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    #曦澄

    takami180

    PROGRESS長編曦澄15
    おや、再び兄上の様子が……
     あの猿は猾猿という怪異である。
     現れた土地に災禍をもたらす。
     姑蘇の、あまりに早く訪れた冬の気配は、疑いなくこの猾猿のせいである。
     猾猿は気象を操る。江澄を襲った倒木も、雨で地面がゆるんだところに風が吹きつけた結果だった。
    「何故、それを先に言わん」
    「あんな状況で説明できるわけないだろ」
     魏無羨はぐびりと茶を飲み干した。
     昨夜、江澄は左肩を負傷した。魏無羨と藍忘機は、すぐに江澄を宿へと運んだ。手当は受けたが、想定よりも怪我の程度は重かった。
     今は首に布巾を回して腕を吊っている。倒木をもろに受けた肩は腫れ上がり、左腕はほとんど動かない。
     そして今、ようやく昨日の怪異について説明を受けた。ちょっとした邪祟などではなかった。藍家が近隣の世家に招集をかけるような大怪異である。
    「今日には沢蕪君もここに来るよ。俺が引いたのは禁錮陣だけだ。あの怪を封じ込めるには大きな陣がいるから、人を集めてくる」
     話をしているうちに藍忘機も戻ってきた。彼は江澄が宿に置きっぱなしにした荷物を回収しに行っていた。
    「なあ、藍湛。江家にも連絡は出したんだろ?」
    「兄上が出されていた」
    「入れ違いにな 1724

    takami180

    PROGRESS長編曦澄14
    兄上おやすみ、猿です。
     江澄の私室には文箱が二つあった。
     蓮の飾り彫が施された美しい文箱には、私信を入れている。主に金凌からの文である。もう一方、水紋で飾られた文箱は最近になって買い求めたものであった。中には藍曦臣からの文が詰まっている。この短い間によくぞ書いたものよ、と感嘆の漏れる量である。
     江澄は水紋を指でなぞった。
     清談会が終わった後、江澄はすぐに文を返した。それから半月、返信がない。
     やはり金鱗台での、あの八つ当たりはいけなかったか。あの時は正当な怒りだと思っていたものの、振り返れば鬱憤をぶつけただけの気がしてしかたがない。
     藍曦臣に呆れられたか。
     だが、そうとも断じきれず、未練たらしく文を待ってしまう。あの夜の藍曦臣の言葉が本気であったと信じたい。
     大切な友、だと言ってもらえた。
     何故これほど仲良くなれたのかはわからないが、驚くほど短い間に打ち解けられた。江澄とて彼を大切にしたいとは思っている。
     わかりやすく喧嘩をしたのであれば謝りに行けるものの、そうではない。一応は和解した後である。それなのに距離を開けられるとどうしていいかわからない。
     また、会いたい、とあの情熱をもって求め 1698

    sgm

    DONEお風呂シリーズ可愛いね~~~!!ってとこからの派生。
    江澄の右手の後ろに蓮の花が見える気がしました。フラワーバスですか。ちょっと見えすぎじゃないでしょうか。江宗主。大丈夫ですか。いろいろと。
     ゆるりと意識が浮上した途端、少しばかりの暑さを覚えて江澄は小さく眉根を寄せた。覚醒するうちに、五感が少しずつ戻ってくるのが、閉じたままの瞼の裏がほんのりと橙色になり、すでに陽が昇っていることが分かる。
    「ん……」
     小さく声を漏らしてから、ゆっくりと瞼を上げた。ぼんやりと目に飛び込んできた天井を暫く眺めて、寝返りを打つ。隣にいるはずの男がいない。卯の刻は過ぎているのだろう。手を伸ばして男がいただろう場所を探るとまだ少し温もりが残っていた。一応用意しておいた客房に戻って着替えているのか、瞑想でもしているかのどちらかだろう。ぼんやりと温もりを手のひらで感じながら、牀榻に敷かれた布の手触りを楽しむ。蓮花塢の朝餉は辰の刻前だ。起きるにはまだ早い。寝ていていいとは言われているが、共寝をする相手の起きる時間にすっかり身体が慣れてしまった。冬であればぬくぬくと牀榻の中にいるのだが、夏は暑くてその気になれない。今もじわりじわりと室内の温度が高くなり、しっとりと身体が汗ばんで来ている。
     江澄は一つ欠伸をすると、身体を起こした。昨夜の名残は藍曦臣によってすっかりと拭われているが、寝ている間に汗をかいた 2456

