ハートの国のアリス
Kuon_ao3
DONE[30/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 空間の瞬きが増える。ハート、クローバー、ダイヤの欠片に囲まれたあの、暗く深い水の底へ転送されないことをアリスは強く祈る。
一方のエースは平然と――それどころかどこか慣れた様子で、不安定な色彩のざわめきを眺めていた。不意にアリスは、ひとつの可能性へと思い至る。
きぃんと響く、長く強烈な耳鳴り。
「ねえ、私が記憶喪失になったのって……もしかして今回が初めてじゃなかったりする?」
高音に擦り潰されぬよう、ほとんど叫ぶような形で。尋ねたアリスは、エースの唇が動くのを見て必死に耳を澄ます。
「この約束をくれる『君』も、今回が初めてじゃなかったりして」
掲げる小指に結ばれた水色が、アリスの見た最後の景色だった。
856一方のエースは平然と――それどころかどこか慣れた様子で、不安定な色彩のざわめきを眺めていた。不意にアリスは、ひとつの可能性へと思い至る。
きぃんと響く、長く強烈な耳鳴り。
「ねえ、私が記憶喪失になったのって……もしかして今回が初めてじゃなかったりする?」
高音に擦り潰されぬよう、ほとんど叫ぶような形で。尋ねたアリスは、エースの唇が動くのを見て必死に耳を澄ます。
「この約束をくれる『君』も、今回が初めてじゃなかったりして」
掲げる小指に結ばれた水色が、アリスの見た最後の景色だった。
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DONE[29/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス どちらからともなく、互いに喉を震わせて笑う。周囲の色彩も、つられて軽やかにゆらめく。
「さすがに全部の君を覚えていられる自信、ないぜ?」
「そんなの構わないわよ。忘れたかったら忘れて、覚えていたかったら思い出して」
「君が役持ちになって記憶を保持出来るようになったら、それまでの『アリス』達との思い出を一度情報共有しようか」
「……何を言われるのか、既にちょっとした恐怖が……」
自身の両肩を抱いて身震いしたアリスは、この穏やかな時間を少しでも引き延ばしたいと切望して、笑い声を転がした。終わって欲しくない。忘れたくない。それなのに無情にも、景色は明滅を始める。
「まずは私が他の皆みたいに、あらゆる国に同時に存在出来るようになるまで。……私も『覚えていられる』側になれる、その時まで」
524「さすがに全部の君を覚えていられる自信、ないぜ?」
「そんなの構わないわよ。忘れたかったら忘れて、覚えていたかったら思い出して」
「君が役持ちになって記憶を保持出来るようになったら、それまでの『アリス』達との思い出を一度情報共有しようか」
「……何を言われるのか、既にちょっとした恐怖が……」
自身の両肩を抱いて身震いしたアリスは、この穏やかな時間を少しでも引き延ばしたいと切望して、笑い声を転がした。終わって欲しくない。忘れたくない。それなのに無情にも、景色は明滅を始める。
「まずは私が他の皆みたいに、あらゆる国に同時に存在出来るようになるまで。……私も『覚えていられる』側になれる、その時まで」
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DONE[28/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス「記憶喪失になった私のこと、毎回怒ってくれていい。酷いよって罵ってくれたっていい」
そう言って、アリスは少し笑った。そんなことわざわざ許可しなくとも、エースは笑顔で不機嫌を振りまくのだろう。最初の頃を振り返り、アリスは頭一つ分以上高い位置にある彼の顔を見上げる。
「出逢いを繰り返して、『はじめまして』の度に私と友達になったり深い仲になったり。それぞれとの関係性を作ってくれたら……あなたにとって色んな、『唯一の私』がたくさん増えると思うの。そういうのは、どう?」
以前のアリスと今のアリスだけでなく、未来の、ひいてはこれから世界に馴染んで他の軸にも増えるであろうアリスとも全部、出逢って。好みのアリスだったり、そうじゃないアリスだったりと知り合って、比べて、重ねて。それを繰り返して。
606そう言って、アリスは少し笑った。そんなことわざわざ許可しなくとも、エースは笑顔で不機嫌を振りまくのだろう。最初の頃を振り返り、アリスは頭一つ分以上高い位置にある彼の顔を見上げる。
「出逢いを繰り返して、『はじめまして』の度に私と友達になったり深い仲になったり。それぞれとの関係性を作ってくれたら……あなたにとって色んな、『唯一の私』がたくさん増えると思うの。そういうのは、どう?」
以前のアリスと今のアリスだけでなく、未来の、ひいてはこれから世界に馴染んで他の軸にも増えるであろうアリスとも全部、出逢って。好みのアリスだったり、そうじゃないアリスだったりと知り合って、比べて、重ねて。それを繰り返して。
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DONE[27/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 息を吐き、俯いていたエースの顔が上げられる。
「君みたいに全部綺麗に忘れて、新しい気持ちで生きていく道も、もしかしたらあるのかもしれないけど」
人差し指を自身のこめかみに添え、彼はこつこつと軽く叩いた。
「唯一覚えている俺すら忘れたら、『その人』は正真正銘、この世界から消えてしまうから」
全ての人から忘れられてしまったら、「その人」の存在が、生きた軌跡ごと無くなってしまう。こんなにも自分に影響を与え、確かに隣に居たはずなのに。薄れるどころか白く透明になり、完全に無に帰してしまう。
