも、死にかけただけなんだろ? なんで死ななかったんだ?」
「それは、偶然通りがかった人がいて、その人が医者だったから。助けてくれたんだ」
「へえ。嬉しかったか?」
「嬉しい?」
无限は首を傾げた。嬉しい、とは?
「死ななくて済んだんなら、嬉しいんじゃないのか?」
「どうだろう」
无限は過去を思い出すよう思案する。
「目が覚めて、自分がまだ生きていることに気づいて、ああ、死ななかったのかと思ったけど。嬉しいとか、そういうことは思わなかった気がする」
「なんだよ。助け甲斐のないやつだな」
「そうだね。同じことを言われた気がする」
せっかく命が助かったんだぞ。もっと嬉しそうな顔をしろ、と。そういえば言われたような。
「でも、嬉しいとは思わなかったんだ。だからそんな顔もできなくて。助けてくれたことは有り難いと思っていたんだが」
「何かやり残したこととか、なかったのか?」
「なかったね。やりたいことも特になかった。だから、死ぬならそれで仕方ないと思っていたよ」
「じゃあ、もう一度死に直せばよかったのに」
「そうもいかない」
せっかく助かったのに、特に目的もないからって死に直そうとは思わなかったよ。
にべもない風息の言葉につい苦笑する。その発想はなかった。
「生き延びたのなら生きるよ。そういうものだ」
「へえ。特にやりたいこともないのにか」
「やりたいことは、そのうち見つかるかもしれないし。とりあえず、死にかけたから修行を積み直そうとは思ったかな」
そんなものか。風息が鼻白む。
「生きたいと、生きて何かを成したいと思っていたやつが死ぬこともあるのにか。不公平だな」
「思いの強さだけで生き死には決まらないからね。世の中そんなものだよ」
「俺が消えたのも、そんなものか」
風息。无限が名を呼ぶ。風息は振り返った。
「俺が消えた時も、お前はそう思ってたわけだ。いや、お前のことだ。何も思わなかったか」
「風息」
「どうでも良いことだよな。お前にとっては」
「そんなことはない」
「あるよ」
少なくともあの時はそうだった。風息が鼻で笑う。
「俺にはすべてを賭けてでも成し遂げたいことがあったのに。何もないお前が生きてるのか」
「あの時とは違う」
「思いの丈で決まるものじゃない、確かにそうだな」
「風息」
无限の言葉を風息は聞かない。
なあ、見ろよ。風息が目の前の死体を指さした。
「あれは何だ? 俺の死体なんてないぞ。お前、何の夢を見てるんだ?」
蹲る死体は紫の髪をしていた。土埃で汚れ、煤けだっている。衣服もあちこちが破け、地面には血溜まりができていた。
死体は、風息の顔をしていた。
「俺は血を流さない。心臓なんてないからな。あの時、俺は消えたんだ。死体なんてない。なのに俺の死体の夢を見るなんて、お前、何のつもりだ?」
「風息」
「さてはお前、忘れたんだろう?」
風息が笑う。
「忘れるほど、どうでもいいことだったらしいな」
「風息、それは違う」
「なんでだ? だって全然違うじゃないか。俺の死体なんてどこにもない。存在しないものの夢を見るなんて、お前は変なやつだな」
くつくつと風息が笑い続ける。
「お前、俺の死体が見たかったのか?」
「違う。そんなもの、見たくない」
「じゃあなんで夢に見てるんだ? あれは何だ? ないものをわざわざ夢の中で見ようとしてるんじゃないのか?」
「違う」
わけがわからないな、お前。
風息が背を向ける。死体へと近づいていく。
「風息、そっちに行ってはいけない」
だが、風息の歩みは止まらなかった。足元の死体を見下ろす。
「へえ。俺にもし心臓があって鼓動が止まったならこんな感じになるんだな」
見下ろすその口元がわずかに歪んでいる。
「お前、勝手に俺を殺すなよ。俺は死んだんじゃない。消えたんだ。俺は人じゃない。勝手に人の身に堕とすな」
不愉快だ。
そう吐き捨てて、風息は消えた。
後にはただ无限が一人立ち尽くすだけ。
「……なんて夢だ」
頭を抱え、呻く。
そうだ、これは夢だ。
風息の死体も。己を責め詰る言葉も、全て。あの日なかったものだ。
あの日、あの時。こんなふうにさえ自分たちは話をしなかった。
それを今になって悔いているのかもしれない。
この頃思うことがある。
もし、風息に心臓があったなら。人と同じ体温があったなら。自分たちはわかり合おうとしただろうかと。
その手を伸ばして、振り払われようと、掴もうとしただろうか。しがみついてでも止めようとしただろうか。
「……」
いや。そんなことはないのだと、本当はわかっている。
なのになぜ、もしも手を伸ばしたなら、触れた温度は温かかったのではないかと思うのだろう。
抱きしめたら温かいんじゃないかと思ったのだろう。
もう叶わないのに。
どうしてこんな夢を見る。