    takami180

    PROGRESS長編曦澄13
    兄上、自覚に至る(捏造妖怪を含みます)
     姑蘇の秋は深まるのが早い。
     清談会から半月も経てば、もう色づいた葉が地面に積もる。
     藍曦臣は寒室から灰色の空を見上げた。
     彼の弟が言っていた通り、今年は寒くなるのが早かった。今にも雪が降りだしそうな空模様である。
     藍曦臣の手には文があった。十日も前に送られてきた江澄からの文である。
     まだ、返事を書けていない。
     以前は書きたいことがいくらでもあった。毎日、友に伝えたくなる発見があった。
     それが今や、書きたいことといえばひとつしかない。
     ――会いたい。
     顔が見たい。声が聞きたい。朔月に飛び乗ってしまいたくなる衝動が襲う。
     もしこの欲求をかなえたら、自分は次に何を願うだろう。
     彼が寒室に泊ったときを思い出す。あの朝、たしかに髪に触れたいと思った。そうして前髪に触れたのだ。
     許されるならば、額にも、まぶたにも、頬にも触れてみたい。
     もはや認めざるを得ないところまで来ていた。
     断じて、彼が言っていたような義弟の代わりではない。だが、友でもない。あり得ない。
     ため息が落ちる。
     何故、という疑念が渦を巻く。己の感情さえままならない未熟を、どのようにして他人に押し付け 1845

    takami180

    PROGRESS長編曦澄12
    おや兄上の様子が……?
     金鱗台で清談会が開かれる。
     その一番の意味は、新しい金宗主を筆頭にして金氏が盤石であると、内外に知らしめることである。
     江澄はそのために奔走していた。
     今回ばかりは金凌が全面的に表に立たねばならない。彼を支えられる、信頼に足る人物をそろえなければいけない。なにより江澄が苦心したのはそこだった。
     おかげさまで、金光善の時代に金氏を食い物にしていた輩は、金光瑶によって排されていた。しかし、今度は金光瑶に傾倒する人物が残されている。彼らに罪はない。しかし、金凌の側に置くわけにはいかない。
     江澄が目をつけたのは金深微という人物であった。金光善、金光瑶と二人の宗主の側近として職務を果たしてきた仙師である。すでに白頭の老仙師だが、その分見識は深い。
     彼を第一の側近として、その周囲を金凌の養育に関わってきた者たちで囲む。金光瑶の側近でもあった彼が中枢にいれば、派閥の偏りを口実にした批判は潰せる。
     金深微は忠実に黙々と実務に勤しむ。それは宗主が誰であろうと変わらない。そのような彼に信頼が置けるからこそ採用できた布陣である。
     金宗主として宗主の席に座る金凌を、江澄は江宗主の席から見上げ 4006

    y4u3ki

    DONE曦澄ワンドロワンライのお題が「夢」だったので考えたけどこんなんしか思いつかなかった。やばい。まじでやばい。キャラ崩壊とかいうレベルじゃない。ギャグセンスのないやつが書いたギャグ。怒らないでほしい。「阿澄、私の夢を話してもいいかい?」
    「なんだ藪から棒に。まぁ…構わないが」
    「私の夢はね、いつの日か、江家にも藍家にも後継ができて、我々がその役割を終えるときがきたら」
    「うん」
    「それはきっと遠い遠い未来の話だと思うのだけれど、すべてを捨てて。立場も家も、すべてを取り払って、ただのひとりの男として」
    「うん」
    「BARを開きたい」
    「うん。………え?」
    「バーテンダーさんってかっこいいなって」
    「えっちょっと待って今そういう流れだったか?そこは『過去も立場も全て捨ててあなたとふたり只人として慎ましく暮らしていきたい』って言うところだろ」
    「それもとても魅力的なのですが、どうしても蔵書閣の書にあった『あちらのお客さまからです』っていうのをやってみたくて」
    「どういう世界線?」
    「ちょっと予行演習で今やってみてもいいですか」
    「漫才の導入部分だった」
    「お願いです阿澄…!!」
    「くそっ顔がいいな。わかったじゃあ俺が客をやればいいんだな」
    「話が早くて助かります」