「だから『アリス』を俺は忘れない、忘れることなんて出来ない。……そういう訳で君とは、どんな気持ちで関わって、どんな距離感でやっていけば良いのかなって。ずっとずっと、考えていたよ」
663「君みたいに全部綺麗に忘れて、新しい気持ちで生きていく道も、もしかしたらあるのかもしれないけど」
人差し指を自身のこめかみに添え、彼はこつこつと軽く叩いた。
「唯一覚えている俺すら忘れたら、『その人』は正真正銘、この世界から消えてしまうから」
全ての人から忘れられてしまったら、「その人」の存在が、生きた軌跡ごと無くなってしまう。こんなにも自分に影響を与え、確かに隣に居たはずなのに。薄れるどころか白く透明になり、完全に無に帰してしまう。
「だから『アリス』を俺は忘れない、忘れることなんて出来ない。……そういう訳で君とは、どんな気持ちで関わって、どんな距離感でやっていけば良いのかなって。ずっとずっと、考えていたよ」
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DONE[26/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス「忘れられることよりも、忘れることの方が私は許せないタイプだろうって、前に言ってたわよね」
会話が途切れることに不安を覚えて、アリスは懸命に言葉を探す。話が終わった瞬間に、この場所から追い出されてしまう気がして怖かった。
「あなたもそうなんでしょう? だからあなたは、以前の『アリス』を忘れないように、気をつけながら私に接してた」
以前の「アリス」はこうだったと、文句を言いつつも、今思えば彼は単なる事実を述べていただけに過ぎない。だから君もこうしてくれ、などとアリスに強要するようなことはしなかった。
以前の話を聞いて何を感じ、どう動くのかは、アリスに全て委ねられていた。
「私を含むこれからの『アリス』との関わり方について、迷っているの?」
606会話が途切れることに不安を覚えて、アリスは懸命に言葉を探す。話が終わった瞬間に、この場所から追い出されてしまう気がして怖かった。
「あなたもそうなんでしょう? だからあなたは、以前の『アリス』を忘れないように、気をつけながら私に接してた」
以前の「アリス」はこうだったと、文句を言いつつも、今思えば彼は単なる事実を述べていただけに過ぎない。だから君もこうしてくれ、などとアリスに強要するようなことはしなかった。
以前の話を聞いて何を感じ、どう動くのかは、アリスに全て委ねられていた。
「私を含むこれからの『アリス』との関わり方について、迷っているの?」
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DONE[25/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 忘れたくない。今の彼女にとって、重みのある言葉だ。それを受け取ってまず、はははとエースは笑った。
「俺との間に、何か特別な出来事があった訳でもないのに?」
異なる滞在地。容易には会えない、特有の悪癖。重なった時間の中でただ、言葉を交わし、飲み食いを共にし、ゲームに興じて、贈ったり贈られたりをした、それだけだ。
確かにそうだと、アリスは探るように指先で顎を撫でる。それでも言葉に出来ない引っかかりを喉奥に感じて、ポケットから例の水色のリボンを取り出した。
「私も同じ。なんとなく、捨てられなかった」
アリスの色だからと、持っていた理由をそう告げたエースの顔が、幾度と無くちらついて。その度に、謎だらけの彼の言動が次々と浮かんで、落ち着かない気持ちにさせられる。
570「俺との間に、何か特別な出来事があった訳でもないのに?」
異なる滞在地。容易には会えない、特有の悪癖。重なった時間の中でただ、言葉を交わし、飲み食いを共にし、ゲームに興じて、贈ったり贈られたりをした、それだけだ。
確かにそうだと、アリスは探るように指先で顎を撫でる。それでも言葉に出来ない引っかかりを喉奥に感じて、ポケットから例の水色のリボンを取り出した。
「私も同じ。なんとなく、捨てられなかった」
アリスの色だからと、持っていた理由をそう告げたエースの顔が、幾度と無くちらついて。その度に、謎だらけの彼の言動が次々と浮かんで、落ち着かない気持ちにさせられる。
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DONE[24/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 催しが終わった以上、次にまた引っ越しが起こるまで当分大きなイベントは無いと住人は言っていた。それは即ち、いつまた引っ越しが発生してもおかしくない状態になったということだ。
出逢って、巡って、離れて、また巡って。それをずっと、果てなく繰り返すのがルール。
故にアリスは、何か予感めいたものを察知していた。
元の世界とも、この世界とも異なる、狭間の世界。夢魔と話す時に現れる、色彩豊かなゆらめきの空間。
いつの間にか佇んでいたこの場所は、帰路でも岐路でもあるような気がしてならなかった。身体の記憶というやつなのだろう。分岐点に立っているような、選択を迫られるような。強い圧迫感を覚えたアリスは、会いに行こうと思っていた人物――紅い外套の騎士が、誂えたかのようなタイミングで目の前に立っていることにより、自身の予感を後押しされる。
637出逢って、巡って、離れて、また巡って。それをずっと、果てなく繰り返すのがルール。
故にアリスは、何か予感めいたものを察知していた。
元の世界とも、この世界とも異なる、狭間の世界。夢魔と話す時に現れる、色彩豊かなゆらめきの空間。
