導入部分だけ 苦しみというものについて考えるとき、大倶利伽羅はある一人の男を思い出す。
その男と出会ったのは雲の多い、風が強い夜のことだった。雲が途切れ月明かりの下に佇む男のことを思い出すと、大倶利伽羅の奥底で瘡蓋に覆われた傷が痛むような気がした。あのとき確かに大倶利伽羅は苦しみの中にいて、そこから抜け出せそうにはなかったし、抜け出す気も起きなかった。自暴自棄になっていたのだろう。大倶利伽羅にとっては忘れられない苦い思い出のひとつである。あの頃の話を加州清光がいまだに掘り起こすのは、そんな大倶利伽羅の心境を理解してのことだと理解している。
あの男が大倶利伽羅の傷を癒やしたのかと問われると、それはどうなのだろうかと首を傾げる。あの男はただ通り過ぎるだけの存在だった。大倶利伽羅があの男になんらかの影響を与えることもなかった。あの男と出会わなくとも、おそらく時間が大倶利伽羅の傷を癒やしたことだろう。
7537