    「はぁ…仕事は山積みだし、見合いはことごとくうまく行かないし、酒でも飲まないとやってられんな…」
    「失礼します、お客さま。 1633

    takami180

    DONE曦澄ワンドロワンライ
    第三回お題「夢」

    本編終了後、付き合っている曦澄。
    現実での大事なものと、本当は大切にしたいもの。

    ムーンライト宗主→ごめんねすなおじゃなくて→夢、という連想結果が何故こんなことに。
     その夜は金氏と合同の夜狩だった。そこで江宗主は大怪我を負った。
     邪祟から師弟を庇い、腹に穴をあけられた。
     江澄自身、これはまずいと感じた。血を吐き、体から力が抜ける。
    「宗主!」
     倒れたところを誰かに抱え起こされた。
     すかさず金凌が矢を射る。放たれた矢は狙い違わず邪祟を貫いた。
    「叔父上!」
    「金凌っ……」
     声にできたのはそれだけだった。怪我をせず、健やかに、生きてほしい。お前の生きていくこれからは、どうか穏やかな世界であるように。
     江澄は手を伸ばそうとしてかなわなかった。
     まぶたの裏に、白い装束の影が映る。心残りがあるとすれば、あの人にもう会えないことか。
    「誰か止血を!」
     怒号と悲鳴が遠ざかり、江澄の意識は闇に沈んだ。


     まばゆい光の中で、白い背中が振り返る。
    「江澄……」
     ああ、あなたは会いにきてくれたのか。
     江澄は笑った。これは現実ではない。彼は姑蘇にいるはずだ。
     体を起こそうとして、まったく力が入らなかった。夢の中くらい、自由にさせてくれてもいいのに。
    「気がつきましたか」
    「藍渙……」
     ほとんど呼んだことのない名を口に出す。これが最後の会話にな 1653

    sgm

    DONE曦澄ワンドロお題「失敗」
    Twitterにあげていたものを微修正版。
    内容は変わりません。
    「なぁ江澄。お前たまに失敗してるよな」
     軽く塩を振って炒った豆を口に放り込みながら向かいに座る魏無羨の言葉に、江澄は片眉を小さく跳ね上げさせた。
    「なんの話だ」
     江澄は山のように積まれた枇杷に手を伸ばした。艶やかな枇杷の尻から皮をむいてかぶりつく。ジワリと口の中に甘味が広がる。
    「いや、澤蕪君の抹額結ぶの」
     話題にしていたからか、ちょうど窓から見える渡り廊下のその先に藍曦臣と藍忘機の姿が見えた。彼らが歩くたびに、長さのある抹額は風に揺れて、ふわりひらりと端を泳がせている。示し合わせたわけでは無いが、魏無羨は藍忘機を。そして江澄は藍曦臣の姿をぼんやりと見つめた。
     江澄が雲夢に帰るのは明日なのをいいことに、朝方まで人の身体を散々弄んでいた男は、背筋を伸ばし、前を向いて穏やかな笑みを湛えて颯爽と歩いている。情欲など知りません、と言ったような聖人面だった。まったくもって腹立たしい。口の中に含んだ枇杷の種をもごもごと存分に咀嚼した後、視線は窓の外に向けたまま懐紙に吐き出す。
     丸い窓枠から二人の姿が見えなくなるまで見送って、江澄は出そうになる欠伸をかみ殺した。ふと魏無羨を見ると、魏無羨も 2744

    takami180

    PROGRESS長編曦澄11
    兄上やらかしの全貌
    (重要なネタバレを含みます)
     蓮花塢の風は夏の名残をはらみ、まとわりつくようにして通りすぎる。
     江澄は自室の窓辺から暗い蓮花湖を見下ろした。片手には盃を、片手には酒壺を持っている。
     一口、二口、酒を含む。雲夢の酒である。
     天子笑はこれもまた美味であるが、雲夢の酒はもう少し辛い。
     もう、三日前になる。雲深不知処で天子笑を飲み、浮かれた自分はこともあろうに藍曦臣に酒をすすめた。
     まったく余計なことをしたものだ。
     江澄は舌を打った。
     