いつの間にか佇んでいたこの場所は、帰路でも岐路でもあるような気がしてならなかった。身体の記憶というやつなのだろう。分岐点に立っているような、選択を迫られるような。強い圧迫感を覚えたアリスは、会いに行こうと思っていた人物――紅い外套の騎士が、誂えたかのようなタイミングで目の前に立っていることにより、自身の予感を後押しされる。
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DONE[23/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 茶色くなってしまった葉を取り除く。自室の卓、エースから貰ったささやかな花束は、徐々に細く、小さくなってきた。この仮初めの花瓶もじきに、ただのグラスへと戻らざるを得ない。
傍らに長いこと置かれていた、細いリボンにアリスは手を伸ばす。丸まっていたそれは、毛糸玉のように転がって、指先とグラスに浮く花との間に橋を架けた。
怖くなったかという彼の問い掛けに思いを馳せる。
会えない間に育ってしまった。
離れ難いと思う存在が出来てしまった。
忘れたくないと思う人が、出来てしまった
エースのふるった剣よりも、アリスは今。
その本人を忘れることが、何よりも怖いと思っている。
萎れた紫の花に口付け、アリスは凛とした面持ちで部屋を後にした。
326傍らに長いこと置かれていた、細いリボンにアリスは手を伸ばす。丸まっていたそれは、毛糸玉のように転がって、指先とグラスに浮く花との間に橋を架けた。
怖くなったかという彼の問い掛けに思いを馳せる。
会えない間に育ってしまった。
離れ難いと思う存在が出来てしまった。
忘れたくないと思う人が、出来てしまった
エースのふるった剣よりも、アリスは今。
その本人を忘れることが、何よりも怖いと思っている。
萎れた紫の花に口付け、アリスは凛とした面持ちで部屋を後にした。
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DONE[22/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス アリスの脚は、会場の絨毯に縫い止められたかのように動かない。心の整理が出来ずに、思考そのものが停止しているようだった。
エースは一旦その場から離れようと歩き出す。しかしすぐさま袖を、強く強く捕まれていることに気が付いた。
「怖くなった」
線状に飛び散った血は、アリスの指の近く、エースの肘のあたりにも点々と色を付けている。
「でも。あなたがそんな風に聞いたのは何故か、の方が気になる」
エースは顔だけで振り返る。震える指先とは逆に、少女の視線はちっとも揺れてはいなかった。
「怖がって欲しい?」
剣先でも血の跡でもなく、こちらだけを真っ直ぐ見上げる少女に。エースは唇を開きかけて、閉じる。
怖がって欲しい。
492エースは一旦その場から離れようと歩き出す。しかしすぐさま袖を、強く強く捕まれていることに気が付いた。
「怖くなった」
線状に飛び散った血は、アリスの指の近く、エースの肘のあたりにも点々と色を付けている。
「でも。あなたがそんな風に聞いたのは何故か、の方が気になる」
エースは顔だけで振り返る。震える指先とは逆に、少女の視線はちっとも揺れてはいなかった。
「怖がって欲しい?」
剣先でも血の跡でもなく、こちらだけを真っ直ぐ見上げる少女に。エースは唇を開きかけて、閉じる。
怖がって欲しい。
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DONE[21/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 三回目に訪れたカジノ会場では、運良く早々に遭遇することが出来た。
「アリス、気を付け」
「え」
「あと、目は瞑った方がいいかな」
笑顔を崩さぬまま歩み寄ったエースは、アリスが目を閉じるよりも早く剣を抜き――投げた。両手持ち用の、騎士のあの大剣を。まるで投げナイフのように。右手一本で、ぶんとアリスの後方に向かって投げつけた。
閉じろと命令する間もなく、反射で瞼が落ちる。ほとんど瞬きの速度で、開いたアリスが振り向いた先。胸に剣の突き立った大柄の男が、仰向けで倒れていた。
周囲の悲鳴を聞きつけた黒の領土の警備隊が、方々から集まってくる。最初に駆けつけた者へとエースは端的に状況説明を済ませ、面倒くさそうに倒れた男から剣を引き抜いた。
517「アリス、気を付け」
「え」
「あと、目は瞑った方がいいかな」
笑顔を崩さぬまま歩み寄ったエースは、アリスが目を閉じるよりも早く剣を抜き――投げた。両手持ち用の、騎士のあの大剣を。まるで投げナイフのように。右手一本で、ぶんとアリスの後方に向かって投げつけた。
閉じろと命令する間もなく、反射で瞼が落ちる。ほとんど瞬きの速度で、開いたアリスが振り向いた先。胸に剣の突き立った大柄の男が、仰向けで倒れていた。
周囲の悲鳴を聞きつけた黒の領土の警備隊が、方々から集まってくる。最初に駆けつけた者へとエースは端的に状況説明を済ませ、面倒くさそうに倒れた男から剣を引き抜いた。
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DONE[20/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 紫の凛とした小花と、白い花弁の集合花。飾り気のない野の花は、背の低いグラスから水を吸い上げ、すっかり生気を取り戻した。雑草と呼ばれてもおかしくない草花達は、青青と葉を広げ己の存在を主張している。
役目を果たした水色のリボンは、くるくると綺麗に丸まった状態でその傍らに置かれていた。
置かれたまま、捨てられずに、いた。
アリスは読んでいた本を閉じる。実のところ、この二十ページ程の間ずっと物語に集中出来ていなかった。視界に映り込んでくる、白や紫、若い緑。そして何より、細い水色がどうにも気になって仕方がなかった。
