湯呑み殿 小笠原館を前に市河は足を止めた。市河が夏に抜けた戦いから数ヶ月が経ち、周りの景色はすっかり秋めいている。戦が貞宗の勝利で終わったとは伝え聞いていた。遅れて到着した土岐によって北条らは逃げていったのだという。
市河の手にはカブトムシが入った籠があった。戦を途中で抜けた詫びにと思って取っておいたものだ。大きいものを選りすぐってきたから、これで貞宗の機嫌も直るだろう。
市河はいつものように小笠原館の門番に目配せをした。頻繁に出入りする市河にはそれだけで門が開くはずだった。しかし門兵は槍を手にしたまま立ち塞がる。一人が厳しい目で市河を睨みつけ、もう一人は館へと駆けていった。
「なんだ貴様ら。俺が誰か知らないのか」
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