     酒を飲んだ藍曦臣は、しばらくはただにこにことしていただけだった。
    「味はどうだ?」
    「味、ですか」
    「うまいだろう?」
    「そうですね。おいしい……」
     突然、藍曦臣の目から涙が落ちた。ぽたぽたと流れ落ちていく涙に、江澄はぎょっとした。
    「ど、どうかしたか」
    「ここで、おいしいお茶をいただきました。二人で」
    「二人?」
    「阿瑶と二人です」
     胸を衝かれた。
    「阿瑶は本当に優しい」
     息がうまく吸えない。どうして奴の名前が出てくる。
    「私が蘭陵のお茶を好むことを覚えていてくれて、おみやげにといただいたことがありました」
     動転する江澄をよそに、藍曦臣は泣きながら、またにっこり 1527

    takami180

    PROGRESS長編曦澄10
    兄上やらかす
     夜明けの気配がした。
     藍曦臣はいつもと同じように起き上がり、ぼんやりとした薄闇を見つめた。違和感がある。自分を見下ろしてみれば、深衣を脱いだだけの格好である。夜着に着替えるのを忘れたのだろうか。
    「うーん」
     ぱたり、と藍曦臣の膝に何かが落ちた。手だ。五指をかるく握り込んだ手である。白い袖を視線でたどると、安らかな寝顔があった。
    「晩吟……」
     藍曦臣は額に手のひらを当てた。
     昨夜、なにがあったのか。
     夕食は藍忘機と魏無羨も一緒だった。白い装束の江澄を、魏無羨がからかっていたから間違いない。
     それから、江澄を客坊に送ろうとしたら、「碁はいいのか?」と誘われた。嬉しくなって、碁盤と碁石と、それから天子笑も出してしまった。
     江澄は驚いた様子だったが、すぐににやりと笑って酒を飲みはじめた。かつて遊学中に居室で酒盛りをした人物はさすがである。
     その後、二人で笑いながら碁を打った。
     碁は藍曦臣が勝った。その頃には亥の刻を迎えていた。
    「もう寝るだけだろう? ひとくち、飲んでみるか? 金丹で消すなよ」
     江澄が差し出した盃を受け取ったところまでは記憶がある。だが、天子笑の味は覚えて 1652

    takami180

    PROGRESS長編曦澄その9
    スーパー無自覚兄上2
     その日、寒室の飾り棚には竜胆が生けてあった。小さな黒灰の器に、紫の花弁を寄せ合っている。
     藍忘機はそれを横目にして、藍曦臣の向かいに座った。
    「お待たせいたしました、兄上」
    「いいや、大丈夫だよ」
     今日は二人で清談会の打ち合わせである。
     藍曦臣が閉関を解いてから初めての清談会となる。藍曦臣自ら挨拶をするべき宗主、あちらから話しかけてくるのを待った方がいい世家、細々と確認していけばあっという間に時間は過ぎる。
    「こんなものでしょうかね」
    「はい」
    「ふふ」
     藍曦臣は堪えきれずに笑みをこぼした。藍忘機が首を傾げる。
    「実はね、忘機。三日後に江宗主が泊まりにきてくれるんだよ」
     それは今朝届いた文だった。
     ——次の清談会について打ち合わせるので、明日より数日金鱗台に滞在する。その帰りに雲深不知処に寄る。一晩、泊まらせてくれ。五日後だ。
     江澄からの文はいつもそっけない。今回は特に短い。しかしながら、その内容は今までで一番嬉しい。
     会ったときにはまた叱られるのかもしれない。あなたは何度指摘すれば覚えてくれるのか、と目を三角にする江澄は容易に想像ができた。
    「友が、会いにきてくれる 2893

    takami180

    PROGRESS長編曦澄その8
    スーパー無自覚兄上
     ——ところで、雲深不知処では葉が色づきはじめました。かわいらしい竜胆の花も咲いています。
     竜胆を見ているとあなたを思い出します。あの美しい紫はあなたの衣の色にそっくりです。
     そういえば、蓮花塢はまだ夏の終わり頃なのでしょうか。
     魏公子が寒くなるのが早いと言っていました。忘機が魏公子のために毛織物の敷布をいつもより早く出していました。
     あなたも今頃に姑蘇へいらしたら、寒く感じるのでしょうか。
     もう少し秋深くなったら、一度こちらへおいでください。見事な紅葉が見られますよ。
     