『あら、会えば会うほど惹かれる、って説も広く知れ渡ってると思うけど?』
『それは君の体験が伴っている意見?』
517役目を果たした水色のリボンは、くるくると綺麗に丸まった状態でその傍らに置かれていた。
置かれたまま、捨てられずに、いた。
アリスは読んでいた本を閉じる。実のところ、この二十ページ程の間ずっと物語に集中出来ていなかった。視界に映り込んでくる、白や紫、若い緑。そして何より、細い水色がどうにも気になって仕方がなかった。
『あら、会えば会うほど惹かれる、って説も広く知れ渡ってると思うけど?』
『それは君の体験が伴っている意見?』
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DONE[19/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 差し出されたのは、花束と呼んで良いものか躊躇われる程の、小さな花の束だった。
花屋で買うような、大きさも形も整った花ではない。草原に寝転がった時に視界の端で揺れるような、ありふれた、どこにでもある草花。けれども命に貴賤は無く、小さいながらも凛と美しく花開いている。
「このリボン……」
受け取ったアリスは花の次に、茎を縛っているそれへと視線を移した。見覚えのある水色のリボンは恐らく、渡したスコーンのラッピングに使っていたものだ。
「捨てられなくて、ポケットに入れっぱなしだったんだ」
「分かる、紐もリボンも取っておくと便利だものね」
「っく、はは、君らしい合理的な考え方だ」
心底可笑しそうに、エースは腹を抱えて笑った。
431花屋で買うような、大きさも形も整った花ではない。草原に寝転がった時に視界の端で揺れるような、ありふれた、どこにでもある草花。けれども命に貴賤は無く、小さいながらも凛と美しく花開いている。
「このリボン……」
受け取ったアリスは花の次に、茎を縛っているそれへと視線を移した。見覚えのある水色のリボンは恐らく、渡したスコーンのラッピングに使っていたものだ。
「捨てられなくて、ポケットに入れっぱなしだったんだ」
「分かる、紐もリボンも取っておくと便利だものね」
「っく、はは、君らしい合理的な考え方だ」
心底可笑しそうに、エースは腹を抱えて笑った。
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DONE[18/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 花を摘む、煤色の手袋。
白い可憐な花、紫の上品な花。野原に咲く、名前も知らぬ花々を摘んで、束ねていく。
背丈の低い花の束はやがて、コサージュ程の大きさと量になった。エースは左の胸の、自身の時計に重なる位置にあるポケットから、細いリボンを取り出した。
それはあの、彼女から貰った差し入れの口を結んでいた、水色のサテンのリボン。捨てられなかった、思い出の一部。
ポケットを漁って指先に当たる度に蘇る。
持っている限り何度でも思い出してしまう。
離れている間に、募ってしまう。
故にエースは、一度手放すことにした。彼女に預けて、選択を、二人の行く末を、委ねる。
鼻歌混じりに野の花をリボンで束ね、エースは最後に蝶結びを施した。
322白い可憐な花、紫の上品な花。野原に咲く、名前も知らぬ花々を摘んで、束ねていく。
背丈の低い花の束はやがて、コサージュ程の大きさと量になった。エースは左の胸の、自身の時計に重なる位置にあるポケットから、細いリボンを取り出した。
それはあの、彼女から貰った差し入れの口を結んでいた、水色のサテンのリボン。捨てられなかった、思い出の一部。
ポケットを漁って指先に当たる度に蘇る。
持っている限り何度でも思い出してしまう。
離れている間に、募ってしまう。
故にエースは、一度手放すことにした。彼女に預けて、選択を、二人の行く末を、委ねる。
鼻歌混じりに野の花をリボンで束ね、エースは最後に蝶結びを施した。
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DONE[17/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 愛くるしい姿をしたライオン達は、一足先にハンニバルの元へと飛んで行ってしまった。癒しを求めていた理由を尋ねられ、アリスはまだ整理のついていない心境のまま、時計を直した店員の一件をぽつりぽつりと語り出す。
この国で目が覚めたばかりの彼女が、役持ちの住人にしたことと全く同じ。ルールに則って、なにもかもを忘れたリセット。
「……忘れる方も哀しいと思っていたけど、忘れられることの方がずっと堪えるわね」
背中から当たる夕陽で、足下に長い影が落ちる。横顔には、苦々しい笑みが浮かんでいた。
「そうかな? 君は忘れることの方が耐え難いタイプだと思うけど」
隣を歩いていたエースにそう告げられ、アリスは思わず脚を止める。
458この国で目が覚めたばかりの彼女が、役持ちの住人にしたことと全く同じ。ルールに則って、なにもかもを忘れたリセット。
「……忘れる方も哀しいと思っていたけど、忘れられることの方がずっと堪えるわね」
背中から当たる夕陽で、足下に長い影が落ちる。横顔には、苦々しい笑みが浮かんでいた。
「そうかな? 君は忘れることの方が耐え難いタイプだと思うけど」
隣を歩いていたエースにそう告げられ、アリスは思わず脚を止める。
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DONE[16/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス「ありすだ!」
「ようこそ、ありす! こっちこっち」
ふよふよと宙を泳いでいたライオンのぬいぐるみ達は、来客に気が付くと一斉に取り囲んだ。舗装されていない小道の先を示し、門までの案内役を買って出たライオンに対し、アリスは浮かない顔で切り出す。
「ちょっと……哀しいことがあったから、一つお願いがあるんだけど……」
「どんなおねがい?」
円らで愛らしい瞳で聞き返す彼の、綿が詰まった両手をアリスはきゅっと握った。
「吸わせて」
言うが早いが、アリスは鬣のあたりに顔を埋める。毛糸やフェルトの、ふわふわの肌触り。思い切り息を吸えば、日向ぼっこをしていたのか、あたたかくどこか懐かしい香りがした。
すーはー、すーはー、と猫吸いもといライオン吸いを心行くまで堪能したアリスは、ようやくのことで正気を取り戻して顔を上げる。
543「ようこそ、ありす! こっちこっち」
ふよふよと宙を泳いでいたライオンのぬいぐるみ達は、来客に気が付くと一斉に取り囲んだ。舗装されていない小道の先を示し、門までの案内役を買って出たライオンに対し、アリスは浮かない顔で切り出す。
「ちょっと……哀しいことがあったから、一つお願いがあるんだけど……」
「どんなおねがい?」
円らで愛らしい瞳で聞き返す彼の、綿が詰まった両手をアリスはきゅっと握った。
「吸わせて」
言うが早いが、アリスは鬣のあたりに顔を埋める。毛糸やフェルトの、ふわふわの肌触り。思い切り息を吸えば、日向ぼっこをしていたのか、あたたかくどこか懐かしい香りがした。
すーはー、すーはー、と猫吸いもといライオン吸いを心行くまで堪能したアリスは、ようやくのことで正気を取り戻して顔を上げる。
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DONE[15/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス ショーケースに並ぶチョコレートは、どれも皆宝石のように輝いて見える。客がトングでつつくのではなく、一粒ずつ店員が丁寧に扱うから尚更そう感じるのかもしれない。
磨き込まれたケースに指紋を付けることさえ躊躇われて、アリスは端から端まで宝石の煌めきとじっくり見つめ合った。
「いらっしゃいませ」
ケースの向こう側に立つ店員に声を掛けられ、アリスはぱっと顔を上げた。
「以前あなたが薦めてくれたチョコレート、とても美味しかったからまた来ちゃった」
あの時手土産の品を一緒に選んでくれた顔なしの店員はしかし、疑問符を浮かべたまま首を傾げる。人違いだったろうか、とアリスは店内を見回したものの、やはり目の前に立つ彼女は前回接客担当してくれた店員で間違いない。
602磨き込まれたケースに指紋を付けることさえ躊躇われて、アリスは端から端まで宝石の煌めきとじっくり見つめ合った。
「いらっしゃいませ」
ケースの向こう側に立つ店員に声を掛けられ、アリスはぱっと顔を上げた。
「以前あなたが薦めてくれたチョコレート、とても美味しかったからまた来ちゃった」
あの時手土産の品を一緒に選んでくれた顔なしの店員はしかし、疑問符を浮かべたまま首を傾げる。人違いだったろうか、とアリスは店内を見回したものの、やはり目の前に立つ彼女は前回接客担当してくれた店員で間違いない。
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DONE[13/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス「我ながら冴えてる。狼煙を頼りに進めばいいんだわ」
「お。君も随分と俺のことを分かってきたね」
狼煙、もとい焚き火の煙を目指して森の中に姿を現したアリスを見て、エースは嬉しそうに薪を打ち鳴らした。
「これ、たくさん作ったから、あなたにもお裾分け」
アリスは手提げから簡易の包装を施したスコーンを取り出す。水色の細いリボンで留められた、中身の見える透明な袋。焼き色に個体差はあるが、大きさが全て揃っているあたりに彼女の真面目な性格が現れている。
「うわ、今ちょうどお腹ぺこぺこだったから助かるぜ。それに君の手作りなら、美味しいに違いない」
「以前の私の実力がどの程度か分からないけど」
食べる前から期待値を上げられては困ると予防線を張るアリスなどお構いなしに、エースは手早く折り畳みのテーブルを広げた。
471「お。君も随分と俺のことを分かってきたね」
狼煙、もとい焚き火の煙を目指して森の中に姿を現したアリスを見て、エースは嬉しそうに薪を打ち鳴らした。
「これ、たくさん作ったから、あなたにもお裾分け」
アリスは手提げから簡易の包装を施したスコーンを取り出す。水色の細いリボンで留められた、中身の見える透明な袋。焼き色に個体差はあるが、大きさが全て揃っているあたりに彼女の真面目な性格が現れている。
「うわ、今ちょうどお腹ぺこぺこだったから助かるぜ。それに君の手作りなら、美味しいに違いない」
「以前の私の実力がどの程度か分からないけど」
食べる前から期待値を上げられては困ると予防線を張るアリスなどお構いなしに、エースは手早く折り畳みのテーブルを広げた。
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DONE[12/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 打ち粉をした丸い型で生地を抜く。常温に戻らないよう、手早く抜いたそれらを天板に並べたら、卵液を塗って真っ直ぐにオーブンへ。
じりじり。隣同士で膨れるタイミングを見計らっている、これからスコーンになっていく予定の生地達。オーブンの窓越しに様子を見ながら、アリスはぼんやりと考え事をしていた。
会いたくて、会えなくて降り積もる。
エースのそれは、誰に向けられているものなのだろう。