     藍曦臣ははたと筆をとめた。
     危ないところだった。また、「早くあなたにお会いしたい」と書くところだった。
     しばし考えて、「そのときはまた碁の相手をしてください」と結んだ。
     これで大丈夫だろう。友への文として及第点をもらえるのではないだろうか。
     最初の文は散々だった。
     雲夢から姑蘇へ戻ったその日から、三日続けて文を出した。そうしたら返事は来ずに、四日目に本人がやってきた。借りた文献を返しにきたついでにと、面と向かって返事をもらった。
     まず、返事が来ないうちに次の文を出さない。それから、必要以上に 2210

    takami180

    DONE曦澄ワンドロワンライ
    第二回お題「失敗」

    付き合ってない曦澄、寒室にて。
     夜、二人で庭をながめる。
     今夜は名月ではない。寝待月はまだ山の影から顔を出さない。寒室の庭は暗く、何も見えない。
     藍曦臣はちらりと隣に座る人を見た。
     あぐらをかき、片手に盃を持ち、彼の視線は庭に向けられたままだ。
     こうして二人で夜を迎えるのは初めてだった。
     江澄とはよい友人である。月に一度は雲深不知処か蓮花塢で会う。何もしない、ぼんやりとするだけの時間を共有させてもらえる仲である。
     それでも、亥の刻まで一緒にいたことはない。江澄が藍曦臣を気遣って、その前に必ず「おやすみなさい」と言って別れる。
     今晩はどうしたのだろう。
     平静を保ちつづけていた心臓の、鼓動が少しばかり速くなる。
     宗主の政務で疲れているのだろう。いつもより、もう少しだけ酔いたいのかもしれない。きっと彼に他意はない。
     自らに言い聞かせるように考えて、白い横顔から視線を引きはがす。
     庭は、やはり何も見えない。
     ことり、と江澄が盃を置いた。その右手が床に放り出される。
     空っぽの手だ。
     なにも持たない手。
     いつもいろんなものを抱え込んでふさがっている彼の手が、膝のわきにぽとりと落とされている。
     藍 1843

    takami180

    PROGRESSたぶん長編になる曦澄その7
    兄上、簫を吹く
     孫家の宗主は字を明直といった。彼は妻を迎えず、弟夫婦から養子を取っていた。その養子が泡を食ったように店の奥へと駆け込んできたのは夕刻だった。
    「だんなさま! 仙師さまが!」
     十歳に満たない子だが、賢い子である。彼は養子がこれほど慌てているのを見たことがなかった。
    「仙師様?」
    「江家の宗主様がいらしてます!」
     明直は川に水妖が出ていることを知っていた。そして、江家宗主が町のために尽力しているのも知っていた。
     彼はすぐに表へ出た。
     江家宗主は髪を振り乱し、水で濡れた姿で待っていた。
    「孫明直殿だな」
    「はい、そうですが、私になにか」
    「説明している時間が惜しい。来てくれ。あなたの協力が必要だ」
    「はあ」
    「あなたに危害は加えさせないと約束する。川の水妖があなたを待っている」
     訳が分からぬままに貸し馬の背に乗せられて、明直は町の外へと向かう。江家宗主の駆る馬は荒々しかったが、外壁を出ると何故か速度が落ちた。
    「あの場で説明できずに申し訳ない。あなたは十年前の嵐の日に死んだ芸妓を覚えているか」
     忘れるはずがない。彼女は恋人だった。
     父親の許しを得られず、朱花とは一緒に町を出る 2613