催しの夜の、なんとなくいつもと違う様子だったエースを思い出す。思えば彼には時折そういう節があった。面と向かって話しているにも関わらず、アリスではない誰かを見ているような、心ここに在らずといった様子の、質量のない違和感。
元気が無い、というよりは、いつもが必要以上に空元気で、それを纏うのをやめて素が出たという表現の方がしっくりくる。
433じりじり。隣同士で膨れるタイミングを見計らっている、これからスコーンになっていく予定の生地達。オーブンの窓越しに様子を見ながら、アリスはぼんやりと考え事をしていた。
会いたくて、会えなくて降り積もる。
エースのそれは、誰に向けられているものなのだろう。
催しの夜の、なんとなくいつもと違う様子だったエースを思い出す。思えば彼には時折そういう節があった。面と向かって話しているにも関わらず、アリスではない誰かを見ているような、心ここに在らずといった様子の、質量のない違和感。
元気が無い、というよりは、いつもが必要以上に空元気で、それを纏うのをやめて素が出たという表現の方がしっくりくる。
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DONE[10/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス カジノに併設しているバーカウンターで酒を煽っていたエースは、ポーカーテーブルの間を右往左往する少女の姿に気が付いた。人々の隙間をかいくぐって、ゲームの進行を見るでもなく場を離れ、また別のテーブルへと向かう。それをテーブルの数だけ繰り返していた。
最後のテーブルを離れ、振り返ったアリスと目が合う。ぱっと一回り大きくなった、翠の瞳。うろうろと彷徨っていたそれまでの挙動が嘘のよう。迷い無く真っ直ぐに歩を進めるアリスに、今度はエースが目を見開く番だった。
「俺のこと、探してくれていたんだ?」
「だって顔を見せないとあなた、次に会った時に煩いじゃない」
「はは、君がそういうことにしたいならまあ、それでいいか」
566最後のテーブルを離れ、振り返ったアリスと目が合う。ぱっと一回り大きくなった、翠の瞳。うろうろと彷徨っていたそれまでの挙動が嘘のよう。迷い無く真っ直ぐに歩を進めるアリスに、今度はエースが目を見開く番だった。
「俺のこと、探してくれていたんだ?」
「だって顔を見せないとあなた、次に会った時に煩いじゃない」
「はは、君がそういうことにしたいならまあ、それでいいか」
Kuon_ao3
DONE[9/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 交差する形で横たわる大鎌、二挺。それでも屋敷は平然と静まり返っており、部外者が侵入した様子は見られない。
帽子屋屋敷の門番二人は浅い息を繰り返し、血の止まらない切り傷を押さえながら必死に訴えた。
「~~、あいつ、馬鹿だから、」
「そうだよ、馬鹿だから」
「間違えたから帰るよ! って言ったその足で、正面から入ろうとしたんだ」
「それで門番らしくしっかりと働いた……結果がこれ、と」
屋敷のメイド達の隣でアリスもまた、ディーとダムの応急処置のフォローに回っていた。渦中の迷子騎士は、既に影も形もない。
ガーゼと包帯、絆創膏を、アリスは代わる代わる救急箱から取り出す。最初こそ強がって抵抗していた双子達も、少女に心配されることが嬉しくなってきたのか、こっちも痛いあっちも痛いと口々に騒ぎ始めた。傷口はどの箇所も浅く、剣の主が本気を出していないことはアリスの目にも明らかだ。
536帽子屋屋敷の門番二人は浅い息を繰り返し、血の止まらない切り傷を押さえながら必死に訴えた。
「~~、あいつ、馬鹿だから、」
「そうだよ、馬鹿だから」
「間違えたから帰るよ! って言ったその足で、正面から入ろうとしたんだ」
「それで門番らしくしっかりと働いた……結果がこれ、と」
屋敷のメイド達の隣でアリスもまた、ディーとダムの応急処置のフォローに回っていた。渦中の迷子騎士は、既に影も形もない。
ガーゼと包帯、絆創膏を、アリスは代わる代わる救急箱から取り出す。最初こそ強がって抵抗していた双子達も、少女に心配されることが嬉しくなってきたのか、こっちも痛いあっちも痛いと口々に騒ぎ始めた。傷口はどの箇所も浅く、剣の主が本気を出していないことはアリスの目にも明らかだ。
Kuon_ao3
DONE[8/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 歪みのない完全な球体。気泡ひとつ入っていない美しいその氷を、無遠慮にグラスに放り込む。
「お前、本っっっ当に馬鹿だな」
ジョーカーは片手でウイスキーを注ぎ、マドラーを手に取るのが面倒だとばかりにグラスの縁を掴んで回した。透明で大きな氷が、僅かに浮上して円を描く。
「せっかくあの女が全部忘れて、うだうだ迷ってるお前の悩みごとぶった斬れるかもしれねぇチャンスだってのによ」
嘲りと共にケタケタと笑う彼は、接客をする気など毛頭無く、音を立ててグラスを置いた。カウンターに座った赤い男がそれを、ひょいと掴む。
「なにせ処刑人である前に騎士だからね」
橙色の灯りに翳せば、中の液体は琥珀色に煌めいた。体温で温まらないように余分な指先を離す。緩い曲線を描く小指の先を眺め、エースは唇を綻ばせた。
473「お前、本っっっ当に馬鹿だな」
ジョーカーは片手でウイスキーを注ぎ、マドラーを手に取るのが面倒だとばかりにグラスの縁を掴んで回した。透明で大きな氷が、僅かに浮上して円を描く。
「せっかくあの女が全部忘れて、うだうだ迷ってるお前の悩みごとぶった斬れるかもしれねぇチャンスだってのによ」
嘲りと共にケタケタと笑う彼は、接客をする気など毛頭無く、音を立ててグラスを置いた。カウンターに座った赤い男がそれを、ひょいと掴む。
「なにせ処刑人である前に騎士だからね」
橙色の灯りに翳せば、中の液体は琥珀色に煌めいた。体温で温まらないように余分な指先を離す。緩い曲線を描く小指の先を眺め、エースは唇を綻ばせた。
Kuon_ao3
DONE[7/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス どこに座ったら良いのか迷ったアリスは、草原の上にハンカチを広げてから腰を下ろした。手渡されたマグカップからは、珈琲の良い香りが立ち上っている。
「青空の下、星空の下で飲む珈琲も、旅の醍醐味だよな!」
エースは焚き火を挟んで向かいに座ると、晴れ渡った空を暢気に見上げた。あと少し歩くだけで屋根のある場所で落ち着いて飲めるけどね、という無粋な発言をぐっと堪え、アリスは適当に話を振る。
「旅って主に何をしているの?」
「俺の旅には目的なんて無いよ。風の向くままに歩いて、気の向くままに寝起きして、心の赴くままに自然と共に過ごす。自由気儘な旅だ」
手土産に貰ったチョコレートを立て続けに三粒口に放り込み、エースは珈琲を啜った。
521「青空の下、星空の下で飲む珈琲も、旅の醍醐味だよな!」
エースは焚き火を挟んで向かいに座ると、晴れ渡った空を暢気に見上げた。あと少し歩くだけで屋根のある場所で落ち着いて飲めるけどね、という無粋な発言をぐっと堪え、アリスは適当に話を振る。
「旅って主に何をしているの?」
「俺の旅には目的なんて無いよ。風の向くままに歩いて、気の向くままに寝起きして、心の赴くままに自然と共に過ごす。自由気儘な旅だ」
手土産に貰ったチョコレートを立て続けに三粒口に放り込み、エースは珈琲を啜った。
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DONE[6/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス「ようこそ我が家へ!」
効果音でも鳴りそうなくらい大きく両腕を広げ、エースが指し示したのは愛用の緑のテントだった。目と鼻の先にある黒の領土の門とテントを順番に視線で追ってから、「我が家」に招待されたアリスは頭を痛める。
テントの前では、はぱちぱちと焚き火が燃えさかっていた。
「やっと遊びに来てくれたんだ、目一杯おもてなししないとな。紅茶と珈琲、どっちがいい?」
エースは鼻歌混じりでケトルを火にくべる。数十メートル後方では、客人が想定外の場所で捕まっている様子を見て門番の兵士が狼狽していた。アリスは兵士に向かって右手を軽く挙げ、問題ないですという意図を込めた合図を送る。
「珈琲を頂こうかしら」
「紅茶じゃないんだ?」
568効果音でも鳴りそうなくらい大きく両腕を広げ、エースが指し示したのは愛用の緑のテントだった。目と鼻の先にある黒の領土の門とテントを順番に視線で追ってから、「我が家」に招待されたアリスは頭を痛める。
テントの前では、はぱちぱちと焚き火が燃えさかっていた。
「やっと遊びに来てくれたんだ、目一杯おもてなししないとな。紅茶と珈琲、どっちがいい?」
エースは鼻歌混じりでケトルを火にくべる。数十メートル後方では、客人が想定外の場所で捕まっている様子を見て門番の兵士が狼狽していた。アリスは兵士に向かって右手を軽く挙げ、問題ないですという意図を込めた合図を送る。
「珈琲を頂こうかしら」
「紅茶じゃないんだ?」
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DONE[5/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 部屋の姿見の前に立つ。金茶の長い髪、青いリボンと揃いのエプロンドレス。鏡面にそっと触れて、平々凡々なその顔と互いにじっと見つめ合う。
個人を形作っている大きな要素は、記憶であると最近読んだ本に書かれていた。積み重ねてきた時間が、生きてきた軌跡が、その人を「その人」たらしめている。
ならば記憶をなくしたこの身は、一体何者なのだろう。
水を飲むのに使っていたグラスに花を生けたら、それを花瓶と呼ぶ者もいるだろう。二つを区別するのは中身と、それから、過去の姿を知っているかどうか。
まるきり中身の違う自分が尚、彼らにアリスと呼ばれるのは、容れ物であるこの姿形が以前と同一であるから、ただ、それだけだ。この容れ物がグラスなのか、花瓶なのか。はっきりと名乗る自信を持てないまま、アリスは唇を震わせた。
444個人を形作っている大きな要素は、記憶であると最近読んだ本に書かれていた。積み重ねてきた時間が、生きてきた軌跡が、その人を「その人」たらしめている。
ならば記憶をなくしたこの身は、一体何者なのだろう。
水を飲むのに使っていたグラスに花を生けたら、それを花瓶と呼ぶ者もいるだろう。二つを区別するのは中身と、それから、過去の姿を知っているかどうか。
まるきり中身の違う自分が尚、彼らにアリスと呼ばれるのは、容れ物であるこの姿形が以前と同一であるから、ただ、それだけだ。この容れ物がグラスなのか、花瓶なのか。はっきりと名乗る自信を持てないまま、アリスは唇を震わせた。
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DONE[4/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス ディーラーが締め切りの合図を告げ、プレイヤー達にカードを配る。一歩後ろからその様子を眺めながら、次のラウンドから参加するべく、エースはアリスに初心者向けのルール説明を始めた。
配られるカードは二枚。二十一を超えないようにカードの数字をコントロールするゲーム。十から上のトランプ札は全て十点扱い。そしてAは。
「Aは、一点または十一点、都合の良い方で数えることが出来る」
エースの声に耳を傾けていたアリスは、妙な感覚を覚えて口を開いた。
「……あなたって、ディーラーもやっていたりする?」