    takami180

    PROGRESSたぶん長編になる曦澄その6
    兄上が目覚める話
     粥をひとさじすくう。
     それを口に運ぶ。
     米の甘味が舌を包む。
     藍曦臣は粥の器をまじまじと見つめた。おいしかった。久しぶりに粥をおいしいと感じた。
     添えられた胡瓜も食べられた。しゃりしゃりとしている。
     包子も口にできた。蓮の実の包子は初めてだった。さすがに量が多くて大変だったが、どうにか食べ切りたいと頑張った。
     食事を終えて、藍曦臣は卓子の上、空の器をながめた。
     たった三日で人はこれほど変わるものなのだろうか。
     首を傾げて、ふと気が付いた。
     そういえば、阿瑶は。
     あれほど、いつも共にあった金光瑶の影がない。目をつむっても、耳を澄ませても、彼の気配は戻ってこない。
     騒々しい町の音だけが藍曦臣を取り巻いている。
    「阿瑶」
     返事はない。当然である。
     藍曦臣は静かに涙を落とした。
     失ったのだ。
     ようやく、彼を。
    「阿瑶……」
     幻影はなく、声も浮かばず、思い出せるのはかつての日々だけである。
     二人で茶を楽しんだ。花を見た。幼かった金宗主をあやしたこともあった。
     そこに江宗主がいることも多かった。
     今やありありと目に浮かぶのは彼の顔だ。
     喜怒哀楽、感情を素直 2851

    takami180

    PROGRESSたぶん長編になる曦澄その5
    兄上はおやすみです
     昼時を迎えた酒楼は賑わいを見せていた。
     江澄は端の席から集まる人々をながめた。
     やはり商人、荷運び人の数が多い。
     川が使えないといっても、この町が交通の要衝であることに変わりはない。ここから馬に乗り換えて蓮花塢へ向かう者も多い。
     まだ、活気は衰えていないが、川の不通が長引けばどうなるかはわからない。すでに蓮花塢では物の値段が上がっている。これ以上、長引かせるわけにはいかない。
     そこに黒い影が駆け込んできた。
    「お、いたいた、江澄!」
    「魏無羨!」
     彼は江澄の向かいに座ると、勝手に酒壺をひとつ頼んだ。
    「何をしにきた。あいつはどうした」
    「んー、ほら、届ける約束だった写しを持ってきたんだよ。藍湛は宿で沢蕪君と話してる」
    「何故、お前たちが来るんだ」
    「写しだって、蔵書閣の貴重な資料だから、藍湛が届けるんだってさ。俺はそれにくっついてきただけ」
     魏無羨はやってきた酒壺を直接傾け、江澄の前の皿から胡瓜をさらっていく。
     江澄は茶碗をあおって、卓子にたたきつけるように置いた。
    「帰れ」
    「藍湛の用事が終わったら帰るさ」
     魏無羨がまたひとつ胡瓜をつまむ。
     江澄は苛立ちを隠すこ 2255

    sgm

    DONE曦澄ワンドロお題「秘密」
    Twitter投稿していたものから誤字と句点修正版。
    内容は同じです。
     冷泉へ向かう道の途中に注意しないと見逃してしまうような細い道があることに、ある日江澄は気が付いた。
     魏無羨が金子軒を殴って雲夢に戻りひと月ほどたった頃だったろうか。
     魏無羨が帰ってからというもの、江澄は一人で行動することが多くなった。
     時折は聶懐桑と一緒に行動することもあるが、半分かそれ以上は一人だった。
     藍氏の内弟子以外は立ち入りを禁止されているところも多くあるが、蓮花塢と違って、この雲深不知処は一人で静かに過ごせる場所に事欠かない。誰も来ない、自分だけの場所。かつ、仮に藍氏の内弟子に見つかったとしても咎められないような場所。そうして見つけたのが、この細い道を進んだ先にある場所だった。おそらく冷泉に合流するだろう湧き水が小川とも呼べないような小さな水の道筋を作り、その水を飲もうと兎や鳥がやってくる。チロチロと流れる水音は雲夢の荷花池を思い出させた。腰を掛けるのにちょうど良い岩があり、そこに座って少しの間ぼんやりとするのが気に入っていた。ともすれば、父のこと、母のこと、魏無羨のこと、五大世家の次期宗主、公子としては凡庸である己のことを考えてしまい、唇を噛み締めたくなることが多 3083