隣に居ることに対する、強烈な違和感。隣に並び立つプレイヤー同士ではなく、例えばそう、卓を挟んだ向かい側に座っている方が。何故かどことなくしっくりくる気がして、アリスは改めてエースに向き直った。
543配られるカードは二枚。二十一を超えないようにカードの数字をコントロールするゲーム。十から上のトランプ札は全て十点扱い。そしてAは。
「Aは、一点または十一点、都合の良い方で数えることが出来る」
エースの声に耳を傾けていたアリスは、妙な感覚を覚えて口を開いた。
「……あなたって、ディーラーもやっていたりする?」
隣に居ることに対する、強烈な違和感。隣に並び立つプレイヤー同士ではなく、例えばそう、卓を挟んだ向かい側に座っている方が。何故かどことなくしっくりくる気がして、アリスは改めてエースに向き直った。
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DONE[3/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 煌びやかな内装、気後れしてしまう社交場独特の空気。チップは卓に積み上げられ、メダルは穴に飲み込まれていく。
前髪を片側だけ上げ、白黒の正装に身を包んだ、常と異なる印象のエースはしかし、中身はまるきり普段と変わらぬことを主張せんとばかりに分かりやすく拗ねてみせた。
「全員集まる時期になるまで会いに来てくれないなんて、薄情だよな~」
「だから、何回行ってもあなたがたまたま領土に居ないだけなんだってば」
サイドテールの毛先を胸元で弾ませ、アリスもまた正装に似合わぬ幼い態度で言い返す。
頭一つ分以上高い位置から、エースは彼女の顔を探るように覗き込む。
「敢えて俺が出掛けているタイミングを狙って来ていたりして」
558前髪を片側だけ上げ、白黒の正装に身を包んだ、常と異なる印象のエースはしかし、中身はまるきり普段と変わらぬことを主張せんとばかりに分かりやすく拗ねてみせた。
「全員集まる時期になるまで会いに来てくれないなんて、薄情だよな~」
「だから、何回行ってもあなたがたまたま領土に居ないだけなんだってば」
サイドテールの毛先を胸元で弾ませ、アリスもまた正装に似合わぬ幼い態度で言い返す。
頭一つ分以上高い位置から、エースは彼女の顔を探るように覗き込む。
「敢えて俺が出掛けているタイミングを狙って来ていたりして」
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DONE[2/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 警備をしていた男性に会釈し、アリスは門を後にした。無意識のうちに緊張していたのだろう、途端に肩が弛緩して呼吸もしやすくなる。
ソロプレイヤーだと明言していた領主ハンニバル=ゴールドは、カードだけでなくボードゲームでも強者であった。彼の都合で今回は一ラウンドのみで解散する流れになったが、ルールを把握出来たこともあり、次回は是非とも勝つまで挑みたい。
「なんだ、せっかく来たのに俺とは遊んでくれないのか?」
正面に見える小道の先からではなく、声は頭上から降ってきた。続けて、ガサガサと葉が音を立て、紅い男が眼前に降り立つ。片膝をついた姿はまさに騎士然としているにも関わらず、笑う瞳はアリスが帰路についたことを言外に責めている。
631ソロプレイヤーだと明言していた領主ハンニバル=ゴールドは、カードだけでなくボードゲームでも強者であった。彼の都合で今回は一ラウンドのみで解散する流れになったが、ルールを把握出来たこともあり、次回は是非とも勝つまで挑みたい。
「なんだ、せっかく来たのに俺とは遊んでくれないのか?」
正面に見える小道の先からではなく、声は頭上から降ってきた。続けて、ガサガサと葉が音を立て、紅い男が眼前に降り立つ。片膝をついた姿はまさに騎士然としているにも関わらず、笑う瞳はアリスが帰路についたことを言外に責めている。
Kuon_ao3
DONE短期集中連載、毎日更新で♠黒発売前日に完結予定です。[1/30] 30話後、次元を超えるエースとアリス 見上げた空は青く、澄み切っている。ちぎれ雲が浮いているが、空気は乾いているため雨は降りそうにない。
いや、そもそも雨は降らないのだったっけ、と。余所者の少女は白の領土で受けた山のような説明の中からぼんやりと思い出す。四つの領土については聞かされたが、時間帯や天候についてまで話していたか定かではない。空っぽの状態に近い脳内にとんでもない量の情報を一気に詰め込まれた少女は、心なしか重くなったような気のする頭を抱え、頼りない足取りで小道を往く。
まずはどの領土から回ろうか、分かれ道で思案する彼女の視界の片隅。林道に相応しからぬ鮮やかな赤に、思わず目を奪われた。
すらりとした長身に、茶髪。携えた金の大剣が無かったとしても、鍛えているのが分かる逞しい背中。彼もまた、良く晴れた青空を見上げているようだった。鳥か、真昼の月か。少女も同じ方角を見てみたが、これといって特筆すべきものは視線の先に無い。
710いや、そもそも雨は降らないのだったっけ、と。余所者の少女は白の領土で受けた山のような説明の中からぼんやりと思い出す。四つの領土については聞かされたが、時間帯や天候についてまで話していたか定かではない。空っぽの状態に近い脳内にとんでもない量の情報を一気に詰め込まれた少女は、心なしか重くなったような気のする頭を抱え、頼りない足取りで小道を往く。
まずはどの領土から回ろうか、分かれ道で思案する彼女の視界の片隅。林道に相応しからぬ鮮やかな赤に、思わず目を奪われた。
すらりとした長身に、茶髪。携えた金の大剣が無かったとしても、鍛えているのが分かる逞しい背中。彼もまた、良く晴れた青空を見上げているようだった。鳥か、真昼の月か。少女も同じ方角を見てみたが、これといって特筆すべきものは視線の先に無い。