    takami180

    PROGRESSたぶん長編になる曦澄その4
    兄上、川に浸けられる
     蓮花塢の夏は暑い。
     じりじりと照りつける日の下を馬で行きながら、藍曦臣は額に浮かんだ汗を拭った。抹額がしっとりと湿っている。
     前を行く江澄はしっかりと背筋を伸ばし、こちらを振り返る顔に暑さの影はない。
    「大丈夫か、藍曦臣」
    「ええ、大丈夫です」
    「こまめに水を飲めよ」
    「はい」
     一行は太陽がまだ西の空にあるうちに件の町に到着した。まずは江家の宿へと入る。
     江澄が師弟たちを労っている間、藍曦臣は冷茶で涼んだ。
     さすが江家の師弟は暑さに慣れており、誰一人として藍曦臣のようにぐったりとしている者はいない。
     その後、師弟を五人供にして、徒歩で川へと向かう。
     藍曦臣は古琴を背負って歩く。
     また、暑い。
     町を外れて西に少し行ったあたりで一行は足を止めた。
    「この辺りだ」
     藍曦臣は川を見た。たしかに川面を覆うように邪祟の気配が残る。しかし、流れは穏やかで異変は見られない。
    「藍宗主、頼みます」
    「分かりました」
     藍曦臣は川縁に座り、古琴を膝の上に置く。
     川に沿って、風が吹き抜けていく。
     一艘目の船頭は陳雨滴と言った。これは呼びかけても反応がなかった。二艘目の船頭も返答はな 2784

    takami180

    PROGRESSたぶん長編になる曦澄3
    兄上がおとなしくなりました
     翌朝、日の出からまもなく、江澄は蓮花湖のほとりにいた。
     桟橋には蓮の花托を山積みにした舟が付けている。
    「では、三つばかりいただいていくぞ」
    「それだけでよろしいのですか。てっきり十や二十はお持ちになるかと」
     舟の老爺が笑って花托を三つ差し出す。蓮の実がぎっしりとつまっている。
     江澄は礼を言って、そのまま湖畔を歩いた。
     湖には蓮花が咲き誇り、清新な光に朝露を輝かせる。
     しばらく行った先には涼亭があった。江家離堂の裏に位置する。
    「おはようございます」
     涼亭には藍曦臣がいた。見慣れた校服ではなく、江家で用意した薄青の深衣をまとっている。似合っていいわけではないが、違和感は拭えない。
     江澄は拱手して、椅子についた。
    「さすが早いな、藍家の者は」
    「ええ、いつもの時間には目が覚めました。それは蓮の花托でしょうか」
    「そうだ」
     江澄は無造作に花托を卓子の上に置き、そのひとつを手に取って、藍曦臣へと差し出した。
    「採ったばかりだ」
    「私に?」
    「これなら食べられるだろう」
     給仕した師弟の話では、昨晩、藍曦臣は粥を一杯しか食さず、いくつか用意した菜には一切手をつけなかったという 2183

    takami180

    PROGRESSたぶん長編になる曦澄その2
    浮かれっぱなし兄上
     どうしてこうなった。
     江澄は頭を抱えたい気分だった。今、彼は舟に乗り、蓮花塢への帰途にあった。そして、向かいには藍家宗主が座っている。
     川の流れは穏やかで、川面は朝陽にきらめいている。豊かな黒髪を風になびかせながら、藍曦臣はまぶしそうに目を細めた。
    「江宗主、あちらにいるのは鷺でしょうか」
     江澄は答えずに疑いの目を向けた。
     これが本当に食事もろくに摂らず、叔父と弟を嘆かせていたとかいう人物と同一なのだろうか。
     昨日、あの後、雲深不知処は大騒ぎとなった。とはいえ、家訓によりざわめきはすぐにおさまったのだが、藍忘機と藍啓仁を筆頭に誰もが戸惑いを隠せずにいた。
    「叔父上、お許しください。私は蓮花塢に赴き、江宗主に助力したく存じます」
     いや、まだ、俺はいいとは言っていないのだが。
     藍啓仁を前にきっぱりと言い切る藍曦臣に、江澄ははっきりと困惑の表情を浮かべた。これは口を挟んでいいものか。
     そのとき、背後から肩をたたく者があった。
    「江澄、何があったんだ」
    「俺が知りたい」
     江澄は即座に答えた。魏無羨は肩をすくめて、顎をしゃくる。
    「沢蕪君が姿を見せたのは半年ぶり……、いやもっ 2059